七話 騎士様、こいつです
その平和な街の平和な薬屋に、一人の客が来た。
「いらっしゃいま、せ」
常通り、にこやかにルカーシュは挨拶をし、だが、途中で止まってしまったのだ。客が、知った顔だったのである。
「久しぶりね、ルカーシュ」
「フリーダさん」
それは、嘗て一緒に旅をした、女性の一人だったのだ。微笑む女魔法使いとは裏腹に、ルカーシュは表情を硬くした。自分等不要だと、そう言っていた内の一人である。複雑な気持ちだったのだ。
「冷やかしなら帰れよ」
二人を見ていたテオドアが横から素っ気なく言った。これに女は笑みを消した。
「相変わらず嫌な男ね。今に愛想尽かされても知らないんだから」
「ウルセェ、こっちは永遠の愛誓ってんだよ。口出しすんじゃねえよ」
「えっ」
これに驚いたのはルカーシュである。初耳だったからだ。急に不安に襲われ始める。勿論疑問はたった一つ。
誰と?
これである。
ルカーシュ以外の全員が分かる話が、ルカーシュだけ分かっていなかった。大抵いつもこのパターンである。ルカーシュは思い込みが激しい上に鈍感なのだ。まさか、テオドアに、長年ずっと仲良くしていた男に永遠の愛を誓った相手がいると言う事実に、足元がぐらついた。聞けば一発解消である話だが、それを口に出来ないのがルカーシュなのだ。根が臆病なので。相も変わらずルカーシュに熱を上げている男を、興味なく一瞥するとフリーダはルカーシュへと向き直った。
「ルカーシュ、お願いがあるんだけど」
「えっ」
「本当に申し訳ないんだけど、テオドア貸してくれない?」
「えっ!?」
フリーダはよく分かっていた。例えテオドアに用があったとして、ルカーシュが頷かねばあの男は動かないと言う事をである。そしてルカーシュは混乱していた。何故自分に許可を求めているのか、分からなかったのだ。テオドアへの頼み事なら、今隣にいるのだから直接言えばいいのに、何故。
「実は、ドラゴンが出たの」
「どらごん」
「そう、ドラゴンて分かる?」
ルカーシュが余りにも幼い口調で言ったものだから、つい、フリーダは尋ねてしまった。流石にドラゴンを知らない人間、いない。見た事のない人間が殆どだとしても。おずおずと、ルカーシュは頷いた。
「街の近くの上空を飛んでいるのが発見されてね、討伐しないと、もしかすると襲ってくるかもしれない。それでね、性格は最悪だけどね、腕だけは立つからテオドアを貸して欲しいの」
興味なさげに隣で聞きながら、あの時の影か、と、テオドアは思い返していた。数日前、ルカーシュと散策に出かけた時、上空を移動する黒い影を見たのだ。恐らくアレの事である。
「えっと、何故僕に? テオドアに言えばいいのでは……」
「だって、テオドア、アンタの言う事しか聞かないじゃない」
「いえ、そんな事は」
「あるんだよ」
「あるのよ。アンタが言うんじゃないわよ!」
ルカーシュに対するのとは打って変わり、声を張り上げた。五月蠅いとばかりに、テオドアがそっぽを向いた。どう見てもいがみ合っているのだが、その様がルカーシュには仲がいいように見えてしまった。目が曇っていた。
「大体、街に被害が出たら、ルカーシュだって無事とは限らないのよ?」
「オレはルカーシュだけは死んでも守る。何の問題もない」
「問題しかねえわ」
テオドア相手になると、嫌でも口調が荒くなった。仕方がない。話が通じない男なので。
「ドラゴンさえ討伐したら、さっさと返すからちょっとだけ貸してくれないかしら」
そうしてもう一度、道具でも借りるような口ぶりで、再度頼み込んだのだった。これを断れるルカーシュではなかった。こうしてテオドア本人の意志を聞くことなく、ドラゴン討伐への同道が決まったのである。テオドアは物凄く不満げだった。何せ離れたくないのである。この店が決して安全でない事を知ってしまったからだ。自分が不在の間は、店を閉めさせよう。勝手にそう決めた。無論、何の権限もない。
去り際にフリーダは、おすすめの美容の薬を購入していった。如何に冒険者と言えど、女性としての一面も持ち合わせているのだ。それもルカーシュが使っていると聞いたものだから何の疑いもなく手にしたのだった。もしかしたら本題は此方だったのかもしれない。まさかのドラゴンが二の次。
だが現にドラゴンは、街の近くを飛んでいるのだ。
危険生物の討伐は、早ければ早いほどいい。
よって、テオドアは直ぐに招集される事となった。因みに了承した覚えはない。
「ルカ、直ぐに帰ってくるからな」
「うん……」
色よい返事ではなかった。元気なく頷いたルカーシュを疑問に思ったのは、セテスである。
「本当に直ぐ帰ってくると思うよ?」
テオドア本人がいる前で言うと面倒な事になるので、家を出てから言った。セテスはテオドアの強さがどの程度かなど知らない。だが、国の諜報員である男が、ヤバいと言ったのだ。つまり、そう言う事である。単純に普通より上だと思ったのだ。尤も、その普通の基準もよく分からないが。セテスは武闘派ではないのだ。だが、可愛い弟子が沈んでいる姿を見るのは忍びない。その一心で、良く知らないながら慰めたのだった。
だがセテスの言葉に、ルカーシュは首を横に振ったのである。
「ううん、もう帰ってこないかもしれません」
「いや、それはない」
はっきりとセテスは否定した。何せ、テオドアである。理由はその一言で十分だった。ルカーシュを置いて家を出て戻らない。先ず無い。死んでも帰ってくるタイプ。付き合いは短いながら、ルカーシュに対する厄介さは嫌と言う程理解してしまっていたのだ。寧ろ分かっていないのが当の本人である事が異常だった。
「テオドア、永遠の愛を誓った相手がいるみたいで……」
君だろ。喉まで出掛かったが、堪えた。自分が言う事ではない気がしたのだ。そもそも、人の恋路に首を突っ込むべきではないわけである。それも、この二人である。面倒さが尋常ではなかった。だからセテスは知らない事にしたのだ。
「きっと、このままその人の元へ行って、帰ってこないに違いないんです……」
「ルカーシュ君……」
いや、そんなわけはない。この元王族の首をかけてもいい。絶対に帰ってくる。内心で言った。あくまで内心で。
「もし、テオドア君が帰ってこなくても、君はずっと此処にいていいんだよ」
「師匠」
「いや、きっと、まあ絶対帰ってくるけどね。それまで待っていればいいじゃないか」
「師匠……!」
感極まったのか、涙を浮かべルカーシュはセテスへと腕を伸ばした。そうして、抱き着いたのだ。セテスは思った。もしかして、役得。そっと抱き返しながら、もう帰ってこなくていいな、と、思ったのだった。勿論、テオドア・エズモンドの事である。
「無性に殺したい」
「騎士様、こいつです」
セテスとルカーシュが抱き合っていた頃、脳筋剣士が呟いた。人類とは思えない程の第六感が働いた模様である。
テオドアは既に街の外にいた。周りには冒険者と思しき人間が山といる。何せドラゴンの討伐である。一人二人で成し得る事ではなかったのだ。故に冒険者ギルドは、腕に覚えがあるであろうあらゆる冒険者へと呼びかけたのだった。しかしテオドアはその間、ギルドへと顔を出さなかったため知らなかったのである。だから仕方なく、元の仲間が呼びに来たのだった。
「ホントに来たんだ、テオドア」
少し驚きを露わにしながら言ったのは、弓使いのディアナだった。矢筒を背負い、弓片手に話しかけたのだ。
「帰っていいなら帰るが」
「ドラゴン倒した後なら帰っていいわよ」
「それを俗に帰れねえって言うんだろ」
「暫く会わない内に少し賢くなったんじゃない?」
「元からテメェより賢いだろ」
「ドラゴンの前にコイツ始末していいかな」
「落ち着いてディアナ。こんなだけど、腕は立つのこんなだけど」
渋々仲間を諫めたのは、そのテオドアを呼び出した張本人、魔法使いのフリーダだった。どうにも知り合いがいないので、顔見知りが寄ってくるのは仕方のない事だった。いや、呼び出しておいて何だが、この男を放っておくと碌な事にならない事を、元の仲間たちは知っていたのだ。だから本当に渋々、見張りも兼ねて傍に来たのである。そもそも、荒くれ者しかいない空間である。喧嘩っ早い人間は一人や二人ではないのだ。風向きが悪い程度の理由で、殴り合いが起きるレベルだった。それも、腕に自信がある人間しかいない事が、輪をかけて悪かった。
今冒険者たちは、待機である。
ドラゴンは自由に飛び回る翼を持つ。だが、四六時中飛んでいるわけではない。降り立ったところを、一網打尽にする。人間が出来るのはそれくらいなのだ。よって、ドラゴンが何処へ着地するのか、探っている最中だった。例え地しか走れぬ人間でも、ドラゴンの飛行能力についていける特殊能力持ちがいるのだ。
一回帰っていいかな。ルカーシュ恋しさに、テオドアがそんな事を思った矢先だった。
「お、見ねえ顔だな」
第三者の声がかかったのだ。見れば、巨大な斧を背負った大男がいた。勿論知らない相手だ。
「前、パーティー組んでたのよ」
答えたのは、戦士のアンネレだった。どうせテオドアは無視するだろうと踏んでの事である。よく理解していた。
「へえ、何だ? 痴情の縺れで首か?」
男がニヤニヤしながら問えば、顔を顰めたのは女性陣だった。確かに、女三人の中に男が一人である。そう言う間違いが起きてもおかしくはない。普通であれば。残念ながら、テオドア・エズモンドは普通ではなかった。
「オレにも選ぶ権利はあるんだが?」
「ぶっ殺すぞテメェ」
傍から見ての話だが、女性を三人侍らせておいてこの言い草。いきり立ったのは、ディアナだった。だが実際問題、テオドアの目に女性たちは映っていなかったのである。テオドアが気に掛けるのは、いつだってルカーシュ唯一人だった。最早そう言う病である。
「なんだよ、奇麗処に囲まれていい気になってる野郎かと思ったんだがな」
「奇麗か?」
「そろそろ始末しても良くない?」
「せめてドラゴンの後にしましょう」
「薬屋に首届ければいいかしら」
どうやら思っていた関係ではないらしい。
四人のやり取りを見て、興が削がれたと言わんばかりに男は去って行ったのだった。
しかしこれは、始まりに過ぎなかったのだ。
「おい、一人分けてくれよ」
「股間の剣捌きにも自信ありますってか?」
「女どもに守られて、厳つい姫だな」
こんな具合に次々絡まれたのだった。これにうんざりしたのは女性陣である。思えば、これほど沢山の冒険者と一堂に会したことはなかった。成程、女三人の中に男が一人だと、こういう扱いを受けるのだな、と、しみじみ思ったのである。
「この街の冒険者の挨拶って独特だな」
尚、当のテオドアはこうであった。この女性たちとの間には何もないので、気にする以前の問題だったのだ。
「全く嘆かわしい!!」
そうしてまた、出てきたのだった。今度は奇麗に頭を剃り上げた、筋骨隆々の男だった。だが今までと違い、女性と一緒だったのだ。それも複数の。テオドアの周りの三人よりも多い、五人だった。テオドア側の女性たちが、顔を顰めた。それに気づくことなく、男は大袈裟な身振り手振りで話し始めたのだ。
「お前のような軟弱者が、こんな女性たちを侍らせているなど、失礼だとは思わないのかね!」
「意味が分からん」
「安心してテオドア。私たちも分かんないから」
本日初めて意見が一致した瞬間だった。
「さあ、そこの小鳥たち、早く私の元へ来なさい」
「小鳥って何の事だ?」
「安心してテオドア。私たちも分かんないから」
続いて本日二度目の意見の一致だった。急に精神的に危険な人物が現れた事で、意図せずして小声で話し出す始末。傍から見れば、仲が良い光景に見えなくもなかった。
「成程。どうやらお前は、彼女たちを束縛しているようだ」
「束縛って何だ?」
「アンタがルカーシュに対してしてる事よ」
今度は、残念ながら意見の一致とはならなかった模様である。
「ではこうしよう。先にドラゴンへと致命傷を与えた方が、彼女たちを持つ権利を得るのだ!」
「このハゲ、私たちの事奴隷だと思ってんの?」
「先にコイツ始末した方がよくない?」
「じゃあ一番がドラゴンで、二番目がハゲで、三番目がテオドアか」
「致命傷って何だ?」
「ドラゴンの身体の一部でもその御立派な剣で切り落としてみてはどうかね。無理だろうがね!」
「って事は、尻尾でも切り落とせば帰っていいんだな」
平然と言い切ったテオドアの言葉を冗談だとでも思ったのか、男は鼻で笑い飛ばしたのである。頭を抱えたのは、女性陣の方だ。何せこの男は、テオドア・エズモンドである。ルカーシュの事しか頭にない危険人物だが、腕だけは立つのだ。だからこそ連れてきたのだ。
つまり、やると言ったらやる。
恐らくこの場で、フリーダ、ディアナ、アンネレ、この三人だけが、テオドアがドラゴンの尾を切り落とすことを確信していたのだ。そもそも、尾を切り落とせば帰っていいなどと言う話は微塵もしていなかった。全員が違う方向を見て話していたのである。
「ドラゴンが降りるぞ!」
集まった冒険者たちのざわめきが、一斉に消えた。全員の顔つきが変わる。黙って次の指示を聞いた。既に今いる場所は、街の外である。それも、ドラゴンを討伐するに際し、被害が出ぬよう、離れたところであった。大抵のドラゴンは、口から火を吐いたり、極度に冷えた息を吐いたりと、色々な事をする。その被害は真面に食らえば甚大である。
ドラゴンが降りたつであろう地名をテオドアは聞いたが、それが何処かは分からなかった。だから、只ついていくことにした。各々の武器を手に、冒険者たちが走り出す。誰も口を開かない。先導する足に自信がある冒険者の背を追って、ドラゴンの元へと向かったのだ。
着いた先は、草が生い茂る平原だった。
先日、テオドアがルカーシュと出かけた、更にその先にある平原だった。そこにドラゴンはいた。体を地面に伏せながら、しかし、羽は広げた状態で、現れた小さな生き物を上から見ている。伏せっても、人間より大きい。だが、ドラゴンとしては、小柄な方であった。赤褐色の大きな体躯は、鱗で覆われ、頭部には大きな角を生やし、また尾や背にも等間隔に角があった。口からは牙が見える。もし噛まれたら、ひとたまりもないだろう。
ドラゴンは警戒している。
だがそれは、人間も同じ事。しかし人には、数の利がある。ドラゴンの前に立つのは自殺行為だ。だが、何人かは前に出た。おとりである。真正面からの攻撃を受け止める自信があるものではない。避ける自信があるものだ。ドラゴンが僅かに上体を起こした。最早攻撃が来るのは時間の問題である。人は数で勝っている。だが、個対個では負ける。ドラゴンの鱗の堅さは並ではない。下手をすれば魔法すら跳ね返す。弓矢など、刺さろうはずもない。剣だって、折れる。それでも、人はやるのだ。その為に、人数を集めたのだ。一人が駄目なら二人目、それが駄目なら三人目。一斉に、攻め込む。
問題は、誰が何時合図を出すかだ。
声を上げれば、ドラゴンが即座に動くだろう。一人だけ早まって突っ込んでも同じ事になる。皆が息を揃え、状況を読み、ここぞと言うところで攻め込み、そして、逃げるべき者は逃げる。
風が吹いた。緑が揺れる。空気が張り詰める。息苦しさを覚え、誰かが口を開けた瞬間だった。大地を踏みしめる音がした。それは微かなものでありながら、誰の耳にも届いたのだ。瞬間、一斉に視線が其方を向いた。人間だけに留まらない。ドラゴンも動く。状況が動いた。余りに突然の事過ぎて、咄嗟に対処できた者はいなかった。一斉に切り込むべきだったが、音の方を見てしまったが故に遅れたのだ。閃光にも似た眩しさを覚える。陽光が、反射したのだ。人々は目を細め、成り行きを見た。突然、周囲を無視して男は走り、そして高く飛んだ。人とは思えぬほどの跳躍を見せつけ、ドラゴンの尾に向かって、剣を振り上げ、そして、下ろしたのだ。
一刀両断。
まさに、その言葉通りの切れ味。ある意味、宣言通りだった。
そう、ドラゴンの尾を、テオドアは切り落としたのだ。硬い鱗も何のその、あっさりと、肉どころか野菜でも切るようにすっと落としてしまったのだった。
「じゃ、帰るわ」
周囲が呆気にとられる中、テオドアは宣言したが、残念ながら誰の耳にも届かなかった。ドラゴンの咆哮にかき消されたのだ。確かに、尾は切り落とした。しかし、それくらいで絶命する生き物ではない。寧ろ、逆効果。完全に人間を敵と見做したのだった。
ドラゴンが、口から炎を撒き散らした。
「逃げろ! 逃げろ!!」
誰かが叫び場は騒然となった。魔法使いたちが咄嗟に、火を防ぐために魔法で透明な壁を出すも、一度当たったら壊れてしまう。武器を持った人間たちが切りつけようにも、何処を狙えばいいのか分からなくなってしまった。ドラゴンはもう暴れているのだ。避けるだけで必死である。尾を狙おうにも、然程のダメージは与えられない。本来なら一斉に攻撃したいが、息が合う状況ではなくなってしまった。どう客観的に見ても、分が悪い。ドラゴンは、強靭なのだ。
「ちょっとテオドア! 首落としなさいよ!!」
とうとう焦れて、アンネレが叫んだ。
「尻尾切ったら帰っていいって、あのハゲが言ったじゃねえか!!」
テオドアが怒鳴り返せば、周囲の人間が一斉にそのハゲを見た。何故分かったか。ご丁寧にもテオドアが指を差したからである。居丈高にテオドアに絡んでいた張本人は、物凄い速さで首を横に振ったのだった。私そんな事言ってませんの意である。確かに、帰っていいとは一言も言っていないのだ。勝手にテオドアが解釈しただけである。
「ルカーシュ、ドラゴンの首欲しいって言ってたわよ!」
「つくならもっとマシな嘘つけよ。言うわけねえだろ」
こんな時ばかりに冷静に答えてきたので、心底腹が立った。恐らくこの騒がしい空間で、一番冷静なのはこの男であった。何と言っても、ドラゴンの尾を一撃で切り落とす腕前である。そのドラゴンは、常ならば尾で薙ぎ払っていたのだろうが、その尾がない事から苛立っていた。状況の悪化は言うまでもない。
「オイ、兄ちゃん! さっきのは謝るからドラゴン何とかしてくれよ!」
とうとう、街の外で絡んできた冒険者までもが寄ってきた。
「別に謝罪なんぞいらんが」
「謝るっつってんだから、素直にもらっとけや!!」
ドラゴンの手は体躯に比べれば短いので、掴まれる心配はほぼ無い。だが、踏みつぶされる恐れはある。そう、ドラゴンは、歩くのだ。しかも、飛ぶ。火を吐き、逃げ惑ったところを踏みつぶしてやろうと浮いた。
「逃げろ! 死ぬぞ!」
大声で注意を促す人間と、割とギリギリのところで踏ん張り、ドラゴンを下から魔法や弓で攻撃する者がいる。全くダメージが通らないわけではないが、致命傷にはならない。しかし攻撃も命あっての物種である。ドラゴンが降りる前に、命からがら避けた。
「オイ、お前!」
一人の若者が、テオドアに食って掛かった。
「攻撃しないなら、その剣を寄越せ!!」
流石にこうも言えば動くだろうと言う算段か、それとも、ドラゴンの尾を切った武器さえあれば、止めを刺すことが出来ると言う自信か。テオドアは顔を顰め言った。
「ほらよ」
「本当に渡す馬鹿がいるか!!」
「えぇ……」
どうやら、こう言えば流石のテオドアも動くと言う見立てだったらしい。大いに外れたが。テオドアは、執着など有りませんと言わんばかりに、渡そうとしたのだ。少なくとも剣士と言うのは、自分の武器に愛着を持つものである。だが残念ながら、テオドアは普通ではなかったのだ。
「テオドア! ドラゴンて凄く珍しいのよ!」
「知ってるが」
「ドラゴンて、薬の原料になるわよ! きっとルカーシュに良い土産になるわよ!」
こうなれば、どうあってもテオドアを動かさないわけにはいかない。そしてテオドアを動かすには、もう、ルカーシュの名に頼るしかなかった。こんな事になるなら、一緒に連れて来ればよかった。フリーダは深く後悔している。後の祭りである。ただ、ルカーシュがドラゴンの首を欲しがっているには嘘だと即座に切り捨てたテオドアも、良い土産になるの一言には心が揺らいだ。確かに、出かけたらならば、土産があってもいいと思ったのだ。現にテオドアは冒険者ギルドへと赴いた時は、植物や魔物の死骸を持って帰ったのだから。
テオドアはドラゴンを見た。
正に怒り心頭ですと言わんばかりの凶暴さで以て暴れている。これを倒すのは、至難の業だ。
「ディアナ!」
「突然名前呼ばないでよ! 金取るわよ!」
「ドラゴンの動きを止めろ!」
「無茶言うな!!」
「目を狙えよ! 何のために弓持ってんだよ!」
テオドアの煽りを受け、苛立つよりも、どうやらやる気になったらしいとディアナは驚いたのだ。癪だが少し安堵もしたのである。この男は、馬鹿でルカーシュの事しか考えていない変人だが、やる時はやると知っていたのだ。
「弓使いと遠距離魔法使いは、目を狙って頂戴!」
「ディアナ、私が魔法で援護してあなたの矢を絶対に届かせてみせるわ」
「頼りにしてるわ、フリーダ」
「二人はアタシが守る。攻撃に集中して」
このパーティ、テオドアさえ絡まなければ、上手くいくのである。他の三人の相性は悪くなかったのだ。あくまで、テオドアが癌だった。
やる事が決まれば、冒険者たちは右に倣えで上手く動いた。各々が持つ経験で、事を成し遂げようとしている。四方八方から、矢や魔法がドラゴンの顔に向かって飛んでいく。ドラゴンの鱗は硬い。そこに当たればただ落ちるだけだ。でも、ドラゴンとて、眼球はそう硬くないのである。テオドアの剣はよく切れるし、本人の運動能力も高い。だが、動き回るドラゴン相手では分が悪い。目くらい潰してもらわねば、一発で首を落とす自信はなかった。何せ、首は尾よりも太いのだ。それに、位置が高い。もうドラゴンは、最初のように伏せっていないのである。上から切り込むのは無理である。正に雨の如く、矢や魔法が降り注ぐ。的は大きく、そして小さく遠い。だがこちらには数の利があるのだ。
「刺さった!」
「よし、続け!!」
景気の良い報告が届く。たった一度の到達でも、希望には違いなかった。ドラゴンが咆哮を上げた。巨大な炎が、辺りを照らす。これに巻き込まれてはひとたまりもない。まずドラゴンは、上空へと向かって火を吐いた。其処に人はいない。だが次は下を見た。狙いを定め、首を下げたのだ。その隙を、テオドアは見逃さなかった。
「フリーダ、風を起こせ!」
横から、それこそドラゴンの死角から首目掛けて飛び出した。テオドアの跳躍力は、常人のそれではない。だが、首までは一歩届かなかった。そこで、魔法使いの出番である。下から風で援護したのだ。勿論、人を一人浮かす程の風など、そう簡単には起こせない。気付いた他の魔法使いたちも援護した。そうして見事空を浮いたテオドアは、バランスを崩すことなく剣を振り上げ、尾の時同様、一気に振り下ろしたのだった。
轟音が大地を揺らした。
ドラゴンの咆哮よりもずっと耳に残る、重い音であった。
今正に、ドラゴンの首は、地に落ちたのだ。
静寂が満ちた。切断面から飛び出した血が顔や体を汚したものだから、テオドアは酷く嫌そうな顔で、地面に降り立ったのだ。そうして何事もなかったかのように、帰ろうとした。
「テオドア!!」
帰れなかった。
名を呼ばれ、しかめっ面のまま見れば、何故か沢山の冒険者たちが己に向かって来るではないか。すわ、戦闘かと身構えたが、どうもそう言う空気ではない。皆が皆、明るい顔をしている。そう、理解していないのはテオドアだけだ。この一団は、ドラゴンを討伐するために集められたのである。今、目的を達成し、喜びの真っ只中にいたのだ。
「アンタ、ホント、何なのよホント!!」
「何って何だよ」
「兄ちゃんの独り勝ちじゃねえか! スゲェな!」
「いや、本人も凄いが、その剣だろ? 何だその剣」
「なあ、その剣、ドラゴンスレイヤーじゃねえのか?」
誰かが言った一言に、場が静まった。ドラゴンスレイヤー。所謂、竜殺しの剣である。ドラゴンを屠った剣が、その血を浴び、特別な剣へと変化するのだと言われている。全員の視線が、血を浴びた剥き出しの剣へと向けられた。
「知らね」
だがテオドアの答えは至極あっさりとしたものだったのだ。
「いや、知らないって、君の剣だろう」
「貰ったんだよ」
「こんなもんくれる馬鹿いねえだろ」
「世の中意外と馬鹿はいる」
「何だろう、馬鹿が言う台詞じゃないのよね」
「何処でもらったって?」
聞かれ、別に隠す気もないのか、それとも隠す程の話でもないのか、テオドアは思い出し始めたのだ。
「前に、ルカーシュと二人で旅をしていた時、森に迷い込んじまって、兎に角突っ切ればその内出るだろって、二人で真っ直ぐ歩いてたら開けた場所に出たんだ。そこに、デケェ岩があって。剣が刺さってた」
「成程、それがこの剣か」
「いや、違うが」
「ハァ?」
「抜いたんじゃねえのかよ」
「抜いたが」
「じゃあこれだろ」
「違う」
「オイ、コイツ馬鹿だろ」
「そうなの。残念ながらコイツ大馬鹿なの」
「殺すぞ最後まで聞けよ馬鹿ども。試しに抜いたら抜けたんだが、錆びた全然切れなさそうな剣で、捨てて帰るかってルカと話してたら、知らねえ団体が現れて、その剣とこの剣を交換してくれって言うから、ラッキーって思って交換した。ついてるだろオレ。しかも、森の出口まで送ってくれた」
話を聞いた面々は思った。
曰く付きの剣では? 勿論、岩に刺さっていた方である。どう考えても錆びた剣を、ドラゴンを屠る威力を持つ剣と交換する利点がない。絶対何かある。考えるまでもない。アンケートを取ったら満場一致である。なのに気付かない人間が約一名いた。
勿論、テオドア・エズモンドである。
「団体って、徒歩だったのか?」
「いや、馬と馬車と徒歩」
「森に来るスタンスじゃねえんだよな……」
「馬車の中見たか?」
「見たって言うか、剣をくれる時に降りて来たな。高そうなドレス着た女だったぞ」
「何か言ってた?」
「このご恩は一生忘れねえとか何とか言ってたな。あ、御内密にっても言ってたかな」
「この馬鹿、内密の意味知らねえだろ」
「馬鹿だから……」
冒険者たちが暗い顔をして黙り込んだ。聞いておいて何だが、聞かない方がよかったタイプの話である事に気付いたのである。世の中、知らない方が幸せに生きられる事実が沢山ある。そう言うタイプの話である。この時冒険者の心は一つになった。聞かなかったことにしよう。これである。後日、この話が金になるなら思い出すこともあるかもしれないが、きっとその時は、身の危険も同時に訪れるであろう。
「お前たち!」
ドラゴンを倒し喜んでいた筈が、何やらどんよりした空気を纏わせ始めた一団に遠くから声がかかった。
人々が見ればそこには、ギルドの職員が複数いたのだ。ドラゴンを倒したことを、誰かが即座に伝えに行ったのだろう。危険が無くなった事で、冒険者ギルドの面々の顔も明るかった。冒険者たちとは大違いである。
「よくやった! 怪我人と死者は!」
「怪我したヤツー!」
呼びかけに、方々から声が上がった。多かれ少なかれ、怪我人は出るし、出て当然だった。
「死んだヤツー!」
呼びかけに誰も答えなかった。
「死んだヤツはいないっぽいです」
「冒険者って何で馬鹿なんだ?」
心底不思議と言った具合にギルドの職員が言った。張本人に聞いても出ない答えである。真面目なのか不真面目なのか分からないやり取りの後ろから、一際堂々とした出で立ちの男が出てきた。しっかりとスーツを身に着けている。冒険者ギルドの責任者だった。
「それで、このドラゴンに止めを刺した者がいると聞いたが」
テオドアが名乗り出なかったので、本当に仕方なく元のパーティーメンバーが前へと押しやった。
「君か」
「らしいな」
不快気に責任者は顔を顰めた。テオドアは敬語が使えないのだ。使う気がないので。
「このドラゴンの死骸だが、ギルド預かりと言う事でいいかね」
居丈高に男は問い、咄嗟に、勝手にしろよ、と、いう言葉が出かかったが、珍しくテオドアは耐えたのだ。そうして、相手の顔をじっと見て、言ったのである。
「セテスのオッサンに聞いてからでもいいか?」
テオドアの口から出た名を聞き、男が目を丸くした。予想だにしていなかったのだろう。直ぐに返事が出来なかったのだ。
「セテス、と、言うのは、あの、薬屋を営まれているセテス殿の事かね」
「そうだけど。オレ、そこに住んでるから」
「えっ」
大誤算であった。この街で、セテスの名を聞き王族だと直ぐに判断できる人間は少ない。だが、確かにいるのだ。冒険者ギルドの責任者はその一人だった。男は甘く考えていたのだ。こんな若造の冒険者一人、適当に言い含められると踏んでいたのである。基本的に、ギルドからの依頼であれば、モンスターの討伐の場合その討伐した者に権利がある。何の権利か。死骸を所持する権利である。魔物と言うのは、色々な使い道があるのだ。売れば嫌でも金になる。ドラゴンなど、その最上級である。だから、適当に難癖でもつけて、全てギルドが奪ってしまおうと思っていたのだ。それがまさかの、王族の手の内の者であるなど、誰が予想しただろうか。男は後悔していた。もっと、冒険者の身柄について、把握しておくべきであったと。薬屋に滞在する冒険者がいるなど、思いもしなかったのだ。
流石の冒険者ギルドの責任者も、王族には敵わない。例え元であろうとも、関係ない。市井に降りたと言っても、平民になったわけでも何でもないのだ。あくまで、この国で一番の血が流れているのである。
「分かった。セテス殿と交渉しよう」
「そうしてくれ」
結局、諦めたのだった。
「で、兄ちゃん、コイツをどうする気だ?」
話が纏まったと見えたのか、又違う人間が現れた。黒いエプロンをした、大柄な男だった。但し若くはない。腹も出ている。
「アンタは?」
「儂は、魔物専門の解体屋じゃ。ついでに武器も防具も作るが、欲しいもんはあるか?」
「指輪」
「あのなあ、こんだけデケェ図体捕まえて、指輪はねえだろうが」
「いるんだから仕方ねえだろ。作れねえのか」
「作れるに決まってんだろ。いつまでにいる?」
「五分後」
「殺すぞ」
「使えねえジジイだな」
「儂以上の職人はこの街におらんぞ!?」
「帰りてえんだよオレは! 手ぶらで帰りたくねえんだよ!」
ドラゴンを討伐していた時よりもずっと大きな声でテオドアが吠えた。聞いた面々は呆れた。そう言えばこの男、帰る事しか頭にないのだ。愛しのルカーシュが待っているので。勿論指輪とて、ルカーシュに渡すためである。求婚しなければならないのだ。それでいて、五分以上待つ気がないと言うのだから無理があった。そう言う男である。
随分と年下の若造の剣幕に職人は大いに顔を顰め、ドラゴンの顔へと近寄った。そうして、口を開けると器用に上がり、持っていた剣よりも細いギザギザした歯が付いたもので、切り始めたのだ。牙である。まるで石でも切るように、切断していく。そうして、小さな牙が切り離されると、テオドアに放り投げたのだった。
「一先ず土産ってんならこれで十分だろ」
「ちんこケースか?」
「ンなデケェ筈ねえだろ見栄張ってんじゃねえよ死ね!!」
そもそも牙は、空洞ではない。ケース以前の問題である。
だがテオドアは満足しなかったのだ。何せ牙である。これを貰って喜ぶルカーシュが想像できなかったのだ。それを言えば、魔物の死骸を貰って喜ぶタイプでは絶対になかった。非常に不満げなテオドアを見て、職人が折れた。本当に仕方なく、鱗を一枚剥がしたのだ。赤褐色の鱗は、一枚だけで見ると、不思議な事に半透明であった。しかも、大きい。両手で持つサイズである。
「言っとくけどな、これ一枚でも加工すりゃ立派な盾になるんだぞ。欲しがる奴は山ほどいるんだからな!」
「ふーん」
無関心だった。所詮テオドアである。
こうしてドラゴンの血で汚れたまま、ドラゴンの牙と鱗を手にし、テオドアは一早く帰路に就いたのだった。後の事等我関せずである。本来ならば後始末の方が甚大なのだ。だが腐っても功労者。見逃されたのだった。いや、ドラゴンを一撃で屠る男と関わりたくなかったのが本音かもしれない。