おじいちゃんと最奥の魔物
先に一撃加えたときに気づいた。
皮膚に傷はつかんかったが、肉が硬いわけではない。此奴は、外からの攻撃に強いブラックワイバーンに似た特性を持っておる。
「ベヒモスよ、貴様の相手はワシじゃ! ――鎧通し!」
左後ろ足の脛に、速度を乗せた突きをお見舞いする。皮一枚分だけずらし、肉と骨を穿つように衝撃を送り込む。
「グルォオオオオオオ!」
針穴を通すが如く、上半身の繊細な動きを強いられたが、その甲斐はあったようじゃ。
ワシから倒すべきだと認識してくれたらしい。唸り声を上げながら、敵を探すように振り向く。
コバルトブルーの瞳から感じる強い怒り。鼻の頭にこれでもかとシワを寄せている。
――効いた。
だからこその動き。
ワシの背後には壁。……とはいえ、まだ距離はあるが。
タイツマンたちとは逆方向じゃな。ベヒモスのような強敵とは向かい合うべきではないが、あえて真正面から対峙する。
ばあさんを逃さねばならんからのぉ。
攻撃が通じない――その状況において、探索者がとる行動は二つ。無理をするか、逃げるかじゃ。
聖子は、一度も使った経験のないスキルを求めよった。
……何が起こるか。考えなくとも分かるじゃろう。
スキルを使えば、体から何かが抜ける。体感したことのないばあさんは、思考がぶれてしまう。
それ以外にも要因は多々あるが、当然隙となって現れるからな。そんな簡単なことも理解できないようでは、戦場に置いてはおけん。
"うおおおおおおお! 攻撃が通ったぞ!"
"ゲンジ! ゲンジ!"
"っしゃ! ジジイ、いったれぇええええ!"
"マジでかっけえわ……"
"ソロでやるつもりなん!?"
「今更何を言っておる。ワシらはいつも一人じゃ。ベヒモスだってソロではないか。一対一の真剣勝負じゃわい! だーっはっはっは!」
"だははじゃねえよw"
"ふざけてる場合か!w"
"この状況でこの余裕www"
"勝ってくれー!"
あたり前田のクラッカーじゃ!
こちとら勝つ気満々。体力だけが心配ではあるが、勝ち筋は見えておる。探索者歴二十年の厚みを見せてやろうではないか。
「どうした? かかってこんか化け猫!」
「ゴァッ!」
盾を叩いて挑発すると、ベヒモスが右前足を振り下ろす。死神の鎌を彷彿とさせる爪が剥き出しになっている。
軽自動車を振り回すかのような引っ掻き。ここで、あえて前に進む。避けるのは簡単じゃが、この敵を倒すにはそれではいかん。
小指側の爪の下に盾を当てる。受け止めるのではなく、受け流す。馬鹿正直に真正面からぶつかれば、全身の骨が粉々に砕け散るじゃろう。
盾の角度を変えながら威力を殺し、体に力の流れを覚え込ませる。ここで、膝を伸ばして下半身を固定。上半身は脱力により水と化す。
一瞬だけ全ての力を受け入れ、左腕から伝わる衝撃を地面に流して反射させる。足裏から腰へ、腰から背中へ。流れる力の奔流を収束させ、上半身を固めるとともに、盾から一気に解き放つ。
「――破衝撃!」
巨大な風船が割れるような炸裂音。血の雨が降る。ベヒモスの爪が砕け、つけ根の肉が弾け飛ぶ。
跳ね上がった右前脚の勢いで体が持ち上がり、すってんころりんと宙に浮かんだベヒモスの体が地面に叩きつけられる。
衝撃を波と化し、相手の体に送り込むのが鎧通し。その遥か先にある秘技――破衝撃は、光を反射する鏡の如く、相手の攻撃をそのまま返すカウンターじゃ。
タイミングを間違えば、ワシが死ぬ。しかし、失敗するとは思わんかった。愛する妻が、信じておると言ってくれたからのぉ。
「――鎧通し!」
寝転がるベヒモスの眉間に突きを放ち、脳へと衝撃波を撃ち込む。
「ガルルッ!」
このままではまずいと感じたのじゃろう。ふらつきながらも立ち上がり、千鳥足で逃げ始めるベヒモス。
「こりゃ、どこへ行く!」
長い尻尾の先端を掴み、思いっきり引き寄せる。反動とともに飛び上がり、スリングショットから放たれた鉄球のような速さで空を飛ぶ。
空気抵抗を感じないのは、ハゲた頭頂部のおかげじゃろうか。
「工藤家秘伝――千年殺し!」
尻尾の付け根……肛門に、ショートソードをぶち込む。深々と突き刺して、落下しながら体内を切り裂く。
これで確信した。このボスは、むしろ柔らかい。ワシにとっては、相性のいい相手じゃ!
"うわっ! 痛そー……"
"カンチョーやんけw"
"大技感出すなよw"
"自分がやられたらと想像したら、鳥肌がやばい"
"おじいちゃん、圧倒してね?"
「グルァアアアアアアア!」
ベヒモスの咆哮と呼応するかのように、全身が光り輝く。「まずい、今すぐ離れろ!」と、ワシの第六感が騒ぐ。
すぐに振り返り、地を蹴る。少しでも多く距離を稼がねば。
粟立つ首筋。予感を信じて飛び込み、受け身を取りつつ地面を転がる。
直後、脳に針を刺されたかのような痛みが走り、音が消えた。
両耳から生温かい液体が溢れ、首筋を伝う。鼓膜が破れたようじゃ。三半規管もいかれてしまったのか、世界が歪む。
すぐにポーチからポーションを取り出し、一息で飲み干す。徐々に回復する視界が、ベヒモスを捉える。
――神の裁き。
そう表現するしかないじゃろう。
天に向かって吠えるベヒモスの周囲に、無数の黒い雷が降り注いでいる。
一瞬でも判断が遅れていたら、今頃真っ黒焦げにされておったな……。同じような攻撃をするボスと戦った経験が、ワシの命を救ってくれた。
すぐに起き上がってはみたが、ダメージが抜けきっておらん。膝が震え、眩暈がする。
……非常にまずい。間合いが離れてしまったのもあるし、この状態では満足のいく攻撃はできんじゃろう。
スキルを放出しきったベヒモスが、体勢を整え、たてがみを揺さぶりながら突進してくる。
目前まで引きつけ、右に避け……れない。
振り払うように繰り出された左前足に、なんとか盾を合わせて受け流す。しかし、衝撃を殺しきれずに吹き飛ばされてしまう。
再び、脳が揺れる。背骨が軋む。
そこから先は防戦一方。体が回復する前に新たなダメージが蓄積し、体が重い。せめて脳だけでも元に戻れば……そう思いながらも、時間だけが過ぎていく。
"……やばくね?"
"涙出てきた"
"おじいちゃんが死んじゃう……"
"ボスを倒せなんて、変なお願いしなきゃよかった"
"もう戦闘始まって二時間近く経つぞ"
"ばあちゃん! ゲンジを助けてくれ!"
「私は、おじいさんより強い探索者を知りません。どんなに不利な状況でも、最後には勝つ。それが、粘り勝ちのゲンジ。茨城の暴れ納豆です。あの人は、絶対に負けない!」
ほほっ。流石は聖子、分かっておるのぉ。
やはりいい女じゃ。守り甲斐があるってもんよ!
「気合いじゃああああああ!」
視界が晴れる。思考がクリアになった。
体もピンピン動きよるわい!
ワシには勝利の女神がついておるぞ!
「――鎧通し!」
ベヒモスの攻撃を躱し、忘れていた痛みを思い出させてやる。
「――破衝撃ぃいいい!」
繰り出された爪に、衝撃をお返しじゃ!
「ゴァアアアアアッ!」
地面を転がるベヒモス。
ここで畳み掛ける!
「終わりじゃ!」
ひっくり返り、大口を開けたベヒモスの口内に飛び込む。口を閉じられて何も見えんが、これでよい。
"あっ……"
"……へ?"
"食べられちゃった……"
"うわああああああっ!"
安心せい。まだ生きておるわ。
このモンスターの弱点は、体の内側。つまり、ワシがいるこの場所じゃ!
「どりゃああああああああ!」
どちらが天でどちらが地か。もはや分からん。
斬って斬って斬りまくる。
入り込んだからこそはっきり分かるベヒモスの鼓動。心の臓を目指して突き進む。
「ワシが茨城の暴れ納豆! 工藤源二じゃああああああああ!」
大きく剣を振り下ろしたその時、大量の血液が噴き出す。心音が止まり、ワシの声だけが狭い洞窟内に響き渡る。
視界が戻ると、平らな地面に立っておった。
「やったああああああ!」
「おじい様! 凄すぎます!」
「当然です!」
両手をあげて大泣きしているタイツマン。飛び上がって喜ぶエリカ。誇らしげに頷くばあさん。
この手で守り抜いた三人の姿が見える。
"っしゃおらあああああああ!"
"すげえもん見たわ……"
"涙が止まらねえ!www"
"暴れ納豆最強ー!"
"ゲンジィイイイイイ!"
「見たかお主ら! もっとワシを褒めろ! だーっはっはっはっは!」
部屋の中央に、四つの宝箱が出現した。




