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第三話 サランジェ、三大巨頭会議




 一度目はフォークを眼球に突き立てられそうなった。


 二度目は夕餉の席でちょっとからかったら、顔面にナイフが飛んできた。あれは、たぶん本気ではなかっただろうが、受けとめなければ眉間に突き刺さっていた。それぐらい正確であった。


 三度目は罠だった。扉をあけたとたんに目の前にどごんと落下したのは青銅の女神像だ。後頭部に直撃したら命が危うかった。普段なら扉を開けると同時に一歩を踏み込んでいたところだが、そのときは足が止まったのだ。扉の向こうで、かわいらしい黒狐がチッ!と舌打ちしていた。


 四度目は寝起きに枕を押しつけられた。さらにはその枕越しに己の顔にまたがって、全体重かけてきた。ふわんふわんと尻尾が胸元でくすぐったくも揺れる感触がした。

 ランベールは落ち着いて腹筋のみで身を起こして、ずるりと枕から滑り落ちた細い身体は、彼の膝へ。それでもなお枕を自分の顔に押しつけてくると、さすがに息が危なくなってきたので、枕をひき裂いたら羽が飛び散った。


 黒髪に白い羽が飛び散って、花嫁のヴェールのように見えた。

 本人曰く、すやすやと隣で寝ているのでむしゃくしゃして衝動的にやったそうで、これもたぶん殺すつもりはなかったようだ。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「……というわけで、とてもかわいらしいと思いませんか?」


 サランジェ王宮、王の執務室にて。大きな執務机越し、にこにこと報告する金獅子の皇太子に、似たような容姿の大王は背もたれの椅子に深く寄りかかったまま、引きつった顔になった。


「自分を殺そうとする相手が可愛いのか?」

「はい、それにとても生真面目なのです。暗殺を仕掛けると決めているのは一日一度らしく、繰り返し過ぎて慣れては不意打ちを狙えないと」


 「それで喜んでいるお前はどうかと思うぞ」ロシュフォールが口を開けば、ランベールの隣に立つレティシアが「陛下とて同じようなものだったでしょう」と口を開いた。


「どこが同じなんだ?」

「本物の愛を証明するとかおっしゃって、ひと月、床で寝るようなふざけたマネをなされたのは、どこのどなたですか?」

「ふざけていないし、俺は大真面目だ。そして、今でもこよなく愛しているぞ、我が妃よ」


 歳を経て苦み走った魅力が増した大王は、昔と変わることなく、目の前の銀狐の大公に愛を告げる。宮廷の貴婦人ならば、その姿を見るだけで頬を染めるという王の告白を前に、こちらもその美貌が寸分も衰えることのない氷の大公殿下はさらりと、それを無視して、横に立つ息子である皇太子に問いかける。


「それで暗殺者を自分の部屋に閉じこめて、どうするつもりなのですか?」

「閉じこめていませんよ。後宮内ならば自由に行動してよいと告げてありますし、最近は図書室に通っているようです」

「逃亡の可能性は?」

「ありませんよ。あるならとっくにしていますし、あれは俺を殺すまでは、俺のそばを離れません」


 ランベールがきっぱり言えばロシュフォールが思わずといった風に「愛の試練だな」とつぶやく。そんなとぼけたことを言いながらも、大王の表情は一転して険しいものとなる。


「本来ならば王族に刃を向けた者は、反逆罪として投獄、極刑が基本だぞ」

「そうですね。その前に誰が首謀者であったのか、唯一生き残った手がかりとして、拷問を用いての厳しい尋問もせねばなりません」


 ロシュフォールとレティシアの言葉にランベールは「処刑も投獄もさせません!」と叫ぶ。それにロシュフォールが「たしかに出来ぬな」とあきれたように言う。


「なにしろ暗殺されかけた皇太子が、暗殺犯を自分の部屋に連れ込んで、寵姫同然の扱いをしているのだからな」


 そのうえでランベールは己への暗殺未遂さえもみ消したのだ。警備についていた近衛達にも固く口止めをして、頬の傷さえ庭の枝でひっかいたなどと、嘘をついた。

 当然、この父と母には真実を隠し切れるなどとは、彼は思ってなかった。そもそも、自分の部屋に連れ込んだなによりの“証拠”があるのだから。


「そもそもあれはおそらく、俺の暗殺を命じた者が誰なのかさえ知らないでしょう。

 シエナがあの家にやってきたのは十歳のときだったと近所の者達の証言があります。老夫妻はさらにそれより五年以上前にあそこに移り住んできたのだと」


 そうして十年以上、あの老夫妻とシエナは近所の者達にカケラも疑われることなく、表面上はまったく善良で慎ましやかで穏やかな家族を演じてきたのだ。


「十年以上どころか二十年、三十年と潜伏し続ける密偵もいますから、そう珍しいことではありません」


 レティシアが口を開いた。当然サランジェでもそのような密偵を各国に潜伏させてはいる。「ですが」と氷の大公は続ける。


「一家全員が命を絶つというのは証拠隠滅にしても異様です。たとえその主に妄信的な忠誠を誓っているとしても、誰しも命は惜しいものです」


 危険ととなり合わせの諜報の仕事を長年やり遂げるには、組織への忠誠心もあるが、なにより多額の報酬と最終的に助かる脱出経路の確保があってこそだと、レティシアは続けて話す。

 それを最終的に全員死ぬなどとは「忠誠を通り越して、狂信的ですね」とも。

 ランベールは「確かに不気味でした」と苦い表情でうなずく。


「シエナがあの家に辿り着く前に、老夫妻は毒をあおって死んでいた。それはつまり俺の暗殺が成功しても失敗しても、結果を待たずに彼らは命を絶つように命じられていたということです」


 毒杯をあおった老人達、そしてシエナ自身もまるで己の意思がない操り人形のように、自分に刃を向けた。

 それを引き留めるためにランベールは、己への憎しみをあおり彼を繋ぎ止めたのだ。


「まだるっこしいな」


 そう言い放ったロシュフォールを二人が見る。椅子に深く沈んだままの王は組んでいた足を組み直して。


「潜伏に十年以上だ?そんな手間暇かけるより、金で雇える刺客などいくらでもいるだろう?数うち放てば、そのうち成功するかもしれんぞ」

「また、あなたは乱暴な……と言いたいとところですが、私もその意見に賛成ですね。刺客など金で雇えばいい」


 「もっとも、私はそんな不効率なことをしませんが」ともレティシアは続けた。この氷の参謀の持論として、暗殺というのは成功率がともかく低いということだった。要人ならば警護の者に常に囲まれているし、獅子族相手となれば毒殺も出来ず、さらには身体の能力も魔力も高い。


「暗殺者として育て上げ潜伏させて十数年の歳月をかけて、だた一度きりの使い捨てなど本当に効率が悪い」


 “使い捨て”という言葉にランベールの眉間にしわがよる。彼が問うより早く、レティシアが口を開いた。


「暗殺者は黒狐の男子。それが少女の姿をしていた。男だとわかれば、すなわち暗殺の失敗です。

 その前に相手を殺さなければならない刹那の存在ということでしょう?だから、暗殺が成功しようと失敗しようと、自死するように偽りの家族共々仕組まれていた」


 なるほど“使い捨て”だとランベールはぎりりと手の平に爪が食い込むほど拳を握りしめた。

 「それであなたはどうしたいのです?」とレティシアに問われて一瞬なんのことかわからなかった。


「暗殺者……いえ、シエナのことです。いつまでもあなたの部屋に置いておくわけにもいかないでしょう?

 その子をどうするつもりなのですか?」


 どうするとは?今はわからないとか、暗殺の首謀者を突き止めてからとか、ごまかすことは出来ただろう。

 しかし、先延ばしにしてどうするというのだ。ランベールのなかですでに結論は出ていた。


「妃にします」

「それは愛妾ということですか?」

「いいえ、俺はあれをただ一人の伴侶にしたいと思ってます。正妃として迎えます」


 「暗殺者をか?」とロシュフォールがひと言、むうっと黙りこんだ。レティシアの視線を受けて、再び口を開く。


「普通なら考えられん。暗殺者だぞ。そもそも身分がというところだがな」

「暗殺事件などありませんでした。身分など俺は気にしません」


 暗殺事件はランベールがもみ消した。身分などくそ食らえである。それにロシュフォールがあごに手を当ててうなる。


「身分のことは……そもそも俺も言える立場でもないからな」


 王妃となる資格のない辺境伯の庶子。しかも男を王妃同然の大公として迎えたのは、ロシュフォールである。


「レティシア、お前の意見は?」

「あなたが言えないのに、私が言えると思いますか?あなたに周りを固められて仕方なかったとはいえ、大公の位を受けたのですから」


 「なんだ、そのいやいや受け取ったような言い方は」とロシュフォールはむうっとしている。

 ランベールも母から聞いていた。玉座の間で宣言されては、無かったことにも出来なかったと。しかも、そのとき母は自分達を身籠もっていたのだから。


 あくまで冷徹な母としては、自分は側室でも構わないと思っていたらしい。曰く「政略結婚の駒が一つ無くなったようなものですから」らしい。父が聞いたら泣きそうというより、実際、口にしたら母をぎゅうぎゅう抱きしめたまま、怒り嘆き大変だったらしい。


 とはいえ母も「まあ、結局、陛下の我が儘を許してしまった、私も私ですから」とひどく幸せそうに微笑んでいたので、結局、母だって父に他の相手など勧められなかっただろうことはわかる。


「しかし、お妃選びの舞踏会で踊った黒狐の“娘”はどうする?あの夜のことは未だ宮中の噂になっているのだぞ」


 ロシュフォールの問いにランベールは「そんなこと」と返す。


「母上の例があるのです。男なのに実は女として育てられましたなんて、別に言い訳もしなくていいでしょう?」

「……そうだな」


 偉大なる前例がランベールの横に涼やかに立っているのだ。愛妾の御披露目の席で、実は男でしたと真っ平らな胸を見せた、銀狐が。

 その母大公はあくまで冷静に「身分もどこかの貴族か他国の王族の養子にしてもらえば、どうとでもなります」と続けて。


「しかし、一番肝心なことをあなたは忘れていますよ、ランベール」

「なんですか?母上」

「相手の気持ちです。シエナはあなたのことをどう思っているのですか?」

「……毎日殺したいほど憎んでいますね」


 そう植え付けたのは自分だ。

 どうやら道のりはかなり遠いようだ。






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