おじいちゃん、決断する
時刻は午前三時。家族が寝静まる中、物音一つ立てずに布団から抜け出す。
ワシはこれから一人で魔王城へと向かう。昨日の晩、布団の中で何度も考えた末に決めた。
猪俣と三島は同じくらいの強さ。力は拮抗しており優劣をつけるのは難しいが、最奥の魔物にだって負けはせん。
しかし、三島は新しい装備を身に着けたにもかかわらず、大怪我を負いながらギリギリでアザミに勝利した。
その後に姿を見せた魔王の血縁――ビュリアンダルというヴォルデガーナ家の末弟を見て思った……二人にこれ以上の戦いは無理じゃろうと。
あやつらが弱いわけではなく、敵が単純に格上という話。ワシとて勝てるという保証はない。むしろ、三島や猪俣がおったほうが勝率はグンと上がるはず。
……じゃが、おそらく二人を死なせてしまう。仲間を守りながら戦えるほど魔王は甘い相手ではない。
命を懸けるのはワシだけで十分。もし負けたとしても次が控えておるからな。
力を見せてくれたから分かる。加藤は強かった。
ミチコ、郁美さん……それに、無限の可能性を持つ若い世代もいる。
あとは魔王の全力を引き出せるかどうか。配信を見てくれた誰かが糧としてくれたらそれでよい。後続のためにワシは戦う。
さて、腹が減っては戦はできぬ。
食べ物を漁りに台所へと向かう。
……聖子、お前というやつは。
冷蔵庫を開くと、ペットボトルのお茶と弁当が一つ。ばあさんの文字で、いってらっしゃいと書かれた小さなメモ用紙が添えてある。
ワシがこうすることを予想しておったのじゃろう。
これがあれば百人力じゃな。腰のポーチにしまう。
玄関の扉をそっと開き、外に出る。
薄暗い中にぼんやりと映る我が家を網膜にしっかりと焼き付けて、軽トラックに乗り込む。
キーを回すと、名残惜しそうなエンジンの音が響いた。
……ふぅと一呼吸。アクセルに置いた右足に力を込めていく。
動きだした四つの輪が砂利を踏む。水戸城跡に向けて、ゆっくりと車が走りだす。
寝起きだからじゃろうか。どこか宙に浮いた視線で自分を見るような気持ちが不思議じゃった。
道路はあまりに静かで、時間をすっ飛ばしたみたいにあっという間に目的地へ到着。車から降りてパジャマを脱ぐ。
まずは白い鎧を身に纏う。戦利品のアクセサリーを装備して、神玉の盾と加藤から貰った黒いショートソードを取りだす。
携帯のライトを頼りに、まだ視界が悪い水戸城跡の中を進んでいく。
そして、魔王城の近くで腰を下ろす。
携帯に保存された麻奈の動画や家族の写真を見ながらばあさんの弁当を食い、茶を啜る。
噛み締めれば噛み締めるほど、さっきまで自分の行動を他人事のように感じていた空っぽの心に熱い魂が宿っていく。
食べ終わるころに、ようやくいつものワシが戻ってきてくれた。
「まさかこのワシが自分を見失うとは。恐ろしい相手じゃわい……」
心を狂わされていた相手を思い、魔王城を睨みつける。
「えぇ……どうやるんじゃったか。ボタンを押して、アプリを起動して……」
麻奈に教わったことを脳みその中から探り当て、配信を開始した。
フロートカムが浮かび上がり、携帯電話に自分の姿が映る。
成功したようじゃな。
"おっすゲンジ! あれ、三島たちは?"
"うおっ、たまたま起きてた!"
"ジジイだからって朝早すぎやろw
"魔王だろうが加藤だろうが、ぶっ倒してくれ!"
"え、おじいちゃん一人? 大丈夫なの?"
こんな時間にもかかわらず、コメントの衆が集まってくれた。
あとで三島や猪俣に何を言われるか分からん。ワシなりのメッセージを残してやろうかのぉ。
「三島? 猪俣? あんな馬鹿どもいらんいらん。どうせギャーギャー騒ぐだけの役立たずじゃ。元々一人で戦ってきたワシには、この方が気楽なんじゃよ。だーっはっはっは!」
"待て待て、笑ってる場合じゃないやろwww"
"魔王ソロとかやばいっしょw"
"まあ、ゲンジなら余裕か"
"暴れ納豆! 暴れ納豆!"
さて、盛り上がってきおったな。
見知らぬ他人とはいえ、一緒に戦ってくれる仲間がいるというのは心強い。
応援してくれる皆の言葉がワシの背中を押してくれる。
ここで、カメラを操作してバックビューに変更した。
「コメントの衆よ、ワシに続け! レッツラゴーじゃ!」
拳を突き上げ、禍々しく渦巻く紫色のポータルに飛び込む。
景色がぐちゃぐちゃに揺れて、体が宙に浮かぶ。
「ハゲワシ様、お待ちしておりました」
聞き覚えのある声。
視界が戻ると、いつかの城の大広間みたいな場所に立っておった。
目の前で、裸電球がお辞儀している。
「お一人ですがよろしいので?」
「ワシの住む茨城という地に手を出した愚か者を懲らしめるだけじゃ。なんの問題もない」
悪いことをしたら叱られる。子供のときに誰もが理解する常識じゃ。
魔王の周りには、注意してくれる大人がいなかったのかもしれん。ワシが最初で最後のゲンコツをくれてやろう。
「……では、そろそろ。魔王様がお待ちです」
オットマンのつるりと丸い真っ白で大きな顔。その中に浮かぶお歯黒のバカデカい口がゆっくりと吊り上がり、ニヤッと歪む。
……そして、パチンと指を鳴らす。
目眩のような感覚とともに視界を奪われると、次の瞬間にはだだっ広い荒野が現れた。
「なんじゃここは!」
「こちら趣向を凝らしまして、ハゲワシ様を我々が住む魔界にご招待しました。……といっても、ダンジョンの中に再現しただけですのでご安心を」
雲一つない血のように赤い空。黒い月がこちらを覗く。
地面はカラカラに乾いてひび割れており、まばらに丈の短い紫色の雑草が生えている。
"地球とは別世界って感じだな"
"転生するにしてもここは嫌だわw"
"周りなーんもないね?"
肌で感じる空気は、悪霊でも出てきそうなほどにぬるくて気持ち悪い。
ここが魔界だと言われれば、そうじゃろうなと納得してしまう。
「至極の戦いをお楽しみください。巻き込まれたくありませんので、こちらはそろそろ失礼します。……魔王様がいらっしゃいました」
ワシの背後を指さすと、オットマンが消えた。
突如、全身の産毛が騒ぎ始め、皮膚が寒気を感じて鳥肌立つ。
死角に恐ろしい何かがいる。それがゆっくりと近づいてくる。
質量を持った邪悪な気配が体の中を通り抜けていく。恐怖が胃の中身を掻き回す。
とっさに振り返り、盾を構えて腰を落とした。
「群れるものかと思っていたが一人とは。……何か話すことはあるか?」
真っすぐ伸びた長い金髪の男が立っている。
背が高く、人間であれば二十歳かそこら。浮世離れした顔立ちのイケメンじゃ。
左右こめかみのあたりから生えた黒い角、怪しく光る切れ長でライムグリーンの瞳、血色の悪い灰色がかった白い肌。あれが魔王に違いない。
左手には棒の両端に長い刃がついた双刃剣。その真ん中を握っている。
右手の盾は巨大で、直立した状態でも体の半分を覆い隠すほど。
銀の意匠が施された黒い鎧に身を包み、全身から噴き出す闇のオーラが意思を持っておるかのように蠢く。
「スカしおって。茨城のスーパーアイドル、工藤源二の魅力に怯んだらしいのぉ。サインはそのいけ好かない顔に刻んでやるわい!」
あの目、ワシのことを虫か何かとでも思っとるんじゃろう。軽く踏み潰しにきましたと言わんばかりじゃ。
死ぬ前に遺言を残せ……か。なめた真似を。
"じいちゃんが一人? かーっ、あの魔王、俺らのこと知らんかー!"
"クソッ、ゲンジは顔で負けてるw"
"サポーターは十二人目の選手だぞ!"
"さーて、応援の力……見せてやりますかねぇ"
"魔王だかパオーンだか知らねえけど、底が知れたな。ゲンジ、あいつ雑魚だわw"
さてどうするか。
コメントの衆に貰った勢いのまま攻めてもよいが……。
「ほう、傷をつけると? 面白い。余の姿を見て腰を抜かさなかっただけでも褒美をやるに値する。少し遊んでやろう」
魔王の足元が爆ぜた。
刹那、ワシの目の前に現れる。
繰り出された双刃剣による突き。これにショートソードを下から叩きつけ、敵の方に撃ち払う。人間が出したとは思えないけたたましい金属音が響く。
魔王は手首を返し、体を半身にしながら後方の刃を横薙ぎに振り抜く。無防備になったワシの脇腹に刃が迫る。
間に盾を差し込み、斬撃を防ぐことには成功した。しかし、体の前に腕を回すような形では、力が入らない。
無理に受けたことで肩が外れそうになる。衝撃を殺しきれずに、後方へと弾き飛ばされてしまう。
「ぬおっ!」
スマッシュされたピンポン玉になった気分じゃ。
七十キロはあるワシの体が地面で跳ねて宙に浮かび、また叩きつけられて空を飛ぶ。
大型トラックに轢かれたとてこうはならん。
死んでもおかしくないダメージのはずなのに、痛みはそれほど感じない。冷静でいられるのは防具のおかげじゃろう。
"おじいちゃん!"
"大丈夫かゲンジ!"
"何が起きたか見えなかった……"
片手で二連撃とは、やっかいな武器じゃ。左手持ちなのもやりにくい。
それに、手首を捻っただけでこの威力……。
加藤との戦闘を経験しておいてよかった。
魔王の動きは、あのジジイの異常な速さに匹敵する。おかげでなんとか反応できとるわい。
「心配いらん! ピンピンしとるぞ!」
空中で身を翻し、体勢を整えながら着地。盾を地面に引っ掛けて、魔界の荒野を削り取りながらブレーキをかける。
そして、砂礫を巻き上げながらワシを追う魔王の姿を視界に捉えた。
防御より回避を優先すべきじゃな。
どうにか隙を作るしかない。
「余の一撃を受けて立ち上がるか! フハハハハ、久しぶりに楽しめそうだ!」
牙を剥きだしに、獣じみた笑みを浮かべる眼前の敵。双刃剣みたいな重くて扱いにくい武器を、よくもまあ自由自在に操れるもんじゃ。
魔王の後刃による顔面を狙った薙ぎ払い。首を引いてぎりぎりで躱すと、風圧で頬の皮膚が震える。
腕を戻しながらの前刃による胴撃ち。下をくぐり抜けることが難しい。こちらの攻めを封じる嫌らしい斬撃じゃ。後ろに飛ぶしかない。
防戦一方。手首を起点に繰り出される連続攻撃に対し、ワシはひたすらに回避を要求されてしまう。反撃の機会を貰えず、ただ空を切り続ける相手の刃を眺めておるだけ。
速く、強く、弱みも見せない。
このままでは、いずれまた攻撃を受けるじゃろう。
何か手を考えねば。一つでもあやつより秀でたところがあれば……。
「これじゃあ!」
魔王の突きを避けるついでにピョンと大きく距離を取り、漆黒のショートソードをポーチにしまう。代わりに鷲羽の剣を取り出した。
体は軽くなってしまうが、スピードは大きく上昇する。
魔王の一撃を恐れて下がり続けるくらいなら、こちらから攻めて逆転の一手を狙う。
「——シャアッ!」
装備によって底上げされた身体能力を活かし、後方に地面を蹴り飛ばす。
まるでスナイパーライフルの弾丸じゃ。今のワシは、加藤よりも速い。
魔王の左を通り抜け、すれ違いざまに下から斜めに振り抜いた鷲羽の斬撃をくれてやる。
「これは見事」
しかし、マタドールよろしく体を回転させながら防いでみせる魔王。不意を突いたはずなのに、ワシを褒める余裕まであるらしい。
遅れて生じた風の刃が、盾の表面でカキキと乾いた音を鳴らす。
攻守反転。一気に攻め込む。
重力を無視したフェイントをかけながら、右へ左へ敵を翻弄。やつが堪らず刃を振ったところに鷲羽の剣を叩き込む。
しかし、魔王は守りも堅い。生じた隙を補う盾のメリットを理解しておるようじゃ。なかなか攻撃が通らん。
体が空を切り、豪風が鼓膜を震わせる。
剣を振れば、悲しい風が敵の盾を撫でる。
徐々に相手もワシの動きに慣れてきたらしい。
カウンターぎみに合わせられた前刃で右の頬が裂け、浅く斬られた右脇腹から血が噴き出す。致命傷は避けておるが、体に小さな傷ばかり増えていく。
じゃが、ここで止まるわけにはいかない。皮膚も肉もくれてやる。
完璧に対応されたらそれこそ詰み。
前、前、前じゃ!
"痛覚ないのかよ! あんなに血だらけになって、なぜそこで前に出れるんだ!"
"やっと五分に持ち込んだんだもん。攻めるしかないんだよきっと"
"すげえ……やっぱ、俺たちの暴れ納豆はすげえよ……"
魔王の眼前に鋭く踏み込み、即座に後ろ飛び。ここで、魔王がワシの幻影を双刃剣で切り裂く。
読んでおった。間髪入れず前に出る。
「——ぬりゃっ!」
腹筋を収縮させることで体を丸めながら、細かくまとめた袈裟斬りを放つ。
右手に伝わる確かな手応え。ようやく当たってくれた。
このまま二撃目といきたいところじゃが、許してはくれんじゃろう。反撃を予感して、素早く飛び退く。
"なんだよその動き! ゴキブリかよ!"
"めちゃくちゃやりおるw"
"これ、どっちが魔王?w"
"まるで相手が何してくるか読んでたみたい"
"……ちょっと待って? じいちゃんの攻撃、当たったよな?"
ワシの一撃を食らったのは間違いない。
その後に続く風の刃もまた、何度も魔王を切り裂いていた。
しかし、ノーダメージ。あやつめ、涼しい顔をしておる。
「ふむ、これは驚いた。傷を付けられたのは初めてだ。ハゲワシというのは本当の名か? 貴様の名を知りたい」
魔王の金髪がはらりと落ちた。
ダメージはあったらしい。よく見れば、顎先に小さな紫色の線ができている。
「ワシは、茨城の暴れ納豆――工藤源二。またの名を、粘り勝ちの源二という! 冥途の土産に持っていけ!」
鷲羽の剣を前に突き出し、自らを鼓舞する。
そして、あやつのライムグリーンの瞳を真っすぐ睨みつける。
「余は魔王――バイス・デモニス・ヴォルデガーナである! ……工藤源二、覚えておくぞ。ここで殺すには惜しい男だが、少し力を見せるとするか」
魔王もまた、後刃を地面に叩きつけながら名乗りを上げる。
バイス・デモニス・ヴォルデガーナ……その大層な名前を表すかのように、やつを包み込む闇のオーラが膨れ上がっていく。
姿形は変わっておらんのに、存在感が何倍にも大きくなったかのようじゃ。
剣で斬ってもかすり傷。それがさらに強くなったときた。
脳みそを気合で騙しても、五臓六腑が逃げろ逃げろと騒いでおるわい。
ほっほっほ、盛り上がってきたのぉ。
「――【ヴァルバ】」
両手を広げた魔王の背後。立ち昇る漆黒の靄が真横に走る雷へと形を変え、ワシに襲いかかる。
躱す、躱す、躱す……。
思考を挟めば、撃ち抜かれてしまう。高められた反射神経のみが体を動かす。
一発通り過ぎるたび、ムチで虚空を叩いたときに似た炸裂音が鳴り響く。
なんとか近づいて剣を振るも、闇の稲光は止まらない。
そのくせ、魔王は好き放題に双刃剣を操り、盾でガードしてきよる。
どうしたら……。
考えることが死に繋がるとは。
ほんの一瞬だけ足を止めてしもうた。
時が仕事を投げ出したのか、目で追うのも難しかった漆黒の雷がゆっくり迫ってくる。
……これを受ければ、ワシは終わりじゃ。
「――【パイア】!」
気づけば勝手に叫んでおった。
体から何かが抜け落ちると、目の前に発生した炎の渦がゴォと音を立てながら闇を飲み込む。
そのまま巨大な火球となり、ヴァルバを超える速度で飛んでいく。
さすがのやつも、避けることはできなかったらしい。咄嗟に盾で身を守った魔王にパイアが襲い掛かる。
目が眩むほどの光。
バイス・デモニス・ヴォルデガーナを包み込んだ火柱が、血色の空まで焼き尽くすかのように立ち昇った。
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