第90話 「はやく日本に帰れって・・・」
「・・・こちらが撫子さんの帰省に関する予定表です」
「ふぅん」
異世界へ旅立った娘の一時帰国だというのに・・・その話を聞いた母親の感想はずいぶんと素っ気ないものだった。
年頃の娘を心配する親がするであろう様々な反応を事前に想定して身構えていた藤田は、逆に戸惑ってしまったほどだ。
予定表と共に手渡された資料を無造作に・・・まるでスーパーの広告チラシでもめくるようにパラパラとめくりながら・・・
撫子の母、田中咲良は先程から気だるそうな表情を浮かべている。
「・・・あっちの学校はずいぶん長く休むのねぇ・・・勉強の方は大丈夫なのかしら?」
指摘された通り、フレスルージュ王立学園の夏季休暇・・・所謂『夏休み』は日本の学校よりも長い。
・・・これは遠方に領地を持つ貴族の子弟が多く通うフレスルージュ側の都合によるものなのだが。
『門』を使って一瞬での移動が可能な日本への帰国の場合は、夏休み期間をかなり長く感じる事だろう。
「その分だけ、普段の休日が少なくなっておりますので・・・」
「・・・ふぅん」
資料の中には撫子の成績に関するものも含まれている。
お世辞にもいい成績とは言えない・・・そこは藤田もよく知っているので、最低限の返答で茶を濁した。
もしも子供の教育に力を入れているような親であれば、この結果はお叱りもやむなし・・・そう覚悟する藤田に告げられたのは、まったく予想していなかった言葉だった。
「これって、本人が望めば向こうに残れるのかしら?」
「・・・はい?」
「いえね、あの子の事だから・・・」
「・・・」
どこか釈然としない気持ちで東京駅に戻った藤田を待っていたのは課長の岩本・・・藤田の直属の上司だった。
その姿を見た瞬間、藤田は無意識に顔の筋肉が固くなるのを感じた。
たくさん出口があるはずの東京駅の改札口の中で、まさに藤田の行動を読むかのようにピンポイントで待ち構えている・・・これで嫌な予感を覚えない方が無理があるというものだ。
「おぉう藤田ぁ、やぁっと戻ってきたか・・・お疲れさん」
「・・・はい、ただいま戻りました」
遠慮の欠片もなく、強い力でぽんぽんと肩を叩いて来る。
この岩本という男・・・外務省に来る前の経歴は謎に包まれており、妙な噂も多いが・・・仕事の上では優秀な人物、というのが部下として働いてきた藤田の認識だ。
そんな優秀な上司に気に入られているというのは悪い事ではないはずだが・・・藤田はこの上司がどうも苦手だった。
「地方に行ったり、異世界に行ったり・・・お前も大変だよなぁ」
「いえ・・・課長の方こそ、王族の相手は大変でしょう」
岩本は今フレスルージュから日本に留学してきている第一王子の警護等、身辺に関する一切を担当、指揮している。
・・・ちなみにその王子は撫子と入れ替わりにフレスルージュへの一時帰国をする予定だ。
あくまで一般人の少女を担当している藤田と比べて、その業務内容は責任も重く過酷を極めるはず・・・そう思って労いの言葉をかけたのだが、途端に岩本は渋い表情を浮かべた。
「ああ・・・それなんだがな、ちぃと面倒な事になった」
「・・・はい?」
「戻って早々に悪いが、軽く手伝ってくれ」
軽く・・・そう言われて本当に軽く済んだ事など、藤田の覚えている限りでは・・・皆無だった。
藤田の手が、無意識のうちにポケットの中の胃薬へと伸びていた。
「ナデシコ、アンタいつニホンに帰るの?」
「へ・・・??」
珍しくアクアちゃんが私の部屋を訪ねてきた・・・それは夏休み初日の事。
ギリギリで・・・本当にギリギリで補習を回避して夏休みを勝ち取った私が、この異世界での夏をどう過ごそうかと・・・
夏休みに関する学園側の発行したお知らせ、注意事項等を今更ながらに読み返していた・・・そんなタイミングだった。
「聞こえなかった? いつ帰るのよ?」
「そ、それは・・・ひょっとして・・・」
アクアちゃんは機嫌の悪そうな顔で、私の返答を急かしてくる・・・いつ日本に帰るのか?と・・・これは・・・つまり。
『お前いつまでこの国に居る気なんだ、早く日本に帰れ』と・・・
アクアちゃん・・・お友達になれたと思ってたのに。
そっか・・・私、迷惑だったんだ・・・思えば色々面倒な事件とかにも巻き込んじゃってたし・・・嫌われていてもおかしくは・・・おかしくは、ない。
「ごご、ごめんなさい・・・わ、わた・・・ぐすっ」
「ナデシコ?!」
この異世界に来てからというもの、ローゼリア様やアクアちゃん、フィーラにメイドりー・・・
たくさんの優しい人達に囲まれて、中学までのぼっち生活が嘘みたいに思えてたけど・・・そうだよね。
みんな我慢してたんだ・・・私なんかに友達が出来るわけ・・・
「うう・・・同じ空気吸っててごめんなさい・・・い、いますぐ呼吸を止めま」
「ちょっとナデシコ?! 落ち着いて!・・・もうっ!」
あまりの申し訳なさに、両手を使って鼻と口を塞ごうとしたけれど・・・その手はアクアちゃんによって捻り上げられてしまった。
私とアクアちゃんはほぼ同身長・・・体格差はないはずなんだけど、身体能力では全くかなわない。
いつの間にかプロレスの技みたいな体勢になってるし・・・いたいいたいいたい・・・か、関節が・・・
「ぎ・・・ぎぶあっぷ・・・アクアちゃん・・・はな・・・放して」
タップ・・・する手は固められているので、なんとか声を絞り出して降参の意思を示すと、アクアちゃんはため息と共に私を解放してくれた。
「ったく・・・ナデシコ、何をどう勘違いしたのよ?」
「だ・・・だって、アクアちゃんが、はやく日本に帰れって・・・」
「言ってないわよ!」
「ひっ・・・」
ぺちっ。
思わず身構えた私の頬のあたりで・・・アクアちゃんの平手が情けない音を立てた。
「でも、一時帰国はするんでしょ?・・・その・・・私、見送りに行きたいから・・・」
「え・・・」
そう言いながら・・・アクアちゃんは頬を染め瞳を潤ませると、もじもじと恥ずかしがるような仕草を・・・うわかわいい。
って、わざわざ帰省する私の見送りに?!
「ほら、ナデシコはその・・・大切な友達だから・・・ね?」
「あ・・・アクアちゃん・・・」
・・・だけど。
私もそろそろ慣れてきたのか、アクアちゃんの仕草に計算じみたものを感じ取れるようになってきていた。
・・・なんと言うかこう、かわいく見える顔の角度とか、顎の下あたりで軽く握られた両手とか、身体を細く見せる為の捻り具合とか・・・こうして気付くと芸の細かさに感心してしまう。
「な・・・何が目的・・・なの?」
「・・・チッ」
私の警戒心を感じ取ると、アクアちゃんは小さく舌打ちした。
やっぱり・・・何か裏があったらしい。
「・・・」
「うぅ・・・もう、わかったわよ!」
私が非難がましい目で見つめると、アクアちゃんは両手を上げて降参を示した。
「・・・言っとくけど、アンタの見送りに行きたいのも嘘じゃないからね」
私から視線を外しながらそう前置きした後・・・アクアちゃんは真の目的を語ってくれた。
「王子様に会いたい?!」
「ナデシコ、声が大きい」
「ご、ごめ・・・」
そう言われて私はあわてて声を潜めた・・・たぶんアクアちゃんの声の方が大きいと思うんだけど。
アクアちゃんの話はこうだ。
私が日本に帰省するのと同じタイミングで、日本に留学中の第一王子が帰ってくるのだと。
つまり当日、私の見送りという形で『門』まで付き添えば、その王子様に会える・・・かも知れないのだ。
第一王子・・・そういえばこっちに来る時にすれ違ったっけ。
見るからに王子様って感じのキラキラしたイケメン・・・私なんかには一生縁がなさそうなオーラを出してたのを覚えてる。
・・・今では同じオーラ出してる王女様と同部屋で生活してるんだけど。
そのローゼリア様だけど、最近は寮にいない事が多い。
まさに今もなんだけど・・・なるほど、王子様が帰ってくるからか。
出迎える準備とかあるんだろうね・・・妹のメリアーナとも仲直りしたし、きっと家族で楽しく過ごす予定なんだろう。
「ひと目だけで良いの、ひと目だけで・・・」
私にそう嘆願するアクアちゃん・・・彼女にとって憧れの王子様なんだね。
ひと目だけでも王子様の姿を見たい・・・すごく恋する乙女って感じ、ちょっと応援したくな・・・
「ひと目だけ・・・殿下の視界に入りさえすれば、私の印象は残せるんだから」
「・・・?」
「私を見た殿下は思うのよ『あのかわいい女の子は何者だろう?』って・・・そして留学を終えた時、運命の再会が・・・ふふふ」
「・・・」
悪い顔をしたかと思うと、数年先まで想像の翼を広げるアクアちゃん・・・なんか思ってたのと違う。
「・・・そういう事だから、日本に帰る日がわかったらお願いね」
「う・・・うん」
い、いいのかなぁ・・・一抹の不安を覚えつつ。
帰省のスケジュールは私も気になっていたので、長久保さんに聞いてみる事にした。
「友達が『門』まで見送りに?」
「はい・・・ひ、1人だけなんですけど・・・それで、日時とかは・・・」
「ちょっと待ってて・・・たしかこの辺に・・・あった」
そう言いながら長久保さんは雑に積まれた書類の束を漁ると、予定らしきものが書かれた紙を見つけ出した。
ここは電子機器を使えない環境な為、日本からの連絡は全部紙の形で届いてるらしい。
「一応まだ正式には決まってないんだけどね・・・」
そう前置きはされたものの。
出されたスケジュール表には移動時間や乗る電車など、結構細かい所まで書かれていた。
「今頃藤田さんがご両親に確認を取って、問題がなければこの日程になるはずだよ」
「へぇ・・・」
『門』を通って日本に帰る日は来週だった、意外と早い。
うちの両親に変な都合はないと思うので・・・たぶんこの予定通りになるだろう。
そして帰ったら、ほぼほぼ向こうで夏休みを過ごす事になりそうだ。
「大半の生徒は実家に帰ってるだろうけど・・・あんまり言いふらしたりはしないように」
「は、はい」
「で・・・見送りは1人で良いんだね?」
「はい」
「ん・・・じゃあ許可証の申請はこっちでしておくよ」
「お、お願いします」
こうして長久保さんに発行して貰った1人分の許可証。
それが思わぬ事態に発展するなんて・・・この時の私に知る由はなかったのだった。




