148. チカチカ
始まりは校舎が揺れるほどの大きな衝撃音だった。
放課後、サクラはアスマやウキ、ホズミと教室で課題に取り組んでいた。すさまじい音にすぐさま窓際へと駆け寄ると、そこではフヨウと校長が戦っていた。
「生徒は校舎から一歩たりとも出てはならん! 出たら課題に罰掃除に独房入りだ! 窓も絶対に開けるなよ!」
廊下の方から教師の叫び声が聞こえてきた。
「なんであの二人が」
サクラの頭に浮かんだのは、ドラセナの存在だ。もしや匿っていたことが校長にばれて喧嘩になったのではないだろうか。
アスマを見ると一瞬だけ視線が合ったが、すぐに窓の外へ視線を戻した。
「食堂に行くぞ」
どうして、と尋ねる間もなくアスマが駆け出したのでサクラも教室を飛び出した。ウキとホズミも後ろから駆けてくる。
サクラ達の教室は一階で、食堂は二階にある。
人がいないのをいいことに一足飛びで階段を駆け上がると、食堂には数人の生徒しかいなかった。間もなく夕食で込み合う時間だというのに、なぜか調理場はがらんとしている。こんな光景は初めて見た。
アスマは脇目もふらず窓際まで進んだ。サクラもその隣に立つと寄宿舎までのスペースが一望できた。
普段朝練を行っている場所に、教師や食堂の職員達が一丸となって防御壁を作っている姿が見える。
「ノウゼン、君達も来ていたのか」
一足遅れて騎士科のタケがやって来た。
同じように窓際に立ち外を眺めると「すごいな」と呟いた。
「これが八閃の戦いか」
フヨウの放った炎が校長の体を包んだかのように見えたが、あっという間にそれは消し去られ、その間にも地面から土の壁が伸びてフヨウの足場を奪っていく。
フヨウが宙を駆ける。校長が舞うように攻撃をかわす。ひと時も目を離せない。
「彼らは魔術だけじゃない、体術だって一流だ」
いつの間にかニノマエもやって来ていて、その隣にはナスもいる。だがお互い構っている場合ではない。その場の誰もが二人の戦いに見入っていた。
フヨウは逃げ場を奪おうと隙なく炎を放っているが、それらを絶妙なタイミングでかわし、さらには風魔術で動きを阻害する校長もすごい。サクラ達の魔術とは練度が違う。
「あんなの化け物だろ……」
ナスが小さくこぼした言葉は、サクラの心に波紋のように広がった。
化け物という表現は適切ではない。どれだけ練習すればあんな無駄のない動きができるのか。たぶん相当な修練を積んだはずだ。
それにフヨウも校長もまだ本気ではない。一つ間違えば怪我ではすまない攻撃を、お互いに楽しんで繰り出しているようにサクラには見えた。
フヨウは校長と仲が悪いと言っていたが、あれは相手がかわすという信頼があってこそできる攻撃だ。
そして今のサクラでは到底手の届かない戦い方である。
「フヨウさんが押してるね」
ニノマエがしたり顔で顎に手を当てた。
「たぶん、そう見えるだけです。フヨウさんは校長が避ける方向まで計算して火魔術を使ってるけど、校長はその攻撃のリズムを崩そうと動いてます。しかも魔術と体術の両方で。あんなの、誰も割り込めない」
サクラの目には、それくらい高度なやり取りに見える。
「サクラ、そんなことまでわかるの?」
ホズミの驚いた声が耳に届いた。
「ううん、それしかわからないの。フヨウさんも校長先生も、たぶんもっといろんな駆け引きをしながら戦ってる」
すべてを理解できないことがもどかしい。
「私も、あんな風になりたい」
あれだけ自由に体を動かし、魔術を使えたらどんなに楽しいだろうか。
そう思った瞬間、サクラの視界にチカチカとしたものが映った。
「え?」
気づけば辺り一面にチカチカが舞っている。
そのチカチカはフヨウと校長の方へ吸い込まれるかのように動いていて、その光景に見入っているうちにも、二人の魔術がこれまでにないほど派手にぶつかり、二人の影もまたぶつかったかのように見えた。
しかし実際には第三の人物が二人の間に割り込んで止めていた。裾の長いローブを頭から被っているが、あれはたぶんドラセナだ。
「アスマくん」
「ああ」
わかっていると頷いたアスマの周りにもチカチカが舞っている。
「なんだよ」
ついつい呆けたように見ていたら睨まれた。
「なんか目が変で」
ごしごしこすっても変わることはない。
「ゴミでも入ったのか」
「サクラ、目をこすったら赤くなるよ」
「うん……」
これはゴミのせいなんかじゃない。なんとなくサクラにはこのチカチカの正体がわかってしまった。たぶんこれがフヨウの言っていた魔素なのだろう。
すごいな、世界はこんなにも魔素で溢れてるんだ。
「ツキユキ、大丈夫か?」
「うん」
心配そうにタケに顔を覗き込まれた。
人の体内にも魔素は存在するという話だったが、さすがに目で見ることはできないようだ。
「ツ、ツキユキ?」
「うん」
じっとタケの周りの魔素を見ていたら、アスマに腕を引かれた。
「さっさと顔を洗ってこい」
「うん」
食堂の中よりも外の方がキラキラが多いのはどうしてなのだろうか。
「サクラさん、本当に大丈夫?」
「うん」
「おい、さっきから同じ返事しかしてないじゃないか」
「なんか目が変で」
「だからどう変なんだよ」
「魔素が見えるようになったような気がする」
その場の誰もがぽかんとした顔になった。
「魔素が見える?」
「うん、たぶんだけど」
この状況をなんと説明したものか。迷っていたら突然腕を掴まれた。
「ツキユキさん、ニクマル先生のところへ行こう」
「ニノマエ先輩?」
ろくな説明もなしにニノマエが走り出し、サクラも引っ張られて走ることになった。
「おい!」
「ツキユキ!」
「走ったら危ないよ、サクラ」
「そんなこと言ったってニノマエ先輩が!」
それ以前に教師に見つかったら、廊下を走るなと怒られるはめになるのだが、幸いにもみんな外に出ているためその心配はない。
チカチカに目が慣れず、階段を走って降りるのは怖いのだが、ニノマエはまったく配慮してくれない。
「こら! 校内を走るとは何事だ!」
運悪く外にいたはずの教師達が戻ってきたようだ。ニノマエが止まったのでサクラもようやく足を止めることができた。
「またお前かニノマエ、こんなときにまで説教をさせるようなことをするな」
「はい、すみません」
「返事だけは素直だな」
「先生、僕ちょっと急いでるんでもう行ってもいいですか?」
駄目に決まっている。どうして怒られている最中に、そんなことを訊けるのだろうか。
案の定、教師の説教はさらに続き、巻き込まれたサクラも反省文の提出を言いつけられた。これはさすがにニノマエに文句を言ってもいいだろう。
階段の踊り場にアスマ達の姿が見えた。こちらの様子を伺っていて、他のみんなは走っているところを見られずに済んだらしい。
ようやく説教から解放されると、ニノマエは昇降口まで早足で歩き、そこで外履きの靴に履き替えた。サクラも促されて従った。
外へ出るとまた腕をとられて走るはめになった。
「ニクマル先生、大変です!」
ニノマエの声に、ニクマル、フヨウ、校長が揃ってこちらを振り向いた。いつの間にかドラセナは姿を消している。




