第八話 強行突破と雪煙とソリと狼たち その2
狼たちの引くソリで帝都から脱出してしばらくいくと、今度はトナカイのソリが待っていた。二人と従者達がそれに乗り換えれば、狼たちが周りを囲んで走り出す。
「追っ手はないようだな」と言うクリストフにミシェルは「帝国の皇帝はくせ者だけど頭はいいからね」と答えると、彼は眉を寄せる。
「ずいぶん親しくなったのだな」
「毎日、リンドホルムに帰してくれるように交渉してたんだもん。顔をつきあわせていれば、お互い知るようにはなるよ」
ミシエルの言葉にクリストフはとたん笑みを浮かべる。
「迎えが遅くなってすまない」
「ううん、必ず来てくれるって信じていたから……」
見つめ合い、口付けを交わしあう二人に、御者台にいる従者達は見てみないふりをし、併走する狼たちも心なしか目を反らしているようだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
懐かしい王城はすっかり雪景色で、その綺麗さに歓声をあげて、ほんの数ヶ月離れていただけだけど、思わず涙ぐんでクリストフにぽんぽんと頭を撫でられた。
ミシェルの不在は事情を知る上の者達はともかく、王城の使用人達には、サランジェに里帰りしていたということになっていた。みんなは温かく迎えてくれて、改めてここが自分の家なのだとミシェルはうれしくなった。
心配だった子供達の感冒だけど、こちらでは手洗いとうがいの習慣が徹底していたのと、発病者が出たとしても村々の末端まで配られた薬のおかげで、患者も増えず症状も軽くすんでいると聞いて安心した。
サウナで温まり身体を清めたあとは、温かな夕餉が並んでいた。肉団子のスープに、秋にたくさんとれる鮭をスモークしたもの、それを野菜とともに酢漬けに。
芋と小麦をまぜて作った皮に、タマネギとひき肉をいれて包んで蒸したもの。焼いた肉には潰した芋をかけるのがこちら流だ。ソースはコケモモのあまずっぱいもの。今日の肉は、鴨だった。
全部、ミシェルが好物なものばかりだった。懐かしい味に本当に帰ってきたんだと実感する。それはまだ凍る前の湖に浮かぶ城を見たときからだけど。
食後のデザートはこれもミシェルが大好きな、森でとれた色とりどりのベリーの砂糖煮を詰めたパイだった。あまずっぱくて美味しい。
そして、夜。
「本当に帰ってきたんだ」
「そればかりだな」
夫婦の寝室、いや、もとはクリストフの寝室なんだけど、一緒にずっと寝ているからミシェルの寝室にもなってしまった。
そこの寝台に懐くように寝っ転がって、ミシェルは今日何度目になるかわからない言葉を言っていた。
「だって、嬉しくてさ。やっぱりこの王城が僕達の家だよ」
「そうか、俺達の家か?」
「うん、ただいま、クリス」
「おかえり、ミシェ」
「クリスもお帰りなさいだね」と言えば「ああ、ただいま」と二人、自然に唇が重なっていた。
そして、何度も唇を重ね合わせるうちに、それは舌を絡める深いものとなる。クリストフの銀の髪をミシェルの細い指が切なくかき回す。
「すまない、今夜はミシェを休ませてやろうと思ったが」
「僕だってクリスが欲しいよ」
「ああ、俺も欲しくてたまらない」
また唇が重なる。そうして、ひたいに頬、鼻先に口付けの雨が降って、首筋へと吸われてチクリとした痛みに「あ……」と声をあげた。
そこから先はなんだか嵐みたいで、いつも丁寧なクリストフだけど、今日はそれを通り越して執拗だった。まるでミシェルの全身を確かめるみたいに、手首に痛くない程度にかしりと歯を立てられて、さらには足の指先にまで口づけられたのに息を呑んだ。
「今日の……クリス……へん……?」
ちょっと恐さを感じて訊ねればクリストフは、ミシェルの手を捕らえて、その手の平に唇を押し当てながら。
「君を疑っている訳じゃない。ただ、あの男にどうしようもなく腹を立てているんだ」
「それを君にぶつけるなんて……すまない」なんて苦しそう言う彼の頬を、ミシェルは力の入らない手でするりとなでた。
「いいよ、全部触れて……」
「ミシェは俺を甘やかすのが上手だな」
そこから先は……わからないぐらい溶け合った。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
早春を告げるスミレの花の咲く頃。
「施術師でも、自分のことはわからないんだよね」
ベッドに横たわったミシェルはどこか不満げで、それでいて嬉しそうだ。お腹に手を当てて、ニコニコしている。
胃の調子が数日悪く、これぞ施術師の不養生かな?と施術師長に診てもらったら、彼は顔色を変えて「おめでとうございます!」とさけんだのはつい先刻のこと。知らせを受けたクリストフがたちまちとんできて「別に病気じゃないよ」というミシェルの言葉を無視して、抱きあげられて寝台に運ばれてしまった。
ミシェルがクリストフの子を懐妊したという知らせは、王城にたちまち広がって、なんだか遠くから「万歳!」なんて狼騎士達の声が聞こえる。
次の日には王城どころか、城下の街の人々まで知るところとなり、王様と癒やしの殿下の御子様と、たちまち数日のお祭り状態になるのだけど。
その話は辺境の村々まで伝わって、翌春には王子のための小さな衣装がどっさり届き、ミシェルは喜ぶことになる。
「君はともかく、俺は城の者達に春に懐妊がわかって秋に生まれるなど、いかにもリンドホルムらしいとからかわれそうだな」
「そうなの?」
「まあ、長い冬に家に押し込められて、仲の良い夫婦ならば、巣ごもりするリスのように寄り添って当たり前だろう?」
要は長い冬にすることは一つということだ。「馬鹿」とミシェルは赤くなった。
秋には銀狼の王子の誕生に、国中がさらなる喜びに包まれたことはいうまでもない。
END




