おじいちゃん、おあずけをくらう
ワシらを覆うバリアが解かれた瞬間、三島が力なく崩れ落ちた。
流れ出る血がフェンリルの鎧から生えた細い銀毛を伝い、砂地を赤く染めていく。
胸はゆっくりと上下していることから、生きてはおるようじゃ。しかし、限界ぎりぎりといった様子。
あやつがここまでの苦戦を強いられるとは……魔王の娘——アザミ・ヴォルデガーナがどれほど恐ろしい相手だったのか、ぐったりと寝転がる三島の弱りきった姿が物語っておる。
「大丈夫か三島!」
猪俣とともに駆け寄る。
一番酷い傷はうなじのあたり。肉が見えるほどパックリと裂けておる。
とにかく止血が最優先じゃ。口に含ませたとて、この状態の三島が飲み込んでくれるとは限らん。
目に見える大きな傷口に、マジックバッグから取り出したポーションをこれでもかと振りかけていく。
効果は薄れてしまうが、少しでも体内に吸収させてやれば問題ない。
「くっ……」
「おう、無理すんな」
ワシらみたいな老人にとって、傷の手当は時間との勝負。とにかく無事でよかった。
猪俣が膝をついて座り、意識を取り戻した三島を抱き起こす。
目はしっかり開いているし、呼吸も落ち着いてきた……が、しばらくは安静が必要じゃな。
「なんと皆様、この結果は想定外だったのではないでしょうか! アザミ様を降し、三島様の勝利となります!」
左手と両足を大きく広げて上半身を仰け反らせ、全身で驚愕を表現しながら、オットマンが高らかに叫ぶ。
こやつだけは気がしれん。仲間が殺されたというのに、どこか楽しげな雰囲気さえ感じる。
"なんかさ……おじいちゃん達、ダンキンよりも強くね?"
"あたいも思ったそれ。スキルを使わずに、あんな凶悪な敵に勝っちゃうし"
"一人称があたいの女……出たなヘイルメリー!"
"やめたれw"
"この配信見てると、奇跡の連続なんだよ。三島さんも猪俣さんもカッコよかった! いやぁ、ゲンジはもっとすげえんだろうなぁw"
装備で底上げされた三島の力は凄まじく、元からの実力もあってか見事勝利を納めてくれた。
さて、次はワシが活躍する番じゃな。コメントの衆も期待してくれておる……のか?
まあええわい。猪俣や三島ごときとは格が違うってとこを見せつけてやるとしよう。
「ア、アザミ様が……負けただと……?」
「人間の勇者だろうが、相手にならなかったお二人だぞ? なんであんな死に損ないどもに……」
「あぁ、これから俺は何を生き甲斐にすればいいんだよ。人間どもめ、よくも愛しのアザミ様を……」
あんなに元気だったモンスターどもが、情けない表情を浮かべておる。
レイヴラスのときは、俺が代わりに戦ってやるだのと息巻いておったが、いよいよ力の差を思い知ったか。
自信満々に送り出した上位の存在がコテンパンにされたんじゃから、気持ちは分からんでもない。
それも、二度続けてのぉ。
ワシは、同じ時代を生き抜いた三島を信じておった。
万が一でも負けようものなら、逆にこちらが絶望しておったじゃろう。
しかしまあ、もし本当に危ない状況であれば、オットマンが張ったバリアなんぞぶち破って、会場のモンスターどもを相手にしようとも全力で助けに行っておったか。
「それでは、本日の最終試合と参りましょう! 人間側代表は、ハゲワシ様でよろしいですよね? 負けっぱなしでは魔王軍の名折れ。そろそろ勝たせていただきますよ! 魔王様のご兄弟でありますヴォルデガーナ家の末弟……ビュリアンダル・デモニス・ヴォルデガーナ様がお相手します! どんどん賭けていきましょう! オッズが楽しみですねぇ〜!」
なんと、魔王の兄弟じゃと?
相手にとって不足なし。同じ血筋とあれば、間接的に魔王の実力を測れるかもしれん。
猪俣と三島の全力に近い戦いを見られてしまった以上、こちらの情報が相手に渡ってしまっておる。
対策を立てられてはかなわんと思っとったが、この勝負はワシらにとって有利に働くはずじゃ。
「すげえ……あの次期魔王候補と名高いビュリアンダル様の戦いが見れるのか!」
「ギャハハハハ! 大サービスだなオットマン! こんなもん賭けにならねえよ!」
「ビュリアンダル様、あの老いぼれをグッチャグチャにぶち殺して、どうかアザミ様の敵を討ってください!」
ついさっきまで、気色の悪い女が負けたと落ち込んでおったのに、観客のモンスターどもがまた息を吹き返したかのように元気になりおった。
もうこの馬鹿らしい展開も三度目じゃぞ。いい加減に学習せんのかのぉ。
唾を撒き散らしてギャアギャアと喚きおって。敵だと言われても、ワシはまだなんもしとらんのに。
……どれ、一発かましてやるか。
「貸せ、風船男!」
オットマンの背後から忍び寄り、マイクを奪い取る。
ワシの美声を聞かせてやろう。腰を抜かすがいい。
「モンスターども、騒ぐだけ無駄じゃ! どうせ貴様らはまた大人しくなる。ビュリアンダルだろうがビーチサンダルだろうが、ワシには勝てんからのぉ! すぐに三島が待つ地獄へ送ってやるわい! だーっはっはっはっは!」
「何言ってんだこの! せめて天国だっぺ! 勝手に俺を殺すなアホガッパ!」
渾身のマイクパフォーマンスを披露して、オットマンの胸元にマイクを叩き返す。
ほっほっほ、モンスターどもが死ねだの殺すだのと、大盛り上がりじゃ。
あの世から三島も叫んでおるわい。
「えぇ……では、こちらオットマン、続けさせていただきます。その闇は、魔界をも喰らい尽くす! いや、ヴォルデガーナの姓を聞けば説明不要でしょう! ビュリアンダル・デモニス・ヴォルデガーナ様の登場です!」
ゲートがギシギシと軋む音を立てながら、ゆっくりと開いていく。
人……ではない。扉の隙間から、気化したドライアイスの煙が如き、地面を這う漆黒の闇が漏れだす。
霜が張るように、大樹が根を張るように、邪悪なオーラが砂地を黒く覆い隠していく。
その後ろから、二メートルを超える男の影が。
"怖すぎワロタwww"
"ゲンジ、あれはやばそうだぞ? ここでやめても、俺らは責めないかんな!"
"分からねえ……分からねえんだけどさ、あの闇を見てたら寒気が止まらねえんだよ"
"まだ姿も見えないのに、みんな大袈裟すぎん? まあ、僕ならションベンちびって逃げますけどね!"
ビュリアンダルの姿が、徐々に明らかになっていく。
長い銀髪の側頭部から生える、湾曲した二本角。
金色の意匠が施された赤のローブに身を包み、纏うように漆黒を従えている。
ウヨウヨと蠢く闇の中で、ライムグリーンの瞳が怪しく輝く。
「ほう、強者の匂いがするぞ。それも、咽せ返るほどに濃密な。……この私を楽しませて欲しいものだ!」
「安心せい、加齢臭じゃ! まだ風呂に入っとらんからな、それはそれは強烈じゃろうて!」
そろそろ戦闘が始まる。
オットマンによって、三島と猪俣がリングの端にワープさせられたからのぉ。
このなんとかサンダルという男……歴戦の猛者らしく凄まじい迫力じゃ。
魔王とやらがさらに強いと思うと、ワシですら恐怖を感じるわい。
「みなさん、待ちきれませんよね? こちらも早く見てみたい! オッズは非公開といきましょう! それでは、最終試合……スタートです!」
まずは様子を見る。
あの……なんじゃったか……プリマドンナみたいな奴は、武器を持っておらん。
オットマンの説明から推測するに、おそらくあの闇は自由自在に動くんじゃろう。
盾を前に構えて腰を落とす。
「魔王バイス・デモニス・ヴォルデガーナが命じる! 双方、剣を納めよ! そこのジジイは、他の二人よりもレベルが高い。ビュリアンダルを失うわけにはいかぬ」
「兄者……いや、魔王様。このビュリアンダルが負けるとでも?」
……ほ?
何が起きておるんじゃ?
闇が引いていきよる。
「ビュリアンダルよ、お前も見ていただろう? 敵はなかなかに強い。余でさえも、アザミが負けるとは思わなかった。お前の相手は、中でも群を抜いている。この試合、どちらかの勝利に賭けろと言われたら、余はお前が敗れる方に魔剣――グリードバイトを賭けるであろう」
「……なんと、魔剣グリードバイトを。そこまでの相手なのですか、この老いぼれが。……承知しました。魔王様のご命令どおり、ここは大人しく引き下がるといたしましょう」
なんじゃなんじゃ、魔王の兄弟が帰っていくんじゃが。
力を見たいから戦えと言っておきながら、今度は戦うなとは……優柔不断なわがまま魔王じゃな。
よく分からんが、ワシの相手がいなくなってしもうた。
肩まで回して気合いを入れておったのに、拍子抜けじゃわい。
「老いた人間どもよ、見事な戦いであった。余と戦う権利……そして、死ぬ前の猶予をくれてやろう。期限は三日。すでに街に放ったモンスターどもは下がらせている。約束の日に、余から逃げるような愚か者であれば、この魔王バイス・デモニス・ヴォルデガーナ自らが、この国を滅ぼす。せいぜい残された時間を楽しむといい」
……全然話を聞いておらんかった。
茨城市長も魔王も、なんでお偉いさんの話は回りくどいし長いんじゃろうか。
「それでは、外までお送りいたしましょう。こちら、三日後にお会いできることを、心より楽しみにお待ちしております」
オットマンが、口の端を吊り上げて笑う。
その直後、ワシらはダンジョンの外に立っておった。
……三日後か。危ないところじゃ。
"ワクワクして損したw"
"あの魔王、レベルとか言ってたけど、やっぱあの石板の数字かね?"
"うわー、ビュリアンダルとゲンジの戦い見たかったなー! かーっ!"
"三日後かぁ、その間はさすがに配信しないよね?"
"ゲンジお疲れ〜!"
「コメントの衆も、こんな時間までご苦労じゃったな! 死ぬかもしれんが、まずはワシが魔王と戦ってみようと思う。それまで、主らは手出し無用で頼む。配信は三日後じゃ。さっさと寝れば、このナイスガイと夢の中で会えるかもしれんぞ? だーっはっはっはっは!」
いやはや、老体に夜更かしはきついわい。
早く帰って、布団に潜るとしよう。
……その前に風呂か。
おじいちゃん臭いだなんて、麻奈に嫌われるかもしれんからのぉ。
もう、夜が開けようとしておる。