第75話 「犬になれ!」
「猫ちゃん、ごはん持って来たよー」
次の日の昼休み、私はまた猫の様子を見に来ていた。
猫用に買ったお皿と、餌となる小魚を持って。
・・・怪我をした子猫はやはり同じ場所にいて、じっと丸くなっている。
お昼寝の最中かな・・・そう思いながら近付くと、猫の目がぱっちりと開いた。
縦長の瞳孔をした、琥珀色の瞳・・・猫目石なんて宝石もあった気がするけど、本物の猫の目も宝石のように綺麗だ。
猫は欠伸をしながら、両手を・・・いや前脚をぐっと伸ばした・・・かわいい。
ニャーン…
餌の匂いがわかるのか、猫は私の方を向くと催促するように甘い鳴き声を上げた。
かわいい、けど・・・やっぱり猫の鳴き声だ。
(名前は、ナナーニャですにゃ)
あの時、この子は自らナナーニャと名乗った・・・と思ったんだけどなぁ。
やっぱり気のせいだったのかなぁ・・・たまたま鳴き声が人の言葉を喋ったかのように聞こえただけか。
「ごはん!」って鳴く犬とか、動画で見たことがあるし・・・単ににゃにゃーにゃって鳴いただけかも・・・
ニャーン…
極めて猫らしい、猫そのものの鳴き声を上げながら、猫は私の足元に纏わりついてきて・・・
「痛っ」
爪を立てて、私の足をよじ登ろうとしてきた。
・・・私がなかなか餌を出さないから、自力で獲ろうとしてきたんだ。
怪我をしているのに逞しいと言うか・・・その怪我も良くなってきているのかな。
「ごめん・・・ごめんって・・・すぐ出すから・・・」
私がしゃがみこむと、今度は直接魚の入った包みを狙ってくる。
食欲に忠実と言うか、実に野性的・・・せっかくお皿も買ってきたのに、出す余裕がない。
そんなに飢えてる?・・・あの不良は餌をあげてないの?
「ちょ・・・待って・・・な、ナナーニャ、待て」
ニャーン…
「?!」
その瞬間、猫の動きが・・・止まった?
残念そうな声を上げながらも、猫は餌を狙う動きを止めて・・・え・・・『待て』が通用した?!
その場でちょこんと座って、猫・・・ナナーニャは、じっと私を見つめてくる。
「あっ・・・ごはんだよね・・・すぐ出すから・・・」
お皿を出して、その上に小魚をあける。
さすがに小魚を見た瞬間に猫は動き出し・・・待つのをやめて首を突っ込んできた。
『待て』が通用したと思ったけど、僅かな時間だった・・・犬の『待て』のようにはいかないみたい。
「もう・・・ナナーニャは食いしんぼだにゃあ」
すっかりお魚に夢中になっている隙に、猫の背中を撫でる。
お日様の光を浴びた猫毛は柔らかくて・・・ふかふかで、暖かい。
ローゼリア様は北方種って言ってたっけ・・・確かにこの暖かさは寒い北国でも大丈夫そうだ。
長毛の猫だけに、尻尾もボリューム感があってフサフサだ。
いったいどんな触り心地だろう・・・私は背中を撫でる手を下の方に・・・
ニャーン…
「あっ・・・ナナーニャ」
私の手が尻尾に届くその前に、ナナーニャはするするっとすり抜けていってしまった。
そこに残されたのは空っぽのお皿だけ・・・小骨も残さず綺麗に平らげたようだ。
ごはんがなくなったらもう私は用済みとばかりに、ナナーニャは離れた場所に陣取ると毛繕いを始めた。
小さな身体の割に毛が長いので、ちょっと大変そう・・・でもその一生懸命な感じがまた愛らしい。
人間ならあり得ないくらいの角度に身体を捻りながら・・・あっ、バランス崩して、こてんって転がった。
「く・・・くぅぅ・・・」
「お、お前・・・」
「?!」
あまりの猫の可愛さに悶絶してしまった、ちょうどその時・・・
校舎の影から現れた不良が、私の顔を見るなり絶句した。
いやこれはしょうがないって猫ちゃんかわいすぎだもん私は悪くないからね悪くないってば。
ニャーン…
「お、だいぶ元気になったな」
ナナーニャは不良を警戒する様子もなく、その足元にとことこと歩み寄る。
不良が無造作にひょいと抱え上げても、嫌がるでもなく、その手元をぺろぺろと舐めて・・・なんか私とは態度に差が。
う、うらやましい・・・
「はは・・・くすぐったいぞ、ネコルソン」
ニャーン…
ネコルソン・・・不良は猫をそう名付けたらしい。
でも、そう呼ばれてナナーニャは不満そうな鳴き声を上げた・・・ように見える。
たぶん、気のせいじゃない・・・だって、不良が持ち上げたおかげで、はっきりと見えてしまったから・・・
「あ、あの・・・」
「・・・なんだ?」
ひぃ・・・また不良がギロって睨んできた。
怖くて・・・身体がぎゅって縮こまる思いがする。
でも、さすがにネコルソンは・・・センスをとやかく言うつもりはないけど・・・男の子の名前だよね・・・
消え入りそうになりながら、私はかろうじて声を絞り出した。
「その子・・・女の子だと、思う・・・」
「へ・・・」
「その・・・ついてないし・・・」
「・・・」
言われて不良が真顔になり、猫の下腹部を覗き込んだ。
そう・・・ナナーニャにはついてないのだ・・・おちんちんが。
さすがに異世界の猫と言っても生態は変わらないらしく・・・ナナーニャは女の子で間違いないみたい。
「まじか・・・」
やはり男の子のつもりだったらしく、不良が気まずそうな顔を浮かべた・・・その瞬間。
「そんなに見ないでほしいにゃ」
「「!?」」
喋った! やっぱり喋ったよ、この子!
人間の言葉を・・・今度は絶対に聞き間違いじゃない。
「お前・・・喋れるのか」
「私の名前は、ナナーニャにゃ」
「お、おう・・・」
どうやら不良も、この子が喋れるのは今初めて知ったようで、三白眼を驚きに見開かせてナナーニャを見つめて・・・
さすがに持ち上げたままは良くないと思ったのか、そっと地面に下ろした。
不良の手を離れたナナーニャは、再び毛繕いを始めて・・・改めて見ると、なんか知性を感じる。
「まさか・・・本当に神の使い、なの・・・ですか?」
不自然な程に緊張した面持ちで、不良が訊ねた。
ああ、そういえば・・・不良のいた地域ではそういう扱いだっけ。
人の言葉を喋る猫ちゃん・・・それが只者であるはずがない・・・私も慌てて佇まいを正した。
「うにゃ?・・・神様なんて、見た事もないですにゃ」
「・・・そ、そうか」
あてが外れて、不良の声がトーンダウンした。
どうやら神聖な存在というわけではないらしい。
ならいったい・・・少なくとも普通の猫ではないはず・・・
「あ、あの・・・??」
私が話を聞き出そうとした、その時・・・なにやら校舎の方が騒がしくなった。
なんだろう・・・それに誰かがこっちに来るような。
なんか見慣れない・・・でも見覚えはある服装をした大人達・・・あれはたしかお城の方で・・・
「あれは、王都の警備隊? なんでここに・・・」
ああ、警備隊の服装だ・・・つい先日の生誕祭で見たばかりだよ。
その警備隊の人達が、なぜか学園に・・・そして、こっちに3人程向かってきていた。
それはいいんだけど・・・
「あれ・・・ナナーニャ?」
「あいつ・・・どこへ行った?」
その警備隊に気を取られた一瞬の間に、ナナーニャが居なくなっていた。
・・・他の人間を怖がって隠れたのだろうか?
小さな猫だから、ちょっとした隙間に入られると見つけられそうにない。
私達がナナーニャの姿を探してキョロキョロしている間にも、警備隊の人達は近付いてきて・・・
「そこの学生達、ちょっと良いか?」
「あ・・・はい・・・」
警備隊・・・たぶん警察みたいなものだろう。
何も悪い事はしてないはずだけど、つい緊張してしまう。
・・・私の場合は初対面ってだけで誰相手でも緊張しちゃうんだけど。
「君達、猫を見なかったか?」
「え・・・」
「毛の長い、北方種の猫なんだが・・・最近この辺りで見かけたという情報があって、探しているんだよ」
「は、はぁ・・・」
毛の長い北方種・・・思い切りナナーニャの特徴だ。
でもなんで警備隊が、ナナーニャを?
それに、この人達の感じ・・・どこかで・・・
「ひょっとしたら、この学園のどこかに隠れているじゃないかと思ったんだが・・・君達は見ていないか?」
「い、いえ・・・」
私は思わず、嘘をついていた・・・なんかすごい嫌な感じがしたから。
なんだろう・・・決して悪い人には見えないんだけど、どこか違和感があると言うか・・・
「怪我をしているとの情報もあったから、別の生物に見えたかも知れない、何か生き物を見ていないか?」
「え・・・その・・・」
この感じ・・・そうだ、保健所の人達だ・・・思い出した。
昔、保健所の人達に同じような事を聞かれて・・・私は猫スポットの事を話したんだ。
そしたら、そこの猫達がいなくなってて・・・あの時の人達と同じ感じがするんだ。
「な、何も・・・見ていないです」
・・・喋っちゃいけない。
だってこの人達、猫について聞こうとするばかりで『なんで猫を探しているのか』については一言も・・・
ナナーニャの事は黙っていよう・・・そう固く心に決めた、その時・・・
「ねぇ君・・・この皿は、何かな?」
「?!」
警備隊の人が摘まみ上げたそれは・・・ナナーニャの為に買ってきた餌のお皿。
隠してる時間なんてなかったし、見つかるのも当たり前だ。
ど・・・どうしよう・・・こんなあからさまな物証を前に、言い逃れなんて・・・
「もう一度聞くよ・・・この皿は、何かな?」
「あ・・・そ、それは・・・」
何か言い訳を・・・ダメだ、何も思い浮かばない。
返答に詰まる私の前で、警備隊の人の顔が険しくなっていく・・・ひ、ひぇぇ。
「野暮ったい事聞いてんじゃねえよ」
「え・・・」
不意に割って入ったその声は、不良のものだった。
険呑な表情を浮かべた警備隊の人に勝るとも劣らぬ怖い顔をしたかと思うと、強引に私を抱き寄せて・・・え、ちょっと・・・
「男と女がこんな場所で隠れてする事だぞ?・・・察したらどうだ?」
「な・・・君は何を言って・・・」
「ああ、お上品な王都の人間は知らないってか・・・おら、犬になれ!」
そう言いながら・・・不良は私を地面に押し倒した。
ちょうど私の顔の前に餌の皿がくる形に・・・
それに『犬になれ』という言葉・・・私に何を求められているのかは、察して余りあった。
「わ、わんわん・・・」
「「「・・・!!」」」
「もっと餌が欲しいか? 欲しいなら鳴いてみろ」
「ほ・・・ほしいですわん、わんわん」
私に演技力なんてものはなく・・・完全に棒読みだ。
けれど内容が内容だからか、警備隊の人達は衝撃を受けた様子で・・・
「年端もいかない少女に、なんて事を・・・」
「こ、こいつ・・・グレン族です!」
「!!・・・確かにその髪は・・・この王立学園にもいたのか」
グレン族? 暴走族的なやつかな? 異世界での不良を意味する感じの・・・
「いつまで見てんだ? 最後までか? ああん?」
「く・・・汚らわしい、行くぞ!」
凄みを利かせて睨む不良を前に・・・警備隊の人達はすごすごと引き下がっていった。
すごく汚い物を見る目でこっちを見ながら・・・へ、変な噂にならないと良いんだけど。
「た、助かった・・・のかな」
「ったく、何なんだアイツらは・・・」
「わからない・・・けど・・・」
ナナーニャなら・・・何か知ってるのかも知れない。
けれど、ナナーニャはどこかに姿を消したきりで・・・放課後になっても姿を見せる事はなかった。




