九話 僕ね、今、とても嬉しいよ
街の商業エリアの賑やかな通りに二階建ての薬屋があった。嘗ては店主が一人で切り盛りしていたが、最近弟子を取り、店を開ける頻度も増えた。その弟子が、店番としているからである。店主よりも愛想がよく美しい事から、客足が増えた。専ら女性客で、今まで手に取られる事が少なかった美容関係の薬が飛ぶように売れる店になった。しかし変化はそれだけに留まらなかった。新しい店番の隣には必ず不愛想の用心棒がセットだったのだ。この事で一時客足は減ったが、ドラゴンの脅威が街から去った後、また訪れる人間が増えた。今度は女性だけではなく、厳つい冒険者共が顔を出すようになったのだ。目当ては二つある。一つは店内に置かれた、ドラゴンの牙と鱗である。牙はそのままカウンターの上に置かれ、鱗は雑に立てかけてあった。しかも鱗の方には、ようこそと汚い文字が彫られている。見る者が見れば嘆く様であった。恐らくドラゴンも草葉の陰で泣く所業である。そしてもう一つが、
「オイ兄ちゃん、ドラゴンスレイヤー見せてくれよ」
これである。
凶悪なドラゴンを一撃で屠ったと言う剣。それ見たさに冒険者たちが訪れるのだ。用心棒は不愛想に言う。
「薬の購入と引き換えだ。ルカ、一番高いの出してやれ」
「えっ、悪いよ」
「いいんだよ。客じゃねえヤツは殺してもいいって言われてんだから」
勿論言われていない。だがその一言に怯まない人間はいなかった。結局薬も売れるし、テオドアは何の損もしていないのだ。剣を見せるくらい、どうと言う事はない。ルカーシュの為になるなら、それでいいのだ。何だか申し訳ないなあと言う気持ちで、でもそれはそれとして薬が売れればセテスの為になると思い、ルカーシュは薬を出すのだ。因みに販売実績が欲しいだけで、店主も別に金には困っていない。
客足が途絶えた店内で、ルカーシュは隣の用心棒へと話しかけた。
「僕ね、村を出る時、実は不安だった」
この用心棒は幼馴染である。一緒に、村を出た相手だ。そもそも、この男がルカーシュを村から出したとも言う。ルカーシュは引っ込み思案で流されやすく、だがそれだけでなく、相手がテオドアだったから信頼してついてきたのだ。
「僕、何の取柄もないし、きっとテオドアの足を引っ張るって」
「そんな事なかっただろ」
「あったでしょ。テオドア優しいからそう言うけど、僕はずっと足手纏いだったよ。色んな村や町を経て、山にも上ったし、川も越えた。ずっとテオドアが引っ張ってくれて、でも、僕はずっと不安だった。途中で仲間も出来たけど、でもやっぱり僕の所為で駄目になってしまって」
「そんな事はないだろ」
「だからあるんだって」
一々全部を否定してくるものだから、とうとうルカーシュは笑った。仕方ないな、と、言わんばかりの笑い方だった。まるで聞き分けのない子供を宥めるような。
「僕、君に、お礼を言った事あったかな」
「あっただろ」
「でもきっと足りないよ。僕君に、もっと沢山礼を言わなければいけない」
「その時間は山ほどあるぞ」
「そうだね。ずっと一緒だもんね」
「そうだ。離れてもついていくぞ」
テオドアが真顔で真っ直ぐに気持ちを伝えてくるものだから、ルカーシュは困ってしまった。何時だってそうだ。テオドアはずっとこうなのだ。きっと最初からこうだった。そうして、別に困ってはいない事に気付くのだ。テオドアに困らされていると、勝手に思い込んでいただけだと、そう、気付く。この気持ちの揺らぎは、困惑ではない。
「僕ね、今、とても嬉しいよ」
それは、喜びだった。
きちんとした求婚は未だだが、例えしなかったとしても関係が変わるわけではない。特別な何かがあって此処にいるわけでもない。一歩踏み出したその先、なるようにしてなった結果だ。此処が旅の終着点かどうかも今は分からない。でも明日も此処にいる。それだけは確かだ。
立てかけたドラゴンの鱗に書かれたようこその文字は、自分たちへ向けたものだったかもしれない。
脳筋剣士と鈍感薬師は、薬屋の一員として漸く街に馴染み始めたのだ。