229. 最後の一組
コデマリの祖父を見つけたのは、探し始めて四か所目の教会だった。巡礼の予定は公開されていたため、近くの教会で確認してから船で向かい、目的地付近の河川港まで移動した。ホズミとミキはただ乗っているだけでよかったが、ほぼ一日中操船していたフヨウはさぞ疲れたことだろう。
それでも目的の人物は無事に見つかり、なんとかここまで連れて来ることができた。
フヨウとコデマリの祖父は顔見知りだったようで、顔を合わせるなり角突き合わせていたけれども―――――
「ようじいさん、まだしぶとく生きてたとは、あの世からのお迎えにも嫌われたか」
「誰かと思えば尻の青い小娘、いや、もう娘という歳でもないな、行き遅れ女子といったところかの。その子らはなんだ、結婚したという話はとんと聞こえてこないが、いつの間に子持ちになったのだ?」
「とうとうもう碌したかクソジジイ、こいつらはオリベ養成学校の生徒であんたの孫の友達だよ」
「ほう、コデマリの」
孫の名前が出た途端、コデマリの祖父は嬉しそうに相好を崩した。
「この寒いのに礼拝に来てくれたのかね、ありがとう」
「ちげえよ、じいさんとこのバカ息子がまたやらかして、あちこちに飛び火してるんだよ」
それまで笑顔だったコデマリの祖父の顔が一気に曇った。
「なんの話だ? いや、もしそうだとしてなぜ儂よりも先にお主がそれを知っておるのだ」
「ひとまず話を聞け。そのためにこの子らを連れて来たんだから」
そうしてフヨウはミキにコデマリの政略結婚について説明させた。
「私はコデマリ様のご事情に差し出口を挟める立場ではありません、ですがどうか、もう少しコデマリ様に猶予をください。コデマリ様はいざというときには家族を養うつもりだとおっしゃっていました。それなのに、その家族に一方的に、家のために養成学校を辞めて結婚しろなんて言われてどんなにお辛かったか……」
ミキの瞳から涙がこぼれた。その背を撫でてホズミも言葉を添えた。
「私からもお願いします。成績を見ていただければわかる通り、コデマリさんは養成学校ですごくがんばっています。それが親の一言ですべて台無しになるなんてあんまりです。私達はたまたま知ることができてここまで来られましたが、他の友人達だって突然コデマリさんが退学したら悲しみます」
コデマリの祖父は難しい顔をして話を聞いていたが、やがて大きく息を吐いた。
「お嬢さんがた、ここまで知らせに来てくれてありがとう」
「おう、感謝しろよ」
「お主にゃ言っとらん!」
フヨウが茶々を入れるとコデマリの祖父は威嚇するように睨みつけた。
「鬼の居ぬ間にすべて決めてしまおうって腹だったみたいだぞ。相手までは知らないけど、教会の関係者らしい。まったく、どうしようもないバカ息子だなあ」
「否定はせんが、そういう台詞は子どもの一人でも育ててから言ってみろ」
もう一つため息をついたコデマリの祖父は、ホズミとミキに向き直った。
「安心しなさい。コデマリは冬休みが終わればオリベへ戻る」
その言葉にホズミもミキも目を見開いた。
「そもそもどうしても防衛軍の養成学校へ入学したいと言うから行かせたのに、たった一年もしないうちに辞めるなど、儂の自慢の孫がそんな根性なしのはずがないからの」
「バカ息子は根性なしに育ったようだけどな」
「お主はちょっと黙っておれ」
コデマリの祖父は全体的に小柄で、笑うと好々爺然とした風貌である。でも相手がフヨウだと少しだけ毒がにじみ出てしまうようだ。
「ところでコデマリはどこに家出したのだろうか、居所はわかっているのかの」
心配を多分に含んだ質問に、ホズミもミキもおもわずフヨウを見てしまった。
「コデマリの居所は八割方突き止めてる感じだな」
「なんじゃその煮え切らん数字は」
「他の奴らが捜してる最中なんだ。それについて、もう一つ悲報があるんだけど聞くか?」
「聞きたくないがかわいい孫のために聞いてやる。もったいつけずにさっさと話せ」
「コデマリを保護してるのはたぶんスイセンだ。バカ息子はそれを知ったうえで放置。なんならコデマリの結婚相手はスイセンでもいいみたいだぞ」
コデマリの祖父は今度はあからさまに顔をしかめて、頭痛に堪えるかのように頭に手を当てた。
「お主、どうやってここまで来た?」
「船だよ」
「よし、今すぐ儂を乗せてコデマリの元へ連れて行け」
「巡礼はどうするつもりだ?」
「今日はしまいじゃ。明日の朝までに戻ればどうとでもなる」
「帰りは送らないぞ」
「ケチケチするな、そんなだから行き遅れるんじゃぞ」
「好きで行き遅れてんだよクソジジイ」
「ほっほっほっ、負け惜しみじゃな」
「よし、今すぐあの世に送ってやる」
コデマリの祖父は年甲斐もなく子どもじみた挑発が好きなようだ。
「コデマリのおじいさまに暴力はいけませんわ!」
「そうそう、老人は大切にせんとな。さすがコデマリの友人じゃ。良い子じゃのう。この行き遅れのようになってはいかんぞ」
「おじいさんも少し黙っててください!」
今にも掴みかかりそうなフヨウをミキと二人で引き留めた。それでもフヨウが本気であれば簡単に振りほどいただろうから、半分ぐらいは冗談だったのだろう。
―――――そして今、フヨウへの態度が嘘のようにコデマリの祖父は威厳たっぷりに孫に接している。
「お前が養成学校を辞める必要も、結婚する必要もない。だから安心しなさい」
「おじいさま……」
「よい友人ができたようだな」
コデマリが祖父の隣に立っていた二人に視線を向けた。ホズミはともかくミキは既に涙目だ。
「コデマリ様、申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに」
「どうしてミキが謝るのよ、迷惑をかけたのは私の方なのに」
涙を堪えきれなかったミキをコデマリが抱きしめ、これでひとまずコデマリの方は一件落着だ。
だが心配事というのは尽きないものだ。
「そんな足取りじゃあっという間に夜が明けるぞ。だから運んでやるって言ってるのに、意地っ張りめ」
「うるせえ、放っておけ」
なぜかニクマルは腹部を怪我していて、その隣で睨みを利かせているエビも、先程さっと水で流したとはいえ、そもそも傷がまだ完全に塞がっていないためすぐ血が垂れてくる。
「ニクマル先生、やっぱり歩くのは無理ですよ」
「こんなのたいした傷じゃねえよ、だからそんな顔すんな……っ!」
こんなときでも先生の顔を崩さないニクマルだが、エビに傷口の近くを突かれ身もだえた。
「ニクマルは医者行きだな。エビも一緒に診てもらってこい」
「いえ、俺は今度こそ隊長から離れたくありません。それにいつスイセンの気が変わって襲ってくるかわかりませんからね」
「しばらくは平気だと思うぞ」
フヨウは顔を合わせた途端に殴りたくなるくらいスイセンのことを嫌いだと言っていたが、先程の雰囲気を見るかぎりそんな感じはしなかった。むしろその逆にも思える。
そんなフヨウの確信めいた言葉にエビは拗ねた様子だ。
「どうして隊長にそんなことがわかるんですか?」
「そりゃ付き合いが長いからな。行動パターンくらい読める。まあ明日になったら気が変わってるかもしれないけど」
「全然信用できないじゃないですか」
「とりあえず今日追って来ないならいいさ。明日のことは明日考えればいいし」
エビはまだ何か言いたそうだったが、口を尖らせたまま黙ってしまった。代わりにコデマリの祖父がフヨウに話しかける。
「それはそうと行き遅れ、儂を元の場所まで送る約束は覚えてるだろうな。コデマリも同行させるからの」
「そんな約束してねえぞ、じいさん。この後リッケヌに行く予定だから途中で運河に落としてやらあ。コデマリだけは目的地まで届けてやるけどな」
こちらもまた仲が良いのか悪いのか、フヨウと祖父のざっかけないやり取りを、コデマリが驚いた顔で見つめている。ホズミとミキはもう慣れてしまった。
「それなんですがね隊長、予定が変わって今夜はセンザイに泊まることになったんですよ」
「予定が変わった?」
「今はみんなベニシダの家にいます。あ、マルコは出かけて、ウキって少年は一旦家に帰りましたけど」
「みんな?」
「みんなです」
「ベニシダの家にか」
その名前はたしかマルコが捕らえたという大将格の男の名前だ。朝に聞いたばかりなのでホズミも覚えているが、たしかフヨウ達と敵対しているという話ではなかっただろうか。
「家を差し出させるとは、やるじゃないかサクラ」
フヨウがにやりと笑った。
「あいつがあの子にほだされるってわかって残したんですか?」
「昔から犬とか猫とか拾ってきてたから、サクラのことも気に入るだろうとは思ったんだ。それにサクラの正体に気づいたところで、わざわざスイセンに差し出すような奴でもないからな」
「そういえばベニシダはよく寮に犬や猫を連れ込んでましたね」
「なにかしら拾ってくる度にニシヤがよく貰い手を探してたよ。あ、さすがに怪我したタヌキは手当してから放してたけど」
サクラが犬や猫と同列に扱われている気がするのは気のせいだろうか。
「フヨウさん、うら若き乙女をタヌキと同じ扱いにするのはよくありませんわ」
なぜかタヌキの部分にだけコデマリが反応した。
「そうか? 子ダヌキとかかわいいじゃん。タヌキじじいはかわいくないけど」
「褒めても何も出んぞ」
「どこまでも図々しいじいさんだな」
そのときドサッと音がした。
「ニクマル先生!」
やはり無理をしていたようで、ニクマルが壁によりかかったままうずくまった。
「エビ、ニクマルは頼んだ。こっちは私が引き受けるから」
「……わかりました」
返事とは裏腹な顔をしていたがさすがに放置はできないと思ったのか、エビは不承不承頷いてニクマルを担いだ。
「寄り道なんかしないでくださいよ! 真っすぐベニシダの家に向かうんですからね!」
「へいへい」
エビとニクマルが去ったところで、フヨウはくるりと全員を見渡した。
「よし、それじゃあ行くか」
そう言われたものの誰も動く気配がない。
「そういやベニシダの家ってどこなんだ、場所知ってる奴いるか?」
センザイに住んでいるわけでもなければ今日ベニシダの存在を知ったばかりのホズミはもちろんわからない。ミキとコデマリも頭を横に振った。しかしただ一人、コデマリの祖父がそれはもう得意げな顔で胸をはった。
「よかろう、儂が案内してやる。その代わり今日のことはこれでチャラだぞ」
「馬鹿言え、こっちは明日の朝の送迎も請け負うんだ。全然釣り合わないだろ。これは貸しだ、大きな貸し」
「ふふん、儂がいなければ今日の宿にたどり着けんくせに」
「その場合、じいさんも野宿になるけどな」
「馬鹿者、この寒い中年寄りにそんな無体な真似をさせる気か」
また始まった言い合いを見てコデマリが戸惑ったように眉を寄せた。
「おじいさま、なんだかいつもと様子が違いますわ」
普段孫娘の前ではもう少し威厳を保っているのかもしれない。おもわずミキと顔を見合わせて聞こえなかった振りをした。




