二話 エルフ美女!?
泣きながら寝た筈なのに、目覚めたルカーシュの顔はいつも通りだった。この男は、一般的に言って美人の類なのだ。人でありながら、エルフに間違えられたこともあるくらいである。灰褐色の髪は長く、物腰も柔らかいものだから、女性に間違われる事すらあったのだ。ただ本人は、そこまでとは思っていない。一番近くにいる同性のテオドアが、そう言う扱いをしないからである。
きっと今日が別れの日になる。
覚悟を決めて身支度を整えると、意を決して部屋の外に出た。全員別の部屋で良かった。もし同部屋だったなら、もっと居た堪れない思いを味わっていただろう。
「おはよう、ルカ」
部屋を出てすぐかけられた声に、ルカーシュは目を丸くした。まるで待っていたように、テオドアが其処にいたのだ。因みに、本当に待っていたのだが。話し合いと言う名の罵り合いは、ほぼ一晩続いたのである。
「テオ、その顔……」
「一発いいの貰っちまったよ」
テオドアの頬は、赤く腫れていた。殴られたのだと分かる。平手ではなく、拳だ。アンネレだろう。結局我慢できなくなったと見える。しかし、テオドアは黙って受けるような男ではない。しっかりやり返してはいる。但し、ルカーシュはそう思わなかった。一方的に殴られたと思っているのだ。ルカーシュの中のテオドアと言う男は、粗野だが、酷い事はしない質だったので。間違った認識である。
「あの、三人は?」
「さあな。もう会う事もねえだろうよ」
素っ気なくテオドアは言った。ルカーシュが眉根を寄せる。
「どうして」
「なにが」
「僕を、追い出すんでしょう」
ポツリと呟くように零された言葉に、テオドアが驚いた顔をした。
「そんなわけないだろ! オレがお前から離れると思うのかよ!」
「だって、僕は、役立たずだ」
「あのさ、ルカ、人には得手不得手があるよ」
「僕はいつも庇われてばかりで、一番弱い魔物すら倒せなくて」
「うん、薬師にそこは求めてねえから」
凡そ理解出来ない事で悔やみ始めた様を見て、流石に、真っ当にテオドアは突っ込んだのだった。これは別にテオドアで無くとも、別れた三人の女性たちだって、挙って物申すだろう。薬師に戦いなど求めない。常識である。だからこそ、そもそも連れ回すなと言っていたのだ。しかしテオドアが断固拒否の構えだったため、こうして別れる羽目になったのである。
「テオ」
「うん?」
「僕、村に戻、」
「それは駄目だ!」
言いかけた言葉を強い口調で遮った。ルカーシュが目を瞠る。
「ルカ、それだけは止めてくれ」
「テオ……」
更に手まで掴んで、懇願した。余りにも強い眼差しに、ルカーシュは怯んでいる。まさかこんなにも真剣に拒否している理由が、結婚を拒むためであると知ったなら、呆れるだろう。それも、己の結婚ではなく、ルカーシュの結婚である。別に村に婚約者がいるだとかそう言う話は無いのだが、戻ったが最後、宛がわれると思っているのだ。そう言う歳映えなので。村社会に有りがちな、極普通の事である。最終的に、自分が性別の枠を超えてルカーシュと結婚すると勝手に決めているこの男からすれば、絶対に戻るわけにはいかなかったのだ。
「ほら、魔王を倒すまで戻らないって豪語しちまったしさ」
だが現状、告白一つしていないのである。
あんなに、元仲間たちにすら、愛しているだの結婚するだの惚気たくせに、実際はこれである。テオドアとルカーシュは幼馴染である。ずっと、小さい時から一緒に過ごしてきた。その結果、いつ惚れたのかも分からず、あらゆるタイミングを逃し続けた結果が現在である。もう最悪、そう言う告白とか抜きで結婚出来ねえかな、等と思い始める始末。果たして、結婚とは一体。
因みに、魔王を倒すまで戻らない、は、もう一生戻る気はないの意味である。たった二人、それも、剣士と薬師で魔王退治など無理に決まっているので。だから広義で言えば、プロポーズのようなものだった。通じる筈のない求婚である。現にルカーシュは、自分の所為でその、魔王を倒す、と、言う夢が叶わない事に罪悪感を抱いているのだ。此方は此方で、同行者が自分でさえなければ、この幼馴染が魔王を倒せると信じているのである。勇者や、英雄と呼ばれるに相応しい男であると認識していたのだった。大概である。
「先ずこれからの事を考えねえとな! 飯でも食いに行こうぜ!」
ルカーシュが暗い顔をしているからか、殊更明るくテオドアは話しかけた。うん、と、頷きながら、しかし表情は晴れない。入る時には、五人だったのに、出るときは二人になってしまった。幾らテオドアがルカーシュの所為ではないと言っても、責任を感じずに居られなかったのだ。因みに、本当にルカーシュの所為ではない。何方かと言えば、テオドアの所為である。
この脳筋が、女性たちの話を聞かず、最終的に暴力沙汰に雪崩れ込んだ結果だった。酷い話である。
宿屋の外の通りには、飲食店が立ち並んでいた。二人同様に、宿から出た客を狙っているのだ。その中から、適当に、余り混んでいない店を選んで入った。テオドアは待つのが嫌いなのだ。選ぶほどのメニューはなかったが、二人ともそう食に拘りはない。丁度中間位の値段のものを頼んだ。愛想のない店員が、平坦な返事を残して厨房へと去って行った。
「さて、これからだが、二人では道中心許ないからな、旅を止めようかと思う」
「えっ、やっぱり帰るの?」
「帰らない。この街に住んでみたらどうかなって」
「この街に、住む……」
呆然と、呟いた。今の今まで、考えた事も無かったのだ。何せ二人とも、実家があるのだ。生まれ育った村から随分と遠くに来てしまったが、それでも、他の場所に住む等とは、考えた事も無かったのである。だがそれは、ルカーシュの場合である。テオドアはずっと考えていたのだ。何と言っても、魔王を倒す旅に出る、付き合ってくれ、等と言って、巻き込んだのである。諄いようだが本当に魔王を倒す気など無かった。これは、テオドアなりの求婚だったわけである。まさか文字通り、魔王を倒すのが夢だと思われているとは未だに気付いていない。
「ルカは、薬師だろ? 薬をさ、作って、売ればいいんじゃないかって。薬に必要な材料はオレが取って来るし、ついでに魔物でも狩って売れば、それなりに暮らしていけるんじゃないかと思うんだ」
そう、つまりやっとここから新婚生活が始まるわけである。妄想大全開。
「でも、テオは、魔王を倒したいんでしょう?」
いえ、全然。テオドアは内心で滅茶苦茶否定した。倒したくないし、斃せるとも思っていない。何せ魔王である。呼び名しか知らないが、絶対化け物の類である。人間が挑戦するものじゃない絶対。その上で、ルカーシュは、本当に魔王が嫌いなんだな、と、そのような勘違いをしていたのだ。まさかテオドアが、魔王を言い訳に使ったとは思っていないわけである。もし本意をルカーシュが知ったなら、魔王を一緒に倒そうって言ったのに!? と、こうなることは請け合いである。一生勘違いしたままの方が、互いにとって幸せな事もあるのだ。
「オレはさ、ルカ。ルカが一緒にいてくれるなら、何処だっていいよ」
「テオ……」
それは暗に、夢を諦めると言っているように聞こえた。ルカーシュの耳にはである。実際には、夢でも何でもないので。ルカーシュは己を責めた。自分が弱いばかりに、幼馴染に夢を諦めさせようとしている事が、不甲斐なかったのだ。実際には、夢でも何でもないのに。
「テオ、」
「はい、お待ち」
呼びかけたのと、平坦な声が聞こえたのと、カタン、と、テーブルに物が置かれたのはほぼ同時だった。思わず二人は黙り込んでしまった。頼んでいた食事が届いたのだ。
「食うか」
「うん」
腹が減っては何とやらである。料理が出来たての内に、手をつける事にした。料理は大皿である。取り分け用の小皿と、スプーンが二つずつ。掬いながら二人は思っていた。
適当に頼んだけど、これ一体何だろう。
まさかの、謎の食べ物だったのである。湯気が上がる、半円状の物体へと訝しみながらスプーンをめり込ませる。す、と、入っていった。柔らかい。しかも、崩れる。奇しくも二人同時に、口へと運んだ。そうして、顔を見合わせたのだった。
「食えなくは、ねえな」
「うん」
口に入れると、ホロホロと解けたが、美味しいかと言われるとちょっと首を傾げる代物だったのだ。ただ、食べられない事も無い。首を傾げながら、二人は食事を続けたのだった。最後まで、どう言う料理か分からぬまま。作る方も食べる方にも、然程に興味がなかったのである。
「それで、結局どうするの?」
「先ずは、住む物件を探しに行くか」
行動力は、テオドアの方がある。元々ルカーシュは引っ込み思案だ。旅だって、テオドアが誘わなければ出ていない。一生を村の中で終えていただろう。席を立ち、代金を支払う。ありがとうございました、と、平坦な女の声に見送られ、通りに出た。
住む、等と簡単に言っているが、この街をよく知っているわけではない。偶々、旅の途中で立ち寄っただけだ。言わば只の通過点。その筈だった。それがまさか、永住しようとしているのだから、何が起こるか分からないものである。二人が育った村とは比べ物にならない程立派で、数日滞在しただけでは把握しきれない程の規模の街だった。それでも有難い事に、区分けがしっかりとなされている。住む物件を探すなら、商業エリアの方だろう。連れ立って二人は歩いて行った。ただ、商会が立ち並ぶ通りに来たとて、どの店がいいかまでは分からない。
「テオドア、君に任せるよ」
「いいのか?」
「だって、僕の運、死んでるから……」
死んだ表情でルカーシュが言った。しかも事実だったものだから、テオドアは無言で肩を叩いたのだ。因みに、テオドアの方は、割と運がいい。アレコレ思い悩まず、心のままに生きている男は、運も引き寄せるのだ。どうせ、何処の店に入っても、初回であることに違いはない。一見さんお断りでもない限り、追い出されたりはしないだろう。
直感が働いたのか、テオドアが立ち止った。ルカーシュは、まじまじと店の外観を眺めている。看板の文字を読もうとしたその時、テオドアが扉を開けた。
「頼もう!!」
「えっ」
ルカーシュが驚いて目を丸くする。明らかに、挨拶が間違っていた。そもそもこれは、挨拶だろうか。
「すみませんお客さん。ウチは道場じゃないんで……」
そう、これを挨拶に分類するならば、明らかに、道場破りの挨拶だった。返事をしたのは、店員だろう。眼鏡をかけた細身で神経質そうな男性だったのだ。接客カウンターの向こう側にいる。気にせずテオドアが歩き出したので、慌ててルカーシュは付いて行った。
「一番強い奴を頼む」
「道場じゃないんですよ。言っときますけど、酒場でもないですからね」
「見れば分かるが」
「あのね、お客さん。掴みみたいなの要らないんですよ」
「そうなのか? 商会では先ず、笑いを取るのが基本だと聞いた」
「真面目なのかボケてんのか全然分かんないんですけど!? お連れの方助けて下さい!!」
「す、すみません、テオドアはこう見えて、真剣です」
「えっ」
ルカーシュのフォローは何の救いにもならなかった。寧ろ逆。これが素とか何それ怖い案件である。来て早々で申し訳ないが、帰って欲しい。店員は思った。でもこういう客程帰らないのだ。経験上知っていた。
「あの、本日は、どう言った御用件でしょうか」
「家が欲しい」
店員は驚いていた。まともな要望が飛び出てきた来たからである。もう一ボケくらいきそうだと、勝手に身構えていたのだ。いや、この家が欲しい発言自体がボケの可能性がある。因みにテオドアは脳筋の剣士である。ボケる頭などない。
「御二人の新居、と、言う事でしょうか」
「そうだ。後薬を売りたい」
「僕、薬師なんです」
「そうですか。商売が繁盛する事をお祈り申し上げます。それでは、販売許可証をお見せください」
「えっ」
「えっ」
「えっ?」
えっ、の輪唱が起きてしまった。きょとん、と、目を丸くする厄介な二人組を見て、これは面倒な客がきたぞ、と、内心で店員は悪態を突いたのだ。
「あのですね、お客さん。物を売るには、販売許可証が必要なんですよ。常識です」
「許可証がなければ、商売をしてはいけないのか」
「あのですね、お客さん。そう言うの闇商売って言います。犯罪です」
「そうか。では、闇商売をするので家をくれ」
「あのですね、お客さん。お、闇商売始めるんですか! 頑張って下さいね! こちら物件になります! 騎士様の巡回にお気を付けください! って、なると思いますか」
「うん」
「なりません」
隣で聞いていたルカーシュは頭を抱えていた。最早平然と話を続けるテオドアが憎いとまで思っていた。恥の上塗り此処に極まれり。しかしテオドア自身は別に恥とも何とも思っていないものだから、二人の間には温度差があったのだ。
「では、許可証は何処でもらえるんだ?」
「それはウチの管轄ではありません。どうぞ、役所なりなんなりで相談して下さい」
これが最後だった。こうして二人は、店から追い出されたと言うわけである。さもありなん。客にならない人間を長居させる理由が無いのだ。
「不親切な店員だったな」
「何処が!? 滅茶苦茶親切だったけど!?」
「えっ」
「えっ」
よく、認識に齟齬が出る。それくらい、二人は似ていないのだ。ルカーシュからすれば、あんなに訳の分からない発言を続けるテオドア相手に、丁寧に説明をしてくれたあの店員は親切以外の何物でもなかったのだ。その上で、やはり幼馴染は運がいいと、羨んでいたのである。きっとルカーシュが選んだ店だったなら、犯罪に巻き込まれているか、門前払いである。だがテオドアからすれば、販売許可証をくれなかった時点で不親切だった。管轄が違う、等と言う頭は無かった。望んだらくれるべきだと思っているのだ。大概自分本位だった。しかもそれで人生何とかなってきた分、質が悪い。
「役所って言ったな」
「多分、このエリアにあるんじゃないかな」
ここは商業エリアである。様々な商会が立ち並んでいる。つまり、それらを統べている役所とやらも、同じ地区にあるのではないかと踏んだのだ。テオドアは思った。これはもしや、世間一般で言うところのデートでは。隣に並んで、街を出るでもなく街に住む算段を立てている現状を見て、勝手に浮足立った。どう考えても、新婚生活に臨むそれである。役所の事は秒で消えた。でもルカーシュが覚えているので目的が消失する事は無いのだ。良く言えば、補い合える関係だった。悪く言えば、全く意思の疎通が図れていない。それぞれ、別の事を考え過ぎである。
通りを歩けば人がいる。街の規模に見合った、人の多さである。ルカーシュは美人の類なので、人目を引く。その視線を全部殺しているのがテオドアである。何見てんだよ勝手に見てんじゃねえぞぶち殺すぞ、そんな気持ちを視線に乗せて勝手に見返すわけである。騎士様、こいつです。因みにルカーシュは視線にすら気付いていない。此方は超がつく鈍感なので。
目的はあるが、目的地が分からぬまま歩いていると、ふと、人だかりが出来ている事に気付いた。とは言え、数人ではある。興味本位ではなく、進行方向なのでそのまま近付いた。自分たちには関係がない事だろう。二人ともそう思っていたのだ。
「大丈夫ですか?」
「ルカ!」
なのに、倒れている人が目に映った途端、ルカーシュが走り寄ってしまったのである。基本、お人好しだった。
「エルフ美女!?」
「違います」
「アッ、この子急に具合が悪くなったみたいで……」
咄嗟の一言をなかったかのようにするよう、早口で女性が捲し立てた。割とこの手の冗談を耳にするルカーシュは、気にせず倒れている人を見たのだ。但し冗談だと思っているのは本人だけで、言っている方は本気である。仰向けに倒れている女性を見れば、視線が合った。意識はあるようだ。
「こちらを」
肩から掛けていた鞄から、何やら小瓶を取り出した。中には、紫寄りのピンク色の液体が入っている。ちょっと如何わしい色合いである。手際よく瓶の蓋を開けると、頭を支え、口元へと持って行ったのだ。これがテオドアだったら恐らく女性は拒否している。ルカーシュだから、素直に飲んだ。美人は得である。
暫くすると、自力で女性は起き上がった。立ち上がる程回復はしていないが、上体が起こせるようになったのだ。明らかに快方へと向かっているのを見て、周囲の人々も安堵の息を吐いたのだった。
「ありがとうございます、エルフの方」
「違います」
本日二度目の訂正である。兎に角冗談が言えるようになったなら大丈夫だろう。勝手にそう判断し、ルカーシュもまた立ち上がったのだ。勿論、口にした当人は冗談のつもりはなかった。
「お人好しだな、ルカは」
「だって僕、これしか出来ないもの」
呆れながらもどこか褒めているのが分かるものだから、ルカーシュは照れながらそう言ったのだった。薬師が作る薬は、人を助けるものである。ルカーシュには師匠などいない。何せ引き籠りである。村にいた時に読んだ本だけを頼りにここまで来たのだ。だから、ルカーシュの師匠は、本であり、何処の誰かも知らないが、その本の執筆者であった。因みに本のタイトルは、なんでもなおるまほうのくすり! 等と言う、明らかに子供向けの嘘っぱちの内容だった。でもルカーシュはそれを真実だと信じてここまで来ている上に、実際薬が作れてしまったものだから、どうしようもなかったのだ。恐らく、ある種の天才である。
「君たち」
突然、背後から声をかけられ、二人は同時に立ち止った。そうして咄嗟にテオドアは、剣の柄に手を置いたのだ。秒で臨戦態勢である。この瞬間、街中であることは頭から消えていた。ルカーシュに害為す輩であれば躊躇しない。ただそれだけを思っていたのだ。
ゆっくりと振り返る。背後にいたのは、壮年の男性だった。どう見ても、戦闘職には見えない。だが、魔法使いであれば分からない。テオドアは警戒を解かなかった。
「はい、なんでしょうか」
代わりにルカーシュが応えた。此方は、警戒のけの字も持ち合わせていない。
「先程、女性を介抱していただろう。あの薬は、君が作ったのかね?」
「はい、そうですが」
事実だったので、すんなりとルカーシュは肯定した。聞いた男性が、考える素振りを見せた。
「実は、私も薬師なんだが」
「アッ、そうなんですね! 僕もなんです!」
「うん、そうだろうね。それでね、あんな薬は初めて見たものだから、話を聞かせて欲しいと思ったんだ。アレは、一体どういう薬なんだい?」
どう、と、言われても。
ルカーシュは困ってしまった。実家にあった本を読んでマスターしたものである。あの本を読んだなら、きっと誰だって作れるはずなのだ。因みにあの薬は、具合が悪いものの何が原因か分からない時に飲むと、なんだか分からないけど取り敢えず快方に向かう、と、言う薬だった。
聞いた男性は、頭を抱えた。
果たしてそれは、薬だろうか。全然別の、ヤベェ代物ではないだろうか。何故なら、聞いたことが無いのだ。それはそうである。子供向けの本に書いてあった、嘘っぱち魔法薬である。実在しないし、もし作れたとしても、効果はない筈なのだ。でも、現実はこれである。
「副作用はないのかね?」
「さあ?」
さあ!? 事も無げにルカーシュが発した一言に、男性は驚愕していた。普通薬師たるもの、作った薬には責任を持つものだと思っているのだ。それが、さあ、の、一言である。いや、絶対あるだろ。そんな、具合が悪い時に飲めば取り敢えず調子がよくなる、等と言う都合のいい薬、副作用の一つや二つ、いや、十はないとおかしい。この規格外の美人を前に、男性は震えていた。この震えが一体何に由来しているのかは定かではない。怒りか、それとも、恐怖か。ただ一つ言えることは、放置したら絶対にマズイ。これである。
「その、私は薬師なんだが」
「アッ、そうなんですね! 僕もなんです!」
時が戻ったかと錯覚するほど、同じセリフが返って来た。だが男性は立ち止らなかったのだ。この美人薬師ならぬ化け物に対峙せんと、進んだのである。
「実は、後継者を探していてね」
「そうなんですね」
咄嗟に出た言葉とは言え、強ち嘘でもなかった。薬師として修練を積んできた。そろそろこの技を次の世代へと伝えたい思いはずっとあったのだ。ただ、薬師と言うのは、いそうでいない。この、理解不能な美人と会ったのは、きっと何某かの縁である。そんな風に思ったのだ。特に、思想は兎も角として、実力はあるに違いない。規格外の薬を作って、初対面の人間に飲ませて放置するメンタルの強さもある。全く褒めてはいない。
「初対面なのに、こんな事を言われては、信じられない思いもあるだろうが、君さえよければ、私の跡を継いでもらえないだろうか」
「えっ」
「勿論、君にも事情や目的があるだろうから、無理は言えないが……」
「どうしようテオドア」
提案され、自分で考える前にまず人を頼った。ルカーシュはこういう質である。
「お前の好きにすればいいさ」
「でも、僕、一人じゃ何もできないよ」
「何言ってんだ。オレがお前から離れるわけねえだろ」
「テオドア……」
「えっ、どう言う事?」
思わず素でツッコんだ。二対の視線が向く。見られても困る。聞きたいのは此方である。
「あの、彼は僕の幼馴染で、僕たち、魔王を倒すために旅に出たんです」
「へーがんばってね」
全然感情が籠らない声が出てしまった。魔王を倒す? 寝言は寝て言えである。例えこのテオドアなる剣士が異常なまでに強くても、薬師は邪魔である。足手纏い。寧ろ荷物。荷物運びにもならない。荷物そのものである。
「でも、止めて、この街に永住しようと思ってんだ」
「成程渡りに船だ」
男性が復活した。魔王を倒す等とふざけた夢物語を本気で語るヤバい二人組でなくてよかった。因みに、薬師の方が本気だったとは夢にも思っていない。
「それで、この街で、薬を売って生計を立てようとしたんですけど、販売許可証を持ってなくて」
「それはそうだろうね。実績がないと、申請すら出来ないよ」
「マジ? 結局無理じゃん」
テオドアが顔を顰めて言った。だが、当然の事である。そう簡単に販売許可など出せるはずがない。外から来た人間が何をするか分かったものではないのだ。悪い物を売り捌く可能性とて大いにある。制限するのは当然だった。先ず、街に住むところから、スタートしなければいけないのだ。
「だが安心するといい。私が持っているから、君の作った薬を、私の店で売ればいい」
但し、効果がきちんと把握できている真面なものに限る。当然の注釈を内心で付け足した。言う必要はなかった。判断するのは此方である。
「あの、本当にお世話になってもいいんですか」
「勿論だとも。今我々の間には、何の信頼関係もない。だがそれは、これから築いていけばいい」
「安心しろルカ。このオッサンが裏切ったら、生まれてきたことを後悔させてやるから」
いい台詞を言った後の酷いオチだった。しかも真顔。本気でしかない。
「君、職業殺し屋か何か?」
「剣士だが」
ごく平然と返されたが、言動が賊のそれ。
「成程、家業が殺し屋かな」
「猟師だが」
「殺し屋の暗喩かな」
「あの、テオドアのご両親は本当に魔物しか狩らないんです……」
「魔物とは、殺害対象者の暗喩かな」
絶対に信じない心構えを見せつけたのだった。こんな一般人が居たら嫌なので。若しくは人間を魔物の類に見ている可能性がある。騎士様、こいつです。早くしょっ引いて欲しいタイプの危険人物。半眼で幼馴染を見遣る様を目にし、焦ったルカーシュが口を開いた。
「あの、こう見えて優しいんです……」
君にはそうなんだろうね、君には。口に出すと面倒な事になりそうだったので、内心で言うに止めたのだった。正解である。
「一先ず立ち話も終わりにして、我が家へ案内しようと思うのだがどうかな」
「オレはチマリィ茶が好きだ」
「まだ出してもないどころか、出す気もない茶の要望を口にされたのは初めてだよ」
「僕は、セッビワ茶が好きです」
「一々友人に合わせなくていいんだよ」
厄介な二人組に声をかけてしまった。男性は大いに悔やんでいる。そもそも、片方にだけ話しかけたつもりなのに、危険な方が口を挟んでくるから悪い。保護者かってくらい割り込んでくる。尤もテオドア本人に言わせれば、保護者ではなく伴侶である。誰も認めていないが。