第10話 「ナ・・・デシコ・・・ノート?」
「・・・『照明』」
魔法によって発生した、ふんわりした雲を思わせる光の塊が室内を明るく照らし出した。
こちらは手を近付けても熱は感じない・・・光素と言って、純粋な光そのものなのだとか。
なるほど・・・寮に電気もガスも通ってないわけだ。
「ニホン国には魔法がない・・・まさかと思ったけど、本当だったのね」
ローゼリア様は不思議な物を見る目で私を見つめてきた。
日本人の感覚的に言うとなんだろう・・・泳ぐ猫とか? 私は猫のように可愛くはないけど。
こちらの世界では、あれくらいの魔法はごく当たり前に使われているらしい。
「あ、あの・・・魔法、って・・・ど、どうすれば・・・使え」
そうなると、私も魔法を使ってみたい。
たぶん誰だってそう思うはず・・・どうすれば魔法が使えるのか、もう気になって仕方がない。
ここで教えて貰えたりとか・・・そんな期待を込めて尋ねてみる。
「・・・ごめんなさい」
しかし返ってきた言葉はあまり芳しくないものだった。
ローゼリア様はすごく申し訳なさそうに瞳を伏せて・・・言い辛そうに言葉を続けた。
「・・・勝手に教えてはいけない事になってるの・・・いずれ学園で学ぶ機会は・・・ある、と思うけれど」
「い、いえいえそんな! どうか・・・お気になさらず・・・」
きっと軽々しく異世界人に教えられる技術ではないのだろう。
あるいは、王女様という立場の問題かもしれない・・・学園で教えてくれる可能性があるなら、まだチャンスはある・・・わけで。
うぅ・・・そんな表情をされると、こっちの方が申し訳ない気分になってしまう。
「そ、そうだ・・・お菓子、キノコを・・・」
この空気を変えるべく、私は部屋の隅に置いてあるリュックを取りに行った。
こういう時は甘いお菓子で気持ちをリセットするに限る。
留め金を外して・・・リュックの中から『キノコの山』を一箱、取り出そうとした瞬間。
「ナデシコ・・・昨日から気になっていたのだけど、その本は何かしら?」
「え・・・」
・・・私の背筋が凍り付いた。
ローゼリア様の視線はリュックに注がれている・・・リュックの中で本と呼べるもの・・・心当たりは1つしかなかった。
「その鞄に入ってる・・・ええと、ナ・・・デシコ・・・ノート?」
「?!」
『ナデシコノート』・・・それは、中学生の頃から私の創作心を書き連ねてきた夢のノート。
決して他人には・・・いや、家族にも見られるわけにはいかないので、異世界にまで持ち込んだ品だった。
それが今、慌ててキノコを取り出そうとしたせいで、見えちゃってる?!
「え、ええと・・・に、日記です・・・な、ナデシコは・・・私の名前だし」
もちろん嘘だ。
正式には『Na_Des_iko_Note』・・・人間には正しく発音できない、深き深淵に住まう古の神の言葉で書かれた預言書・・・という設定だ。
私の名前と一致するように見えるように語呂合わ・・・じゃなくて、ただの偶然の一致だよ。
「・・・とても禍々しい装丁をしているように見えるのだけど?」
「に、日本では・・・普通の、ありふれたデザイン・・・です・・・」
邪神として封印された設定だからね。
その表紙には髑髏と骨がびっしりと描かれている・・・もちろん私による手書きだ。
骨の所が浮き上がって見えるようにボールペンでぐりぐりとね・・・それが原因で腱鞘炎を起こしたのは懐かしい思い出だ。
「・・・本当に?」
「あ・・・あ・・・」
ローゼリア様は凄い心配そうな顔で、じーっと見つめてきた。
うぅ・・・そんな目で見ないで・・・これ絶対怪しい宗教か何かだと思われてるよ。
良い言い訳が思い浮かばず、私が何も言えなくなっていると・・・急にローゼリア様は厳しい表情を浮かべた。
「ナデシコ・・・この国の第一王女として、聞いて貰いたい事があるわ」
「は、はい・・・なな、なんでしょうか」
なんかものすごい圧を感じる・・・いったい何を・・・
完全に気圧されて怯える私に容赦なく鋭い視線を向けながら、ローゼリア様は言葉を続けた。
「かつて・・・この国では、邪悪な魔の者によって大勢の民の命が失われた歴史があるわ、まさかとは思うけれど貴女・・・」
「・・・ごめんなさいただの創作ノートですどうぞご査収ください」
そうだよね、ここはそういうのが洒落にならない異世界だよね。
私は剣を捧げる騎士のようにノートを捧げ持ち、ローゼリア様へと差し出した。
「・・・」
ローゼリア様は厳しい表情を緩めることなく、ノートを手に取った。
しかしすぐにノートは開かず、表紙を見つめる事しばし・・・
その眉は吊り上がり、ノートを持つ手はプルプルと震えて・・・それはまさに爆発する寸前の火山のよう。
いったいどんなお怒りの言葉が来るのか・・・私は押し寄せる恐怖に身を縮こませた。
「・・・ふふっ」
「え・・・」
わ・・・笑ってる。
王女様なだけあって、大きな笑い声こそあげないけれど・・・
必死に堪えるように口とお腹を抑え・・・それでも堪えきれなかった笑い声がくすくすと漏れ出していた。
「ごめんなさい・・・こんなに素直に差し出してくるなんて思ってなくて・・・ふふっ」
「ろ、ローゼリア様?!」
「ダメ・・・少し休ませて・・・ふふっ」
何がそんなに面白かったのかわからないけれど、笑いのツボに入ってしまったようだ。
しばらくそのままローゼリア様が落ち着くのを待つ・・・紅茶を飲んで、ふぅぅ、と深呼吸して・・・ようやく落ち着いた?
「・・・私にはその創作ノート、というのが何かはわからないのだけど・・・」
「そ、それは・・・え、ええと」
創作活動とかわからないのは当たり前だ、王女様でもわかるように説明しないと・・・
妄想?・・・それだとまた変な誤解をされてしまうか。
さすがにこの世界にも小説とか物語とかはある・・・よね?
「も、物語を・・・書こうと・・・思ってて」
「物語・・・」
そう言うとなんか作家志望みたいだ・・・決してそんな立派なものではないんだけど。
でも・・・いつか同人誌みたいな感じで、本にしてみたい気持ちはある・・・なかなか難しいとは思うけど。
「私の書いた・・・物語がほ、本になったら・・・良いなって・・・」
気付けば、割とそのままの内容を口に出していた。
ローゼリア様は途切れがちな私の言葉を、全部聞いてくれていて・・・私が話し終えると優しい目で頷いた。
「そう・・・ナデシコ、貴女を信じるわ」
「あ、ありが・・・」
「・・・それはそれとして」
そう言いながらローゼリア様は、まだ手に持ったままのノートに視線を落とした。
「これ読んでもいいかしら?・・・すごく気になるわ」
「え・・・ええと・・・」
出来れば読まないでほしいんですけど・・・でもさっき「ご査収ください」って言っちゃってる。
それにローゼリア様はすごい期待の眼差しを向けてきて・・・とても嫌とは言い出せなかった。
かくして、私の黒い歴史は・・・この異世界で開かれてしまう事になったのである。
「ナデシコ、ここの言葉の意味が良くわからないのだけど・・・この『ざまぁします』という所」
「そ、それは・・・ざまぁ見ろ、という言葉が、まずあって・・・です、ね・・・」
しかもローゼリア様に馴染みのない言葉が多いせいで、詳細な解説までしないといけないという・・・なんて酷い罰ゲームだ。
「つまりこの文章は『平穏な国では己の才能を発揮できずに無能とされ追放されるに至った王女ですが、辺境諸国の貴族を扇動し、大陸に乱世をもたらす事で本来の才能を十全に発揮、自分を追放した祖国に復讐を果たします』・・・先に物語の内容を説明しているのね」
「・・・そ、その通りでございます」
王女様の言葉に言い直された『タイトル候補』は完全に『あらすじ』になってしまった。
・・・恥ずかし過ぎて死にそうだ。 いっそひと思いに殺してほしい。
私の書いた創作ノートがそんなに気に入ったのか、それとも単に珍しがられているだけなのか。
ノートのページをめくるローゼリア様の手は、止まる事はなく・・・
結局この罰ゲームは一晩中・・・ノートを読み終えるまで続けられた。
・・・創作ノートが全部で3冊・・・3部構成である事は、決して知られないようにしよう・・・
更け行く入学初日の夜に、私は堅く心に誓ったのだった。