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金獅子の王子と林檎姫 その1




 切っ掛けは道に転がった林檎だった。


「ああ!」


 ひっくり返ったカゴから、ころころ転がり落ちるそれにかわいらしい声があがる。道に広がる真っ赤な林檎の海。

 ランベールは慌てて馬の足を止めた。馬は軽く竿立ちになり、踏み潰していないことにホッとして鞍から飛び降りる。


 そして、転がる林檎を拾い集める。相手が手にもっていたカゴに林檎をいれると「ありがとうございます、騎士様」という声に顔をあげて息を呑んだ。

 珍しい黒狐だ。黒い耳に黒いふわんとした尻尾。これも珍しい黒く真っ直ぐな髪を赤いリボンで後ろに一つにまとめている。黒髪の光沢は鏡のようだ。


 雪のような白い肌に、薔薇色のほお。今、手にしている林檎のような赤い唇。自分をじっと見上げる黒曜石に星屑を散らしたような大きな瞳。

 白いブラウスに赤いスカートにエプロンと白い靴下の足下は赤い木靴と、その姿は市井の娘ものだが、どんな姿でもひと目を引く可憐な愛らしさがあった。


「これで全部か?」

「はい、騎士様にこんなことさせてしまって、助かりました」


 「いや、構わない」と答えれば「これをお礼にもなりませんけど」と白いハンカチで持った林檎を差し出してきた。ハンカチのかどには若葉の小さな刺繍。


「これはカゴから落ちてませんので、よろしかったら」

「ああ、ありがとう」


 ハンカチごと受け取り、ランベールはひらりと馬にまたがり、ふと気付いたように訊ねた。


「俺はジル。君の名は?」

「シエナと申します。ジル様」


 林檎を手にランベールはその場をあとにした。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 ランベールは二十歳となっていた。金獅子の御子は、ますます父に姿形もその武勇も似て、昨年十九歳での初陣では見事にその任を果たした。

 それもタイテーニア女王国との海戦においてだ。陸戦を得意とするサランジェの海軍は陸軍に比べて貧相なものであったのだが、同盟国たるイーストスラントの海の民の力を得て、小競り合いとはいえ見事に勝利した。


 もともとは狭い海峡を挟んでの、漁師達の漁場争いから端を発したもので、女王国側も小さな戦にしがみついていては損害がひどくなるばかりと、あっさり引いたというのもあったが、それでも初陣における勝利は勝利だ。


 それもサランジェが苦手な海において、王子は初陣とは思えぬほど手堅い布陣で、損害もさほど出さずに勝利したために、母親譲りの知略も持たれていると人々は褒めそやした。

 サランジェ王家の純血を現す、金の巻き毛に金の瞳の金獅子の美貌に、父に背丈も幅もすっかり追いついてきた体躯。太陽のようにひと目を惹き付けるカリスマ性。


 ここに母大公の理知まで加わったのだと、二代目大王、いや、今度は賢王ともなられるのではないか?とサランジェ王国のみならず、周辺諸国でもこの若き星は注目の的であった。


 その完璧過ぎる皇太子には足りないものがひとつ。






「花嫁選びの舞踏会?そんなつまらないものを開く暇があるなら、他にやることがあるだろう?」


 皇太子の執務室。宮廷大臣の提案にランベールは顔をしかめた。初陣前から、徐々にだが彼には国の仕事が任されるようになっていた。外交に国防に地方行政、正直やるべきことも、学ぶべきこともたくさんある。


「しかし、ランベール様も御年二十歳。他国の王子ならば、とっくに皇太子妃をお迎えになられ、さらには側室もお持ちになられている方も……」

「他国は他国、うちはうちだ。まだまだ、そんな気は起きない」


 これはランベールが産まれた直後からすでに、諸外国の王女との婚約話が持ち込まれていたのだが、母であるレティシアがのらりくらりとかわしてきた事実がある。

 はっきり断るでもなく、期待を持たせておいて伸ばし伸ばしにする作戦だが、それも母曰く「どうもこちらの気が無いのが、最近分かってしまったようです」とまあ、ランベールに釣り合いが取れる適齢期の王女達は軒並み輿入れしている有様ではある。


 ならばと今度は国内の貴族達が色めきたった。通常ならば侯爵家以上の有力貴族あたりまでが、ぎりぎり王妃となれる身分ではある。

 が、現王ロシュフォールの事実上の王妃は、大公レティシア。雄の銀狐という特例はおいておいて、彼は辺境伯の妾腹だったのを、父が公爵の地位を与えてまで妃に迎えたという経緯がある。


 つまりは皇太子殿下のお眼鏡にかなったならば、うちの娘も皇太子妃に!?と末端の貴族達まで色めきたったのはいうまでもない。

 かくして宮廷で月に一度ほど開かれる、王立祭や季節の行事などの夜会で、着飾った娘達がやたら増えたうえに、機会があればランベールに近づこうと虎視眈々と狙っている。


 水面下で足をひっぱりあっているのがまるわかりの、若いというのに脂粉と香水の匂いもキツイ女達に辟易としているのに、このうえに花嫁選びの舞踏会を開けだと!?


「花嫁選びなどしている暇などない。それより、来週は各国大使とその夫人を招いてのお茶会のはずだぞ。その準備はどうした?」


 現在のランベールに任された外交の仕事を口にすれば、宮廷大臣は「そちらも着々と……」とその報告を口にしはじめた。






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