第15話 「か、感謝しなさいよね」
「柔軟が終わった組はこっちに集まってください」
体育の時間はまだ終わっていなかった。
それもそのはず、さっきまでの柔軟は運動で怪我をしない為のもの・・・むしろここからが本番らしい。
私の身体はまだ痛みを発している・・・こんな状態で運動をしないといけないなんて。
「ほら呼んでる、早く起き上がりなさい」
「ふ・・・ふぇぇ・・・」
「は、や、く、起き上がりなさい」
「は、はひ・・・」
初めてまともに言葉を交わしたアクアちゃんは・・・なかなか辛辣だった。
私がよろよろと立ち上がると、腕を掴んで先生の所まで引っ張っていく・・・いったい今度はどんな目に遭わされてしまうというのか。
先生の周りにはすでに何組か生徒達が集まって来ていた、二人組はそのままで今日の授業を進めるらしい。
「今日はバッフターロ飛びをやっていきます」
「バッフターロ・・・飛び?」
聞き慣れないその言葉に私は首を傾げた。
いや、バッフターロはどこかで聞き覚えが・・・あ、お肉だ。
牛肉みたいな味の・・・結構美味しかった。
そのお肉がなぜここで・・・そう思った所で、周囲の生徒が屈みだした。
二人組の片方が自分の両足首を掴むような形で・・・あ、これって・・・馬飛び?
案の定、もう片方が両手をついて飛んでいく・・・うん、馬飛びそのものだ。
へぇ~、こっちではバッフターロ飛びって言うんだ・・・感心して見ていると・・・
「ぼうっと見てないで、早く飛びなさい」
「え・・・」
いや・・・そう言われても・・・
私の前でアクアちゃんが屈んで馬になってくれているんだけど・・・
「何をモタモタしてるの」
「だ、だって・・・」
・・・跳び箱、という物が日本にはあった。
基本的には馬飛びとやる事は変わらない、人の代わりに箱の上を飛ぶ競技だ。
箱のパーツの数で高さを調節出来るようになっていてね・・・それで私が何を言いたいかって言うと・・・飛べないのだ。
「だってじゃない、早く飛んで」
「う・・・」
小柄とはいえ身体の柔らかいアクアちゃんは、屈んでも結構な高さを保っていて・・・
どこからどう見ても、私が飛べる高さを優に超えていた。
その・・・しゃがむくらいじゃないと・・・飛べな・・・
「はーやーくー」
「は、はひ・・・」
アクアちゃんがだんだん険呑な表情になっていく・・・やらないわけにはいかなかった。
私は意を決して・・・その背中に両手をつくと、勢いをつけて飛び上がった。
・・・ぺたん。
「・・・」
「・・・」
先に言っておくね。
自分の過去の経験で言うと、これは自己ベストに近い・・・だいぶいけた方だと思う。
私がんばったよ・・・がんばった・・・フォームとか、綺麗だったんじゃないかな。
勢いをつけて飛び上がった私は・・・綺麗なフォームで、屈んだアクアちゃんの『背中の上に』着地した。
「・・・重いんだけど?」
「・・・ご、ごめんなさい!」
慌ててアクアちゃんの上から飛び退く・・・のは怖いので。
私は彼女にしがみつくような形になりながら、なんとか地面に足をつけた。
「あ、あのね・・・わた」
「・・・交代」
「あ・・・」
交代・・・他の人に変わって、って事か。
そ、そうだよね・・・アクアちゃんも私なんかよりも、誰か他の人と組みたいよね。
アクアちゃんに完全に嫌われてしまった・・・そう思ったその時、アクアちゃんが無言で近付いてきた。
「え・・・あくあ・・・ちゃん?」
「ほら、バッフターロになりなさい」
「あ・・・」
そう言うなり、アクアちゃんは私の背中を掴んで屈ませた。
あ、交代ってそっちの・・・でも私は身体が硬いので、どうしても膝が曲がってしまう。
「・・・」
「・・・ご、ごめ・・・」
なんとかしてちゃんと膝を伸ばそうとするんだけど・・・私の膝はプルプルと震えるばかりで・・・
こんなんじゃ今度こそ他の誰かと交代されてしまう・・・そう思った瞬間。
「・・・ふふっ」
「アクアちゃん?!」
「ふふ・・・さすがに、それ・・・ずるい・・・ふふっ」
アクアちゃんが笑い出した。
いったい何が・・・あ・・・今の私の姿を見て、笑ってる?!
ひどい・・・私は真面目に馬になってるのに・・・
「ふふっ・・・おなかいたい」
「? いったい何が・・・あっ!」
あまりにもアクアちゃんが笑い続けるので、他の生徒達もこっちに注目しだした。
しかし・・・その様子が・・・どうもおかしい。
「あ、あの動き・・・俺、牧場で見た事あるぞ!求愛のダンスだ!」
「すごい・・・まるで本物のバッフターロのようだわ」
「え?え?・・・ど、どういう・・・」
私だけが何もわからずに困惑する中・・・生徒達は妙な盛り上がりを見せていた。
「そうか、これはニホン国の・・・」
「ライゼン、何か知っているのか?!」
「ああ、ニホン国には獅子になりきって踊る獅子舞という文化がある・・・彼女はそれをこの国に合わせてバッフターロにアレンジしたに違いない・・・しかし、なんという再現度だ」
「ああ・・・よくバッフターロを観察して理解していないと出来ない動きだ」
「まだこちらに来て間もないのに、ここまでこの国を理解してくれるなんて・・・」
よく聞こえないけれど・・・何か酷い勘違いをされてるような気がする。
それよりこの姿勢、結構辛いんだけど・・・アクアちゃん、早く飛んでくれないかな。
そろそろ膝が・・・膝が持たな・・・
「ふふっ・・・なんで、そんなに似てるの・・・」
結局、アクアちゃんは笑うばかりでぜんぜん飛んでくれず。
見かねた先生が止めに入るまで、私は馬飛びの馬・・・もといバッフターロ飛びのバッフターロを続けたのだった。
「あのねナデシコさん・・・バッフターロ飛びというのはね、別にバッフターロになりきらなくても良いのよ」
「は、はい・・・ごめんなさい・・・」
その後も体育の授業は続けられ・・・最後に100m走を順番に走り終えた所で終了となった。
もちろん私は最下位で・・・アクアちゃんは、学年上位だった。
「あくあちゃん・・・すごい」
「・・・私は辺境の・・・田舎育ちだから、これくらいは珍しくないわよ」
「あっ・・・ご、ごめんなさい・・・」
「?・・・なんで謝るのよ」
「わた、私も・・・その、田舎者・・・なので・・・なのに・・・こ、こんな・・・」
同じ小柄な体形、同じ田舎者・・・でもアクアちゃんは出来る側だったんだね。
それに比べて田舎者の面汚しとは私の事・・・申し訳ない気分でいっぱいだ。
いやなんか本当に・・・貧弱でごめんなさい。
しかし・・・この体育の授業がきっかけになって打ち解けてくれたのか。
その後のアクアちゃんは、私を無視する事もなく・・・普通に口を聞いてくれるようになっていた。
「あ、あくあちゃん・・・教科書の、ここ、なんだけど・・・わからなくて・・・」
「えっ、嘘でしょ?!こんな事もわからないの?!」
「ふ、ふぇぇ・・・」
口を聞いてくれるようにはなったんだけど・・・やっぱりアクアちゃんは辛辣だった。
「いい?・・・この熱素というのはね、火が燃える時に光素と一緒に発生する元素で・・・」
「げ、げん・・・そ?」
「まさかそこからなの?!そんなので今までよく生きてこられたわね」
「あ、あぅ・・・」
アクアちゃん、何もそこまで言わなくたって・・・ちゃんと勉強してない私も悪いけどさ。
「・・・しょうがないわ、今日の昼休みは図書室にいくわよ」
「え・・・それって・・・」
「賢い私が教えてあげるって言ってるの!・・・か、感謝しなさいよね」
「あ、ありが・・・がが?!」
お礼を言おうとしたら・・・アクアちゃんに頭を撫でられた?!
突然の事に驚いていると・・・アクアちゃんはまた私を見て笑い出した。
「ふふっ・・・やっぱり似てる」
「に、似てるって・・・な、何に・・・」
「さぁ、何かしらね・・・ふふっ」
そう言うと、アクアちゃんはまた笑い出して・・・私が何に似てたのかは教えてくれなかった。
変な物じゃないと良いんだけど・・・けど、笑うような何かだもんなぁ。
これは後で知ったことだけど、バッフターロというのは首を短くしたダチョウのような生物らしい。
繁殖期になると雄が求愛のダンスを踊る事で知られており・・・その動きは膝をプルプルと震えさせながら小さな羽根を広げて、一生懸命雌にアピールするのだとか。
ちなみにアクアちゃんの容赦のない柔軟が効いたのか、私の身体は少しだけ柔らかくなったよ。
こう・・・前屈すると、地面に指がつくように・・・一瞬だけ、だけど。