一話 ルカーシュは、駄目よ
とうとうこの日が来たか。
その時胸に到来した思いは安堵であり、寂しさでもあった。予期していた事でありながら、衝撃も受けていたのだ。扉の外で、ルカーシュはそっと、瞼を伏せた。開けることが出来なかった宿屋の扉の隙間からは、微かに光が漏れている。その向こうにいる人間を知っている。彼の幼馴染、テオドアだ。その他に、女性が三名。この不安定な世界で、ルカーシュはテオドアと共に旅に出た。それは、魔王を倒す旅だ。何とも壮大で、夢があって、だが、成し遂げるには犠牲と大いなる力が必要になる。そんな、旅だった。ルカーシュには分かっていた。自分がいていい場所ではないと。ルカーシュは薬師である。薬効のある植物に魔力を注いで、薬を作るのが役目だ。それは傷を癒したり、病を軽くしたり、便利と言えば便利だが、その任を担うのは別にルカーシュでなくとも構わなかった。何故なら、街へ行けば売っているのである。つまり、旅に同行させる必要はないのだ。
ルカーシュが旅に出た理由は一つ。幼馴染のテオドアが誘ってくれたからである。引っ込み思案で籠って本ばかり読んでいたルカーシュを外に連れ出してくれるのは、いつだってテオドアだった。いや、テオドアしかいなかったのだ。他の子どもたちは誰も、優しく接してくれなかった。その理由は今も分からないままだ。何か己に原因がある事は分かるのだが、他でもない幼馴染が、ルカーシュはそのままでいいのだと肯定してくれる。だから甘えてここまで来てしまった。
それももう終わりだ。
最初は二人だった。男二人の度は楽しくて、でも、不便だった。戦える人間が一人しかいないのだ。敵を屠る事と、味方を守る事。その二つを同時に熟すのは、容易い事ではない。ルカーシュは戦えない。薬を調合する以外の事は出来ないのだ。己が足手纏いだと気付いたのは、直ぐだった。いつもテオドアは傷を負っている。ルカーシュの薬で癒すことが出来るとは言え、効率がいいとは言えなかった。二人で、旅を続けるのは、無理だった。だから、人を増やした。他でもないテオドアが同性を断固として拒否したため、増えたメンバーは全員女性である。三名の女性は、それぞれが戦闘職で、明らかにルカーシュより強かった。ルカーシュは、己に自信がない。幾ら幼馴染のテオドアが否定し、カバーしてくれたとしても、自己肯定力が上がるわけではないのだ。だから、こうなる事は分かっていた。
パーティーは破綻したのだ。
扉越しではあるが、ハッキリと聞こえてしまった。
「ルカーシュは、駄目よ」
あの声の主は、戦士のアンネレだ。快活で、いつも自信に満ち溢れていた。ルカーシュにも優しくて、分け隔てなく接してくれた。テオドアと並んで魔物を倒す様は、余りにも息が合っていて、お似合いだった。そのアンネレが駄目だと言ったのだ。もう、ルカーシュは聞くことが出来なかった。
そうして、一人部屋に戻ったのだった。
きっと己は、パーティーから外されるだろう。一人になるのだ。でも、仕方がない。だって、役立たずなのだ。誰が見たってそうだ。今までは、優しさで見て見ない振りをしてくれていた。それがとうとう我慢できなくなった。そう言う事だ。もし本当に魔王を倒す気でいるならば、これからの旅路はもっと厳しくなる。薬師のルカーシュがついていける筈もないのだ。
明日、明日になったら、笑う。
さよならを言われても、ちゃんと、礼を言って、笑おう。
だから、今だけは、泣いてもいいかな。
ルカーシュは己の不甲斐なさに、目元を拭ったのだった。
因みに、ルカーシュ・ヴァベルカと言う人間は、基本的に運が悪い。こんな話を偶々耳にしてしまった事もそうだが、早々に去ってしまった事も悪かった。確かに、アンネレは、ルカーシュは駄目よとそう言った。しかし、続きがあったのだ。それを聞いてさえいれば、少しは気持ちが変わった筈なのだ。
まさか、ルカーシュ本人が扉の前に僅かな時間とは言えいたとも知らず、テオドアは尊大な態度で足を組み、ふんぞり返っていた。彼の前には、三人の女性。途中から加入したパーティーメンバーである。一応魔王を倒すと言う名目で揃った四人だった。本気で倒しに行くと思っていたのは、ルカーシュだけである。普通、そう言うのはお国の仕事である。剣士だろうと戦士だろうと魔法使いだろうと、一般市民がおいそれと挑むようなものではないのだ。だが、テオドアが魔王を倒すと言ったからルカーシュはそれを信じた。世間知らずの純粋培養。それが、ルカーシュ・ヴァベルカだったのだ。
「ルカに駄目な所なんてある筈ねえだろ。目腐ってんのか」
顔を顰めてテオドアは答えた。これが、アンネレの言った、ルカーシュは駄目よに対する答えなものだから、頭が痛い。聞いた三人が思い切り顔を顰めた。
「誰がルカーシュを批判してんのよ! それ以前の問題だっつってんの!」
「分かるように言えよ。頭悪いな」
「そろそろ殺してもいい?」
「抑えて、アンネレ。残念ながら未だ何も始まってないわ」
魔法使いのフリーダが止めたが、不承不承であることが窺えた。表情が険しい。同じように顔を顰めて、アンネレが続けた。
「嘘でしょ、もう気分はクライマックスだったわ」
「だったらもう、テオドアに火をつけて打ち上げるしかないじゃない」
「落ち着いて、フリーダ。あなたも大概よ」
最後に、弓使いのディアナがツッコんだ。どうにもこうにも、女性たちのテオドアへの不満は酷い物である。そう、ルカーシュではなく、テオドアへと不安を抱いているのだ。しかし何を言われても、テオドアの態度は変わらない。ただ、煙たがってはいる。反抗期の息子が母親に詰られている空気とほぼ同じだった。
「アンタ、ルカーシュの事どう思ってんの」
「愛してるが」
「ンなこと聞いてねえんだよ死ね!!」
とうとう、アンネレが叫んだ。声が響いたのか、テオドアが顔を顰める。他の二人の目は見える筈もない明後日の方向を見ていた。虚無を背負いながら。何が悲しくて、人への告白を聞かなければいけないのか。罰ゲームである。
「何が言いてえんだよ」
「可哀相だと思わないの?」
「お前が?」
「ルカーシュがだよ!!」
大声でツッコまれ、流石にテオドアも考える素振りを見せた。基本この剣士は脳筋なので、考えるのに向いていない上に、思った事を直ぐ口に出す悪癖があった。最悪の部類である。
「確かに、こんな薄汚ぇ世界に産み落とされて、可哀相だとは思うが……」
「何目線?」
最早親目線でもないし、率直に言って腹立たしかった。多少なりとも考えた結果がこれ。絶対的に話し合いに向かないタイプ。だがここは戦場ではない。荒野でもない。武器を持つ場ではない。よって、争いは話し合いで解決しなければならないのだ。
「あのさあ、ルカーシュは薬師じゃない? 旅には向かないんだって」
「そう、可哀相なのよ。いっつも怯えてるし、庇うと申し訳なさそうな顔するし」
「髪はさらっさらだし、肌も奇麗だし」
「そう、アタシもそれ思った。って言うか、聞いた」
「やっぱり? 私も聞いたわよ。何か、飲んだり付けたりしてるでしょって」
「そしたら、何もしてませんよ? って、言われたでしょ」
「そうなのよ! 教えてくんなかったのよ!」
「じゃあ、なんもしてねえんだろ」
テオドアが吐き捨てるようにツッコめば、三対の視線が向いた。しかも、今にも射殺さんとするかのような鋭さで。
「ンなわけねえんだよ! 野郎は黙ってろ!」
「ルカーシュだって野郎だろうが!」
「いや、あれは違う。あんな野郎がいて堪るかレベルでしょ」
「ホントについてんのか心配になるわ。ホントはこっち側じゃない?」
「ンなわけあるか! ついてるに決まってんだろ!」
「え、テオドア見たの?」
「見るだろ? あのよ、幼馴染なんだわ。ガキの頃から一緒なわけ」
「急にマウント取って来た?」
「って言うか、邪な目で見てんのに、風呂入るのアウトじゃない?」
「テオドア、性犯罪って知ってる?」
「見てるだけでなんで罪に問われんだよ」
「騎士様、こいつです」
「いや、ここは世の為人の為ルカーシュの為、アタシたちで討伐すべきじゃない?」
「ただ斃しても金になんないのよね……」
はあ、と、フリーダが溜息を吐いた。残念ながら一個人の息の根を止めるのは、討伐ではなく殺人である。普通に罪。性犯罪についてあれこれ言える立場ではないわけである。
このように、女性たちはルカーシュと言うよりも、テオドアへと不満を溜めていたのであった。つまり、もし最後まで聞いていたなら、あれ? 思ってたのと違うな? と、そうなったはずなのだ。まかり間違っても、暗い部屋の中、ベッドの中で頬を濡らす羽目にはならなかった筈なのである。ルカーシュは、運が悪いのだ。
「大体よ、旅止めてどうしろってんだよ」
話に乗る気はないと見せかけて、一応、理解はしていた。だから、不満げに問うたのだ。
「故郷に帰れば」
「それは駄目だ」
テオドアとルカーシュは幼馴染である。だから、故郷は同じだ。ディアナが言った事はそう特別な事ではなかった。旅に出るために、故郷を出た。じゃあ、旅が終わるなら? 帰る。普通の発想である。だがテオドアは、ハッキリと拒否したのである。
硬い表情で口を閉ざした男を見て、これは何かあるな、と、女性たちは察したのだ。
「何か危険でもあるの」
「ああ」
「命に係わる事?」
「ああ」
言葉少なにテオドアが肯定するものだから、女性たちが身構えた。テオドアは別として、ルカーシュの事は嫌っていないのだ。同じパーティーの仲間として、これでも苦楽を共にしてきた。もし助けが必要なら手を貸す、そう、思うくらいには心が通っていたのだ。
三人はじっと、テオドアの次の言葉を待ったのだ。
「……もし帰ったら、結婚しろって言われるだろ」
「やっぱ殺していい?」
間髪入れずにアンネレが呟いた。既に目が座っていた。フリーダが止めようかどうか思案している。いや、やはり止めよう。この男が死ぬのは良いとして、友人が殺人犯になるのはマズい。
「落ち着かなくてもいいしテオドアが死ぬのもいいんだけど殺すのは止めましょうアンネレ」
一息だった。テオドアは思った。こいつ、肺活量あるな。完全に部外者の感想である。
「って言うかもう、結婚すればいいじゃない」
「いいわけないだろ!!」
突然の大声に、女性たちが目を見開いた。今までで一番真に迫った声だった。
「もしルカーシュが女と結婚したら、オレは誰と結婚すりゃいいんだよ!!」
「お前は一生独身でいろそれが世界の為だよ」
「オレはルカと結婚するってガキの頃から決めてんだよ!!」
「ルカーシュの気持ち考えた事ある?」
「オレはルカーシュの事しか考えてない」
「ンな事は聞いてねえんだよ死ね!!」
アンネレの勢いの良い悪口を聞きながら、結婚イコール命に係わると思ってんだな、と、ディアナは思ったのだった。どうでもよくなってきていた。話が通じないので。薬師を旅に同行させるのは色んな意味で可哀相なので止めてあげようと言う女性陣と、何が何でもルカーシュと共にいなければいけないと言い切るテオドアの意見が交わる筈がなかったのである。つまり、ずっと平行線だった。最後まで、そうだったのだ。
表の通りで、犬が吠えた。逢引き中の人間に驚いたのか、それとも、大手を振って歩けない身の上の者がいたのか。夜はどんどんと深まっていく。色々な出来事を引き起こしながら。そして直ぐ、朝が来るのだ。