208. 偉そうなおじさん
フヨウ達が出かけてしまうとサクラは暇になってしまった。だから言われた通り、ベニシダに話しかけてみることにした。
「あの、朝食は食べましたか?」
穴の中を覗いて声をかけると、ベニシダはサクラを見ることもなく無視をした。
「暇なんで、八閃の人達の話を聞かせてもらえませんか?」
また無視だ。
「さっき言ってたみたいに穴を水で満たしてやったら? 少しはしゃべる気になるかもよ」
コゴロウマルが隣にやって来て同じように穴を覗くと、ようやくベニシダは反応を見せた。
「貴様、マルコ・シネラリアの弟だな」
「だったらなに?」
「自分のしていることがわかっているのか。こんなことが上にバレたらただではすまないぞ」
「上って誰のこと? 僕の上司はこれくらいで怒ったりしないし、フヨウさんだってあんたの扱いになにも言わなかったんだから、この状況を問題なしと判断したってことでしょ」
コゴロウマルの上司とは校長のことだろうか。怒ったりしないという言い方をされると、さも優しそうな印象に聞こえるが、絶対に違う理由がそこにはあるはずだ。あと怒らないまでも嫌味の二つ三つくらいは言われる気がする。
「ふんっ、サルやフヨウなど、所詮名ばかりの大将じゃないか」
「なにそれ、自分の話してるの?」
「なんだと?」
「たいした魔力も実力もないのに、八閃だってだけで大将にしてもらったんでしょ?」
煽るなあ、とサクラはおもわずコゴロウマルの顔を見つめた。
「ふん、馬鹿はこれだから困る。強さだけで人の上には立てん。そうでなければ、サルやフヨウは今でも中央で権勢を振るっていたはずだ。それが今ではあんな田舎でガキ共の相手をさせられているのだから、落ちぶれたものだ」
これにはサクラもムッとした。フヨウは食堂で楽しそうに働いているし、生徒だってフヨウの作ってくれた食事に満足している。校長についてはよくわからないが、それなりに好き勝手しているので、べつに不自由はしていないだろう。
「つまりあなたより校長やフヨウさんの方が強いんでしょ? ただの負け惜しみじゃないですか」
ベニシダが訝し気にサクラを睨んできた。
「さっきからなんなんだ、このガキは」
「オリベの生徒だよ」
たぶんベニシダはサクラが総帥の姪だということに気づいていない。コゴロウマルが片目をつぶったので、わざわざ教えてやる必要はないということだろう。
「正式に防衛軍へ所属したわけでもないのに、軽々しく私に話しかけるな」
コゴロウマルが顔を上げた。
「よし、やっぱり水で満たしてみようか」
「ふざけるな! 人質というのは生きているから価値があるんだ!」
「あんたに人質の価値なんてあるの?」
この言葉はなかなかに効いたらしく、ベニシダの顔がみるみるうちに赤くなった。
「うろちょろされると邪魔だから捕らえてるだけでしょ」
「私の部下がこのまま引き下がると思うなよ」
「あんたの部下ならもういないよ」
部下とはなんだろうか。コゴロウマルに視線で説明を訴えてみる。
「この男は昨日、部下を引き連れてうちに乗り込んできたんだよ。おかげで洗濯をやり直しすることになって大変だったよ」
「それは迷惑ですね」
「まあ洗ったのはニクマル先生なんだけど」
ニクマルの苦労が目に浮かぶようだ。学校の中でも外でも苦労人である。
「おい、そんなことより俺の部下達をどうした!」
「消した」
「え?」
これにはサクラも驚いた。
「そんな言葉に騙されると思うか。あんな大人数を一度に始末したら、その後の片づけにどれだけ時間を取られることか。本部だって不審に思い探し始めるだろう」
「へえ、経験者は語るってやつ? 総帥の命令でいろいろ手を汚してきたんでしょ?」
ベニシダの顔から表情が消えた。まさか本当に後ろ暗い過去があるというのか。
「あんたの部下だった奴らは、べつに殺しちゃいないよ。オリベに送っただけで」
「オリベだと?」
「ちょうど向こうに帰る隊員がいて、一緒に連れて行ってもらったんだ」
連れて行ってどうするんだろうか。幽閉? 人質?
「転勤だよ。オリベは人員不足だからね、こき使える人材は歓迎されるんだ」
「馬鹿な、そんなことが許されるとでも思っているのか!」
「許されるんじゃないの。だって大将は人事異動の権限を持ってるんでしょ? オリベには大将が二人もいるんだよ?」
「異動には現在所属している上司の承認が必要なはずだ!」
「あんたが寝てるうちに兄さんがせっせと書類を作ってたよ。あんたの拇印入りのね」
ベニシダがポカンと口を開けて固まった。
「貴様っ、貴様らはどこまで私を馬鹿にすれば気が済むんだ!」
「別に馬鹿になんかしてないよ。ただほら防衛軍って力の強い者が正義なわけじゃない。あんたは弱かった、それだけだよ」
その行為は書類の偽造に当たらないのだろうか。モカラはそれで退学に追い込まれたというのに。
「あの、法律的に大丈夫なんですか? 違法行為なんじゃ」
「防衛軍内部の決まりだから法律は関係ないよ。まあ駄目なら駄目で、そのとき返せばいいんじゃないの」
返してもいいのにわざわざ手間をかけてオリベに送った。なにかが引っかかる。
「ふん、つまり時間稼ぎのつもりか。いったいこの家でどんな悪だくみをしていたことやら」
「あ、そっか」
ベニシダの言葉でサクラも納得した。つまりフヨウやサクラが近くにいることを、少しの間、総帥に告げられなければよいだけの話なのだ。
「あはは、子どもの方が理解が早いなんてね」
それはたぶんベニシダがサクラの正体に気づいていないからだろうが、コゴロウマルの挑発は確実に効いている。
「貴様、名前は?」
ベニシダがようやくサクラと話す気になったようだ。
「え、あ、えっと」
名乗っても構わないかコゴロウマルを見ると頷かれた。
「オリベ養成学校魔導士科一年四組、サクラ・ツキユキです」
サクラは両親のどちらとも性が違う。たぶん母親が意図して付けたのだろう。
「ここで何をしている?」
「え、と、友達を探しに」
「友達?」
コゴロウマルが止めないので、事情を話しても良さそうだ。
「同じクラスの女の子が家出をして、その子を探しに来ました」
「フヨウがやって来た理由もそれか?」
「はい」
それ以外にも理由はあるが嘘は言っていない。
「フヨウはそんなくだらんことでオリベからやって来たのか」
「くだらなくなんかありません! 早く見つけてあげないと、この寒い中、食べる物もなくてどこかで倒れてたら」
「くだらないな」
ベニシダは冷静に繰り返した。
「そうなる前に家に帰ればいいだけだ。そうすれば外で寝ることもないし、食事だって食べられる」
「でも、家に帰って納得できないことを強要されたら」
コデマリは、祖父が失脚した話をしてくれたとき、自分が防衛軍で働くようになったら家族を養えると言っていた。それなのに、家のためにと結婚を強いられて、どれだけ傷ついたことだろう。
「弱者は搾取される。それは家の中だろうと、社会だろうと変わらない」
コゴロウマルの挑発には簡単に乗ったのに、サクラの言葉はまったくベニシダに響かない。そしてサクラも言い返せるほどに口が回らず、それがまた悔しかった。
「ついでに言っておくと、オリベが貴様らを守るのは卒業までだ。それ以降は誰も守ってくれないことくらいは理解できるだろう。今回のことが卒業後の配置に響かないといいな」
それどころかサクラを揺さぶってきた。
「ツキユキさん、このおじさんはもう少し一人で頭を冷やしたいらしいから、蓋をして一人にしてあげようか」
「誰がおじさんだ!? 私はまだそんな歳ではない!」
「十三歳の子どもから見たら十分におじさんですよ。三倍近く歳が違うんだから」
「貴様は計算もできないのか! おい、俺に恩を売るなら今のうちだぞ?」
ベニシダは脅し半分に騒いでいたが、コゴロウマルが土を固めた蓋を持ち上げて穴を閉じてしまった。
「まったく元気なおじさんだね」
「あの、結局あの人は朝ごはんを食べたんでしょうか?」
「一応は食べさせたから心配いらないよ。あの調子なら三日くらい抜いても平気そうだけどね」
それはさすがに気の毒過ぎる。
「さて、それじゃあなにかしたいことある?」
「特にはありません」
「じゃあ僕の手伝いをしてもらおうかな」
「いいですよ。掃除ですか、昼食の準備ですか?」
「ううん、そういうのじゃなくて、ちょっと魔術を教えてもらいたいんだ」
「魔術? 私が教えるんですか? コゴロウマル先生に?」
魔術に興味のないコゴロウマルの言葉とは思えず、サクラはきょとんとしてしまった。




