007. 入学式
一クラスは何人制なのか。教室の上段に座ったサクラが三十人を数えたところで、一人の教師が教室に入って来た。
「あ、ニクマル先生だ」
そんなに大きい声で呟いたつもりはなかったが、ニクマルと目が合った。
「その名前で呼ぶなと言っただろうが、サクラ・ツキユキ」
ニクマルは黒板の前にある教卓の前に立ち、教室をじろりと見渡した。朝よりも怖い顔をしている。
「サクラ、あの先生のこと知ってるの?」
「無駄話をするな。ホズミ・ペンタス」
強い口調で名前を呼ばれたホズミは、反射的に首をすくめた。どうやらニクマルは、サクラやアスマ以外の顔と名前も既に覚えているようだ。
「いいか。ここに入ったからには教師の命令は絶対だ。反論は認めない。それがこの学校の規律だ。お前たちはここで魔導士を目指して鍛錬するだけではなく、軍人としての心構えを学ぶことになる。返事は”はい”一択だ。分かったな」
教室が静まり返ってしまうと、ニクマルが教卓をおもいきり叩いた。
「分かったな?」
「はい!」
その迫力に誰もが背筋を伸ばして返事をした。
「俺はこのクラスの担任となったニクマル・バーベナ。呼ぶときは苗字で呼ぶように」
ニクマルの方がインパクトがあって覚えやすいのに、どうしてそんなに名前で呼ばれたくないのだろうか。
「まずは入学式だ。廊下に出て二列に並べ」
前の席から順番に廊下へ出たので、サクラたちは最後尾についた。
「俺の後をついて来い。絶対に列を乱すな、無駄口を叩くな、入学式の最中も私語は禁止だ」
はい、という声がまばらに上がったが、ニクマルは何も言わずに歩き出した。
サクラたちは三階にある講堂という場所に連れて行かれた。一年生全員が入ってもまだ余裕があるくらい広い部屋だ。サクラの身長ほどのステージがあって、そこに立てば新入生の顔を一度に見渡せそうである。
他のクラスも同じように並んでいて、アスマの言っていた通り騎士科は魔導士科に比べて女子が極端に少なかった。魔導士科も男子の方が多いが、それでも一クラスに七、八人は女子がいる。
みんな同じ制服を着ているが、魔導士科がローブなのに対して、騎士科はマントをまとっている。色合いはどちらも緑に白の模様が入ったものだ。
辺りをきょろきょろ観察していると、ニクマルの声が聞こえてきた。
「これよりコンバル国防衛軍、オリベ養成学校の入学式を執り行う」
老年の教師がステージ上に上がった。一人一人の名前が呼ばれていく。騎士科から始まり魔導士科の番となったが、一組から順番に呼ばれているので、四組のサクラが呼ばれるにはもう少しかかりそうだ。総勢二百四十名にも及ぶため、なかなかに時間を使う。
三組の大部分が呼ばれる頃には周りがそわそわし始め、つられるようにサクラも緊張してきた。
「サクラ・ツキユキ」
「はい!」
元気に返事ができた。それだけでサクラはホッとした。ホズミも同じ気持ちだったようで、返事を終えると肩の力が抜けたようだった。視線で合図を送ると小さく笑ってくれた。
新入生全員の名前が呼ばれると、ステージ上の老年の教師が長い式辞を述べ始めた。どうやらこの養成学校の校長らしく、白い口髭をたくわえて優しそうな顔をしている。
「皆さんがこの学校でよく学び、卒業した後は第一線で活躍してくれることを期待します。ようこそ、オリベ養成学校へ」
こうして入学式は粛々と進んでいった。
入学式が終わるとまた二列に並んで教室へ戻り、ニクマルから学校生活の注意事項を説明された。
許可なく養成学校の敷地内から出ては行けない。森への立ち入り禁止、演習場以外での魔術の使用禁止、廊下は走るな、二列以上に広がって歩くな、食事は残すな、部屋の掃除は毎日など細かく多岐にわたっている。その中でもこの学校ならではの注意事項があった。
ここは防衛軍の養成学校であるため、学びながらも給金が出る。だが人材を確保したい国の施策なので、養成学校を中退もしくは卒業後、軍務に就かない者は、それまでに支払われた給金をすべて返納しなければならない。
これを厳しいと思うかどうかは本人が育ってきた環境によるだろうが、少なくとも孤児院出身のサクラにとって、途中で辞めたいと言えるような条件ではなかった。だがサクラのように防衛軍に入りたいと考えている者にとっては、願ったり叶ったりの待遇だろう。
この国には他にも学校があるが、給金をもらいながら学べるのは、防衛軍の養成学校だけだ。他はどこも学ぶために多額の授業料を払わなければならず、サクラの境遇でなくとも、裕福な家の子どもでなければまず通えない。
ニクマルは一通り注意事項を言い終えると、午後からの予定について話した。
「本格的な授業は明日からだが、今日は昼食の後、構内の案内を兼ねて体力測定を行う」
体力をどうやって測るのかまでは説明されなかった。入学試験のときにも走ったり跳んだりさせられたが、わざわざ時間を取るくらいだから、それとはまた別の方法で計測するのだろう。
測定場所はいくつかに別れていて、クラスごとに決められた順番で回り、その場に行けば担当の先生が説明してくれるらしい。
授業と授業の合間は十分の休憩しかないと教えられたが、昼休みだけは一時間四十分にも及ぶ。生徒の数が多いので、食堂の混雑を考えてのことだろう。それでも席を数えてみれば、全員が入れるほどの広さがあった。
それぞれ食事を終えるとまた教室に戻り、午後の授業開始の鐘が鳴ると共に、最初の測定場所へと移動を開始した。
「まずは垂直跳びだ」
線の書かれた壁際に立たされ、その場でどの高さまでジャンプできるかを測るらしい。名前を呼ばれた者から前に出て行く。その様子を見ていたら後ろから誰かにぶつかられた。
「そんな邪魔なところに立たないでよ」
ぶつかってきたのは同じクラスの女の子だ。周りには他にも人がいるし、サクラだけが邪魔になるような位置に立っていたとは思えない。
「ちょっとノウゼン様やハナカイドウ様と話せたからって、いい気になってるんじゃないわよ。この田舎者が」
なるほど。ぶつかってきたのはわざとで、それが言いたかったというわけだ。周りを見渡すと他にも敵意を露わにした女子がこちらを見ていた。
アスマもウキも整った顔立ちをしているのでもてそうではあるが、なぜ様付けなのだろうか。もしかしたら二人の家が関係しているのかもしれないが、どうせ忠告するのならその理由も教えてほしかった。
最初に測定していたホズミが戻って来た。ぶつかってきた女子とサクラを見比べて、何かがあったと察したようだ。
「どうかしたの?」
「そっちの子にもよく言い聞かせておきなさい。あの二人はあなた達が話せるような身分じゃないんですからね」
言いたい事を言って満足したのか、女子は去って行った。
「もしかして、ウキくんとアスマくんのこと?」
ホズミは察しがいい。
「二人とも育ちがよそうだなとは思ったけど、家がらみの話?」
「詳しくは教えてもらえなかったけど、たぶんそうだと思う」
同じ制服を着ていても彼らは他の生徒に比べて所作がきれいで、あれが品格というものなのかもしれない。
「校長先生が入学式で、生徒はみんな平等だって言ってたけど、やっぱりそうはいかないよね」
小さな村の中でも裕福だったり、狩りが上手かったり、博識だったり、そういうことで威張る人間はいたし、もてはやす人達がいた。平等だと説かれたところで、人が集まればそういう形がおのずと出来上がってしまうものだとは、子どものサクラでも知っていることだ。
「サクラ・ツキユキ」
測定の順番が回ってきたようだ。
「行って来るね」
「うん、がんばって」
ひとまず入学後に、ホズミという気の合う友達を得られただけでもありがたいことだ。
「手に粉をつけてね」
指示された場所に立ち、先生の笛の合図でジャンプして、伸ばした手を壁に当てる。えいっ。
「おお、ずいぶん跳んだよな、今の子」
「七十センチメートル越えだぞ」
「女子なのにすごいな」
全力で跳ぶと周りから声が上がった。好成績だったということだろう。ホズミの元へ戻ると、手を叩いて褒められた。
「すごいね、クラスで一番高かったんじゃない?」
「えへへ、体力だけは自信があるの」
素直に称賛を受け止めると、周りから囁くような声が聞こえた。
「気持ち悪い、何あのジャンプ力」
「山猿でもあるまいし」
「何かズルでもしたんじゃないの」
もちろん先程サクラを睨んでいた女子達である。ただ飛ぶだけの競技でどんなズルが出来るというのか、女の嫉妬って怖いなと若干十三歳にしてサクラは悟ってしまう。
「気にしちゃ駄目だよ」
「うん、平気。ホズミこそ大丈夫?」
「ああいった手合いは相手にしないから平気」
なんとも頼もしい友達ができたものだ。
次はアスマとウキが呼ばれて位置についた。二人ともそこそこ高い位置まで飛んだ。途端に女子の黄色い声が上がる。
「素敵! さすがはノウゼン様!」
「ハナカイドウ様もすごいわ!」
「七十センチメートルは行ったんじゃないかしら」
二人ともサクラとあまり変わらないジャンプ力なのだが、あちらは山猿とは呼ばれないらしい。やはり品格の差か。
ぼんやりと眺めていたらアスマと目が合った。なぜかこちらに歩いてくる。
「ふんっ、なかなかやるじゃないか」
「アスマくんも高かったね」
「当たり前だ。俺はこの学校を首席で卒業するんだからな」
ずいぶん大口を叩くものだと思ったが、それもまたアスマであれば手の届かない話ではないのかもしれない。何せ入学式で、新入生代表の挨拶を述べていたくらいだ。
朝食の場ではそんな話をしていなかったので、突然名前を呼ばれて壇上に上がったときは驚いた。なんでも入学試験の成績が一位だった者が、新入生の代表として挨拶をするらしい。
「卒業するときも挨拶を読む役があるの?」
「答辞だ。それくらい知っておけ」
「答辞? 何かに対して答えるのかな」
「在校生が送辞を読むのに対して述べる答えだ」
「物知りだねえ、アスマくん」
「お前が物を知らないだけだろう」
こうして会話をしている間も、女子の視線が突き刺さっている。なんなら他のクラスの女子も見ている気がする。羨ましいならいっそのこと、この会話に混ざってきたらいいのにと思ってしまう。
「次の競技は反復横跳びか」
「あの横に跳ぶやつ、楽しそうだよね」
「あれのどこが楽しそうなんだ、お前の感性はどうなっている。まあいい、次はお前に差をつけて勝つからな」
「うん、がんばってね」
応援したのに睨まれた。気難しい人である。
そのままアスマは去って行った。
「さて、私たちも次の場所に移動しようか」
「うん。あの、サクラってすごいよね」
アスマとのやり取りを黙って見ていたホズミが呆けたように呟いた。
「何が?」
「いや、なんていうか嫌味をかわすのも上手いし、さらりと嫌味を……え、さっきのがんばってはわざと言ったんだよね」
「わざとっていうか、本当に応援してるよ。ただね、ホズミ」
応援はしているが、サクラは自分が負けるとも思っていない。
「実は私、体力にも運動神経にもすごく自信があるの」
「そうなの?」
「昔から野山を駆けたり、木に登ったり、山に登ったりしてたからね。あ、家の屋根にも登ってたわ」
主な目的は食料の調達だが、孤児院の屋根は修理のためである。
「やだ、木だって」
「家の屋根なんかに登ってどうするの?」
アスマがいたときは睨むだけだった女子たちが、くすくすと笑っている。しかし何事も出来ないより出来た方がいいはずだ。軍に入れば危険な任務もあるだろう。魔術だけですべてを乗り切れるとは限らないのだから、なんでも経験しておく方がいいとサクラは思う。