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第五話 休戦とお召し替え




 皇太子の執務室。

 母大公の言葉にランベールはその眉間にしわを寄せた。


「シエナに一時休戦を申し入れたと?」

「ええ、一月。気の短い若者ならば長すぎると思うでしょうが、何年も潜伏していた暗殺者にとっては、それぐらい耐えられない期間ではないでしょう」


 そしてレティシアは戸惑うシエナに言ったのだ。

 「暗殺のことは考えず、一月、あなたなりの過ごし方をすればいいのです」と。

 自分なりの過ごし方。そのことをシエナはひどく難しい課題が出たとばかりに、考え込んでいた。


「一月などあっという間ですが、そのあいだにあなたはあの子に色々な世界を見せてあげればいいのです。あまり高額なのは感心しませんが、贈りたい物もあるでしょうし、市街に出るのもいいですし、馬での遠乗り、観劇、したい場所、見せたいものはいくらでもあるでしょう?」


 レティシアの言葉にランベールは眉間にしわを寄せたまま考え込んでいる。「気に入りませんか?」とレティシアが問えば。


「いいえ。それを俺が考えついてシエナに言いたかっただけです」

「あなたからの休戦の申し入れに、あの可愛い暗殺者が容易にうなずくとは思いませんが」


 「かなりの頑固者とみました」とレティシアが微笑むのに「そのとおりですよ」とランベールは苦笑する。


「朝は、いくらでも寝てて良い身分となったのに、必ず俺と一緒に起きて朝食を食べて、それから図書室に向かって……本当に規則正しい」

「本は世界を広げてくれます。遠い街、過去にさえ連れて行ってくれる。ですが、実際、見聞きすることで知る事が出来ることもある。あなたも見せたいものを見せてあげなさい」

「ありがとうございます、母上」


「そのお礼は一ヶ月後になさい。また顔面にナイフを投げられないように、努力するのはあなたですよ」

「父上は一月で母上を口説き落としたのでしたっけ?」

「あれは泣き落としというのですよ。私は根負けしただけです」


 父にたいしては変わらず意地っ張りな母の言葉に、ランベールは苦笑したのだった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 自分らしさとはなんだろう?

 そんなこと考えたこともなかった。

 ただ、命じられること求められる姿を暗示で動いていただけだった。

 好きなことを自由に……なんて難しい。


 本を読む手はすっかり止まって中庭でずっと考えこんでいたら、侍従に「そろそろ中へ」とうながされて部屋に戻るために立ち上がった。


 中庭の真ん中にある噴水の前を通り過ぎるときに、揺れる水面に映る自分の姿を見た。男の服を着た自分をまじまじと見てしまい、少し離れた場所で立って待っている侍従に気付いて、慌てて早足でそばに寄った。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 好きなことなんてわからない。

 ただ、暗示が必要なくなったからといって、いままでの生活をすべて手放す必要があるのか?と。

 そう思ったのだ。






 誰かが帰宅したときは「おかえりなさい」というものだ。だから、戻ってきたランベールにそう言ったら、彼は目を丸くしてまじまじと自分を見た。


「なにか、わたしにおかしいところがある?」


 わたしと口にして、やっぱりしっくりくると思った。俺は意識的に使わなければならなかったけれど、暗示でもなんでもなく、ずっと自分はこうだった。


「いや、そのドレス良く似合っている」

「そう」


 部屋に戻って侍従に着替えたいと要望を伝えた。シエナとしては、あの小さな家で暮らしていたとおり市井の娘の姿でよかったのだけど「この後宮で、あなた様のお立場ならば、それは相応しくありません」と侍従長に柔らかく言われた。

 すぐに呼ばれたメイドに手伝ってもらって、淡い黄色のドレスに着替えた。黒髪も複雑に編み込まれて、リボンの色もドレスにあわせた金色だ。


「しかし、どうして服を?」

「わたしはずっとスカートだったから、どうしてズボンを履かなければならないのか?と思った」


 暗示する必要はもう無くなったけれど、だからといって男の姿をしなければならないのか?と。

 噴水に映った自分の姿に違和感を覚えれば、ズボンをはいていることにも落ち着かなくなった。

 ランベールが長椅子にちょこんと腰掛けて見上げるシエナを、じっと見下ろして見る。そして微笑んで。


「たしかにこちらのほうがシエナらしいな」

「…………」


 らしいとはなんだろう?とやっぱりよくわからなかった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 翌日。朝食をともにとっているとランベールから「部屋を用意させる」と言われてきょとんとした。


「以前から考えてはいたのだ。いつまでも俺の部屋に置いておいては、お前の立場は宙ぶらりんだ。居室を与えるべきだろうと」


 自分の立場とは目の前の皇太子を殺そうとした暗殺者だろうと思ったが。たしかにその暗殺者を自分の部屋に置いておく皇太子というのも変わっている。


「どこ?地下牢か?」


 この遊びにも飽きたのか?とシエナは思って、暗殺者の行く先として当然の場所を聞いたのだが、ランベールはとたん顔をしかめた。


「今日の姿も美しく愛らしい。白いブラウスに青いスカートが清楚で、シエナにはとてもよく似合っている」


 しかめ面でなぜいきなり自分の姿を褒め出すのだと、シエナは朝食のあとの香りの高い茶を飲みながら思う。


 昼間の服装ということで、ドレスではなくブラウスに長いスカートの姿にシエナは着替えていた。

 なにが言いたいのか?とシエナはじっとランベールを黒い大きな瞳で見つめると、彼は続けて口を開いた。


「お前の部屋はこの隣だ。ずっと使われていなかったが、常に整えられていたから、すぐに移ることができる」

「もう一つ言えば、俺の寝室とお前の寝室は扉一枚で繋がっているから、どちらの寝台でやすんでもいい」


 なんで寝室が扉で繋がっている必要がある?とシエナが首をかしげれば、ランベールはさらに言った。


「皇太子妃の部屋にお前を移す」




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 ランベールは皇太子であり、彼の使っている部屋は当然皇太子の居室で、その隣に皇太子妃の部屋があるのは、後宮の構造上よくわかる。

 そこになぜ自分が移されたのかは、とても疑問だが。


 謎だらけであるが好きに使える書斎が出来たのは嬉しいかもしれない。祭壇のような黄金に白の化粧台がある仕度部屋横の小部屋に猫足のかわいらしい文机が置かれて、そこに図書室から借りてきた本が置かれた。

 それに自分付きだというメイドを紹介された。コリーヌという、オレンジ色の耳にふわふわとした尻尾の猫族の娘だ。


 サロンに置かれた、寝椅子にゆったりともたれ掛かって本を読んでいると、彼女が傍らにひざまづいて「御手のお世話をさせていただいてよろしいですか?」と聞いてきた。

 こくりとうなずけば「失礼します」と両手の爪をきれいにととのえて、さらに花の香りがするクリームを丁寧にぬられた。


 シエナの手は、畑仕事や家事の手伝いで荒れているとはいわないまでも、当然なんの手入れもしたことがなかった。ピカピカの爪となった自分の手をまじまじと見れば「これから毎日お世話させていただきますね」とコリーヌが笑顔で言った。


 夕刻となりランベールが帰ってくる少し前。「お召し替えを」と言われて、きょとんとした。

 今、シエナが着ている服は昼間のものだから、晩餐にはドレスに着替えるのだと言われて、こくりとうなずいた。


 そして、衣装部屋からコリーヌが「どちらになさいますか?」と五着ものドレスを取り出してきたのに「こんなにたくさん……」とつぶやけば。


「昼間のお衣装も含めれば、あと三〇着ほどございますが、すべてのドレスをお見せしますか?」


 とコリーヌに言われてぶんぶんと首を振った。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 選んだのは淡い若葉の色のドレスに、白い花の髪飾り。「おかえりなさい」と出迎えれば、今日は驚くことなくランベールは目を細めて「似合っている」と微笑んだ。

 夕餉の卓を囲みながら、お召し替えのことを訊ねれば「ああ」とランベールはうなずく。


「貴婦人の習慣だ。もっとも我が後宮の主は母上で、ずっと男所帯だったから、シエナが来て復活したことになるな」


 男所帯という言葉と、あの美しい大公の姿がどうにもそぐわないのと、自分だって男なのだがとシエナは思う。ドレスは着ているけれど。


「もっとも、先々代の王の時代の後宮では、王妃も側室達も、日に四度着替えたと聞いている。朝のお召し物に昼のお召し物、晩餐のお召し物に、寝台に入るための夜のお召し物だ」

「それでは着替えるだけで一日が終わらないか?」

「確かに。それだけ王の寵愛を誰もが競っていたということだ。しかし、どんどん華美になっていけば、女達の衣装代も馬鹿にはならない」


 それで先王の代になってお召し替えは、晩餐のみと定められたという。


「それで三〇着もわたしの服は必要なのか?」


 あれから案内された衣装部屋にずらりと並んでいたドレスにシエナは、くらりとめまいがした。

 あの小さな家で慎ましやかに暮らしていたシエナの服は普段の着替えが三着に、晴れ着が一着あれば、十分に足りていた。

 なのに。


「いや三〇着では足りないだろう。昼と夜の着替えを考えれば、その倍はあとから納めさせるつもりだが」

「一月の休戦期間が終わればどうなるかわからないのに?」


 そんなに必要ないという意味と一月たてば、また暗殺を仕掛けてやるぞという、皮肉を込めて言ってやったのだが。


「日替わりで着替えれば無駄にならないだろう?」


 ニヤリと不敵に微笑まれた。まったく王侯貴族の金銭感覚というのはシエナの想像の外のようだ。


「それに休戦期間の無限の延長というのもありうる」

「なんだそれは」


 無限なんて、つまりそれはシエナがこの男を殺すことを諦めたということではないか。


「……殺すのを止めてどうするというんだ?」


 思わず口に出していた。この男を殺す目的以外、一体なにがあるのか?と。


「この後宮にずっといればいい。俺のそばに」

「なにをわからないことを」

「一月のあいだに見つけてみたらどうだ?俺を殺す以外になにをやりたいのか」

「…………」


 そんなの自分らしくと言われた以上に難しい。








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