この腕の中の幸福を…… 3
強敵と戦うための、強い風に吹かれてもなお、すくっと立つ白百合のような、この気高き花をかばえるだけの広い背を。
レティシアによって灯された胸の火が、ごおっと炎のなって燃えさかり、その熱が己の身体中に広がるのを感じた。そして、その白い手が握る剣を取ったのは無意識だ。もう怖くないと、ギイの前に立てば、彼は驚愕に目を見開いていた。
そして、相手の剣を撃ち砕き、切り捨てていたのは……自然に身体が動いていた。確かにロシュフォールは今まで剣一つ握ったことはない。それでも、内にある獅子の闘争の炎が彼を動かしていた。
その気迫のままに、ギイに従っていた近衛の騎士達にも「ひざまずけ」と命じていた。力で勝敗を決した自分に彼らは恭順の頭を垂れるが、それを見ることなくロシュフォールは後ろを振り返る。
「レティシア!」
そこには気高き姿が床にぐったりと倒れていた。顔半分からはいまだ血が流れ続けている。それはレティシアの命がこぼれ落ちているかのように、彼には見えた。
身体を抱きあげて、その軽さと薄さにゾッとした。こんな身で、あの巨躯に立ち向かい自分を守ろうとしたのか?
「侍医を呼べ」と命じて、取りあえずは動かさないほうがいいだろうと、大広間のとなりにある王族の控えのサロン、その寝椅子に横たえる。そこに侍従長がそっと近寄ってきた。そして彼が「おそれながら」と口を開く。
「レティシア様のお手当のあいだにお着替えを、陛下。そのままではいけません」
「あ、ああ」
急速に大きくなった身体。服は破れてたしかにこれでは、人としてどうか?という有様だ。それでもレティシアが気になるので、駆けつけた侍医の手当を見ながら、侍従達に着替えを手伝ってもらった。
ロシュフォールが王としての身支度を調えるのと、侍医が治癒魔法を唱え終えて、顔を上げるのと同時だった。
「傷口は塞がりました。全身の打撲もすっかり癒すことは出来ましたが、強力な魔力でつけられた傷を無くすことは出来ません」
片目は失明、顔には傷が残るだろうという言葉に、ロシュフォールは一瞬言葉を失った。
このサロンにいつまでもレティシアを横たえておくわけにはいかない。もっと休める場所がいいだろうと、侍従達が彼を運ぼうとするのを「俺がする」とロシュフォールは抱きあげた。
そのまま宮殿の奥、後宮がある場所へと向かう。
「レティシア様をどちらへ?」
少し後ろを行く侍従長が訊ねる。
「王妃の部屋へ」
当然後宮で一番広く良い部屋だ。それに王の居室の隣でもある。「はい」と戸惑った声をあげる侍従に。
「あの部屋は空いているだろう?」
子供の姿のままだったロシュフォールには、貴族達から献上された愛妾はいれど、王妃はおらず、先代が離宮へと幽閉されてからは、空のままだった。
そして、王妃の部屋の寝台にレティシアを自ら横たえて、ロシュフォールはその傍らに座った。その顔の左側は包帯に覆われていたいたしいのに、右半分の白い顔はほのかに輝くようで、これまでロシュフォールが見たなによりも、美しいものだった。
そして、敷布の上からその薄い胸に少し顔をふせれば、頭の上の耳がとくんとくんと、規則正しい鼓動をとらえる。レティシアが生きている証だ。
早く目を覚まして欲しいと、包帯のまかれていない白い頬、手の平で撫でてロシュフォールは立ち上がる。隣室の王妃のサロンへと出ると、侍従長が控えていた。その彼に宣言する。
「この後宮に居るすべての愛妾に暇をとらせろ。俺には不要のものだ」
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
メオン川、ゲレオルク国との国境。
レティシアの献策通り、近衛騎士団は叛逆に荷担した汚名返上の機会とばかり、騎士も兵士も死に物狂いで敵兵に突進した。
もとより、王を守る近衛は国軍のエリート部隊であり、その剣技も魔力も突出している。
「……いつか殺されると思っていた」
その彼らの奮戦を後ろから見つめながら、白馬にまたがったロシュフォールは口を開いた。隣で栗毛の馬に乗るレティシアが彼を見上げる。その片側の白い包帯が痛々しい。傷を隠すにしても包帯のままではいけないなと、ロシュフォールは思いながら。
「ギイの叔父公爵にだ。わかっていてあきらめていたのに、あのときの俺は震えて涙ぐんでいた」
「死ぬのが怖いのは生きている証です」
あくまで淡々と語る、己の参謀にロシュフォールはくすりと笑う。
「こうして人々が戦いあうのを見て、逃げたいと思うのもか?」
平静なふりをしているが、本物の戦を見るのはもちろん初めてだ。怒声が響き合い、空中で魔法が炸裂し武器を叩きつけ合う音に血の匂い。それにたじろぐのは当たり前といえたが。
「あなたは王です。逃げることは許されません。そこで見ていてください」
レティシアだってもちろん、戦を見るのは初めてだろうに、本当にこの参謀は氷というより、鋼鉄のような信念が、その細い身体に一本通っている。今回だって戦の同行は許したが、顔の傷もまだ完治してないから、後方の本陣にいろと言ったのに、出陣する王に参謀が着いていかなくてどうするのです……と栗毛の馬にさっさとまたがってしまった。
「さて、ここで見ているだけではつまらないな。王自ら戦えば、兵の士気はさらに上がるんじゃないか?」
「え?ちょっと待ってください!」
白馬の腹を蹴って、ロシュフォールは混戦の中に飛び込んだ。そして、雷をまとわせた大剣を一閃して、敵軍の兵士を蹴散らす。
「王、自らの御出陣だ!」
「おお、我らが王も戦っておられる!」
「親衛隊の働きをみられよ!!」
これには、王をお守りしなければ!という気持ちと、さらにその眼前で自らの奮戦ぶりを見て頂きたいと、サランジェの兵士達の元からの高い士気が、さらに天まで焦がす炎のように湧き上がる。
逆にゲレオルク国は「サランジェ王自らだと、馬鹿な!」と劣勢のところにさらにひるんで、逃げ出すのさえいる始末だ。が、「馬鹿!逃げるな!ここで王の首をとれば、形勢逆転だぞ!」とそうさけぶ者達もいる。
「まったく、あなたは王の自覚がおありですか!最前線に自ら飛び込む君主がどこにいますか!」
そんなことを珍しくも感情を露わにさけびながら、ロシュフォールの横には、いつのまにやらぴったりとレティシアがついていた。風の魔法で、王を狙って飛んでくる弓矢をふせぎ、さらにその身に合わせた細く軽い剣を軽やかに使い、自分達に追いすがろうとする敵兵の幾人かを斬り伏せていた。
あとで「王は蛮勇をふるうものではありません。二度とあんなことはしないでください!」と美しい参謀にぷりぷり怒られながら、これから幾度も喰らう最初の説教をかまされたことは、いうまでもない。




