189. 試験の前
そろそろ二学期も終わるという頃、サクラは校長から期末試験についての説明を受けた。
「あなたの魔術基礎の期末試験は私が受け持ちます」
「……うぇ」
思いがけず変な声が出てしまった。
そのうちニクマルから声をかけられるだろうと思っていたのに、よりにもよって校長が試験官だなんて、赤点の確率が確実に上がってしまった。
少なくともこれまでの試験のような高得点は望めず、魔導士科一年全体の中での順位も下がることだろう。いよいよ二桁の順位に落ちてしまうかもしれない。いや、これまでの成績が上出来過ぎたのだ……。
「なんです、その顔は」
「すみません、根が素直なもので」
この一ヶ月、校長とそれなりの時間を過ごしたおかげで、軽口が叩けるくらいには、その冷たい態度にも慣れてきた。
「素直と馬鹿は同義語ではありませんよ。まあ、私を相手にふざける余裕があるのならば、試験の難易度を上げても問題なさそうですね」
だが校長の心の壁は常に高く厚く、冷たい視線と嫌味がセットで返ってくる。
「すみません、ふざけました……」
もちろん頭を下げたくらいで態度を変えるほど、校長の心は広くない。
「あなたの試験は、私の作った防御壁を壊すだけ。ただそれだけです。……簡単すぎて返事もできませんか、いいでしょう」
良いことなどあるものか。
事実はまったくの逆で、これまで一度も校長の防御壁を破ることができなかったのに、それをわずか数日で攻略しろだなどと、ショックで言葉が出て来ないだけである。
「その試験は期末試験の最終日、他の科目の試験がすべて終わった後に行います」
「え? みんなと一緒にじゃなくてですか?」
「場所は校舎裏の空き地です」
質問に答えてもらえないのには慣れっこだが、まさかの場所の指定に、サクラは口をあんぐり開けて固まってしまった。演習場ならまだしもそんな人目のある場所での試験など、見世物になるようなものではないか。
「ホームルームが終わったらすぐ校舎裏へ向かうこと。私は待つのが嫌いなので、遅いと思った時点で赤点とします。では今日の授業はここまで」
「待ってください、せめて攻略のヒントを!」
サクラの伸ばした手を視界に入れることもなく、校長は演習場から出て行った。
そして今日、魔術基礎以外の試験がすべて終わってしまった。
ホームルームが終わるとニクマルに手招きされ、サクラは教卓のある場所まで早足で降りた。
「俺も近くで見てるし、危険だと判断したら止めに入るから、そんなこの世の終わりみたいな顔をするな。たかが試験だぞ」
たかが試験だなんてニクマルらしくもない言葉である。
「さりげなく危険だって認めましたね」
これまで魔術基礎の試験で危険を感じたことなどなく、じとりとニクマルを睨んだ。
「俺も抗議はしたんだが、校長はお前も知っての通りの性格だからな」
「いいんです、ありがとうございます。……お世話になりました」
「いや、一つくらい赤点があっても退学にはならねえぞ」
一つで済むかどうかは神のみぞ知ることである。
「ニクマル先生の授業を受けたかったです……あと試験も……」
歯を食いしばって上目遣いで見つめると、ニクマルが苦虫をかみつぶしたような顔になった。たぶん担任教師として生徒を守れなかった罪悪感を感じているのだろう。少しからかいすぎたかもしれない。
「冗談です。もちろん全力で挑みます」
結局なんの打開策も浮かばなかったが、だからといって試験を受けないわけにもいかない。サクラは既に腹を括ったのだ。
「お前な……」
呆れるニクマルに笑って見せて、踵を返すと、今度はすぐ近くの席から声をかけられた。
「サクラさん、私達も応援してるわ。がんばってね」
「挑む前から弱気になるなんて、あなたらしくないんじゃないの」
「俺らも教室から見てるからな。がんばれよ、ツキユキ」
四組の教室の窓からは校舎裏が一望できるため、コデマリとミキを皮切りに、クラスメイト達が次々に声をかけてくれる。なんだかんだでみんな心配してくれているようだ。クラス全員での補習がかかっているからかもしれないけれど。
「大丈夫だって、お前なら」
「全員で笑って冬休みを迎えるわよ」
「魔術が使えるようになって良かったね」
そして先日、とうとうサクラが魔術を使えるようになったことが公表された。
実のところ、その前から使えていたので、騙しているような罪悪感が拭えないが、事情を知っているニクマルが「上の指示は絶対だ。つまり校長が悪い」と言ってくれたので、少しだけ心が軽くなった。
「みんな、ありがとう。じゃあ行って来るね」
教室を見渡すと、ウキとホズミが拳を握っていた。サクラも拳を握り返すと、一番後ろの席に座っていたアスマが舌を出した。アスマらしい応援の仕方である。
教室を出て廊下を歩き始めると、ひそひそとささやく声が聞こえたが、今はそれどころではない。気づかない振りをして前だけを見つめた。
「あ、いたいたサクラ!」
「カノ先輩! と、ナス先輩」
「こいつのおまけのように言うな」
名前を呼ばれて振り向くと、笑顔のカノと不本意そうな顔をしたナスが後ろから追いかけてきた。
「これから試験なんでしょ。がんばりなよ」
「はい、ありがとうございます」
カノはわざわざ声をかけるために、魔導士科側の校舎まで来てくれたようだ。
「ナス先輩が一緒なんて珍しいですね」
「どうせ素直に応援できないだろうから、連れて来てやったのよ」
「そもそも俺は、こいつがこれから試験だなんて知らなかったんだよ」
それはそうだろう。クラスメイトやカノには校長の試験を受けることを説明したが、特に接点のないナスには伝える機会もなかったのだから。
「まあ、せいぜいがんばれよ」
「ありがとうございます」
まさかナスがそんな言葉をかけてくれるとは思わなかった。
「サクラの魔術、楽しみにしてるからね」
「がんばります」
二人に手を振って外へ出ると、今度はコゴロウマルとレモン、それにタケとシラトの姿を見つけた。
「お、来た来た。今日はここから見学してるからね」
「最後まであきらめちゃ駄目よ、ツキユキさん」
「校長が直々に試験するなんて、すげえなサクラ」
「なっ、シラトはいつの間に呼び捨てするようになったんだ!」
「タケこそいつまで苗字で呼んでるんだよ」
「あはははっ、言うねえ、シラト」
嫌な視線を向けて来る人達もいるけれど、少なくともサクラと関わりのある人達はサクラのことを気にかけてくれて、それだけで心が温かくなってくる。
本当はフヨウにも、がんばれと言ってほしかったけれども、それは叶わなかった。
コゴロウマル達の遙か後ろに、雪の中に佇む校長が見えた。これから激しく動くことを想定してか防寒着は着ていない。もちろんそれはサクラもだ。これまでの授業の総仕上げなら尚のことである。
「行ってきます」
気を引き締めて足を踏み出すと、校長が微かに笑った気がして、その表情はいつもより若々しく見えた。
サクラの最後の期末試験が始まろうとしている。




