おじいちゃん、アクアワールドへ行く
昨日は魔王城から猪俣に送ってもらい、軽トラに乗り換えて家に戻った。
寝て起きたらもう昼過ぎ。腹の虫が、さっさと胃袋を婆さんの飯で埋め尽くせと騒いでおるわい。
「なんだ親父、もう起きたのか? 今日くらいもっと寝とけよ」
「……和樹、お前という奴は。年寄りの睡眠は、五時間が限界じゃ! それ以上寝ろとは、死ねと言うとるのと同じじゃぞ!」
まず顔を合わせたのは息子の和樹。呆れた表情を浮かべ、はいはいそうですかと去っていく。
あやつの格好……ベージュのパンツに白いシャツ、黒のジャケットを羽織り、短い髪がふんわりと整えられている。
どこかへ出かけるつもりじゃろうか?
「おじいちゃんおはよー! みんなでお城の映像を見たんだけど、すごかったー!」
「ほっほっほ、そうかそうか。麻奈は今日もお姫様みたいじゃのぉ」
可愛らしい天使が、ひょっこりと顔を覗かせた。
千枝さんに結んでもらったのか、頭の高いところに尻尾を生やし、今日も大好きな花柄のワンピース姿じゃ。
両手を広げながらトタトタと走ってきた麻奈を抱き上げ、居間に向かう。
テレビでは、『おじいちゃんが日本を救う?』……なんて見出しのニュースが放映されておった。茨城県の各地で起こった戦闘のダイジェストらしい。
ワシのシーンも流れておるが、バックビューのせいで少し寂しい後頭部しか映っておらん。
甘いマスクで全国民を魅了してやりたかったんじゃが。
「お義父さん、おはようございます。お体は大丈夫なんですか?」
「千枝さんおはよう。ジャンジャンバリバリ絶好調じゃ!」
千枝さんもまた、ポニーテールに花柄のワンピース。麻奈の方は白地に赤や紫が散りばめられておるが、こちらは黒地に白の花か。
「おいばあさん!」
「……はいはい」
ばあさんの姿が見えたので、アイコンタクトで飯を要求しておく。
何でもかんでも「おい」で伝わるが、調子に乗ってやりすぎると叱られるから注意が必要じゃ。
しかし、フリルのついた白いシャツに黒のスカートとは。ばあさんも今日はおめかししとるな。
「そういえば、タイツとエリカはどうしたんじゃ?」
「二人なら帰らせましたよ? あの子たちがついて来れる戦いではなさそうでしたので。せっかく育てた弟子ですもの、死なせたくはないでしょう?」
たしかに、ばあさんの言う通りかもしれん。
相手によっては戦力となるじゃろうが、深層クラスのモンスターは北村とエリカでは倒せんからな。
ばあさんが運んでくれた遅めの昼飯を食べながらテレビを見ていると、ミチコ・ザ・ジャイアントが六本腕のスケルトンを巨大なハンマーで圧倒しておる。
あれも四天王らしいが、何度復活しようとも喋る隙すら与えられず、脅威的なパワーで右へ左へ飛ばされて……最後には逃げようとしたところをペッシャンコじゃ。
年を取ってもミチコは変わらんのぉ。レイヴラスなんかより、よっぽど恐ろしいわい。
「そういえば、麻奈が行きたいって言うからアクアワールドのチケットを予約してあるんだ。その歳で無理したんだから疲れてるだろうし、親父は行かないよな? そろそろ俺らは出ようと思ってるけど」
「待て待てーい! 老人扱いするとは何事じゃ! ワシを除け者にしようなど、魔王の所業じゃぞ! 行くに決まっとろうが!」
「さっきは年寄りがどうとか言ってたくせに……。行くならさっさと準備してくれよ」
「はぁ……和樹お前、本当にワシの息子か? 老人心が分からん奴じゃな。お洒落くらいゆっくりさせて欲しいもんじゃわい」
バクバクモグモグと急いで飯を食べ終え、皿を洗う。
今日はデミグラスソースの目玉焼きハンバーグじゃったから、丁寧に油汚れを落とさねば鬼婆に何を言われるか分からん。
指で皿を擦り、キュッキュと音が鳴るのを確認してから部屋に戻る。
よし、さっそくコーディネートを考えねば。
「なあ親父、ほんとに魔王と戦うのか?」
「なんじゃ、びびらせおって! 当たり前じゃろ!」
どれにしようかと鏡の前で服を合わせていたとき、こそこそとやって来た和樹が急に話しかけてきおった。
びっくりして、魔王と戦う前に心臓が止まるところじゃったわい。
「なにも親父がやらなくたっていいだろう? 探索者なんて、他にもたくさんいるじゃないか。死ぬかもしれないんだぞ?」
「他の者なら死ぬかもしれんが、ワシなら勝てるかもしれんじゃろ。誰かに任せて逃げるなど、愚かな真似はできん」
「いや、だけど……」
子供は何歳になっても子供なんじゃな。昔から心配性で甘えんぼの困った子じゃった。
しかし、和樹も親になったからには、時に覚悟が必要になる。いつかは大事な選択を迫られる。
このままではいかんじゃろう。
「親として教えてやらねばならんな。……和樹よ、人は死ぬために生きている。死というゴールに向かって、どれだけ全力で走れるかが人生じゃ。探索者として国を守り、ばあさんと結婚してお前が生まれた。今では千枝さんと麻奈という素晴らしい家族まで増え、ワシは幸せの絶頂におる。理解してくれとは言わんが、そんなワシの最後の仕事が魔王と戦うこと。探索者として、親として、おじいちゃんとして……そんな人生の点と点が繋がり線になって、どでかい花火になったような感覚じゃ。これは、工藤源二という一人の人間が選んだ物語。生き様じゃ。たまには親の背中を見届けなさい」
「……はい」
「どれバカ息子、出かけるとしようかの!」
ワシが選んだのは、ピンクのポロシャツにグレーのハーフパンツ。これに、革のサンダルを合わせようと思う。
帽子とサングラスで悪い男の怪しい魅力を加えてもよかったんじゃが、それはやりすぎかと判断した。
我ながら完璧すぎて鼻血が出るわい。
ぽんと和樹の背を叩き、玄関へと向かう。
さあ、レッツラゴーじゃ!
アクアワールドとは、茨城県の大洗町にある日本でもトップクラスの水族館。
人々を不安にさせないように、みんなが夏休みを楽しく過ごせるようにと、ほとんどの施設が通常営業らしい。
三日後に日本が滅びるかもしれないこんなときに、やっておるのかと不安じゃったがありがたい。粋な計らいじゃ。
水戸からは車で三十分ほど。
和樹のファミリーカーに乗り込み、ごきげんな麻奈のカラオケを聞いておれば、あっという間に到着してしまう。
「わー、人がいっぱいだねー! 結構待たないとダメかな?」
「パパがネットでチケットを買っておいたから大丈夫だと思うよ」
和樹め、なかなかやるのぉ。
ワシの弱いところで真奈のポイントを稼ぎよるとは。
まず出迎えてくれるのは、二頭のイルカが向かい合う石造りのオブジェ。
その奥にある、どでかい茶色の建物がアクアワールドじゃ。
すぐ近くに海があるので、景色がよく潮の香りが気分を盛り上げてくれる。
「あっ、亀さんだ! おっきい亀さんがいる!」
ほっほっほ、麻奈もはしゃいでおるわい。
精巧なゾウガメの石像が、まるでいらっしゃいと微笑んでいるようじゃ。
アクアワールドに入場し、まずはチケットを貰う。
これがまた凄い。何種類もの絵柄があり、みんなで見比べて楽しむことができるんじゃ。
上を見れば、骨の標本や、巨大な魚の模型が吊るされておる。
両脇には、工夫の凝らされた無数の水槽が。
のっそりと泳ぐワシの顔よりでかいフグやら、スパンコールのような小魚の群れ。
……ほう、これは太陽を照明に利用しておるのか。水の中で屈折した光が、魚の鱗を極彩色に輝かせるとは。
どんどん進んでいくと、通路が暗くなっていく。
水の青が深くなり、神秘さが増す。
「ほら麻奈、エイが来たわよ!」
「ほんとだ! 面白い顔だねー!」
巨大な水槽を指差し、千枝さんと麻奈が楽しそうに笑っておる。
回遊する大量のイワシの魚群に見惚れておると、ウミガメやらエイやらが、代わる代わるに顔を出す。
水槽の中に小さな世界があり、ずっと見ていられるほどに美しい。
そして、ついにやって来た。
麻奈が大好きな、日本でも最大級のクラゲ水槽じゃ。
「うわぁ! 見て見て、クラゲさんがたーっくさん! 綺麗だねぇ……」
「そうじゃな! ワシの頭も、水の中だとあんな感じに広がるぞ!」
バックライトで春夏秋冬、季節の移り変わりを表現しておるようじゃ。
暗い空間を暖かく照らし、ふよふよと泳ぐクラゲたちがその色を写しとる。なんと幻想的なのじゃろうか。
「あんなに綺麗ですけど、クラゲの中には触手に猛毒を持つ種類もいますからね。刺されたら死んでしまう危険なクラゲもいるらしいので、麻奈ちゃんは海で見つけても離れないといけませんよ?」
「へぇ、おばあちゃん物知り! 綺麗な薔薇にも棘があるってことか!」
な、なんと……これが本当に小学二年生の感想か?
ワシの孫が、可愛すぎるうえに天才すぎるんじゃが。
末恐ろしすぎて、開いた口が塞がらんぞ!
しかし、ばあさんめ。どこで仕入れてきたのか分からんが、子供心をくすぐる知識を披露しおって。
ワシも負けてはおれん。
「あんなもんに刺されても、ワシャ死なんがな!」
「いや、死ぬだろ。しょうもない嘘つくなよ」
子供の頃、スズメバチに刺されても大丈夫じゃったし、クラゲもいけそうな気がするんじゃが。
和樹め、ワシの見せ場を奪いおって。
……ぬおっ!
次はサメエリアか。
独特な目が苦手なんじゃよ。ギョロッとして冷酷そうで、感情の読み取れないあの目が。
「ねえねえ、おじいちゃん! おっきなサメさんがいるよ! 学校の先生が言ってたんだけど、何回でも歯が生え変わるんだって!」
「ほう、それは凄いのぉ。ワシもそのうち入れ歯になるから、無限に生え変わるぞ? サメさんと一緒じゃな! だーっはっはっはっは!」
「……親父。さっきからさ、なんでもかんでも張り合おうとするのやめてくんない? 恥ずかしいから」
和樹に注意されて周りを見ると、クスクスと小さな声で笑われていた。
ワシからすれば、一発かましてやったという気分なんじゃが……これ以上は、ばあさんが出てくるかもしれん。大人しくしておこう。
「あっ! マンボウが泳いでる! ちょっと間抜けな顔が可愛いよね!」
次はマンボウか。
子供の感性というのは、時に納得し難いものがある。
あの情けない顔。可愛いよりむしろ……。
「そうかのぉ? ワシにはあの顔が三島にしか見えんが」
そうじゃ、三島じゃ!
ほっほっほ、三島がたくさん泳いでおるわい。
アクアワールドは七階まであり、一日がかりでも時間が足りぬほどに楽しめる。
閉館ぎりぎりまで見て回り、最後に麻奈が欲しがった気色の悪い深海魚のぬいぐるみを買ってやった。
近くには、新鮮な魚介が楽しめる店がたくさんあり、ワシは海鮮丼をたらふく食べた。
見ているだけでニヤけてしまう麻奈の写真も撮れたし、いい思い出になったわい。
誤字報告ありがとうございます。
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