この腕の中の幸福を…… 1
金狐の美しい母は王の愛妾だった。
「ここに隠れていなさい。ロシュフォール。けして出てきてはダメよ!」
「母様!」
父王が危篤となったという知らせから三日後。愛妾である母は、王妃から見舞いにあがることも許されず、与えられた邸宅で待機していた。母の重苦しい雰囲気で、当時十歳だったロシュフォールもなんとなくの不安を感じていたのだ。
屋敷にいきなりやってきた兵士達。それは王妃の兄である大公の傭兵であった。ロシュフォールをとっさに衣装部屋のチェストの中に押し込めて、母は気丈にその兵士達と対峙した。
「子供はどこにいる!?」
「あの子は王宮に陛下のお見舞いに行きました」
「うそをつくな!陛下は二日も前にお亡くなりになられたわ!」
そんなやりとりが遠くで聞こえたと思ったら、ガタガタと音がして兵士達がこの部屋にやって来るのがわかった。チェストの上にどさりと誰かが身を投げ出す音も。
「そこか!そこを退け!」
「嫌です!死んでも退きません!」
「このっ!」
その瞬間に鼻をついた血の匂い。チェストのふたが開けられて、膝を抱えてうずくまったロシュフォールが見たのは、胸から血を流して床に倒れる母の姿だった。自分に突きつけられた兵士の血に染まった剣も見えなかった。
「いたぞ!」
「子供の死体をもっていけば、金貨千枚だ!」
そんな下劣な傭兵達の声もロシュフォールの怒りに火をともした。たった金貨千枚。それで母は殺されたというのか!
「お前らなんか消えてしまえ!」
晴れ渡った空から、ひと筋の稲妻が愛妾であるエグランティーヌ・ラ・ジル伯爵夫人の館に落ちたのはそのときだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
館を襲った兵士達は雷にうたれて全員死亡。たった一人だけ、王の遺児であるロシュフォール・ラ・ジルが、助かったのは奇跡とされた。
王妃派の反乱は失敗。王妃は北の離宮へと幽閉処分となり、彼女の兄の大公は反逆罪で処刑された。
この反乱をおさめたのは、武勇で知られ頭角を現し始めていた、ギイ・ドゥ・テデスキ公爵。亡くなった王の末の弟であるが、後ろ盾のない愛妾の子であったために、優秀ではあるが王位から最も遠い人物と言われていた。
このことで彼が玉座に座るかと思われたが、今回の反乱で唯一、生き残った先王の遺児であるロシュフォール・ラ・ジルが、齢十歳の幼君として即位した。
妾腹ではあるが彼は金髪に金の瞳の、王家の正しき正当な血を引く証である容姿をしていたからである。今回の反乱をおさめた英雄であるギイも、自分の兄の子であり、正当なる王の血筋たる子に遠慮したのだろうと人々は噂した。
十歳の幼君では当然、政務など出来るはずもないから、これも大貴族の大臣達や今回大将軍の地位を得たギイ・ドゥ・テデスキ公爵で支えていくこととなった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
王宮はどこもかしこも広くて綺麗でそして冷たかった。母と暮らした屋敷はこれよりも小さくてこぢんまりとしていたけれど、いかに彼女の温かさに満ちあふれていたか、母の手作りのレース編みの敷物一つまで思いだして、十歳のロシュフォールはその大きな瞳に涙をためたのだった。
陛下、陛下と猫なで声でまとわりつく、伯爵夫人やら子爵夫人やらの称号をもつ、女官達もわずらわしい。彼女達が自分達の娘がいかに美しいか、競い合うように自慢しあうのも、意味がわからない。
そこからのがれるように、ロシュフォールは広い庭の黄色い花が咲く、生け垣の下でうずくまっていた。まだ、この場所は近衛の護衛にも見つかっていない。
「しかし、よろしいのですか?」
そんな声が聞こえた。あれはふとっちょの財務大臣と、その先をゆく、見上げるような体躯を持つ男はギイ・ドゥ・テデスキ公爵だ。
「あんな子供を玉座に座らせずとも、直接あなた様が王になられても、誰も文句は言わないでしょう?」
あんな子供とは……自分のことだと、ロシュフォールは息をのむ。ギイは「まだ早い」と返す。
「先王の兄と同じ王の子でありながら、俺は玉座からもっとも遠いと言われていたのだぞ。それがいきなり王になったのでは、あまりにも露骨ではないか」
「たしかに、幽閉された王妃様にお子がなく、先王のいきなりの危篤も、その後の反乱もすべて我らの計算どおりだったと……余計な勘ぐりをされては困りますからな」
「こらこら、それほど露骨に言うではない。誰が聞いているかわからないからな」
そんなことをギイも返しながら「あの東方の薬はよく効いたな」とニヤリと笑う。「王宮の侍医さえ、兄上が突然の病から亡くなられたと診断した」と。
それではロシュフォールの父である先王は、この者達が毒殺したのか?と彼は生け垣で、小さな身体をさらに小さく丸めて震えた。それにはろくに口も訊いたこともないが、他の王子達が惨殺された反乱もこの男達のたくらみだったと?
「しばらくはあの子供の頭に王冠を載せておくとしよう。そのあいだに俺は王となる準備を固める」
「ですな。まあ、それも、あの方が成人なされるまでのことでしょう。大人になられれば色々とやっかいだ」
「哀れなものだな。いや慈悲か?汚れた大人の思惑などわからず、一度は王となって死ねるのだからな」
「王統の系譜には幼君としてなにも成さずとも、お名前は残りますからなぁ」
恐ろしいことを口にしながら、男達は去っていった。
大人になったら自分は殺されるのだ……と、ロシュフォールは、うずくまりただ震えることしかできなかった。