018. オリベ養成学校の職員たち
初めての野外活動の日がやってきた。
朝の六時に食堂へ集合し朝食を食べることになっているのだが、見るからに目の覚めていない生徒もいる中、サクラは今日も元気いっぱいである。
「いっただっきまーす」
「いただきます」
ホズミはまだ少し眠そうだが、同じように手を合わせて食べ始める。
同じテーブルには、野外活動に同行する教師陣が座っていた。隣のクラスの担任であるツクモはとても眠そうである。
「僕、早起きって苦手なんですよね」
「おい、生徒の前であくびなんかするんじゃねえ」
厳しい表情でたしなめるニクマルだが、こちらもまだ眠いのだろう。いつもより目つきが悪い。
「目が覚めるように、レモン特製ドレッシングをプラスしてあげよう」
どこからともなくフヨウが現れて、教師二人のサラダに何やらどろりとした液体を掛けた。紫色をしていて、あまり美味しそうには見えない。
「何しやがる!」
「うわー! なんでレモン先生にドレッシングなんて作らせてるんですか、僕達を殺す気ですか」
ドレッシングとはそんな危険な代物だっただろうか。
「どうすんだよ、これ……」
「教師だろうが生徒だろうが、もちろん食べ残しは禁止だからね」
フヨウはいたずらが成功した子どものように笑っている。
「一応聞きますけど、何が入ってるんですかこれ」
「紫キャベツと、紫蘇と玉ねぎ、あと精の付きそうなあれこれ」
「そのあれこれが問題なんだろうが」
「うっ、変な匂いがする」
ニクマルは頭を抱えているし、ツクモは匂いをかいで顔をしかめている。
「フヨウさん、それどんな味なんですか」
好奇心旺盛なサクラが尋ねると、フヨウは難しい顔になった。
「ちょっと一言では説明しにくいな。少し食べてみる?」
「あ、それなら僕のサラダと交換してあげるよ」
すかさずツクモが皿を差し出してきたが、フヨウが押し返した。
「これから野外活動の生徒におかしなものを食べさせようとするな」
「僕達だってこれから一緒に行くんですど」
「あんた達は耐性があるでしょう」
「ねえよ! つーかレモンに料理させんな!」
「え、何、ドレッシングを増やしてほしい?」
ニクマルのサラダに追いドレッシングがかけられた。
「ああっ」
ついでにサクラの皿にあったレタスにも、ちょんと乗せてくれた。ニクマルはこの世の終わりのような顔をしてサラダを睨んでいる。
「ありがとう、フヨウさん」
「ホズミもいる?」
「うーん、じゃあ少しだけ」
ホズミも好奇心を抑えられなかったようで、フヨウがちょっとだけドレッシングをかけてくれた。
「僕のをあげるのに」
嘆くツクモを横目に、さっそくドレッシングのかかったレタスを食べてみた。
「にがっ!」
驚くほどの苦みに、テーブルに置いていた水をごくごく飲んでしまった。しかもいつまでも口に残る味で、えぐみも酷い。
「本当だ、苦いね」
ホズミも顔をしかめている。紫キャベツの味も、紫蘇の味も、苦みに負けて素材の味がまったく分からなくなっている。
「レモン先生、どうしてこんなドレッシングを作ったんだろう」
おもわずつぶやくと、ニクマルが疲れたように肩を落とした。
「あいつはな、下手なくせに料理をしたがるんだよ」
レモンは体術担当の教師で、一見してクールな美人である。なんでもスマートにこなしてしまいそうなのに、料理が苦手とは意外だった。
「いつだったか、恐ろしく固いクッキーを作って、誰か歯が欠けてましたよね」
「校長じゃなかったっけ。キャラメルクッキーでしょ」
「あのクッキーにキャラメルの要素なんてあったか?」
授業や叱るときなどは怖い教師達だが、普段は割と気さくな感じで、食堂で一緒になった際などは、こうして話しながら食べることもある。サクラは教師達のこうした会話を聞くのがおもしろくて好きだ。
この学校で働く者達は、教師だからとか、用務員だからとか、食堂の従業員だからという括りはなくて、みんな対等の立場なのもいい。
ニクマルとツクモは、その後どんよりとした表情でサラダを食べきっていた。
「サラダのおかわりいる?」
「いらねえよ」
「お断りします」
「じゃあ校長にでも食べさせるか」
フヨウは、クールなレモンとはまた違った美人で、華やかという言葉がよく似合う。食堂の従業員に混じっていても目立つのですぐに見つけられる。ときたまニクマルやツクモをからかって遊んでいるが、陰険な感じもなく、からっとした性格のようだ。
サクラ達の顔と名前も早くから覚えてくれて、手すきの時にはいろんな生徒へ声をかけているのを見かける。
「そうだ。山菜いっぱい採っておいでね。美味しく料理してあげるから」
「はい!」
ホズミと揃って返事をすると、「元気があってよろしい」と褒められた。
その後、校長が食堂に入ってきたが、トレイに乗せられたサラダには、ニクマル達よりもさらにたっぷりのレモン特製ドレッシングがかけられていた。フヨウはフヨウで食べ残しを出さないようにがんばっているのかもしれない。
さて魔導士科の一年生が校門に揃い、いよいよ出発の時間となった。校門から続く坂を下りて、まずは目的地まで歩かなければならないのだが、初めて見る光景にサクラは驚きを隠せなかった。
「ねえアスマくん、もしかしてあれが海なの?」
正門の東側に、一面が水で覆われた景色が見える。サクラ達のいる場所よりも下にあるはずなのに、高い位置に見えるのがまた不思議だ。
「いちいち騒ぐな、田舎者」
「だって初めて見たんだもん」
アスマと話していると、なぜか周りから不思議そうな視線を向けられた。
「サクラさん、この坂を上って来たときに振り返らなかったの」
「え?」
ウキが不思議そうに尋ねてきた。
サクラは予定よりも遅れてこのオリベへ到着し、遅刻しそうだったために通用の坂を登らず、道なき丘や森を駆け上がった。そのせいで立ち入り禁止の森に入り、正体不明の何かに追いかけられるはめになったのだが、後でニクマルにばれて、見逃す代わりに他の者達には話さないよう注意を受けたのだった。
「ち、遅刻ぎりぎりだったから、前しか見てなかったんだよね」
「そうなんだ。ずいぶん急いで上ったんだね」
「うん、とっても」
えへへと笑ってごまかした。少し離れたところからニクマルが、余計なことを言うなよと睨みを効かせている。
「バーカ」
唯一、事情を知っているアスマが呆れた顔で囁いてきた。サクラが迂闊だったのは事実なので、何も言い返せない。
「最初から遅刻ぎりぎりなんて恥ずかしい」
「いっそのこと、遅刻して入学出来なければ良かったのに」
女の子達がくすくすと囁ている。まあ、いつものことだ。教室では席が離れているので聞こえてこないが、野外授業では席順が関係ない上に、なぜか他のクラスの女子までもが加わって、しっかり耳に届く。しかし気にしていたらきりがないので、いちいち相手にはしなかった。
サクラ達の四組は、担任であるニクマルに先導されて坂道を下った。振り返ると既に校舎は坂に隠れて見えなくなっていた。坂を下れば、いよいよオリベの街中に入る。
オリベは規模の大きな街だが農業も盛んで、いろいろな美味しい食べ物があると聞いたことがある。やって来たときには、走るのに必死で周りを見る余裕がなかったため、どのような街並みなのか期待が膨らむ。
しかし坂を下って西へ進むと、予想していたような光景ではなく、延々と田んぼ道が続いた。ときたま畑もあって、広大な風景には圧倒されるが、都会といった雰囲気ではない。
「田んぼと畑ばっかりだね」
「お店があるのは南側だからね」
ホズミのおかげで謎は解けたが、どうやら街の見物はお預けのようだ。




