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第13話 初夜

 慶二は平良さんを下がらせて、夕食は何が食べたいと訊いてきた。

 凄い。本当に「下がっていいぞ」とか言うんだな。王様みたい。


「何でも良いよ」


「何でも良いは、なしだ。ちゃんと自分の意見を言え」


「うぅん……」


 僕は迷う。


 小さい頃からガリ勉で帝央大学に入って、その大学で女の子に遊ばれて自信をなくした僕には、ご飯を食べに行くような友達は居なかった。

 いつも姉ちゃんと一緒で、何を食べるか、何処に行くかは、全部姉ちゃんが決めてくれた。


 悩んだ末、ぽつりと口にする。


「お蕎麦」


「蕎麦か。天ざるで良いか?」


「うん」


「平良。天ざるを二つ、とってくれ」


『畏まりました』


 壁のインターフォンのボタンを押して、平良さんと会話する。

 運転手兼ボディガード兼、執事さんみたいな感じなんだな。

 

「歩は、嘘吐きだ」


「え?」


 真顔が多い慶二だから、気付かなかったけど、不機嫌な声が上がる。

 平良さんに訊いたこと、まだ怒ってるのかな。


「お前が、身辺調査をするのは非常識だと言ったから、俺は歩から一つずつ訊いていこうと思ってた。なのにお前は、平良から俺のことを訊いていた。知りたいことがあれば、俺に直接訊けばいい」


 表情はあまり変わらなかったけど、傷付いたように一息吐いて、ソファに沈んで脚を組む。


「あ……」


 確かにそうだ。ほんの出来心だったけど、慶二の言ってることは、的を射てる。

 一言言えば何でも調べられる地位に居るのに、慶二は僕との約束を守ってくれた。それなのに、僕は。

 後悔して、声を詰らせながら、隣に寄り添って座る。


「慶二、ごめん。ごめんなさい。ホントだ、僕、嘘吐きだ……」


「悪いと思うなら、おかえりのキスをしてくれ」


「へ?」


 正面を向いていた視線が、眼球だけ動かして僕を見て、頬を人差し指でチョンチョンと示した。

 悪戯っぽい光がキラキラしてる。


「慶二……!」


 僕は不意をつかれて、真っ赤になった。恋愛において能動的になった事なんか、一度もない。


「おかえりと、仲直りのキスだ」


「う……」


「ほら、歩」


 押しに弱い僕は促されて、思いきって目を閉じ、慶二の精悍な頬にそっと口付けた。


「良いコだ、歩」


「許してくれる?」


「勿論」


「んっ」


 顎を取られて、今度は唇が触れ合う。角度を変えて、はむはむと柔らかく食まれるのが、何だか身体中が……何て言うか、きゅんきゅんする。

 唇が心臓になったみたいに、触れ合った所がドキドキした。


「んンッ……」


 ゆっくりとすり合わされて、声が裏返っちゃう。焦らすように舌がちょっとだけ入ってきて、唇の裏側をやわやわと舐められた。


「ん、は……」


 キスが気持ちいいって思ったの、慶二だけだ。

 もっとして欲しいなんて思ってしまうほど、慶二はじわりじわりと口付けを深くする。

 前歯の付け根の裏をチロチロとくすぐられると、涙が滲むような切なさに、思わず腕が上がって(うなじ)にかけた。


 後ろ頭に慶二の大きな掌がかかって、グイと唇が押し付けられる。

 その僅かな荒々しさに、鼓動が大きく跳ねた時だった。


 ――ピンポーン。


「……あ……」


 唇が離されて、僕はガッカリの吐息を漏らす。


「蕎麦がきた。続きは、食後にな」


 慶二は、そんなにガッカリしてないみたい。そうだよな。慶二くらい格好良くてお金も持ってたら、キスなんて数え切れないほどしてきただろうな。

 チクリと、創さんの言葉が棘のように心臓に刺さる。


『決まった相手を作らない代わり、金を握らせてはやりたい放題だった』


 だから、僕とのキスだって、中断されても何てことないのかな。

 ふわふわしてた心地から一転、鉛を飲んだように胸が重くなる。

 だけど僕は、濡れ犬みたいにぶるりと一つ、(かぶり)を振った。

 ううん。慶二は、僕との約束を守ってくれたじゃないか。僕も慶二を信じなきゃ。


 慶二が応対すると平良さんが入ってきて、ダイニングテーブルに大きなお盆を二つ、配膳してくれた。

 わっ。僕の知ってる天ざると違う!

 

 お蕎麦は太めで、色が濃く、薬味が何種類も小鉢に並ぶ。

 天ぷらは竹で編んだ籠の中に、見た事もない大きな海老天が二本と、五種類の野菜が入ってる。

 深い器と浅い器と、味のある陶器で出来たおつゆの醤油差しみたいなのが二種類あって、仕上げとばかり二膳の間に、赤くて大きい急須みたいなのがトンと置かれた。


「失礼致します」


「ご苦労」


 平良さんが出て行くと、僕は好奇心いっぱいの目でお膳を眺めた。


「これ、何てお蕎麦?」


「ん? 普通の蕎麦だが」


「慶二が普通でも、僕は普通じゃないんだよ」


「ああ……生蕎麦(きそば)だ。十割蕎麦ともいう」


「何それ?」


「一般的な蕎麦は小麦粉をつなぎとして使ってるらしいが、俺が食べるのは、蕎麦粉を十割、つまり全部蕎麦粉で作った蕎麦だ」


「へぇえ……!」


 ダイニングテーブルを見下ろして立ち尽くしてる僕を見て、座ってる慶二が笑った。


「まあ座ったらどうだ。正しい蕎麦の食べ方を、教えてやる」


「え、そんなのあるの?」


 僕が椅子に座ると、慶二が割り箸……じゃない、丸いフォルムの、最初から割れている箸を袋から出した。こんな所も違うんだ。


「まず、何もつけずに味わえ。基本だ」


「味しなくない?」


「良い蕎麦は、味がするんだ。騙されたと思って、食べてみろ」


 その言葉に、僕はちょっと怯む。騙されたと思って、と言われて騙され続けてきたからだ。


 慶二に(なら)って、お上品に一口分、箸で摘まんで口に運ぶ。音は立てても良いんだな。

 舌触りは普通の……僕がいつも食べる普通のお蕎麦よりザラッとしてて、噛み応えがあり最初は締めた水の味だけど、噛むごとにどんどん(かぐわ)しいお蕎麦の味が溢れてくる。

 

「何これ! 美味しい!」


「だろう。薬味は、一口ごとに蕎麦に乗せて食べるんだ」


 言いながら、慶二が器におつゆを入れてくれる。


「味が二種類あるの?」


「え? ああ……深い方が麺つゆで、浅い方が天つゆだ。麺は半分くらいだけつゆにつけて、一気にすすれ」


 一言一言を噛み締めて、順番に従って食べる。飲み込んでから、僕は満足の息を吐いた。


「美味しい! お蕎麦なんて味がないと思ってたから、つゆに泳がせて食べてたけど、こっちの方がずっと美味しい!」


 それから僕は、一口ごとにわあわあ言いながら、その未知の『天ざる』を食べた。

 天ぷらも衣がカリッとしてて、でも中身はプルプルで美味しかった。

 締めに、蕎麦湯というものを初めて飲んだ。残った麺つゆに注いで飲むと、お蕎麦と薬味の味が滲み出てて、何とも言えず美味しい飲み物になった。

 冷たいお蕎麦で冷えた胃が、蕎麦湯で温まるのを感じながら、僕はすっかり和んでいた。


「はー……幸せ」


 先に食べ終わって僕の顔を見ていた慶二が、噴き出した。


「歩は、安上がりだな。天ざるで幸せになれるなんて、羨ましい」


「え? こんなに美味しいのに、慶二は幸せじゃないの?」


「俺の幸せは……そうだな。さっきの続きかな」


 ポンと、顔が熱を持つ。つ、続きって……。


「今日は、初夜だ。優しく愛してやろう、歩」


 僕は何と言って良いか分からず、両掌で蕎麦湯の器を握って俯いた。


「平良。食べ終わった」


『畏まりました』


 インターフォン越しの声を聞くと、慶二はすぐに、ネクタイに人差し指をかけて解いた。

 立ち上がって、スーツのジャケットを脱いで肩に引っかけ、ワイシャツのボタンも外し出す。

 わ……慶二、着痩せするんだな。細いのに逞しい胸筋が、チラリと覗く。

 僕は何処を見たら良いか分からなくて、挙動不審に目を泳がせた。


「じゃあ歩、平良が来たら応対してくれ。俺は、先にシャワーを浴びてくる。平良が帰ったら、お前もシャワーを浴びるといい」


「う……うん」


 僕は震える声で、小さく答える。

 慶二は、寝室に入っていった。全部の部屋に、バストイレ付きなんだな。

 やがて平良さんがやってきて、お膳を下げていった。僕はお礼を言って、見送る。九十度の礼をして、自動ドアの向こうに平良さんは消えていった。


 しょ、初夜だ……。

 慶二とのキスは嫌じゃないし、優しくしてくれるって言ったから、男でも大丈夫かもしれない。

 男性に組み敷かれるのがトラウマだってことは、慶二との時間が心地良過ぎて、言う機会を逃してしまった。


 だ、大丈夫……きっと。

 僕は意を決して、服を脱いで自室のバスルームに入っていった。

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