016. アスマの壁
養成学校には休息日というものが設けられていて、四日間授業を受けた後、五日目は休みとされている。
サクラはこの話を聞いた時に、休みの割合が多いと思ったものだが、国の支援で成り立っている養成学校がそんなに甘いはずもなく。授業で課題を山ほど出されるため、おおよその生徒が休息日という名の自主学習に励むはめになるだけのことだった。
そして課題は魔術に関することだけではない。体術、礼式、算術、外国語と、学ぶことは山ほどある。
「歴史なんて、魔導士になるのに関係あるのかなあ」
「過去の出来事を学んで、同じ過ちを犯すなってことじゃないの」
サクラが課題に飽きて机に突っ伏すと、ホズミは大きく伸びをした。今日は朝から雨で少し肌寒い。窓の外の桜は既に花びらを散らし、若葉が芽吹いている。
「話を聞くだけなら楽しいんだけどね。昔はこの国に王様がいたなんて知らなかったし」
「まさか防衛軍の始まりが、その王様を倒すところから始まっていたなんてびっくりだよね」
「うん。けど授業の度に、どうしてその事件が起きたのか次の授業までに考えてこいって言われるのがしんどい」
歴史の授業は四日の内二時間しかないが、その分、自分で勉強しろと言わんばかりに、毎回課題を出される。
「防衛軍で過去に内部抗争が起きてたなんて聞いたことないし」
「私も初めて知ったよ」
先日の授業で歴史の担当教師が話してくれたのは、十五年前に起きた防衛軍内部の抗争についてだった。
はるか昔、大きくて強い魔物がこのコンバル国に現れた。当時の軍が力を合わせても、封印するのがやっとだったらしい。
その魔物が今世に現れるという予兆が出始め、防衛軍は各地から魔力の強い子どもを集めた。そして魔物と戦えるほどに強く育てた。やがて魔物が現れると、彼らは自分の使命を果たし再び魔物を封じた。
問題が起こったのはその後である。
子ども達は成長し、才能も実績もあるため防衛軍での出世が早かった。すると今度は、派閥争いが始まってしまったのだ。それぞれがそれぞれを気に入らない。最終的に数人が組んで勝ち残り、現在の本部を統率するに至った。
「負けた人達も防衛軍に残ったんだよね。普通に働いているのかな」
「閑職に追いやられてたりして」
「でも能力は優れているんでしょう? それだと勿体ないよね」
「じゃ、辛い仕事を任せられるてるとか?」
まだ防衛軍の仕事についてふんわりとしか知らないサクラとホズミには、どんな仕事が辛かったり、暇だったりするのかも分からない。すべてが想像の上の会話だ。
歴史の教師は、彼らがなぜ争うことになったのか、どうすれば争いを避けられたか、自分なりに考えまとめてこいという。
「子ども達の中に、リーダー的な存在はいなかったのかな」
線の一つも書かれていない用紙は今日の歴史の授業で配られたもので、まずは好きに書いてみろということらしい。
「魔物を封印するまでは争いなんて起きなかったんだよね。それは魔物を封じるっていう目的が同じだったからで、達成してしまったら協力する必要がなくなったとか?」
「だからって喧嘩する必要もないよね。上手くやり過ごせなかったのかな」
怒るためにはエネルギーを使う。魔力の高い子ども達は指名を果たした後、そのエネルギーを持て余していたのかもしれない。自分と同じ境遇の存在であれば感情をぶつけやすいというものだ。
途中まではホズミと話しながら考えをまとめ、それぞれが用紙に書き込む頃には、一時間以上が経っていた。
大きなあくびをしながらウキがアスマと共に食堂へやって来た。
「おはよう、眠そうだね。課題は終わった?」
「どの課題? 魔素学ならまだだよ。たぶん期限ぎりぎりまでかかるね」
開き直ったように答えるウキの目は死んでいる。
「私は魔術理論が残ってる」
「私も魔術理論と算術、あと外国語。あ、魔素学もまだだ」
一ヶ月も経てば、得意科目と苦手科目というものが出てきた。得意だからといって課題が早く終わるとは限らないが、苦手なものは確実に残る。なぜなら、手をつけるのが億劫だからだ。
「全然終わってないじゃないか。昨日の休息日に何をしていたんだ、お前は」
アスマは呆れ顔でサクラの目の前に座った。
サクラは実技の授業は得意だが、どうも座学は苦手だった。
「そういうアスマくんは?」
「すべて終わった」
「え、嘘」
「なんで俺が嘘を吐かなきゃいけないんだ。あれくらい終わっていて当然だ。頭も要領も悪い奴らは大変だな」
出会った頃ほどではないものの、アスマの口の悪さは健在である。入学当初に纏わりついていた女子たちも、アスマの手厳しい言葉の数々に、今では精々が遠くから眺めているだけに収まった。
「そんなこと言って、アスマだって夜遅くまで課題をやってるじゃないか」
「遅いというほどじゃない」
「日付が変わる頃までやってるんだから十分に遅いよ」
二十二時に寝てしまうサクラとホズミには十分遅い時間に思える。
「そんな時間までやってるの? だって二十二時には消灯でしょ」
灯りがついていたら見回りに来た寮監にすぐばれて、怒られてしまうだろう。
「しょっちゅうやってるわけじゃない。月の明るい夜だけだ」
それならば昨日は雨が降っていたので、大人しく寝たのだろう。
「目が悪くなるよ。早起きした方がいいんじゃないの?」
「アスマは朝が苦手なんだよねー、いてっ」
ウキがにこにこしながら言ったのが気にくわなかったのか、アスマがその頭を叩いた。
「余計なことを言うな。別に苦手な訳じゃない。必要がないから起きないだけだ」
この前、食堂で好き嫌いの話をしていたときにも同じような言い訳をしていた。そういえば孤児院の小さな子どもたちもよく屁理屈をこねていたことを思い出した。
「おい、そのへらへらした顔を止めろ」
つい微笑ましく頷いていたら、アスマにおもいっきり睨まれた。
「うんうん、アスマくんは朝が苦手な訳じゃないよね。入学式の日も早起きしてたもんね」
「いちいち余計なことを言うな」
ウキがこてんと首を傾げた。
「どうしてサクラさんが、アスマが早起きしてたことを知ってるの?」
「えーっと、外を散歩してたら会ったから」
いけないいけない。あの朝のことはニクマルから口止めされていたのだった。
「そういえばあの日だけは早く起きてたね、アスマ。入学式だから気分が高ぶって早起きしたのかな、子どもみたい、あいてっ」
またウキが頭を叩かれた。
「もう、アスマは乱暴なんだから」
余計な発言をしてしまうウキにも問題があるような気はするが暴力はいけない。
それでも入学式で代表の挨拶をしただけあって、アスマはすべての科目において秀でていて、教師の覚えもめでたかった。
実技に関しては意外にもサクラも優秀な部類に入っているが、座学は間違っても得意とは言えず、総合的に見たらアスマの方が優秀なのは明らかだ。ホズミは実技よりも座学が得意なので、サクラと苦手な分野を教え合っている。ウキはすべての科目において平均より上にいるといった感じだ。
朝食を終えて教室に向かうと、既にコデマリ達が席に着いていた。彼女の取り巻きは相変わらずサクラとホズミを目の敵にしているようで、アスマ達に続いて教室へ入ると、コデマリを除く女子から睨まれた。
それでも前のように絡まれなくなったのは、実技はサクラの方が、座学はホズミが優秀だと知れたからだろう。ちなみにコデマリは両方とも優秀だが、変にサクラ達に絡んで来ることはなかった。
「それにしても桜が全部散ったっていうのに、まだ朝と夜は寒いよね」
「そうだね。でも六月くらいまでは寒い日があるよ」
「え、嘘でしょ」
寒がりのウキにとってはショックな情報だったようだ。それほど北部とアスマ達が住んでいた中央の気候が違うということなのだろう。
「そういえば夏になったら中央に行くらしいよ」
先日、サクラがニクマルに荷物運びとして呼ばれた際に、クラス委員はまとめ役をするとのことで教えてもらった。サクラ一人では不安しかないが、アスマがいるのでなんとかなるだろうと楽観視している。
「もしかしてハナロクショウとの合同研修のこと?」
ウキがああと言った風に頷いた。
ここオリベがコンバル国の北に位置する都市なら、ハナロクショウは南に位置する都市である。防衛軍の養成学校は、中央を挟んで正反対の位置にあるこの二つの街に置かれている。
「ウキくん、知ってたの?」
「うん。入学前に、養成学校に通っている知り合いに聞いたから」
「へえ、この学校の先輩に知り合いがいたんだね」
「ううん、ここじゃなくてハナロクショウの方だよ」
アスマとウキは、今回の研修先である中央センザイからやって来ている。センザイからであれば北にあるオリベ養成学校も、南にあるハナロクショウ養成学校も距離はそう変わらないので、向こうの学校に通っている知り合いがいてもおかしくはない。
「二人はどうしてオリベの学校を選んだの?」
ふと気になってサクラが尋ねると、ウキは少し困ったように眉を下げた。
「授業の内容は同じだろうし、どっちでも良かったんだけど、僕はアスマと一緒の方が楽しそうだと思ったからかな」
「アスマくんは?」
「お前には関係ない」
にべもなく跳ねつけられた。アスマは外を見つめていて、この会話に加わる気はなさそうだ。もしかしたら聞いてはいけないことだったのかもしれず、空気がわずかに重くなった。
次の授業の教師が入ってきたことで、おしゃべりはそこまでとなったが、アスマがオリベを選んだ理由が気になった。




