閑話 外務省フレスルージュ局の二人
「ふぅ・・・危なかったぜ」
校門を潜り抜ける撫子を寮の窓から見送りながら・・・長久保祥太郎はホッと一息ついた。
入学初日に遅刻など、彼の管理責任が問われてしまう。
何のために学生寮の事務員という立場まで用意したのかと・・・問い詰めてくる藤田の姿が簡単に想像出来た。
「何が危なかったんだ?」
「うぇっ?!」
まるでその想像の中から出てきたかのようなタイミングで藤田に話しかけられ、長久保は思わず変な声を上げてしまった。
油断も隙もないとはこの事か・・・本当に心臓に悪い。
「いや~、寝ぼけてそこの階段でちょっと足を踏み外しそうになりまして・・・へへ」
「そうか・・・夜更かしも程々にしろよ」
「へいへい・・・ところで、藤田さんは何の用で?」
長久保の経験上、藤田が直接彼の元に訪れる時は・・・あまりよろしくない事が起こった時だ。
いつもどおり軽薄に振舞ってはいても、内心の緊張が滲み出てしまうのを抑えられない。
「・・・ローゼリア王女殿下の入学が決まった」
「え・・・王立学園に・・・ですか?」
「他にどこがある」
「それはそれは・・・とんだ心変わりがあったもんだ」
この国の第一王女であるローゼリアが王立学園に通う、本来であれば至極当然の話だ。
しかし、他ならぬ王女本人が入学を拒み続けていた・・・それが急に手のひらを反す事態になったのだ。
今頃は学園の関係各所で大騒ぎになっているだろう。
「何を他人事のように言っている?」
「って事は・・・やっぱり心変わりの原因は撫子ちゃんですか?」
「それ以外に考えられる理由があるか?」
「ですよね・・・普通の子だと思ったんだけどなぁ」
田中撫子・・・長久保から見た限りはごく普通の少女に思えた。
特別な才能やカリスマ性のようなものは感じられない、ただの人見知りの女の子・・・それが彼による評価だ。
まだ出会って間もないが、長久保は人を見る目には自信があった。
フレスルージュ王国の駐在員に彼が選ばれたのも、その人を見る目が評価されたからこそだ。
「こうなると、例のSSって話にも信憑性が出てくるわけですか・・・俺は眉唾物だと思ったんですけどね」
「彼女の母校のPCに仕込まれた『測定器』が壊れたのは事実だよ・・・当時現場には彼女しかいなかった」
「いやいや、強すぎて測定不能って・・・昔の漫画かっての」
もちろんその時の報告書は長久保も目を通している。
しかし、単純に『測定器』自体の故障という可能性も否定はされていない。
なにせ異なる世界の技術を組み合わせて作られた代物だ・・・不具合はあって当然だろう。
「そういう事だから、お前の仕事も重要性を増している・・・気を抜くなよ」
「はぁ・・・若い子達と触れ合える楽しい事務員のお仕事・・・ってわけにはいかないか・・・」
「もちろん事務員の仕事もしっかりやってもらうぞ、そう言えば寮長がお前を探して・・・」
「それ早く言ってください! あの人、怒らせると面倒なんすよ・・・」
慌てて駆け出していく長久保を見送る藤田の表情は普段より少し柔らかく見えた。
あんな風に弱音を吐いていても、やる事はしっかりやる男・・・それが藤田から見た長久保の評価だった。
「しかし、田中撫子か・・・」
藤田から見ても、彼女は普通の少女にしか見えなかった。
常に落ち着きなく、ビクビクと周囲を気にする姿は小動物を思わせる・・・特別な才能があるようにはとても思えない。
だが・・・ここは異世界、藤田の、日本人の常識が及ばない場所だ。
「私も油断は出来ないな・・・これからは忙しくなりそうだ」
この後はゲートを通って、日本で直属の上司と会う事になっている。
もう若くはない藤田の胃腸が、ちくりと痛んだ。