129. コゴロウマルの怪談
タケとの剣術の稽古は入学してから何度も行ってきた。
しかし一学期までは互角だったというのに、二学期になってからシラトの勝率が四割弱と下がってしまった。
理由は簡単だ。ある時を境にタケは毎日のようにコゴロウマルへ挑むようになったからだ。その様子には鬼気迫るものがあり、なにがあったかなんて聞くまでもない。
タケが変わったのは、服を着たような真面目が学校をサボったあげくに勝手に本部まで行き、戻ってきてからのことなのだから。
今日はどちらに勝利の天秤が傾くか、シラトだって負けっぱなしでは悔しいので、タケの攻撃を受け流しつつも隙を誘う。
「そういえばもう収穫祭は誘ったのか?」
「誰をだ?」
「ツキユキさんに決まってるだろ」
タケの動きが突然鈍った。すかさず打ち込んで膝をついたところで剣先を顔面に突きつけた。勝負あり。へへん、隙がなければ作ればよいのである。
「なぜ俺がツキユキを収穫祭へ誘うんだ?」
悔しそうなタケの手をとると、お返しとばかりに起き上がるついでに体重をかけられた。
「なんでって、お前と気が合うみたいだし、一緒に回ったら楽しそうじゃないか」
「それは俺がそう思ったとしてもツキユキも同じだとは」
タケは小声でぶつぶつ呟いているが、その様子からまんざらでもないことが窺える。
「野郎と回るよりよっぽど健全的だと思うぜ」
「なにを企んでる?」
タケがじっとりと睨んできた。さすがに勘がいい。
「え、そりゃもちろんお前とツキユキさんと、俺とペンタスさんで回るためにだな」
「お前がペンタスさんと一緒に行きたいだけじゃないか」
「そうだよ」
朴念仁のタケにしては正解にたどり着くのが早かったな。
「せっかくランタン係で知り合いになったんだから、もっと仲良くなりたいだろ。収穫祭っていう、うってつけのネタもあるし」
「だったら自分が誘えばいいじゃないか」
「だって俺はまだそこまで仲良くなれてないし」
断られたらショックだし。
「タケならツキユキさんと仲いいし、誘っても不自然じゃないだろ」
「俺だって特別に仲がいいわけじゃない」
「そうか? 傍から見てると結構いい感じに見えるけどな」
「なにを馬鹿なことを」
否定しつつも顔が赤い。正直な奴だ。
そもそもタケがツキユキに好意を抱いていることは見ていればわかる。だが本人に自覚があるのかないのか、まったく仲を進展させる様子がなく、見ていてじれったい。
もちろんペンタスと仲良くなりたいという下心はあるが、友人を応援しているのも本当のことだ。
さて今日も今日とてランタン作りをしていると、コゴロウマルがやって来た。
「今日はなんだか静かだね」
「そうですか?」
楽しそうにおしゃべりをしていたツキユキとペンタスが不思議そうな顔をしている。
もしそう見えたのだとしたら、タケの口数が重いせいだろう。どうやらシラトの応援がプレッシャーになったようだ。
「じゃあ僕が怪談でもしてあげようか」
「なんですか、唐突に」
「怖い話ですか?」
怪談が苦手なのか、ペンタスは及び腰だ。
「怖い人には怖い話かな。どの視点で話を捉えるかにもよるけど」
嫌がられても止めるつもりはないようで、コゴロウマルは空いている席に座ると勝手に話し始めた。
近くに座っていたカノとニノマエにも聞こえたらしく、二人もこちらを見ている。
「昔、自分は強いと思い込んでいた男がいたんだ。いや実際に強いことは強いんだけど、上には上がいるって知らなかったのか、認めたくなかったのか、とにかく馬鹿みたいに周りを威圧していたんだって」
「その人は、いくつくらいの人なんですか」
「当時で十代半ばかな。でもすぐにその態度はなりをひそめたんだけどね。彼にとって自分の人生を変える女性に出会ってしまったことで」
これは本当に怪談なのだろうか。恋話じゃなくて? 最後に悲しい展開とか、怖い話より嫌なんだけど。
「二人の初対面はあまりいいものじゃなくてね、男の方が威勢よく喧嘩を売ったあげく、ボッコボコにやり返されたんだ」
話の内容とは裏腹にコゴロウマルは愉快そうに笑っている。
「その男の人はどうして喧嘩を売ったんですか?」
「周りになめられたくないっていう思春期特有の思いがあったのか、それとも自分より強いと評されている女の子が美人だったことに舞い上がったのか、とにかく自分の力を示したかったんだろうね」
「好きな女の子にちょっかいを出す展開ですね!」
ペンタスが嬉しそうに目を輝かせている。ボッコボコにやり返されたところを覗けば、女子が好きそうな話かもしれない。男としては、なんだか居た堪れない気持ちになるけれども。
「しかし初対面の女子に喧嘩を売るなんて、あまり褒められた行動ではありませんね」
優等生のタケらしい感想である。
「まあ思春期の男子なんてそんなもんじゃないの。好きな子に素直に優しくできる奴の方が珍しいでしょ」
その辺りは、まさに思春期と呼べる時期に差し掛かっているであろうシラトにしてもタケにしてもコメントしづらいところだ。
「それで、そのあと二人はどうなったんですか?」
恋話が好きなのか、興味が沸いたのか、この話を始めたときとは打って変わってペンタスが話の先を催促する。
「うん、男はしばらくその女の子の後をついて回っていたんだけど、鬱陶しいって見つかるたびにまたボコボコにされて、そんなことを繰り返しているうちにその女の子の手下になったんだって」
話が唐突に飛んだ。
「後を付け回して報復をしようとしていたんですか?」
タケの発想が物騒すぎて、ペンタスの表情が曇った。これだから朴念仁は困る。
「ううん、その子のことが気になって後を追いかけ回してたみたい。でも女の子にしてみたら、喧嘩を売られたあげくに付け回されたんだから、鬱陶しいことこの上ないよね」
「それでボコボコに……」
よくそんなことをして、手下にしてもらえたものだ。
「あの、その男の人は女の人に恋愛感情を抱いたわけじゃないんですか?」
考えていた展開と違った話だったからか、ペンタスが困ったような顔で首を傾げた。
「抱いてるよ。ずっと」
「ずっと?」
ここでシラトを含め数人の声が揃った。
「その男は二十年以上ずっと恋心をこじらせたまま、その女性の手下として働いてるんだ」
二十年という長い歳月をずっと片思いしている男。当時で十代半ばであれば、現在は三十代半ば。怖っ……!
「どうして手下なんですか? 恋人にはならなかったんですか?」
「恋人になるには、女性からも好意を返してもらわなくちゃいけないからね。一方的に想っているだけじゃどうしようもないでしょ」
「その女の人は結婚してるんですか?」
「してないよ」
「その女性は男性の気持ちを知っているんですか?」
やはり女子は恋話が好きなようで、二人に加えて話を聞いていたカノも質問し出した。
「聞いたことはないけど、付き合いも長いしさすがに気付いてるんじゃないかな。でも告白されたことはないはずだよ」
これには女性陣から非難の声が上がった。
「さすがに片思いをこじらせすぎじゃないですか」
「女性の方も告白を待ってるかもしれないのに」
「でも二十年も手下でいるんですよね。その男の人にはかわいそうだけど、もう見込みはないんじゃないかな」
最後のツキユキの言葉が一番きつい。
「まあ知っていてこき使っているんだとしたら、相当な悪女だよね」
人の悪い笑みを浮かべるコゴロウマルは楽しんでいるのがわかる。
ここでふと気付いたのだが、まるで当人達を知っているかのような話しぶりである。
もしこれがシラト達の知っている人物の話だとしたら、相当に性格が悪い。
「あの、これで話は終わりなんですか?」
「そうだよ」
「その人の片思いは今も」
「続いてるね。怖いでしょ」
さすがはコゴロウマル、怪談も一般人とは方向性が違うようだ。しかしこれは使えるかもしれない。
「おいタケ、これはお前のための怪談だぞ」
「なにを言ってるんだ?」
小さな声でタケに囁くと訝し気に聞き返された。
「つまりこのまま指をくわえて見ているだけじゃ、好きな子に想いは伝わらない。まずは動けってことだ」
「そういう話ではなかったような……」
女子達はかしましくコゴロウマルの話について感想を言い合っていて、なにもこの場で誘えとはシラトも言うつもりはないし、そんな勇気が思春期男子にあるはずもない。
なによりコゴロウマルの目の前でそんなことをしようものなら、卒業までずっとからかわれるに決まっている。
だがこの場には空気を読まない思春期の男が一人いた。しかもすぐ近くに。
「カノさん、よかったら収穫祭を一緒に回らない?」
臆することなく言い切ったニノマエの言葉に、教室中がしんとした。
次いで沸き起こるブーイングと冷やかしの嵐。
「てめえ、俺らが勉強漬けだってのに自分は女の子と遊ぶ気か!」
「さすがニノマエ! 空気読まねえなあ!」
「そういうことは周りに人がいないところで言ってあげなさいよ!」
こうなるとカノも羞恥で真っ赤になってしまった。
「わかりました。じゃあコゴロウマル先生、カノさんと話があるんで今日は終わりにしていいですか」
「うん、いいよ」
いいのかよ!
呑気に手を振るコゴロウマルを尻目に、ニノマエはカノの手を取りさっさと教室を出て行ってしまった。
「振られちまえ、バカヤロー!」
「早まるなよ、二年女子! そいつは空気を読めない男だぞ」
三年生の罵詈雑言にシラトも一言一句同意する。
「シラト」
「え?」
「俺には無理だ……」
青い顔をして首を横に振る友人に、シラトもさすがにあれを見習えとは言えなかった。




