009. 返事は「はい」
体力測定が終わって教室へ戻ると、明日からの授業の時間割を渡され、その日はお開きとなった。
一旦、寄宿舎へ戻り一休みしたところで、ホズミと食堂へ向かう。
「今日の夕飯は何かなあ」
「お腹ぺこぺこだね」
食堂の入り口にある黒板には、夕食のメニューが書かれていた。
「わっ、ぶりの照り焼きだって。美味しそう」
「しかも炊き込みご飯だって」
この学校にやって来て四度目の食事になるが、既にここでの生活の楽しみとなっている。トレイを手に取り配膳口の列に並ぶと、昨日返却口で話をした女性がちょうどご飯をよそっているところだった。サクラ達に気づくと笑いかけてくれた。
「よしよし、いい感じにお腹が減ってるみたいね」
「どうして分かるんですか」
「顔に書いてある」
本当だろうか。片手で頬を撫でると笑われた。
「炊き込みご飯でいいの? 大盛りにしてあげるよ」
「わー、ありがとうございます」
「ま、お代わりは自由なんだけどね」
そう言いつつも茶碗から大胆にはみ出るほど盛ってくれた。
空いている席を探していると、遠くからウキが手を振っているのが見えた。
「あっちの席が空いてるみたい」
「サクラ、危ないっ」
何かが足に引っ掛かった。体が前のめりになりトレイが斜めになる。堪えようとふんばったけれど、茶碗や皿が斜めに傾いた。トレイの上を滑る皿に、もう駄目だとあきらめかけたそのとき、横から腕が伸びてきてトレイも体も支えられた。奇跡的に食事はこぼれなかった。
「大丈夫?」
知らない男子がすぐ間近で微笑んでいた。サクラは田舎でのびのび育ってきただけあって、動体視力がいい。そのサクラであっても、男子生徒の動きは不可思議だった。前から歩いて来たのだろうが、どうやってトレイとサクラを受け止めたのか。
「あ、りがとうございます」
「うん。立てるかな?」
「はい、すみません!」
うっかり支えられるがままに体重をかけていたが、この体勢は相手も辛いだろう。急いで体勢を立て直して、トレイを受け取った。
「良かったね、タケノコご飯が無事で」
「はい」
「僕もおかわり大盛にしてもらおうっと」
男子生徒はサクラよりも、大盛の炊き込みご飯に目を奪われたようで、嬉しそうに茶碗だけを持って配膳の列へと並んだ。助けてもらっておいてなんだが、ちょっと変わっている。
ところで自分は何に躓いたのか、確認のため振り返ると、そこには配膳をしてくれた女性が立っていた。
「無事で何よりだったね」
「はい」
いつの間に近づいていたんだろう。全然、気配を感じなかった。
「さて、あなたは食事が終わったら、少し私とお話しようか」
女性はすぐ近くに座っていた女子生徒を見てにっこり笑った。たぶんサクラと同じクラスの子だ。
「は? なんで私があなたなんかと」
「この学校の規則は?」
「そんなの知らないわよ」
「ふーん、あなた一年生か。クラスは四組だね」
それぞれの制服には、名前と所属クラスの書かれた名札がついている。
「だからなんであなたに答えなくちゃいけないのよ」
「それはもちろんあなたの担任を叱るためね」
「食堂のおばさんが何言ってるの? あなたが教師を叱るなんて出来るはずないでしょう」
女子生徒は侮った様子を隠さず鼻で笑った。しかしその瞬間、食堂の空気が凍りついた。
「おいおい、あの子やばいだろ」
「まだ一年生だから、階級制度を知らないんじゃないか」
「それよりも、この学校の職員は全員軍人だってことを知らないんじゃないの?」
「あーあ、一年四組の担任は終わったな」
たぶん二年生か三年生だろう。ひそひそと囁く声が聞こえてくる。
よくは分からないが、これからあまり良くないことが起こるようだ。
「ここは食事をする場所で、ふざけて足をかけたりするような場所じゃない。もし、あの子が食事をこぼしていたら、あなたは丸一日食事抜きの上、独房入りだったね」
「何を言って」
「返事は、はい一択って言われなかった?」
「それは先生にであって、あなたみたいな食堂の従業員に」
ぞくりと肌が粟立った。女性の視線が冷たいものになり、女子生徒も言いかけた言葉を引っ込めた。
女性は辺りを見回して、ある人物の前で視線を止めた。
「ツクモ、あんた一年の担任だったよね」
「はい。でも僕の担当は三組ですよ。四組はニクマル先生です」
昨日、ニクマルと一緒に入寮の受付をしていた先生である。この男も一年生の担任らしい。
「何組だっていいよ、この子を独房に連れて行ってくれる? もちろん食事も持たせてね」
「フヨウさん、僕まだ食べてるんですけど」
「戻ってきたら食べればいいでしょ。はい、動いた動いた」
手を叩かれ急かされて、ツクモはやれやれといった感じで立ち上がった。
「ニクマルは後で呼び出し決定だな」
「わー、ニクマル先生かわいそー」
ツクモ、見事な棒読みである。
「それじゃ君は独房に案内するから、食事のトレイを持ってついて来てくれるかな」
女子生徒は二人のやり取りを聞いて、真っ青になっている。
「返事は?」
「待ってください! 私は何もしてません!」
「うーん、これは確かに困った子だな」
ツクモが苦笑した。
「あの人が言いがかりを」
「そんなことより返事はどうしたの、ニクマル先生は君に教えてくれなかった? 返事はなんて言うの?」
表情は変わらないが、言葉に威圧感が加わったように思う。
「はい……」
身をすくめるようにして答えた女子生徒に、ツクモは満足そうに頷いた。
「あ、フヨウさん。戻って来たらまだ食べるんで、トレイはそのままにしておいてくださいね」
「当たり前でしょ。残したら殺すぞ」
「こっわ」
女性とツクモ、どちらも笑顔なのがより恐い。
女子生徒はまだ残っている食事のトレイを持って、ツクモの後をついて行った。
「ほら、あっちは気にしなくていいから、あんた達は冷める前に座って食べなさい」
「はい!」
女性に話しかけられ、おもわずサクラもホズミも姿勢を正して返事をした。
「いい返事ね。その調子その調子」
そのままアスマたちのところまで歩いて行き、トレイをテーブルに乗せると、おもわず二人同時に大きく息を吐いてしまった。
「何やってんだ、お前ら」
アスマが呆れたような目で見てきた。
「いやいやいや、めっちゃくちゃ怖かったんだよ」
「私も、かなり食欲がなくなった」
「食欲がない奴の量には見えないけどな」
アスマの視線が大盛りの茶碗に注がれ、ホズミの顔が赤くなった。
「それよりもびっくりするやり取りだったね。食堂でも返事は、はい一択って事?」
ウキはご飯の量よりも、先程の出来事が気になっているようだ。
「あの調子じゃ食堂だけじゃなさそうだな。この学校にいる職員すべてが対象になると思った方がいい」
二人にも先程の緊張感が伝わったらしく、どちらも真面目な顔になっている。
「今回は相手に非があるってすぐに気づいてもらえたから良かったものの、やり返したところを見つかって処罰されでもしたらたまったもんじゃないね」
あんな場面を見てしまうと、今日の体力測定のときに絡まれて、必要以上に言い返さなかったのは正解だったと思えてくる。
「気をつけようね」
「うん」
ホズミと頷きあっていると、ウキが不思議そうに聞いてきた。
「ところで僕たちのせいで嫌がらせを受けているのに、距離を置こうとは思わないんだね」
二人とも、もてる自覚はあるらしい。アスマも黙ってこちらを見た。
「だってせっかくできた友達だもん」
サクラが答えるとホズミもすぐに同意した。
「私も、ああいう人たちに言われて態度を変えるのは悔しいから」
ホズミは意外に負けず嫌いのようだ。
ウキは嬉しそうに微笑んだ。
「良かった。そう言ってもらえると僕たちも嬉しいよ。ね、アスマ」
「俺はそもそも友達になった覚えはない」
「またまた、本当は嬉しいくせに、あいたっ」
アスマがテーブルの下でウキの足を踏んだか蹴ったかしたようだ。
「それにしても女子の喧嘩って本当に怖いよね」
「なんか実感がこもってるね、ウキくん」
「いやあ、昔あったんだよね。僕達の知らないところで僕達を巡って争ってたことが。後で聞かされて、あれは恐怖だったなあ」
ウキが遠い目をしたので、深くは聞かないでおいた。もてる男は大変らしい。