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032. オリベの街へ

 七月に入ると、いよいよ中央での研修会が行われる。

 北の地にあるオリベ養成学校と、南のハナロクショウ養成学校が中央センザイまで赴き、防衛軍の活動内容について学ぶのだ。

 ヘキ村しか知らないサクラにとっては他のどの村や町も未知の土地ではあるが、この国一番の大きさをほこる街がどれだけにぎやかで華やかな場所なのか、出発まで十日もあるというのにわくわくしっぱなしである。


「街を見て回る時間とかあるのかな」

「どうかな、授業の一環だからね。でも一緒に見て回れたらいいね」


 夕食を終えて部屋で課題をしていても、ついついホズミと研修会の話になってしまう。ホズミも生まれ育った町しか知らないらしく、センザイへ行くのを楽しみにしていた。


「でもその前に明日の休息日だよね!」


 五日に一度は巡ってくる休息日だが結局課題で潰れてしまい、サクラもホズミもオリベの街まで出かけたことはなかった。しかし入学から三ヶ月、ようやく余裕も出てきたことで、明日は一緒に買い物へ出かけることにした。研修会までに用意する物もある。既に外出申請も提出済みで準備は万端だ。


「オリベはどんな街なんだろう。買うものリストは用意したし」

「お財布も忘れないようにしないとね」


 給金は毎月月末に支給される。四月は制服代や教科書代が引かれて少なかったし、実は食費も毎月引かれていると知って驚いたが、それでも五月からはそれなりの額が支給されていた。

 ただし生徒が使える上限は月に一万エンと決まっていて、残りは貯金に回される。貯めたお金は卒業する際に渡されるらしい。万が一退学しなければならない事情ができたときは給金を返還しなければならないので、予防の意味があるようだ。


 サクラとホズミは明日のために一万エンを持っていくことにした。






 オリベの街は想像以上に賑やかだった。

 養成学校の生徒は外出時も制服の着用が義務付けられているため、二人ともいつもと変わらぬ制服姿である。すれ違う人からときどき視線を感じたが、サクラもホズミも服はやって来たときに着てきたものだけだったので、どちらかというとありがたい決まりである。


「わー、人がたくさんだ」

「お祭りみたいににぎやかだね」


 こんなにたくさんの人が住んでいるのかと思うくらい、通りが人で溢れかえっている。それもそのはずでこの大通りにはいろんな店が集まっていた。


「ホズミ、本屋があるよ」

「本当だ、すごく大きいね」


 ヘキ村には本屋というものがなかった。たまに行商人が古本を持ってきてくれたが、それだって孤児院ではそうそう買えるものではない。


「入ってみる?」

「子どもだけで怒られないかな」


 重厚な黒檀を使った店構えは重々しく、一目で高価な品物を扱う店なのだとわかった。いや、そもそもこの辺りの店はみんな高級そうで、子ども向けの店ではないのかもしれない。

 場違いすぎて入るのを躊躇っていると、中から店員が扉を開けてくれた。


「いらっしゃい、お嬢さん達。何かご入用かな」


 制服を着ているのでオリベ養成学校の者だとわかったのだろう。にこやかに接してくれるのはサクラ達が客だと思っているからか。


「あ、その、私達、見ていただけで、何が欲しいってわけじゃないんです」


 扉の向こうにずらりと並んだ本が見えた。店の中がどのようになっているのか気になるが、入ってもきっと自分達が買えるような品ぞろえではない気がする。


「最初は見てくれるだけでもいいんだよ。そのうち必要になったら買いに来てくれれば」


 ホズミと顔を見合わせる。


「本当に何も買わなくて大丈夫ですか?」

「もちろん。さあ、どうぞ」


 身なりの良い店員は、もしかしたらこの店の主人なのかもしれない。歳の頃は初老で優しい目をしている。


「入ってみようか」

「うん」


 サクラとホズミは招かれるまま店内に入った。そして外から見えたよりもずっと多い本の数に圧倒された。


「こんなにたくさんの本、初めて見ました」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。君達は本が好きなのかい?」

「はい」


 サクラとホズミの返事が揃った。ホズミほどではないがサクラも本は読む。


「物語が好きかな、それとも偉人の伝記ものが好きかな、自然や動物について書かれた本もあるよ」

「もしかして糸とか布とか、そういう物について書かれた本もありますか?」


 ホズミの問いに、店員は一つの棚の方へと案内してくれた。


「この辺は自分で服や小物を作る人のための本だよ」

「そういう教科書があるんですか?」

「あるよ。口伝だけだと分かりにくかったり、技術が廃れてしまうからね」


 ホズミの目がきらきら輝いている。家が糸屋だと言っていたので、縫製に興味があるのだろう。


「この辺だと、お嬢さん達にも分かりやすいかな」


 店員が本棚から一冊を取ってくれた。


「え、ここで読んでもいいんですか?」

「もちろん。中身を見ないとどんな本か分からないからね。ただくれぐれも汚さないように気をつけてね」

「はい」


 店員は今度はサクラの方を振り返った。


「お嬢さんはどんな本がお好きかな」


 そう問われると困ってしまう。

 孤児院には選べるほど本はなかったし、サクラは毎日課題に追われているような状況なので、ホズミのように図書館で借りて読む余裕もこれまではなかった。


「あ、魔術関連の本はありますか?」


 それは何よりも興味のある分野である。


「魔術書は基礎的なものしか出回ってなくてね。養成学校の生徒さん方には、いささか物足りない内容だと思うよ」

「そうなんですね」


 孤児院に魔術の基礎本しかなかったのは、出回っていなかったからという理由もあったのかもしれない。


「魔術の専門書があったら売れそうなのに、出ていないなんて不思議ですね」

「魔術というものは強力な力だからね。然るべき場所や人物に教わらないと、危ないんだよ」

「なるほど」


 ニクマルも演習場以外では使うなと注意していた。特殊な作りをしている演習場であれば、何かあっても被害が外にまで出る可能性が少ないからだ。


「じゃあ料理の本なんてありますか?」


 料理の本は割と普通に流通していて、孤児院や村の家々にもあった。これだけ大きな本屋であればさぞかしたくさんの料理本があることだろう。


「料理の本はこの辺だね。コンバル国内のいろんな地域の料理から、外国の料理まで揃ってるよ」

「外国まで!」


 サクラの素直な反応に店主は気を良くしたようだ。


「とは言え外国の料理は外国語で書かれたものが多いんだけどね。養成学校では外国語も習うんだろう?」

「はい。あ、でも私はあまり外国語が得意じゃなくて、できたらコンバル国の文字で書かれたものを見せてください」

「ははっ、もちろんいいとも」


 そう言って渡されたのはお菓子の作り方が書かれた本だ。丁寧な挿絵までついている。


「料理の本は、養成学校の先生もたまに買ってくれるんだよ」

「へえ」

「クマノミ先生って言ったかな」


 体術の担当をしているレモンのことだ。そうか、この本屋でレシピを調達しているのか。


「その先生、この前紫色のドレッシングを作ってましたけど、そんなレシピが書かれた本もあるんですか?」

「紫色は見たことも聞いたこともないね。オリジナルレシピじゃないのかい」


 たしかにあの紫色ドレッシングのレシピがあったところで作る気にはならない。


「それじゃあ私はカウンターにいるから、何かあったら声をかけてね」

「はい、ありがとうございます」


 ぱらぱらとお菓子の本のページをめくると、見たこともない絵がたくさん描いてあった。

 サクラにとってお菓子は贅沢品なので、これから作る機会が訪れるかはわからないが、これは見ているだけでも楽しい。材料もアーモンドプードルやオレンジリキュールなど、聞いたこともないものが載っている。


 オリベ養成学校を卒業して、一人前の軍人として働くようになったら、もしかして新しい趣味としてお菓子作りを始めてもいいかもしれない。そのときにはぜひこの本屋でお薦めを見繕ってもらいたい。などと思うくらいには、サクラはこの本屋が気に入った。




 あまり長居しても迷惑なので、程々のところで店員に礼を言って本屋を後にしようとしたところで、カウンターに置かれた小物類に目が行った。


「あの、これって売り物ですか?」

「ああ、そうだよ」


 そこに置いてあったのはレターセットである。きれいな色のついた紙で、封筒とセットになっている。値段は七百エンと書いてあり、安くもないが高くもない。本を見せてもらったお礼にこれくらいは売り上げに貢献してもいいのではないだろうか。


「サクラ、買うの?」

「うん、どの色にしようかな」

「私も家に書きたいし、買おうかな」


 二人で色を悩んだ末に、サクラは薄紅色、ホズミは淡い緑を選んだ。


「毎度ありがとうございます」


 お金を支払い、店員からそれぞれレターセットを受け取って鞄に入れた。


「また来てもいいですか?」

「もちろんどうぞ。お嬢さん達が来てくれると、店の仲が華やかになるからね」


 お世辞だろうけどホズミと顔を見合わせて微笑んだ。


「他の本屋はうちと違って立ち読み禁止のところが多いから気をつけるんだよ」

「はい、ありがとうございます」


 最後まで親切な店員であった。


「家でいろんな縫い方を教わったつもりだけど、あそこの本にはもっとたくさんの縫い方が載ってたの。ああ、いつかあの本を買いたいなあ」


 興奮冷めやらずといった感じにホズミがうっとりとつぶやいた。


「私もいつかお菓子作りの本を買いたいなあ。そして作ってみたい」


 それなら買うよりもたくさんお菓子が食べられそうである。


「じゃあ私はサクラが作ったお菓子を食べてみたいな」


 不純な気持ちまでは伝わらなかったようで、ホズミが朗らかに笑ってくれた。


 最初のお店で親切にしてもらえたことで、その後の店巡りはあまり怖いと思う気持ちがなくなった。必ず買うわけではないので迷惑そうな顔をされることもあったが、二人であれこれ話しながら見て歩くのは楽しかった。


「あれ、サクラさんとホズミさんだ」


 目当てのものを買い揃え、そろそろ帰ろうかと話していたところで、アスマとウキにばったり出会った。


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