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210. 停戦

「防魔の印は防衛軍が独占しているんだ。まあ国の治安を担っているのが防衛軍なんだから、うち以外が持つ必要はないし、簡単に犯罪者の手に渡っても困るんだけどね」


 各地で犯罪が起こった際、解決に動くのはその地に駐留している防衛軍だ。もし犯罪者が防魔の印を持っていて、魔術を防がれてしまったら仕事に支障が出るので、防衛軍が独占するのもわからなくはない。


「作るのも使うのも防衛軍なものだから、おもしろくない人達もいるみたいだけど、それはひとまず置いておいて。どうしてそんな貴重なものを防衛軍が独占できているのか、知りたくない?」

「知りたいです」


 おもしろくない人というのは、たぶん護民官や教会のことだろう。以前にフヨウから仲が良くないと教えられたことがある。

 それにしても防魔の印を作るという表現が、サクラには不思議だった。防魔の印は一見して石のように見えるが、人の手で作られたものなのだろうか。


「じゃあ説明よろしく」


 もしかしたらコゴロウマルも防衛軍が独占している理由を知らないのか、説明をベニシダへ丸投げするも、じろりと睨み上げられた。


「防魔の印は防衛軍の中でも機密事項だ。貴様らのような底辺の者に教えられるはずがなかろう」

「えい」


 コゴロウマルがベニシダの額についた石を指でぐりぐりと押し込む。


「っ! 何をする!」

「魔物が関係してるんでしょ?」


 ベニシダの表情が固まった。

 それは十五年程前にフヨウ達が戦ったという、あの魔物のことだろうか。


「魔力もそのとき失くしたの?」


 そうだ。八閃に選ばれるくらいだからベニシダの魔力は多かったはずだ。サクラは少し前まで魔術を使えなかったが、その状況ともまた違う。

 どうして元々あった魔力が少なくなるのか予想もつかないが、ベニシダの身に何かが起きたのだとして、コゴロウマルはそれを魔物のせいだと考えている。


「それは貴様の兄から聞いたのか」

「違うよ。あんた達のことについて兄さんに尋ねたことなんかないし。ただ魔物と戦ったというあんた達を見て思っただけ」


 これまでサクラが出会った八閃は五人。その中の一人、ベニシダは魔力の大部分を失った。

 フヨウは魔力はあるが、内臓の一部がない。

 無実の罪で逃げてきたドラセナも魔力はあるけれど右腕がない。

 校長は、総帥はどうだろうか。八閃は皆、何かを失ったということなのだろうか。


「答えてやってもいい。だがその前にこれを解け」


 ベニシダが縛られた手に視線を落とした。この状況で交換条件を出すなんてさすがに大将、神経が図太い。


「解いてやってもいいよ」

「え! いいんですか?」


 せっかく捕まえたのにとコゴロウマルを凝視すると、なぜか肩をすくめられた。


「べつに逃げようとしたらまた捕まえればいいだけだし。でもまあその他の質問にも答えてくれるならかな」


 コゴロウマルは八閃にも魔物にも興味がなさそうなのに、他にも聞きたいことがあるのだろうか。もしかしたらサクラのために言ってくれていると思うのは自惚れすぎか。


 ひとまずベニシダが了承したのでその手の縄は解かれた。だが防魔の印の方は、引き続き魔術を使えないよう背中に直に貼り付けられた。

 ベニシダは体が固いのか、自力では背中に手が届かないらしい。コゴロウマルが無理やりその腕を背中の方へ引っ張って確認していたが、演技ではなく痛がっていた。

 だがそれよりもサクラが気になったのは、防魔の印を貼り付ける際に使っていた糊だ。一見してトリモチのように見えたが、あんなものが皮膚についたら落とすのが大変である。ベニシダは気づいていないようだが、もし防魔の印を取ったとしても、皮膚にも服にもトリモチがくっついて片づけが大変だろう。騒がれても面倒なので口出しは控えておくが。


「くそっ、いちいち腹の立つ。あの兄にしてこの弟ありだな」

「似てるって? ありがとう」


 ベニシダが褒めていないのはその表情を見れば一目瞭然だが、コゴロウマルは涼しい顔で流した。神経の図太さではこちらも負けていない。


 ひとまず外でこのまま話すのは寒いので、家の中に入ることになった。


「お邪魔します」

「ふんっ、貧乏くさい家だな」


 コゴロウマルの家は煉瓦造りの二階建てで、古い家のようだがきちんと手入れがされている。ソファにはたぶんコゴロウマル達の母親が作ったであろうパッチワークがかけられていて、縫い物好きなホズミが見たら喜びそうだ。


「ツキユキさん、なにか飲む?」

「あ、はい、いただきます」


 オリベに比べれば寒くないが、それでも家の中に入ると、体が冷えていることに気づいた。


「じゃあ、そこの棚に茶葉が置いてあるから淹れてくれる?」


 コゴロウマルが温かいお茶を淹れてくれるのかと思ったが違ったようだ。


 キッチンはわかりやすく整頓されていて使いやすそうである。

 魔術で出した水をヤカンに入れてコンロに火をつけた。


 以前にフヨウが淹れてくれた紅茶の見様見真似で、ティーポットとカップをお湯で温めてから、茶葉をスプーンで三杯入れた。紅茶のラベルには親切に三分蒸らすように書いてあったので、お湯を注いで近くに置いてあった砂時計をひっくり返した。

 紅茶が入るのを待っているのか、コゴロウマルもベニシダも黙ってソファに座っている。


 まだ昼前だというのに、朝からいろんな情報が飛び込んできたせいか、こうして一息ついてしまうと、なんだか不安が込み上げてくる。

 アスマはどうしているだろうか。本当に転校を受け入れたのか、サクラは自身で尋ねたかったが、センザイへ行くこともできなければ、アスマの祖父を訪ねるウキ達について行くことも叶わなかった。


 考えてみれば最後に顔を合わせたとき、アスマの様子はおかしかった。いや、その前から元気がなかったが、すべては転校のことがあったからなのだろう。もっと踏み込んで尋ねればよかったなんて今さらだ。

 それでもアスマは年が明けたらオリベへ戻って来るつもりだったし、サクラが来年もよろしくと言ったら返事をしてくれた。だから冬休みが終わってもまた当たり前に、一緒に過ごせると思っていたのに。

 気づけば砂時計の砂はすべて落ちていた。


「まずい」


 ベニシダは開き直ったのか、捕らえられている立場だというのに、紅茶のカップを片手に偉そうにソファにふんぞり返っている。

 サクラも一口飲んでみたが、フヨウが淹れたものに比べると味も香りも薄い気がする。しかし苦みは強い。


「労力を惜しみ魔術で出した水をそのまま使うなど、怠惰にもほどがある」

「井戸の水を使った方が良かったってことですか?」

「汲み立てであればな。そうでなければ勢いよく攪拌してから使え」

「かくはん」

「よくかき混ぜろという意味だ」


 どうして水をかき混ぜると美味しくなるのだろう。しかし言われてみればフヨウも、ポットに注ぐ前に水を動かしていたような気がする。あれは楽しいからやっていたわけではなかったようだ。


「まあ水の温度も変えられない未熟者では、やるだけ無駄だろうがな」


 たしかにサクラはまだ魔術で出したものの温度を調整できない。

 一度だけ頭に血を登らせ、総帥に高温の炎を放とうとしたが、それもまた結局は不発に終わった。


「水をかき混ぜるくらいならできますよ」

「ただかき混ぜるのではなく空気を含ませるために動かすのだ」

「空気を含ませると美味しい水にになるんですか?」

「それくらいもわからないのか」


 わからないから聞いているのだが、この嫌味な言い方は誰かを彷彿とさせる。


「なんだか校長先生と話してるみたい」


 ぼそりと呟くと睨まれた。


「校長とはまさかオリベのあいつか? あの人格破綻者と一緒にするな!」


 人格が破綻とは上手い例えである。

 フヨウやドラセナも校長を嫌っていて、では校長の味方はどこにいるのだろうと考えてみると、そういえばレモンだけは校長を悪い人ではないと擁護していたことを思い出した。校長は部下をもっと大事にした方がよいと思う。


「まったく無礼なガキだ」

「そんなことより、魔物と対峙した人達はみんな何かを失ってるの?」


 紅茶の些細な渋みなどたぶん気にもしないコゴロウマルが、ずばりと核心をついた。それに対してドラセナは冷静に頷いた。


「八人が対峙して、その内の二人は命を失うほどの欠損を強いられた」

「そんなに強かったんだ?」

「強いともまた違う、あれはそういうモノなのだ」


 あまり思い出したくない記憶なのか、ドラセナは目を伏せた。しかしコゴロウマルは特に配慮するつもりはなさそうだ。


「フヨウさんが内臓で、ドラセナ大将が右腕、あんたが魔力、他の人達はなにを失ったわけ? 校長なんてすっごくぴんぴんしてるけど」


 ベニシダがわざとらしくため息を吐いた。


「お前の兄に聞けば済む話をなぜわざわざ私に聞くのだ」

「これまでは興味がなかったから聞いたことないんだよね。兄さんも自分から話さなかったし」

「ほう? では突然興味が沸いたのか」

「うん、そう。それに兄さん達は魔物と対峙したわけじゃないんでしょ、だったら当事者に聞いた方が詳しくわかるじゃない」


 しゃあしゃあと答えるコゴロウマルに悪気があるのかないのかはわからないが、配慮するつもりがないことだけはわかった。


「お前達が校長と呼ぶあの男の歳を知っているか?」

「知らない」


 にべもなく答えたコゴロウマルと同じく、もちろんサクラも知らない。けれども不思議に思ってはいた。

 フヨウや総帥と同じ時期に防衛軍へ入った子どもというには、ずいぶん歳が離れているように見える。

 白髪の混じったグレーヘアーに顔の皺、常に落ち着いた所作もあいまって、校長は品の良い老紳士に見える。それに引き換えフヨウ達はまだ三十代で、下手をしたら親子くらい歳が違うのではないかと思えてしまう。


「あいつは年が明けて四十歳、俺たちの中では一番の年長だが、それにしたって見た目がつり合わないとは思わないか」

「年が明けてってことは、今、三十九歳なんだ。たしかにその年齢には見えないけど、それも魔物のせいなの?」


 ベニマルはどこか遠くを見るような目つきになった。


「あいつは歳を、人生を取られたんだよ」


 人生を取るという意味がわからず、サクラは紅茶のカップを持ったままベニシダを見つめた。


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