006. 魔導士科一年四組
「おい、ぼさっと突っ立ってないでさっさと歩け」
立ち止まってしまったサクラにアスマが文句を言ってきたが、それよりもこの驚きを共有したい。
「ねえねえ、あれ見て、すごいよ」
サクラが指差した方向を見て、アスマの眉間に皺が寄る。そこには人の顔程もある大きさのパンを三つと、超大盛のご飯をトレイに乗せた男子生徒が歩いていた。
「朝からすごい量だけど、あれ全部一人食べるのかな」
「体格からして騎士科の奴だろうな」
「パンと米、選ばずにどっちも取っていいんだね」
「何に感心しているんだ、馬鹿馬鹿しい」
サクラを追い越し、アスマは空いているテーブル席の方へと歩き出した。文句を言いつつも、四人が座れるスペースを選んでくれたことに、にやけてしまう。
「騎士科って体を動かすことが多そうだし、お腹が空くんだろうねえ」
「お前も騎士科に編入すれば、あれくらい食えるようになるかもしれないぞ」
「それに慣れると、将来の食費が大変なことになりそうだから遠慮しとく」
アスマが座った前の席に陣取ると、ホズミとウキも後からやって来て、それぞれ隣に座った。
「いただきます」
挨拶をして食べ始める。今日も美味しい。
「そういえばこの食堂、食べ残しは禁止なんだって。知ってた?」
「え、そうなんだ。誰かに食べてもらうのはいいの?」
「それも駄目なんだって」
アスマとサクラに比べて、ウキとホズミの会話はとてもほのぼのとしている。
「ホズミさんは、嫌いな食べ物があるの?」
「ピーマンが駄目なの。食べれないことはないんだけど、あの苦みがどうも苦手で」
「そっか。ピーマンって珍しい野菜じゃないから、そのうち出て来そうだね」
「そうなの」
まだ出て来てもいないのに、ホズミは既に憂鬱そうだ。
「ウキくん達は好き嫌いはないの?」
「アスマはナスとキノコが食べられないんだよね」
「食べられないわけじゃない。好きじゃないだけだ」
「じゃ、食事に出ても大丈夫だね」
ウキに笑顔で同意を求められ、アスマの眉間に深い皺が寄った。手放しで大丈夫とは言いたくないらしい。
「お前だってニンジンが嫌いなくせに」
「ニンジンはねー、しょうがない。だって甘いんだよ、野菜なのに」
ウキが遠い目をした。
「ニンジンだったら、ピーマンよりも出て来る確率が高いんじゃない?」
「そうなんだよね。あー、食べてもらうのも駄目なのかー」
好き嫌いのないサクラは食事を進めながら、大変そうだなあと会話を聞いていたが、すぐにアスマから話の矛先を向けられた。
「お前は落ちてるものでも、なんでも食いそうだよな」
「落ちてるものって何? 栗とか? 栗は美味しいよね。アスマくん、栗も苦手だなんて可哀想だね」
「誰がそんなことを言った、普通に拾い食いをしそうだと言ったんだ」
「普通の拾い食いが何を指すのかよく分からないけど、どうしても食べられないってものはないかな。アスマくんはナスとキノコだっけ、食べられないものがあってこれから大変そうだね」
「食べられないわけじゃないと言ってるだろうが」
「そうだね、ちょっと苦手なだけだもんね。がんばれば食べれるよね」
息をするように意地の悪い言葉が出てくるアスマに、負けじと笑顔で返してやる。すると、ウキが突然笑い出した。
「サクラさんは本当におもしろいね。こんなにアスマと話せる女の子なんて見たことないよ」
会話が成立しただけで褒められたのは初めてである。話せる女の子がいなかったということは、言われっぱなしで言い返さなかったのだろうか。そちらの方がサクラにとっては不思議である。
「ふん、授業が始まったらそんな生意気な口もきけなくなるからな」
「なんで?」
「俺とお前では頭の出来が違うからだ」
「自信満々だね」
しかしサクラだって入学するにあたって何もしてこなかった訳じゃない。絶対に見直させてやる! と口には出さなかったものの、その意気込みが表情に出ていたようで、アスマにふんっと鼻で笑われた。
朝食を食べ終わり、今度は教室へ移動することになった。一年生の教室は一階にあるらしい。
この学校の校舎は四角から棒を一本取ったような形になっていて、真ん中から東側が魔導士科、西側を騎士科と区切っている。食堂は二階のちょうど真ん中に位置していた。
「あったよ、一年四組だって」
「いちいち騒ぐな、あって当たり前だろうが」
一年四組のプレートを見つけて扉を開けると、階段のように斜めになった教室が現れた。傾斜は緩やかだが、黒板のある場所が一番低く作られている。
「先生はこの黒板で授業をするのかな」
「そうなんじゃないかな。向こうの黒板は小さいし」
教室をぐるりと見回すと高い位置にも黒板があったが、低いところのものに比べると小さく、見えにくそうだ。
「生徒の方が先生よりも高い場所に座って授業を受けるんだね」
「変わった作りだよね」
「たぶんこの形なら、どこに座っても黒板が見えるし、先生からも生徒が見渡せるからじゃないかな」
「なるほどね」
ウキの分かりやすい説明にサクラとホズミが頷いているうちにも、アスマはさっさと後ろの席を陣取っていた。
「好きなところに座っていいのかな」
「黒板には何も書いてないし、もし移動するように言われたら、そのときに移ればいいよ」
ウキはアスマの隣に、サクラとホズミはその前の席に座ることにした。
机の傷がちらほらと目につく。これまでこの教室で勉強してきた生徒がつけたものだろう。きっと自分たちと同じようにやる気に満ち溢れて入学したに違いない。そう思うとなんだか感慨深いものがある。
「ここで私たち、三年間を学ぶんだね」
机の傷を撫でながらおもわず心の声を漏らすと、すかさず反論が返ってきた。
「はあ? ここは一年生の教室だぞ。学年が変わったら教室も変わるに決まってるだろうが」
言われてみればその通りだが、せっかく高まった気分が台無しである。
「アスマくんってやっぱり情緒がないよね」
朝だって桜の木を、ただの木に咲く花と称していた。そんなひねくれた表現をする人はそうそういない。
「あいたっ」
ポニーテールに結っていた髪をアスマに引っ張られた。振り向くとにやにや笑っている。
「ゆらゆら揺れて目障りだな」
サクラはこの現象に既視感を抱いた。孤児院で小さな男の子が好きな女の子をいじめるという光景は珍しくなく、それは自分を構ってほしいが故の行動である。
「アスマくん、実は私のこと気に入ってるんでしょう。だからそうやってちょっかいを」
「はんっ」
すべてを言い切る前に鼻で笑われた。なぜか言葉を尽くして反論されるよりも悔しいものがある。
「サクラ、ほらほら、すごくきれいな子が入って来たよ」
そこでホズミに肩を叩かれ前を見ると、金髪碧眼の女の子が教室に入ってきたところだった。腰まである長い髪はふわふわとカールしていて、まるで人形のように整った顔立ちである。
「うわあ、世の中にはあんな女の子がいるんだね」
しかしながらその後ろに続く女子生徒の群れはなんなのだろうか。金髪の美少女を取り囲むようにして、その女子達は黒板の前の席を陣取った。
「ふんっ、ぞろぞろと鬱陶しい」
あのような美少女に見惚れることもなく悪態をつくとは、さすがはアスマである。
ふいに美少女がこちらを見上げてきた。目が合った気がして驚いているうちにも向こうが立ち上がり、スカートをつまんで優雅なお辞儀をしてきた。
訳が分からずサクラがきょろきょろ辺りを見回すと、ウキが笑顔で彼女に手を振っていた。
「知り合いなの?」
「うん、親同士がね。その関係で僕達も小さい頃から顔見知りなんだ」
「僕達?」
おもわず繰り返すとアスマにじろりと睨まれた。
「なんだ」
「いや、アスマくんも知り合いなのかと思って」
「べつに。顔を知っている程度だ」
アスマはウキのように手を振り返すこともなければ、興味もなさそうだ。あんな美少女にもなびかないのであれば、サクラに冷たい態度を取るのも頷けるというものだ。
「コデマリ・ツユリさんっていうんだよ」
都会にはあんな美少女がたくさんいるのかなあ。なんて暢気なことを考えていたサクラであるが、その取り巻き数人に睨まれていることにはまだ気づいてなかった。