この腕の中の幸福を…… 2
それからロシュフォールの身体は少しも成長せずに、子供のままだった。侍医達はあれこれと手をつくし料理長なども苦心したが、ロシュフォールは薬を苦いとはき捨てて、料理もあれはきらいだ、これはきらいだ、お菓子が好きだとわがままほうだいの子供を装った。
いや、どうせ今日明日にでも、大人達の気まぐれで殺されるかもしれないのだ。だったら、好きなようにしてやる!というやけっぱちの気分だったのだ。
当然、家庭教師の勉強だってすっぽかしてやった。いや、周りの大人達はロシュフォールのそんなわがままの言いなりであったのだ。大人になれば殺される幼君に、立派な王となる教育など必要ないのだ。
王であるが子供ということで、ロシュフォールは政治から遠ざけられていた。大人達が勝手に決めることなど関心もなかった。
彼が十五になって成人の儀が執り行われたが、しかしロシュフォールは十歳の姿のままである。儀式は宮廷内で行われ、民への御披露目もなかった。
ロシュフォールは貴族以外の人前に姿を現さない。お高くとまった謎の王様として、人々に噂されるようになった。もしくは後宮に籠もり切りで、政治は大臣達に任せきりの怠惰な王とも。
実際は彼を大人にしようと、毎年、数人の愛妾が王宮にあがったが誰一人として関心も持たれず、幼君の姿をした、本当は成人している王に放置されている状態だったのだが。
そして、ロシュフォールがいつまでも子供の姿であることは、ギイ将軍と大臣達のあいだに徐々に軋轢を生むことなった。この幼君が、幼君の姿のままならば、大臣達は思うがままに政治を動かせる。ギイ将軍が王となれば、そうはいかないのだ。
そして、大人になったが子供の姿のロシュフォールが殺されもせずに二十歳となったときに、十三番目の愛妾が王宮にあがることになった。
王宮の噂などに関心はないが、それでも自然に耳に入ってくる。今回の姫君が銀狐で大層美しいこと。しかし、ぴくりとも表情を変えないその様は、氷の人形と呼ばれて、彼女を抱きしめた男は氷漬けにされるなんて、馬鹿馬鹿しい話まで。
しかし、新しい愛妾が絶世の美女だという話に一番ぴりぴりしていたのは、三番目の愛妾であり名門侯爵家の娘である、ドミニク・ド・モロゼックだった。
別にロシュフォールは彼女が気に入りではないが、名門の実家ゆえに、彼女は後宮にて一番の権勢を誇っていた。一番目と二番目の愛妾が失脚し、王宮から去ったのも彼女と、その取り巻きの隠謀からだ。
愛妾達がお互いを蹴落としあおうと、子供の姿のロシュフォールには関係ない。彼にとっては毎日がつまらない日々であり、いつか不要になれば周りの大人達の都合で自分は殺されるのだろう。
だから、ドミニクが新しい愛妾の御披露目の大広間にて、金切り声をあげてレティシアを糾弾するのも上の空で聞いていた。王だけは座ることを許された椅子で、足をぶらつかせて早く終わらないかな……とさえ思っていた。
「私、男ですから」
彼女ではない、彼が白い胸をいさぎよく?見せたとき、広間は異様な静けさにつつまれた。さすがのロシュフォールも目を丸くして見たほどだ。
なんとも気まずく、誰もがどうこの場を取り繕うべきか?そんな空気を打ち破ったのはギイ将軍と近衛隊の乱入であった。
幼君の元にて自分達の思うがままに政治を動かしたい大臣の態度に、ついに焦れたギイ将軍が王位簒奪の実力行使に出たのだ。
いよいよ終わりの時が来たのか?とわかっていながら、その恐怖にロシュフォールは震えた。そして逃げまどう家臣たちの誰一人も、自分の身を案じて守ろうとする者もいなかった。
自分はたった一人なのだ……とつくづく感じる。その孤独に押しつぶされそうになったときに、ひらりと自分を背にかばう蒼いドレス姿があった。
レティシアだ。今日の今日まで送られてきた肖像画も一瞥もせずに、無関心だった自分の十三番目の愛妾。
小枝のように細い彼女が毅然と雲を突くような大男のギイ将軍の前に立つのに、ロシュフォールは「殺されるぞ」と忠告した。
お飾りだけの王である自分を守っても意味はないと、だが、彼女はくるりとふりかえりきっぱりと言う。
「あなたが王だからです」
その蒼い瞳には一切の迷いも、強敵に立ち向かう恐怖もなく、ただ静かな凪いだ海のようだった。ロシュフォールの心臓にぽっ……と小さな炎が灯ったような気がした。
今度、身体がぶるりと震えたのはそれは恐怖からじゃない。
そう思っているあいだにも、レティシアは戦うのに不利だからとドレスを脱ぎ捨てて下着姿となる。それはたしかに真っ直ぐで脆弱な少年の身体で、目の前の屈強な将軍にとても敵うとは思えなかった。 ギイはレティシアを薄っぺらな盾だと、たとえた。ロシュフォールもそう思った。きっと彼など一撃で将軍に葬りさられてしまう。
だが、彼は強い力はなくとも、したたかに将軍と戦った。ロシュフォールを風の結界で守り、さらには己の身をていしてかばう。
彼の顔の左半分が血が染まったとき「レティシア」と名を叫んでいた。そして、その右半分の瞳が強い輝きを失っていないことに、ロシュフォールは息を呑んだ。彼は諦めていない。
実際、そうも言われた。自分の身体を盾にしろと、王である自分は生きることが役目だとも。
それはあの日の見えなかった母の姿に重なる。自分の隠れたチェストを身体でかばい、自分を守ろうとした。
いや違うとも同時に、レティシアの半分血で染まった顔を見つめて、ロシュフォールは思った。
彼は自分さえも諦めていない。まだ戦おうとしている。将軍の剣に傷つき、床に打ち据えられてなお立ち上がり、細い腕で重い剣を必死に構えて、最後の最後の瞬間まで抗うつもりだ。
ならば自分も諦めることなんて出来ない。いつか殺されると、すべて諦めていた。だけど、真っ直ぐ立つレティシアの姿に、それではいけないのだと思う。
そして、こちらに剣をふり下ろそうとする巨大な敵をロシュフォールは見る。
力が欲しい。