金獅子の王子と林檎姫 その2
サランジェ宮殿の奥にある後宮。とは今は名ばかりの王の家族の空間だ。
あまたいた側室達は今は一人もおらず、ここに暮らすのは王と王の家族だけ。現在は、ロシュフォール王とその配偶者である大公レティシアに、そして皇太子であるランベールだ。
広大な後宮の部屋の大半は使われておらず、使用人達による清掃は行き届いている。使わないならと取り壊しの話も出ないのは、その費用もまたかかるからだ。王の参謀の「将来はまた必要になるかもしれません」と現実的な言葉もあった。
自分が王の最愛であることも、ロシュフォールが他の側室を娶ることもないとレティシアは承知している。が、母が本来は冷徹な現実主義者であることをランベールはわかっている。
王の役目の一つに血の存続というものがある。だからこその側室制度であるし母の言う“将来必要になる”とはランベールの代からかもしれないのだ。
「俺は別に父上やミシェルのように、運命の出会いなんて求めてませんし、そう簡単にあるとは思いませんけどね」
「浪漫家の陛下が聞いたら、思いきり反論しそうな言葉ですが、私もそう思います」
後宮の王家の家族の居室。その明るい居間は昔から家族が集う場所であった。今は元気なミシェルが抜けて少し静かで少し寂しい……と感じていたのは、初めの数ヶ月だけで慣れたが、やはり思い出すとどこか欠けたような感じがする。
そのミシェルはすでに二児の母だ。長男は元気な銀狼で、長女はかわいらしい銀狐の姫で、贈られてきた肖像画に祖父であるロシュフォールが身もだえして、すぐにミシェルを里帰りさせて、母子共々ずっと……もといしばらくはこのサランジェにいればいいと、そんなことを言いだして、母であるレティシアにたしなめられていたことはいうまでもない。
「だいたい、父上と母上が劇的すぎますし、ミシェルもミシェルでしょう」
父を守る為に戦った母と、母を助けるために子供の姿から大人になった父。十歳の頃の出会いを忘れなかったミシェルに、そんな小さな子供との約束を馬鹿正直に守りに迎えにきた男……なんてだ。
「たしかにひと目会っただけで燃えあがる恋なんてものは、芝居や作り話の中だけのものですよ」
「それを母上に言われてもなぁ」
「私と陛下はおいておいて、世の中の長く連れ合った御夫婦などはたいがいそのようなものですよ。夜会やお茶会や、それこそそこらへんの道ばたで出会って感じた淡い想いが、やがては穏やかな家族にたいする愛情となる。
それでも十分に温かなものでしょう?」
「確かにそんなものかもしれませんね」
自分は夢想家ではない。妻にするならば、心安らげる相手であればいい。それだけだ。
ふと、数日前に出会った、あの林檎の君が思い出された。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
忍びのときはいつも、獅子の耳と尻尾を狼のものに偽装して出かける。
ただの遊びのための忍びではない。王宮にいるだけではわからない、市井の暮らしを知るためだ。
護衛のための従者を二人連れて……なのだが、それさえも時々、まいて一人で行動したくなる。あとで自分付きの近衛達に怒られるとしても、無性にそばに誰もおかずに自由になりたくなるのだ。
それこそ自分が偉大なる大王の息子で、氷の大公の息子であることも、皇太子であることも忘れて。
シエナと出会ったのも、そんな時だった。
「あ……」
「やあ」
林檎をカゴいっぱいに収穫して、今日もシエナはいた。王都郊外にある森の近く、小さな畑の脇に林檎の木が何本かはえている。
「このあいだは林檎をありがとう」と言えば彼女は頬を赤くして、ちょっと戸惑うように口を開いた。
「すっぱくありませんでしたか?あの林檎は本当はお菓子やジャムにいいんだと、お婆さまにあのあと教わって……」
「あ、そうだな少し酸味があったかな?」
あのあと馬上で行儀悪く丸かじりした真っ赤でこぶりな林檎はたしかに酸っぱかった。が、甘くなくともランベールの心はなぜか満たされていた。
「あ、あの、このあいだのお礼をあらためて、今日はあの林檎でパイを祖母が焼いてくれたんです」
「おじゃましていいのかな?」
「はい、よろこんで」
ランベールとシエナが出会った小路の先に、彼女の祖父と祖母が暮らす家があった。昔は騎士だったのだろう立ち居振る舞いの狼族の老人と、孫娘同様のつつましい市井の婦人の姿であるが、気品ある老夫人。
彼らの温かな家に招かれて、出された林檎のパイは美味しかった。自分を探しているだろう従者も気になるから、短いあいだではあったがなぜか寛いでいる自分がいた。
数日後、ランベールがおとずれた時もシエナは笑顔で出迎えてくれた。今度は林檎ではなく、小さな畑のいもの収穫を手伝った。
いままでは彼女の祖父がやっていたのだが、腰を痛めてしばらくは彼女ががんばってやっているのだと。
もちろんランベールは畑仕事なんて初めてである。彼女に言われるままに芋を掘り起こして抜いて、土で汚れたその顔に、二人して笑い合った。
そして、彼女と祖母が近くの小川で芋の水洗いをするあいだに、祖父がそっと近寄ってきた。
「お戯れならば、シエナがあなたの出会いを良きものだと思っている、今回限りにしてくださいませんか?」
言われて目を見開いた。「失礼ながら、あちらの木陰に護衛らしき方のお姿が」と言われて、やはりこの老人はどこかの騎士団に過去居たことがあるのだろうとランベールは思う。
その疑問に老人は答えるように「私は貧乏郷士の三男でしてな。ゲレオルクの小さな騎士団で騎士見習いから、なんとか騎士にまでなることが出来ました」と語る。
少しばかりの蓄えと妻をえて、故郷のサランジェに戻り、この王都郊外の畑付きの家で余生を送ってきたのだと。
「あの子の両親はもういません。私の上の兄の孫娘にあたりますが、身寄りがなく引き取ったのです」
「身寄りを無くした珍しくも美しい黒狐の娘が幼くして残されたら、どうなるかおわかりでしょう?」と言われて、ランベールの胸に苦いものが広がる。
王侯貴族の妻はすべて狐族であるが、それ故に身を落とした狐族の娘の末路は高級娼婦か、平民の金持ちの男の贅沢な持ち物のように囲われるか。
その老騎士に引き取られなければシエナはそうなっていたのだ。
「あの子の将来についてあてがない訳ではありません。嫁に欲しいという騎士の家もある。
ひとときのお楽しみならば、どうかあの子にとっても、素敵な騎士様に会えたという、夢は夢のままに」
祖父の言葉にランベールはなにも言えなかった。




