六話 オレ、一生お前の元に通うよ
翌日有言実行とばかりに、テオドアはルカーシュと出掛けて行った。向かう先は、街の外である。普通は危険なので余り出歩かないのだが、こう見えてテオドアは腕の立つ冒険者である。大抵の事には対処できる自信があった。何せ、初対面の失礼な客を殺そうとした男である。ルカーシュの事となると、躊躇の言葉が存在しなかったのだ。単なる危険人物。
二人が辿り着いた先は、緑が生い茂っていた。セテスが勧めた平原である。晴れた空の向こう、遠くに山が見えた。もしかすると、鼠の男はあそこまで死体を捨てに行ったのかもしれない。見付からずに魔物に処理させるとなると、遠い方が都合がよい。テオドアの目には只の緑だったが、ルカーシュの目には違う。セテスが勧めるだけあり、薬の材料の宝庫だった。基本テオドアは、ルカーシュの邪魔はしない。はっきり言ってデートと言う程の内容ではないが、傍で見ているだけで不満はなかった。テオドアは、単にルカーシュを見ているのが好きだったのだ。
「ねえ、テオ、この草何か分かる?」
採った植物をルカーシュはテオドアに見せる。テオドアは眉間に皺を寄せて言う。
「オキミだろ。前に聞いた」
これがセテス相手なら知らねえで一蹴だろうが、ルカーシュ相手だとこうである。テオドアの答えを聞いて、にこりとルカーシュは笑った。正解、の、顔である。そもそもこのようなやり取りは、ずっと昔からである。それこそ、村を出る前からだ。
テオドアは思い出していた。
ルカーシュとは同じ村の出で、幼馴染だ。だが、特別家が近かったわけではない。テオドアの家は、肉屋で、それも魔物の肉ばかり扱う事から、山に近い所に住んでいたのだ。魔物は山から下りてくることが多かったからである。だからテオドアの家は、村の安全も担っていたのだ。ルカーシュの家は茶農家で、それも村の端の方だったから、ハッキリ言えば二人の住まいは遠かった。子供が簡単に行き来するような距離ではなかったのだ。テオドアが初めてルカーシュと会ったのは、村に肉を売りに来た帰りだった。その時テオドアは足を怪我していた。親に連れられ、魔物を狩る訓練の途中で傷を負ったのだ。母親がテオドアを連れて向かった先は、村で唯一の茶農家だった。つまり、ルカーシュの家だった。ヴァベルカ家は、薬は取り扱っていない。だが、不思議と薬効のある茶があったのだ。傷の治りを早めたり、病にも効く。そんな茶があった。テオドアはずっと不機嫌だった。茶に興味等なかったからだ。だから店の外で一人不貞腐れていた。其処に現れたのが、ヴァベルカ家の息子であるルカーシュだったのだ。
「あの、こ、こんにちは」
おどおどした態度だった。ルカーシュは昔から、気が弱かったのだ。
「……おう」
その上テオドアには愛想等無かったものだから、余計に委縮した。でもルカーシュは、逃げなかったのだ。
「あの、さっき、怪我してるって聞いて、」
聞こうとしたわけではなかった。だが、テオドアの母親と、自身の親が話している内容が耳に入ったのだ。そして、思い立ってテオドアの元へと来たのである。
「よ、よかったらこれ、飲んでみてくれないかな……」
「えっ」
おずおずと差し出されたものを見て、テオドアは驚いた。何やら知らない液体だったからである。こんな見ず知らずの子供に勧められて飲む人間がいるだろうか。
「あの、ごめん。やっぱり、嫌だよね」
「飲む」
「えっ」
なのにテオドアは引っ手繰るようにして、奪ったのだ。まさか飲む勇気がないのかと、そう言われたような気がしたのである。気のせいである。そうして呆気にとられるルカーシュの前で、一気に飲み干して見せたのだった。子供ながらに大層男らしい姿だった。味は思ったより悪くなかった。もっと色味からして、苦いものを想像していたのだが、案外さっぱりとしていたのだ。そうして、気付いた。
「傷が、薄くなってる」
血は止まっていたが、大きなかさぶたが出来ていた傷跡が、少し小さくなっていたのだ。
「よかった」
目を丸くするテオドアに向かい、ルカーシュが呟いた。その声につられて見てみれば、そう、恐らくこの時初めてテオドアは、ルカーシュの事をちゃんと見たのだ、そこには矢鱈可愛い人間がいたのである。尚現時点で性別はよく分かっていなかった。何方にも見えたからである。いや、八割女子だった。
「魔法使いか?」
女子だろうな、女子か。そんな事を思いながらテオドアは尋ねた。女子は苦手だった。何故なら、テオドアを恐れるからである。そもそも、男子でも一緒だった。テオドアは愛想がなく、しかも子供ながらに武器を振るうのだ。敬遠されていた。だから、余り村には下りてこなかったのだ。
「ううん、僕、薬師を目指しているんだ」
「ふうん」
因みにこの時ルカーシュが作った薬には、未だ茶葉は入っていなかった。それは後の、テオドアの思い付きだったからである。そしてこの時、初めてルカーシュは自作の薬を他人に飲ませたのだった。悪く言えば実験台だった。勿論、ルカーシュにそのような意図はなかったが、客観的に見ればそうである。
「えっと、おかしい、かな」
「いや、なれるだろ」
「えっ?」
「なるんだろ?」
「うん」
「じゃあなれる」
意図も容易くテオドアは肯定した。初対面の同年代の人間の夢を、あっさりと。それはルカーシュが拍子抜けするほど。変な子だな、と、ルカーシュは思ったが、大概相手もそう思っていた。初対面の人間に、自作の薬を勧めてくる人間、おかしいに決まっていた。
ふと、表の方が騒がしくなった。
「テオ! 帰るよ!」
用事を終えたのだろう。テオドアの母親の呼ぶ声が聞こえた。待たせるとうるさい。そう判断したテオドアは、さっさと場を離れようとし、
「じゃあな」
そう、短く別れ際の挨拶を口にしたのだ。
「うん、さよなら」
返ってきたのは同じく短い言葉だった。
こうして、テオドアは母親と茶屋を後にしたのだ。暫く歩いてから気付いた。名前を聞いていなかったことに。勿論、名乗ってもない。テオドアは他人に興味がなかった。なのに、今一度会っただけの人間の名が気になって仕方なくなってしまったのだ。ついでに、性別も聞き忘れたが、それは何方でもいいか、と、忘れることにした。だがどうにも頭にあの顔が浮かぶ。住んでいる所は分かっているのだ。明日また聞きに来よう。
勝手にそう決めて、翌日本当にテオドアは現れたのだった。一人で山を下りてきたのだ。
「昨日の」
「名前、何だ」
「ルカーシュだけど」
「そうか」
突然訪ねて来たかと思えば、それだけ言って去ろうとしたものだから、慌ててルカーシュは呼び止めた。
「待って、君は!」
「テオドア」
だが結局他に何を言うでもなくテオドアは去って行ったのだった。変な子。ルカーシュの抱いた感想は全く間違っていなかった。しかも、その翌日も来た。何故なら名を聞いた帰り道、性別を聞き忘れた事に気付いたからである。どうでもいいと思っていたが、名前を聞いたら気になってきたのだ。そしてテオドアは翌日また会いに来て、今度は性別を尋ねたのだった。同じ男だと聞き、この時ばかりは驚いたが、自分も男なのだから何もおかしなことはないと割り切った。大体性別は二つしかないのだ。女でなければ男でしかないのである。こうして、一つ質問して帰り、その帰り際また気になる事が出来、翌日尋ねると言う日々が続いた。本当に続いた。最早日課になった。ある日ルカーシュが言った。
「テオドア、僕、君が尋ねて来てくれて嬉しいんだ」
はにかみながら言われたその時、一生通おうと決めた。テオドアは単純だった。もうこの時には、ルカーシュしか目に入っていなかったし、この村でルカーシュの事を一番知っているのは己だと言う自負すらあった。何せ毎日毎日質問に質問を重ねたのだ。何を聞いても次に新しい疑問が生まれるものだから、不思議でしかなかった。恋の段階があったかどうかなど分からない。意図せずして重ねた逢瀬は、愛になった。但し、半一方的。でもルカーシュは決して嫌がらなかったし、喜んでいたのだから、強ち片思いでもなかったのだ。
大体、ルカーシュの世界は狭すぎたのである。ルカーシュには友達がいなかった。勿論テオドアにもいなかったが、理由は違う。テオドアは敬遠されていたが、ルカーシュは逆だ。まるでエルフのように美しく儚い見た目、そして気弱な性格は、苛めてくれと言わんばかりだったのだ。現にテオドアが現れるまではよく泣かされていたし、人の輪に入る事もしなくなっていた。テオドアがいれば話は別だっただろうが、彼も又、同年代の子供と遊ぼうとはしなかったのだ。そこにルカーシュがいなければ、行く理由がないので。だから二人はいつも一緒で、他の人間が入り込む隙など無かった。寧ろテオドアが牽制していた。それどころか、子供がいる家を一軒一軒尋ね、ルカーシュを苛めたら殺す、と、言う物騒な宣言をして回った。物凄く嫌な子供である。本来であれば、テオドアの両親に苦情が行きそうなものだが、現実にはそれもなかった。何故か。テオドアの家が、肉屋だからである。しかも、魔物専門。普通の神経の持ち主なら先ず近寄りたくないわけである。その上テオドアの母親が、殺されたくなけりゃ苛めなきゃいいんじゃないですかね、と、宣うタイプの人間だったことも一因であった。この親にしてこの子有り。
「ルカーシュ、オレ、一生お前の元に通うよ」
ある日テオドアは確実に求婚としか思えない台詞を吐き、その後、通うどころか連れ立ち村を出たのだった。当然この頃には、謎の茶葉入り万能薬は出来上がっていた。寧ろそれがなければ、村を出ようとは思わなかったかもしれない。テオドアは知っていたのだ。何かあっても何とかなると言う事を。行き当たりばったりにも程があった。その後、山あり谷ありの冒険をし、魔王を倒すと嘘を吹き込み、出会いと別れを経験し、今こうして存在しているのだ。
思えば遠くに来たな。
しみじみとテオドアは思っていた。二度と帰らないが。帰ったが最後。恐らく待ち受けるのは双方の結婚である。死んでも御免だ。寧ろ死んだ方がマシ。テオドアの考えを知ってか知らずか、ふと、ルカーシュが手を触った。テオドアはなされるがまま、相手の行動を見ていたのだ。左手の薬指を触ると、そこに器用にくるくると草を巻き付けた。只の草ではなかった。薄紫の花が一輪ついている。ルカーシュの目の色に似ていた。それだけで、テオドアは摘んで帰ろうかと思ったほどだ。残念ながら、草の名前は分からない。つまり、薬とは無関係の物だろう。テオドアは薬に興味などないが、ルカーシュの話はほぼほぼ覚えているのだ。テオドアの太い指に巻き付けると、器用に結んでみせた。するとどうだろうか、指輪に見えない事もない。
「かわいいね」
ルカーシュが、はにかみながら言った。子供の頃、尋ねて来てくれて嬉しい、と、そう言った時の顔より可愛かった。だから素直にテオドアは頷いたのだ。
「ああ」
勿論ルカーシュの言う可愛いは、花の事である。
ふと影が落ちた。空を見上げれば、何やら黒いものが見える。どうやら、飛行するタイプの魔物だ。降りてきたら面倒な事になるな。そう思い、テオドアはルカーシュを見た。可愛かった。正直この時テオドアは正気ではなかった。何故なら気付いてしまったのだ。己の左手の薬指を見る。全く不似合の物がある。花単品なら可愛いが、この男が付けているだけで可愛くも何ともなかった。寧ろ不気味だった。だが問題はそこではないのだ。
もしや、求婚されているのでは?
そこに気付いたが最後、正常でなどいられる筈がなかったのである。
ほぼ上の空で、テオドアはルカーシュと帰路についた。大概正常ではなかったので、ルカーシュの手を取って歩いてしまった。しかも利き手で。何事もなかったからよかったようなものの、道中襲われでもしたら大変な事になっていただろう。結局ルカーシュも手を振りほどかなかったので、仲良く手を繋いでの帰宅と相成ったのだった。
帰宅後、開口一番テオドアの口から飛び出したのは、ただいまではなかった。
「オッサン、話がある」
「私はない」
セテスははっきりと拒否をした。何ならもう、手を繋いで現れた時点で場を離れなかった自分を責めたくらいである。嫌な予感しかしなかったのだ。しかも読まなくていい空気を読んだルカーシュがさっと場を離れたものだから、更に嫌な気持ちになったのである。この状態のテオドアと二人きり。最悪だった。因みにこの状態とは、何やら覚悟を決めたような顔つきを差す。当然理由など知りたくなかった。
顔を顰めるセテスを前に、テオドアは指を立て左手の甲側を見せた。どこぞの婚約会見さながらの仕草だった。呆気にとられた後、セテスはゲテモノでも見たような顔で、後退ったのだ。引いたのである。気持ち悪くて。考えずとも分かる。不愛想な剣士の太い指に巻かれた可憐な花。気持ち悪いにも程があった。このまま会話を続けるのを拒否したくなったが、そもそも肯定した覚えもない。不気味な静寂が満ちた。
「指を切り落として欲しいっていう相談かな」
一応理由を考えて、セテスは静寂を打ち破った。
「違う」
返ってきたのは否定である。違わないで欲しかった。これほどまでに自分の予想が当たって欲しかった事はないかもしれない。尤も、己の指を切り落として欲しい等と言う願い、日常生活で飛び出すはずもなかった。大概セテスも正気ではなかったのだ。
「この花を永久に保存したい。方法あるだろ」
「ない」
嘘。ある。だが、心底面倒なのでセテスは嘘を吐いたのだ。ルカーシュの頼みなら未だしも、何が悲しくてこの無礼者の頼みを聞かねばならないのか。腐っても元王族である。せめて敬えと言う話である。無理。テオドアの辞書に敬うは存在しないので。
「それでも薬師か! こんな時くらい役に立てよ!」
「君ね、世が世ならもう死んでるからね本当に」
「ルカーシュがくれたんだぞ! 永久保存すべきだろ!」
「あのね、テオドア君ね、植物ってのは枯れるのが当然だからね」
「これは植物ではない。ルカーシュがくれた求婚の証だ」
「心底腹立たしい」
真顔のテオドアを見て、うっかり、死んで欲しいなと思ったが口に出さないだけの理性はあった。これでもいい大人である。大体、本当にルカーシュが求婚したかどうかは今問題ではない。セテスが直面しているのは、この面倒な男をどう遠ざけるかである。しかも、最低限の労力で。あの植物を永久保存するのはなしだ。毎日惚気られたら堪ったものではない。うっかり死んで欲しいと実際に口から飛び出しかねない。
この世の終わりを案じるかのような重さの息を盛大に吐き出し、セテスは言った。
「君が本物をあげればいいんじゃないの」
最早投げやりだった。
だがその、とんでもなく適当な案が、脳筋剣士の胸には刺さったのだ。
「本物……さてはオッサン、天才だな!?」
「初日に気付いて欲しかったよね」
こうして一先ず難は去ったのだ。少なくともセテスからは去った。テオドアには残っている。本物を渡して求婚する、その難が。一先ずテオドアは与えられた自室の机の上に、植物の指輪を置いた。こんなに神経を集中させることがあるだろうかと言う程、慎重に外したのだ。そうして枯れるまで、毎日眺めたのだった。寧ろ枯れても毎日眺めた。これは只の枯れた植物ではない。テオドアにとっては、ルカーシュからの求婚の証なので。
公にはなっていないが、事実殺人事件が起きた事から、薬屋を数日は閉めた。方々への火消しが必要だったのだ。本来ならもっと大事になっていただろうが、何時の間にやらひっそりと領主は姿を消し、そして新しい領主が何事もなかったかのようにやって来ていた。此処までスムーズに事が進んだのは、一つには此処がセテスの店だからであった。二つには、オティウス・トゥルゲーネヴァ・アモール・ワムシカム・セテス・ケア・フェルマンが殺人現場にいたからである。三つめは、単純に死んだ領主に人望がなく、後ろ暗い行いの数々が明るみ出たからであった。結局一番強いのは権力なのだ。新しい領主は前の領主より賢いらしく、突然店に現れるような真似はしなかった。よって、ルカーシュもテオドアも知らぬままだった。大体、薬師と剣士に領主は無関係である。
店を開けてもいいとセテスが判断したので、またルカーシュは店頭に立った。勿論傍には厄介な用心棒付きである。セテスにはよく分からなくなっていた。いた方がいいのか、いない方がいいのかである。いれば確実に営業妨害なのだが、いなければ、ルカーシュに危険が及んだ際、確かに防ぐ手立てがないのだ。鼠とて、常に潜んでいるとは限らないので。その鼠は、街から出ないセテスの元へと、事の顛末を伝えに来ていた。
「金遣いも荒く、横暴で、兎に角嫌な貴族の見本みたいな男でしたね」
「まあ、良く知らないんだが」
「あんなに媚び売りに来てたじゃないですか」
「まあ、あんまり聞いていなかったからね」
「殿下の悪い所ですよ。ちょっと、狙われてましたよ」
「ルカーシュ君なら未だしも、こんなオッサン狙ってどうするんだね」
「とうとうオッサンを自称し始めて、この鼠こんなに悲しい事はありませんちゅー」
「世間話なら消えてくれないか」
「でも本当にあらゆるところで、ちょっといいなって思ったら男女問わず手を出すタイプの色情魔だったみたいですね」
「もっと早く捕まればよかったのにね」
「腐っても領主だったので」
「馬鹿が権力持つと駄目ないい例だよ」
「最低最悪の豚野郎でしたけど、領主様のおちんぽだけは悪くなかったですって言う声がちらほら」
「その報告本当にいるかね?」
半眼でセテスは呆れかえったのだった。別に求めてない話を延々と聞いてしまったわけである。本題絶対そこじゃなかった筈。
何はともあれ、変態が一人消え、街には平和が訪れたのだった。多分。