251. みんな置き去り
フヨウたちに背を向けて内緒話をする格好のまま、サクラは驚きに固まってしまった。
「お前、あんなのに憧れてたのか?」
アスマに、暗に趣味が悪いと言われた気がしたが、総帥との子どもじみたやり取りを見た後なので、おもわず唸ってしまう。
「あの人はもっとカッコよかった気がするんだけどなあ」
「記憶補正だな」
ばっさりと切り捨てられ言葉に詰まると、ホズミがまあまあと間に入ってくれた。
「それでサクラ、指輪はどうしたの? 寮に置いてあるの?」
「それが……今、持ってるんだよね」
首から下げていたペンダントを服の中から取り出して見せた。
「もしかしたら孤児院の先生たちが覚えてるかもしれないと思って持ってきたんだけど、鞄の奥にしまったまま訊くのを忘れちゃって」
ヘキ村を出てから思い出し、なんとなく首から下げていたのだ。
「まあ、お前の恩なんて所詮そんなものだろうな」
「ぐっ」
そんなことはないと言い返したいが、フヨウや院長先生から聞いた話を思い返したり、あれこれと働いて、魔術や体術の練習などに気を取られているうちに頭から抜けてしまっていたのは確かである。
「あれ、それって」
いつの間にか背後に立っていたのか、マルコが上から覗いてきた。突然背後から声をかけられて肩を揺らすほど驚いた。
「見覚えのあるケースだね」
ということは、やはりこれはエビの指輪なのだろう。こんな身近に恩人がいるなんて世間は広いようで狭い。
「何年か前にヘキ村の川の堤が壊れて、防衛軍の方が直してくれたんですが、そのときやって来た方の忘れものです。中に指輪が入ってるなんて最近まで気づかなくて、すみません」
「べつに僕に謝らなくてもいいけど、忘れものなの? 預かったんじゃなくて?」
「はい。防衛軍に入ってまた会えたときに返すつもりだったんですけど」
その恩人がこんなにすぐ近くにいたなんて。
「エビ副隊長のもの、ですかね?」
マルコがうーんと唸って首を傾げた。泥棒だと思われたらどうしようか。急に怖くなってきた。
「指輪には青い石がついてた?」
「はい」
首から外したケースごとマルコに渡すと、一見して開け方のわからなさそうなそれを、いとも簡単に開けてしまった。
「たぶんエビが買った指輪だと思うけど」
ケースから取り出しはしなかったが、マルコは指輪をじっと見つめて言った。
「ああ、そんなに心配しなくていいよ。本人が持ってたってどうせ、このケースから指輪が出ることはなかったんだから。それに」
なにか言いかけたところでマルコは突然後ろを振り向いた。同時に衝撃音が響く。
「え、なに?」
マルコはサクラたちに背を向けて立ち、さらにその前にはフヨウが立っていた。そしてエビもまたこちらを庇うように立ちはだかっている。
「てめえの相手は俺だろうが。まったく油断も隙もねえな」
「その子は君に関係ないだろう」
「隊長が守ろうとしてるのに俺が知らん顔で渡すと思うか?」
総帥はやれやれといった風にため息をついた。マルコがなにが起きたのか説明してくれる。
「スイセンがサクラちゃんを攻撃しようとしたんだよ」
「なんで……」
「さあね、ここまで来た目的をようやく思い出して、隙をついてさらう気だったんじゃないの」
コデマリにも同じように攻撃をしかけて、そのせいでエビが怪我をしたと聞いた。同じことをしようとしたのかもしれないが、どうしてこうもやり方が姑息なのだろうか。こういうところもまたサクラが総帥を嫌う理由の一つである。
「連れて行くのと攻撃は別じゃないですか。もし当たっていたらサクラが怪我をしていたかもしれないんですよ」
ホズミがサクラ以上に不満そうな顔で呟いた。
「僕たちが庇うことまで想定済みなんだろうね。ま、油断は禁物ってことで、指輪の話は後にしようか」
マルコに言われてサクラは指輪の入ったケースを服の中に戻し、エビたちの方へと向き直った。軽口の応酬は続いているが、先程までのおどけた雰囲気はもうない。
しかし思うのだが先ほど顔を合わせた際、総帥はサクラになど目もくれずフヨウやエビに絡んでいた。本当にサクラを連れて行きたいと思っているのだろうか。
「そうやって目的のためならなんでもするところがいけ好かないんだよ」
「君に好かれたところで嬉しくもないな」
「隊長だっていけ好かないと思ってるさ」
「君はフヨウではないだろう」
「何年側にいると思ってるんだ。隊長がどう考えるかくらいわかるに決まってんだろ」
「フヨウの騎士になったとでも思っているのか、おめでたいな」
総帥が先ほどまでよりも速く強力な魔術を放ち、エビは持ち前の反射神経と魔術でそれを避ける。いつか見たフヨウと校長の戦いよりも派手で激しく、目で追えないほどに速い。
「あー、さすがにスイセンも昔の勘を取り戻してきたかな」
「足りないところを魔力で補ってるだけだ。ちっ、やっぱり譲るんじゃなかった」
マルコに言われてフヨウが悔しそうに呟いた瞬間、エビの半身が氷に覆われた。しかしそれもすぐに割れて、今度は氷の礫がエビ目がけて降り注いだ。礫のいくつかは防御壁を突き破り、エビの体から血が流れた。だがエビは総帥を睨みつけたまま表情ひとつ変えずに立っている。
「魔力でごり押しされると、どうしたって僕らは不利なんだよなあ。しかもスイセンの魔術は一級品だし。こりゃあエビ、駄目かもね」
「え!」
早くもため息を吐いたマルコにサクラは困惑した。
「さっきは大丈夫だって言ったじゃないですか」
「スイセンが勘を取り戻す前に勝負をつけるべきだったね」
そんなあっさりと言われても。フヨウを見上げるとこちらもまた難しい顔をしていて、おもわずと言った風にマルコが窘める。
「駄目だよ、これはエビの喧嘩なんだから」
「わかってる……」
もしここでフヨウやマルコが加わればきっと状況は変わるのだろうが、二人とも動くつもりはなさそうだ。
今度は氷の刃がエビを襲い、避けてもその後を追って切りつけた。
近接戦になればエビが有利で、総帥もそれはわかっているのか、攻撃はほぼ魔術によるものへと変わった。同時に目に見えてエビが防御に回り、表情もどこか苦し気に見える。
どうか負けないでほしい。気づけばサクラだけではなくホズミたちも拳を握って見入っていた。
「おいサクラ、その首にかけてるもの貸せ」
突然フヨウが手を差し出してきた。首にかけているものとは、エビの指輪のことだろう。先程の会話を聞かれていたことに気づいた。
「えっと、これは私のものじゃなくて」
「知ってる」
つまり中身も知っているということだろうか。勝手に渡してよいものか迷ったが、なぜかフヨウは不機嫌そうに眉間に皺を寄せていて、ちらりとマルコを見ると肩をすくめられた。たぶん渡しても問題ないということだろう。サクラは首から外したケースをフヨウへと渡した。
「投げたり捨てたりしないでくださいね」
「ん」
フヨウは迷うことなくケースから指輪を取り出すと、自分の指にはめた。彼女の瞳と同じ色の青い石が日光を受けてきらりと光った。その行動に驚いたのはサクラだけではない。
しかしなぜかフヨウの眉間の皺がさらに深まった。
「サイズが合わないんですか?」
ホズミが尋ねると、フヨウは「ゆるくもなければ、きつくもない」とため息と共に答えた。
十年以上前に買ったものなのに、どうしてサイズがぴったりなのか不思議だが、フヨウの中では喜ぶところではないらしい。
フヨウは指輪から視線を外すと、いまだ激しく戦っている二人に向き直った。
「おいエビ!」
「はい!」
フヨウが声を張り上げると即座に返事が返ってきた。エビも総帥も動きを止めることはなかったが、フヨウを意識しているような感じがする。
その二人に向けて指輪をつけた手を見せつけるように顔の高さまで上げた。
「負けたら外す」
「は? え、なんの話ですか?」
さすがにこちらの話は聞こえていなかったようで、攻撃を避けつつも戸惑っているエビに、フヨウはさらにもう片方の手で指輪の入っていたケースを持ち上げた。
その瞬間、エビの蹴りが見事に総帥に入った。これまでにないほど派手に総帥がふっとばされる。
一拍の間を置いてエビがフヨウを振り返り、目を見開いたまま固まった。総帥もまた体を起こし、食い入るようにフヨウを見つめている。
普段なら茶化しそうなマルコまでもが同じ反応で、サクラたちは訳も分からず大人たちを見比べた。




