狂い桜と狼(三島視点)
いつも誤字報告をいただきありがとうございます。
「キシャアアアアアッ!」
威嚇とともに剣を振り下ろすアラクネー。それが二十体近くも迫ってくる。
巨大な蜘蛛から生えた体の位置は高く、馬上から攻撃されているかのよう。
こちらも躱しながら横薙ぎの一撃を放つ……が、当たらない。
騎馬とは違い、敵の足は八本。高い機動性を持ち、変幻自在に動く。それがまた厄介なところ。
押し寄せる斬撃の波は、まるで優秀な武将に指揮された軍隊。潜り込み、盾で弾き、剣で撃ち返す。
投げ槍で間引いたものの、防戦を強いられてしまう。
「……クヒッ。……イギヒヒッ。ジジイを撃ち殺して」
アザミの前に横陣を敷く別の部隊が、武器を背負っていた短弓に持ち替えた。
視界の端に絶望が映る。モンスターどもがギリギリと弓を引き絞り、鋭い矢を放つ。
呼吸を合わせたかのように近接部隊が離れていく。
「っだああああ! めんどくせ!」
このままでは埒が明かない。チョロチョロと動き回られたかと思えば、今度は遠距離攻撃だ。
源ちゃんの言ってた通り、上昇した身体能力に頼ってアラクネーを無視するべきかもしんね。
前のめりに加速。フェンリルのタテガミが空を打つ。
頭上で風を切り裂く矢の雨を潜り抜け、アザミに向かって一直線に駆ける。
背後から俺を捕まえようと糸を飛してきているが、この速さなら届かない。
"ちょっとこの敵強すぎん?"
"アラクネーが厄介だな"
"こうなるとスキルが欲しくなるわ"
"だよなぁ……。リーチが足りないから、範囲スキルで削りたいとこだけど"
"ロン毛がたなびいてるw"
「アザミ様を守れ!」
化け物が汚い声で叫び、また弓から剣に交換しやがった。
んだけどな……。
「もう関係ねえ! 邪魔だっぺよ!」
敵の攻撃には反応できる。
力も負けてねえ。
したら、このまま突っ込む!
体を寄せて隙間を無くし、アラクネーが強固な壁を作る。巨大な城門が閉じたみたいだべ。
もう俺の意思は固まってる。こじ開けるのみ。
「どりゃあああっ!」
飛び上がり、背を目一杯に反らす。
殺意を向けてやれば、目前の化け物が盾を構えて防御の姿勢をとる。
全て狙い通り。腹筋を縮め、体を折り曲げると同時、全力の一撃を叩きこむ。
盾と剣のぶつかり合い。手首に強烈な衝撃が走る。
飛び散る火花。炸裂する金属音。
アラクネーも八本足で踏ん張ろうとしていたようだが、俺の攻撃に耐えきれず、後方へ吹き飛んでいく。
「身長は低いけども、俺はバレー部だったからな。いいアタックが決まったっぺよ!」
"いいぞバレー部!"
"世界取れる!"
"三島! 三島!"
"いよっ! 日本一!"
"すげえパワーだなw"
道は開いたが、空中の俺は隙だらけ。
今だとばかりに、周りの蜘蛛人間どもが斬撃を放つ。
これを盾で払いのけ、剣の腹を蹴り上げて無効化。
そして、着地。
アザミに向かって飛んでいくアラクネーが、邪魔だとばかりに大太刀で真っ二つにされている。
膝に溜め込んだ力を爆発させて前に出る。虫けらどもを置き去りに。
「これで一対一だべした」
アラクネーの血が舞い散る中、アザミに接近した。
相手もやる気らしい。大太刀を下段に構え、気色の悪い笑みを浮かべている。
「パパ、いま殺すからね? ギヒヒヒヒッ」
大太刀が逆袈裟に弧を描く。
……残念ながら、ここは俺の距離だ。
斬り上げを見切り、紙一重で躱す。
「――【裏温溜】!」
狙ったのは、右前腕の中央――温溜という秘孔……の近くにあるツボ。神経の働きを阻害し、手首を固めて手のひらを動かなくさせる。
「――【死雲門】!」
次に突いたのは右肩。
鎖骨付近にある雲門という秘孔は、呼吸を楽にしてくれる。
死雲門はその逆。つまり、息の根を止めてやった。
「――【霊洛】!」
ダメ押しに、全身の筋肉を弛緩させる秘孔を深々と貫く。
右手は完全に動かないはず。呼吸も止めた。身体中に力が入らないだろう。
……もう何もできまい。
アザミはダラリと両腕を下ろし、大太刀を手放す。
崩れ落ちるように膝をついた。
これでやっと返してもらえる。
アラクネーの剣を投げ捨て、肩に足をかけながら、アザミの胸に突き刺さったままの牙狼の剣を引き抜く。
その反動で、アザミの体が仰向けに倒れた。
ドス黒い血液が溢れ、着物が漆黒に染まっていく。
"っしゃああああああ!"
"勝った! ……よな?"
"やったか?w"
"おい、マジでそれやめろよ?w"
"いやいや、さすがに終わったっしょ!"
いくらモンスターといえども、必殺の三点を突いているのだ。起き上がれるはずがない。
残りのアラクネーを片付けるとしよう。
ボスがやられたからか、敵は動こうとしない。
虚空を見つめて立ち尽くしている。
戦意喪失と受け取った。
こうなれば処理するも同じ。一体ずつ順番に斬り伏せていく。
「ユル……サナイ……」
闘技場に響く巨大な鼓動。
――ドクンッ。と、何かが目覚めるかのような。
全身の毛穴が開いて、やばい汗が吹き出す。
嫌な予感が……背後で何かが起こっている。
急いで距離を取らねえと。
「おい、まだ終わってねえぞ!」
「三島! 後ろじゃあああああ!」
猪俣と源ちゃんが叫ぶ。
だいじょぶだ。俺も気付いてっから。
振り返ると、倒れ伏すアザミの体に黒い稲光が走っていた。
全身のコブがさらに大きくなり、それにつられて全身がビクンビクンと跳ね上がる。
「許ざだいいいいぃ!」
金切り声とともに、アザミの体が膨らんでいく。内側からボコボコと沸騰するかのように。
皮膚は裂け、内側が捲れ上がる。
その肉は、赤から茶色へと徐々に変色していく。
攻撃するべきなのか。
今がチャンスに思えるが、脳は行くなと言っている。
ただ見ていることしかできない。
いつの間にか、アザミの体がずいぶんと大きくなっている。太く、高く、見上げるほどに。
その体から、砂地に血管を形成するかの如く何本もの触手が伸びて、放心状態のアラクネーに巻きつく。
蜘蛛人間の体が、ストローで養分を吸いとられたかのように萎れてしまう。
干からびた抜け殻の顔は、どこか恍惚としていた。
「アハッ……アハハハハハッ! パパ……いいよね? 終わらせても……いいよね?」
地鳴りのように野太い声が響く。声の主は、つい先程まで人の形をしていたはずなのに。
自らをアザミ・ヴォルデガーナと名乗っていた女の成れの果て。闘技場に桜が咲いた。何万年生きたかも分からない、屋久杉のように巨大な桜が。
その花弁は、鮮やかな桃色。血色のいい女子のほっぺを彷彿とさせる。
「――【終の陣】」
自らの枝葉を揺らすと、花弁が舞う。擦れて、地面に触れて、その度にシャランと透き通った美しい音色を奏でる。
三度目にもなると、嫌でも分かっちまう。次は何が出てくるのやら。
闇色をした召喚の光が砂地を覆い隠す。
「んだからよぉ、こういう相手は源ちゃんが担当だっぺ……」
地面から、タラの木に似た無数の樹木が生えてくる。あれもモンスターなんだべな。
俺は整体師で、木こりじゃねんだが。
闘技場がもはや森と化している。
思えば、最初にあの女の心臓を狙い全力の突きを放ったとき、乾いた何かに当たった感触があった。フェンリルの牙でも傷一つ付けれないほどの何かが。
姿、声、立ち振る舞い。人間と似ているからと誤解していたが、最初からモンスターだったんだべな。
そもそも心臓なんてなかったのかもしれない。あいつの胸にあったのは、おそらく種子だ。
"アザミたん……どこ?"
"お前のアザミたんは随分前からいなかったけどな"
"トレントかな?"
"トレントなら可愛いもんやろw あれは、アザミトレントや!"
"はぁ……馬鹿ばっか"
「イビルプラントを従えて、ついにアザミ様が最終形態になりました! この姿を見せるのはいつぶりでしょうか! こちらもワクワクしております!」
オットマンが今日一番の興奮を見せている。観衆のモンスターもギャーギャー騒いで耳が痛い。
これを倒せば今度こそ終わりか。……ったく、俺は最低の気分なんだけどな。
猪俣の相手は何だったんだべ。あっさりやられやがってよ。
俺は二体目でこんなに苦労させられてんだ。早く源ちゃんにバトンタッチして、あいつにも地獄を見てもらわねえとな。
「気合い入れるべ!」
両頬を叩き、最終決戦に望む。
敵は地面に根を張っている。高速で動いてくることはまずねえべ。
となると、闘技場を埋め尽くさんばかりに生い茂るイビルプラントが攻撃手段になりそうだ。刺々していて、移動するにも厄介だしな。
どんくらい硬いのか分かんねえけど、アザミの元へたどり着くには何本か刈らないことには始まらない。
まずは、タラの木を狙う。
頭から伸びる緑の枝。そこから生える葉は、よく見ると手のひらの形をしている。
俺が近づくと、危険を感じて警戒しているのか細長い幹を揺らす。
射程距離に入ると、軟体動物のように体をくねらせ、鋭い棘のついた体を振り回してきた。これはそれほど速くない。
だが、周囲のイビルプラントどもが連動して枝を伸ばす。自由自在に動く、この攻撃が凄まじい。
まるで獲物を捕まえようとする触手……いや、罪人を裁く鞭だべか。
「ほら……見て……? パパの敵が……死ぬよ? みーんなあたしが倒してあげる……」
枝が上空でしなり、一気に加速しながら迫ってくる。
射程を読み、後ろに飛んで距離を取るが、盾だけは念のために構えておく。
イビルプラントの鞭は伸びきり、盾に触れる直前で止まる……が、左右に広がる手のひら型の葉っぱが閉じて、包み込むように折れ曲がり、盾の裏側を叩く。
銃声に似た空気が炸裂する乾いた音が、衝撃波を巻き起こす。避けたつもりが、大気の振動で頬が痺れてしまう。
さっきの蜘蛛がどんだけ優しかったか。
"パパ、聞こえるのかな? 玲央がね、おじいちゃん負けないでって応援してるわよ。もう泣いて騒いで大変なんだから。早く帰ってきてね。パパを信じてる"
……玲央?
見てんのか。
おんなし布団で寝てたもんな。じぃじがいなくなったのに気付いちまったんだべ。
ニュースでは、各所の状況を報告しているはず。街にモンスターが現れちまってんだから、みんな不安だろう。
俺はいま、孫に何を見せている?
娘は、どんな顔で俺のことを心配している?
「輝子、玲央、すぐ帰っからよ! ちゃーんと録画しとけ? こっからかっこよくなっとこなんだ!」
……全力?
出し切ってたら、なんで俺の体はまだ無傷なんだ?
足りねんだべな。甘えちまってんだ。きっとどっかで、セーブしちまってる。
限界ってのは、自分の想像を超えたとこにあんだべから。
"ロン毛いったれ!"
"おい、いじるなw 玲央くんが見てるんだから!"
"玲央ちゃんかもしれないぞ?"
"輝子も見てる!"
"やめーやwww 三島さん、勝ってください!"
「三島よ、ワシが策を授けてやろう。木を切るにはチェーンソーじゃ! チェーンソーを使え!」
「空気読めよまぬけ……」
はいはい、分かってるよ源ちゃん。ふざけなくても伝わってんだ。長い付き合いだもんな。
秘孔を突いたとこで効果なかったんだから、全力で叩っ切れってんだべ?
素直じゃねんだから。
「コメントも、カッパも、後でまとめて説教だかんな!」
どこへ行ったってイビルプラントが生えてんだ。あれと遊んでたら、こっちの体力が尽きちまう。
枝も葉っぱも追いつけない速さで俺が動けばいい。
太い桜だって、切り倒せばいい。
覚悟を決めると、力が湧いてくる。
限界を超えろと、背中を押してくれてるみてえに。
「うおおおおおお!」
気分の高揚、爆発しそうなエネルギー、全て口から吐き出して、大地を蹴る。
その瞬間、俺の体が風になった。
時間の流れが違う。両目に映る景色が早送りされているかのよう。
背後でパァンパァンと鳴る手拍子だけは、さっきと変わらない。
集中力が途切れないのは、こんな中でもちゃんと脳が情報を処理できているから。俺だけが速いんだと、不思議と理解しちまってる。
怖い感覚だけども……今は忘れて飲まれてみよう。
「あたしの体に……傷をつけれるはずない。だって……パパがくれた力だから……。絶対……負けない……。パパが倒したフェンリルなんて……仔狼ごときが、あたしに近づけると思うな! ――【血桜暴陣】!」
……桜が散った。
巨大な桜が羽ばたくように枝を振ると、無数の花弁が宙を舞う。地上に落ちることはない。逞しい幹を中心に、渦を巻いていく。
その花弁はあまりに鋭く、自身を守る周囲のイビルプラントさえも切り刻む。
雨粒を躱せる者などいない。人が通り抜ける隙間などないのだから。あの桃色の竜巻は、そういう類いのもの。
難攻不落の城が巨大な門を閉ざした。攻守を兼ね備えた、今の俺にとっちゃ最悪のスキルだ。
「ワシなら行く! 怯むな三島!」
「当たり前だべした! こっちの腹はもう決まってんだ!」
盾を前に、荒れ狂う桜吹雪の中へと突っ込む。
ピンクの刃は、幸いなことに半時計回り。気流で軌道を変え、俺の体表を擦りながら流れていく。
相手は、魔王軍最強の矛というわりに、ずっと見に回っていた。
おそらく、最初にかましてやったときから、俺にずっとびびってやがんだ。
だからまた、あいつは自分を守ってる。
迷わない。
目は開けたまま。
耐えて、耐えて、真っ直ぐに進む。
桜を恐れる日本人なんていねえべ。
真夏にお花見なんて洒落てっぺした。
左耳が裂ける。
首の後ろが抉れて血飛沫が吹き出す。
すべてはこの一瞬のために。
「覚悟しろよ? 獣の牙が食い込むぞ!」
左足で大地を踏み締める。
盾を外側に振り、大きく体を開いて腰を回す。
スピード、パワー、回転、全部を乗せた盛りだくさんな木こりの一撃を……叩き込む!
「――だらああああああっ!」
乾坤一擲。牙狼の剣が太い幹に食い込む。
まだだ、まだ足りない。
気持ちを乗せろ!
「ぶっ倒れろおおおおおおお!」
脳裏をよぎる家族の顔。涙を浮かべる孫の姿。
力が爆発する。
右腕の皮膚が弾け、腰に痛みが走る。
一閃……振り抜いた剣は刃の道筋を作り、桜の大木をへし折った。
「……パパ……どうして」
悲しげに甘い香りを残し、アザミの体が塵となって消えていく。
異国のジャングルと化していた闘技場は、いつの間にかただの砂地に戻っていた。




