178. ニシヤの記憶1
―――――この春、ニシヤはとうとう念願の異動願いが受理された。
防衛軍では二年前から、孤児院などから魔力の強い子どもを集めて育てていて、上の人間は魔物の復活に備えてなどと言っているが、どこまで本当のことなのか、下っ端のニシヤにはわからない。わかっているのは、その子ども達の面倒を見るよう押し付けられたということだけだ。
しかしそれは子ども達も同じことで、突然住み慣れた場所から連れ出され、大人の中に放り込まれて、あれをしろこれをしろと指図されるのだから、反発したくなる気持ちもわかる気がする。
集められた当時で十歳から十四歳、この二年で体はずいぶん成長したが、中身はまだまだ子どものままである。
ともあれ体力が無尽蔵な若者を相手にするのは、三十代のニシヤには辛く、上層部もようやくその苦労を汲んでくれたようだ。
間もなく子ども達と接する機会もなくなるわけで、最後くらい思い出を作ってもよいだろう。
「今日は花見をするぞ」
ニシヤの言葉に子ども達はポカンとしている。ここに連れられて来てから、毎日鍛錬と勉強漬けの日々だ。突然のご褒美に、そんな顔になるのも無理はないだろう。
「花見ってなに?」
ドラセナが不思議そうに首を傾げた。まさかそこから説明が必要だとは思わなかった。たぶんドラセナの育った孤児院では、花見などしている余裕がなかったのだろう。
「言葉の通り、花を眺めることだ」
「それ、楽しいの?」
「花なんか見たって楽しいわけねえだろうが」
一軍で一番の問題児が馬鹿にしたように茶々を入れてきたがすべて想定済みだ。
「花見には食い物が付きものだ。つまり今日は桜の下で美味いものが食えるってわけだ」
美味いものと言われて子ども達の目が輝いたところで、足元に置いていたバッグから肉を取り出して見せた。
「お前達が普段食堂で食べている肉よりも、はるかに上等な代物を用意したぞ」
一瞬の静寂の後、歓声が上がった。
「やったあ! お肉だってよ」
「でもあれ生肉だぞ」
「これからニシヤンが料理してくれるんだよ」
こういうときだけは問題児どもも、子どもらしい一面を見せてくれる。
「けど、どうして突然花見なんてする気になったんですか?」
警戒心の強いサカイが疑わし気な視線をよこした。
「毎日がんばってるんだから、たまには休息も必要だろう」
頭でも打ったんじゃないかとか、拾い食いして当たったんだなんて声が聞こえてきたが、いちいち構うとキリがないため今日は聞こえない振りをすることにした。
「それじゃあ桜が咲いている場所まで移動するぞ。一人一つずつこの荷物を持ってくれ」
「これ全部肉なの?」
「野菜と米、それに肉を焼く道具もある」
「野菜はいらないよ」
「パンはないの?」
わいわい言いながらも珍しく素直に荷物を持った子ども達に、自然と口角が上がった。肉の力は偉大である。
「なあ、桜ならあそこにあるじゃん」
「せっかくだからな、防衛軍の外まで行くぞ」
「えー、面倒くせえよ」
「どうせ花なんか見ないのに」
ぶつぶつ文句を言っていたわりに防衛軍の敷地を出て、桜の木がずらりと並ぶ川べりへ着くと、その光景に誰もが見惚れていた。
「どうだ、きれいだろう。ここはセンザイでも有数の桜の名所なんだ」
川沿いの土手にはずらりと桜の木が植えられていて、みんな楽しみながらその下を歩いている。
「さて、この辺でいいかな」
肉を焼くための道具を広げると、子ども達が周りに寄ってきた。
本気で暴れ出すと手がつけられないほどの悪ガキどもだが、出会った頃に比べればいくらか懐いてくれたように思う。目上の者には階級を付けて呼べと何度も言っているのに、ニシヤに対しては一度も付けたことがなくて、それはきっと甘えと親しみの裏返しなのだろう。そうとでも思わなければやってられない。
「ついでだから野外での調理を教えておくか」
「今日は花見だけじゃなかったのか?」
憎まれ口を叩きつつもフヨウは興味津々といった様子で道具を眺めている。
「お前達は遊びながらの方が、覚えが良さそうだからな」
ニシヤは指示に徹して、道具の組み立てから炭に火をつけるまで子ども達にやらせてみたが、肉への期待が高まっているせいか、あっという間に準備は終わった。
「いつもこれくらい熱心に俺の話を聞いてくれると助かるんだがな」
「えー、だってニシヤンの話つまんないんだもん」
素直なドラセナの言葉に他の奴らも笑った。まったくどこまでも口の減らないガキ共だ。
「ニシヤン、そろそろいいんじゃない?」
「どれどれ」
炭の温度は十分だ。上に乗せた網も熱を帯びていて、頃合いだろう。
「よし、焼くぞ」
肉を網に乗せていくと腹を刺激するいい匂いが漂ってきた。
「美味そう」
子ども達の喉がごくりと鳴った。
「肉はこのタレに付けて食えよ」
自家製のタレを木皿に注ぎ、全員に渡す。
「うまっ」
まだ赤い肉を一人が待ちきれずに食べると、他の者達も箸を構えた。
「待て待て、まだ焼けてないだろ」
「だいじょぶ、食える食える」
「焼けてから食え。腹を壊したらどうする」
「そんな柔な腹はしてねえよ」
「駄目だ、赤い部分がなくなるまで焼いてから食え」
誰もが箸を持って網の上の肉をじっと見つめる中、それを一枚一枚ひっくり返していく。
「この辺はもういいだろう」
「やった!」
「あ、ずりい!」
「ほら、こっちも食えるぞ」
「ニシヤン、こっちも食べていい?」
「ああ、大丈夫だ」
嬉しそうに微笑んだナナミは、肉を取るとまず弟の皿に乗せてやった。
「自分で取るからいいよ。姉さんは自分の食べる分を確保しなよ」
サカイは恥ずかしそうにしかめっ面を作った。同年代の者達に、姉に世話を焼かれているのを見られるのが恥ずかしいのだろう。だが姉のことが大好きなので、邪険に拒むことはしない優しい弟だ。
「もちろん自分の分も取るわよ。カゲツも遠慮してると食いっぱぐれるよ」
「う、うん、ありがとう」
今度はカゲツの皿に肉が置かれた。
最後に一軍入りしたカゲツはどこか周りに遠慮がちで、世話焼きのナナミとは相性が良さそうである。
「美味しいね」
「そうだね」
仲良く笑い合う様は微笑ましいが、その背後では弟が不穏な空気を纏っている。
「おいシスコン、顔がこええぞ」
「元からこういう顔なだけだ」
フヨウが肉を頬張りながら茶化すと、もう一人の問題児も乗ってきた。
「ふんっ、そんな悠長なこと言ってていいのかよ。大好きな姉ちゃんと一緒にいられるのも今のうちだぜ」
「お前ら、今日くらいは喧嘩をするなよ。喧嘩したらそこで花見は切り上げるからな」
いつもなら反抗的な態度を取る三人組が、今日は珍しく素直に口を閉じた。喧嘩よりも肉の方が優先順位が高いようだ。
「ニシヤン、もっと肉焼いてくれよ」
それにしても花見という名目なのに、既に誰も桜を見ていない。まあ子どもらしくてそれもいいだろう。
「次は野菜だ野菜」
既に切ってある野菜を取り出すと「えー!」という声が一斉に上がったが、気にせずキャベツやニンジンを網に並べた。
「肉と野菜は交互に焼くぞ。じゃないとお前ら肉ばっかり食うからな」
「だって肉の方が美味しいじゃん」
「体を作るには野菜も必要なんだ。特にお前らは成長期なんだから、好き嫌いせずに食え。ほらフヨウ、キャベツが焼けたぞ」
「げー」
それぞれの皿にぽいぽい乗せていく。文句の声が上がろうが知ったことではない。
「ねえニシヤン、このタレってニシヤンが作ったの?」
フヨウの質問にニシヤは胸を張った。
「そうだ。我が家秘伝の味だぞ」
家を出るときに母から教えてもらったレシピで、誰に食べさせても美味いと褒められるとっておきだ。
「後で作り方教えてよ」
「いいぞ」
フヨウは意外に味にうるさく、食堂の食事への不満をよく口にしている。それも材料の切り方、火の通し方、分量など細かい部分に言及している辺り、食へのこだわりは強いようだ。そんなフヨウが作り方を知りたがるということは、相当美味かったということで、ニシヤにとっては誇らしいかぎりである。
「ニシヤンの代で、このタレが終わるなんてもったいないもんな」
「あー、それなら私も知りたーい」
ニシヤはまだ独身である。しかし結婚に興味がないとも、独身主義だとも一言も口にしていないのに、生涯結婚をしないものと決めつけて話すのだから、本当に可愛くないクソガキどもだ。
ちなみにニシヤには結婚している兄弟がいるので、ニシヤが子どもを作らなくともこの味は受け継がれていくのだが、わざわざ教えてやることでもない。
「はんっ、結婚なんてしない方がいいに決まってる」
一軍一番の問題児の悪態は、ニシヤというより自分自身の境遇に向けたものだろう。詳しいことは聞いていないが、この少年は家族もしくは親に対しての反発心を抱いていると感じるときがある。
ただここにいる子ども達は、そのほとんどが家族とは縁の薄い者達ばかりだ。親の顔を知らない者も少なくはない。
「なによサル、ニシヤンだって本当は結婚したいのにできないのかもしれないじゃない」
「姉さん、それニシヤンのこと庇ってるつもりで傷つけてるよ」
「そもそも話の筋がずれてるんだよ、ナナミは」
「ニシヤンにもいつかいい人が現れるよ。だからあきらめないで」
まったく、可愛くない上に生意気なことこの上ない奴らである。




