閑話 猫霧中
「ブレン坊、猫というのはね・・・神様の御使いなんじゃよ」
「嘘だろ、こんなちっこくて弱そうなのが?」
そう言って俺に猫の事を教えてくれた婆さんは、俺の育った集落の生き字引とも言うべき長老だ。
この婆さんにかかれば族長ですら子供扱いだという。
その齢は90とも100とも言われて・・・本人が歳の話を嫌うせいもあって、集落の中でも認識が一致しなくなっていた。
とにかく相当な婆さんだ、見た目もそろそろ人間離れしてきて子供なんかは魔物の如く怖がる有様。
でも怖いもの知らずな俺は逆に興味を持って・・・小さい頃からこの婆さんの家によく遊びに来ていた。
「・・・ほれ、あれをごらん」
「?」
そう言って婆さんが指差した先には、1匹の猫が。
絡まり合うように生えた2本の樹の幹の、僅かな隙間に頭を突っ込んで・・・
すっかり隙間にはまって、あれでは抜けられないだろう・・・間抜けなやつだ。
「ふ・・・」
「よく見ておくのじゃ」
「?」
思わず鼻で笑った俺に、婆さんが二ヤリと微笑む。
いったい何を見ろというのか・・・神様の使いと言うなら、はやく助けてやった方が・・・
そう思った矢先___
スルスル…
「えっ・・・」
俺は自分の目を疑った。
猫は僅かな隙間に無理矢理前脚を差し込んだかと思えば、そのまま身体がするすると・・・あっという間の出来事だった。
魔法か何かのように隙間を通り抜けた猫は、まるで何事もなかったように毛繕いを始めて・・・
「あれこそ、神様に与えられた力なのじゃ」
「・・・すげぇ」
他にも、高い反射神経で蛇を軽くあしらったり、高い樹の上から落ちても平気だったり・・・婆さんは色々教えてくれた。
ちっこくて弱そう・・・そんな風に猫を思っていた俺の認識は、あっという間に塗り替えられていった。
婆さんの元で色々教わった俺は、気付けばグレン族一の神童と呼ばれるようになっていた。
それですっかり自信満々になった俺は、王都にある王立学園への留学の話にも迷わず飛びついた。
さすがに王都までは長い旅になったが、俺も体力自慢のグレン族の一人だ、辛くはなかった。
それよりも・・・
「え・・・グレン族? なんで王都に?」
「声がでかいって・・・狂暴な蛮族って話だぞ」
王都ではグレン族はよっぽど珍しいらしい。
奇異の目と偏見に晒され・・・それももう慣れたが、鬱陶しいったらありゃしない。
それは学園にあっても変わらず・・・俺は極力人を避けて1人でいるようにしていた。
離れの校舎裏なんかは誰もいなくて、居心地が良い。
その日の昼休みも、そこで1人優雅に昼寝を・・・と思っていた。
ニャーン…
微睡む俺の耳に聞こえてきたのは猫の声。
猫というのは住処を選ばず、旅路の間も色々な所で見かけたが・・・この王立学園にも住んでいるのか。
興味を覚えて鳴き声がしたあたりを探すと・・・怪我をした小さな子猫が蹲っていた。
「お前・・・ちょっと待ってろ!」
猫は神の使い・・・怪我した猫を見付けた時は手当をするように婆さんに教わっている。
婆さん特製の癒しの魔法石は、効果が薄かった・・・まさか魔法で受けた傷か。
ならせめて傷口は清潔に・・・食料も用意しないと・・・
当面の世話を見る事にしたこの猫を、俺はネコルソンと名付けた・・・グレン族に伝わる勇者の名前だ。
故郷にいた猫と違って随分と毛が長い・・・調べた本によると北方種という種類らしい。
種類が違うと食べ物の好みも違うのか、俺の用意した肉は少ししか食べてくれない。
「ネコルソン・・・ちゃんと食わないと、怪我も治らないぞ」
ニャーン…
そう言い聞かせても、ネコルソンは不満気な声を発するばかり。
北方種の猫が何を好むのか・・・食べ物に関しては一度しっかり調べないといけないだろう。
そんなある日の放課後___
いつものように校舎裏に向かうと・・・妙な先客がいた。
何度か見覚えがある・・・最近学園で噂になっている『大和撫子』とかいうニホン人だ。
やたら大袈裟な噂ばかりだが・・・猫が好きなようだから悪いやつではないだろう。
このニホン人が持ってきた小魚を猫が気に入ってくれたのは助かった。
ニホン国の猫は魚を好むらしい・・・故郷に帰ったら婆さんに教えてやろう。
妙な客はニホン人だけではなかった。
王都の警備隊・・・なんでこんな所に・・・やつらからは嘘の匂いがする、気に入らない。
あいつらから感じた嫌な予感は、すぐに現実のものになった。
朝早くから立ち込める妙な霧・・・いや、これは霧なんかじゃない。
婆さんの家で一度嗅いだことがある、煙の出る草を燃やした時の匂いがそこら中から漂ってきていた。
猫はこの匂いが苦手で、嗅ぐと朦朧としてしまうのだと・・・
その煙をこんなにも広範囲に・・・いったい誰が?
寮を飛び出した俺は、この煙に隠れて学園の敷地に入るやつらの姿を見つけた。
その狙いは・・・思った通り、あの猫だ。
やつらは煙で弱ったあの猫を捕まえて、鉄の檻の中へ・・・
「そうはさせるかよ!」
俺は飛び出すと檻を持った人間に殴りかかった。
警備隊だろうが知った事か・・・猫に悪さをする奴は俺の敵だ。
その勢いのまま相手を蹴飛ばし、檻を奪い取る。
「こいつ・・・昨日のグレン族か?!」
「待ってろ、すぐに出してやる・・・」
当然檻には鍵が掛かっている、だから俺は両手で格子を掴んだ。
「ぐ・・・くぅぅ・・・」
掴んで腕で力いっぱい左右に引っ張る。
さすがに鉄の檻だけあって硬い・・・少し歪めるのが精一杯か。
「フン、やはり蛮族・・・あさはかな事を」
「人を回せ、数で抑え込むぞ」
分が悪いとみて、やつらは仲間を呼び集めた・・・だがもう遅い。
俺はそっと檻を地面に置き奴らに向かって身構える・・・あいつらからは檻を破るのを諦めたように見えただろう。
もちろん違う・・・猫にとっては、この僅かな隙間で充分なんだ。
「おら、さっさと来やがれ!・・・お望み通り見せてやるよ!蛮族の力ってやつを!」
「く・・・」
やつらは少しずつ俺を取り囲みながらも、なかなか手を出してこない。
あくまでも、お仲間が集まってくるのを待つ構えだ・・・それで良い。
その間にも猫は逃げている・・・あとは時間を稼ぐだけだ。
結局、俺は取り押さえられ連行される羽目になった。
だがもうやつらが捜していた猫は何処にもいない・・・ざまぁみろ。
目隠しをされて馬車に押し込まれながら、俺は・・・空っぽの檻を前に呆然とするやつらの姿を思い浮かべていた。




