010. 一人足りない
次の日、朝食を終えてから教室へ向かうと、既にアスマとウキは登校していた。昨日と同じ席に座っているものの、その周りには女子が集まっている。ウキはアスマの口の悪さを心配していたが、話せる友人がサクラ達の他にもできたようで何よりだ。
「今日はあの二人の近くに座るのは無理そうだね」
「前の方に行く?」
しかしそちらには既に女子が固まって座っていて、また絡まれては面倒なので、あまり近づきたくはない。結局、真ん中くらいの席に座ることにした。
「あの子達って、他のクラスからわざわざやって来たのかな」
ホズミがちらりと背後に視線を向けた。
「あんなにたくさん?」
「だってあの人達、うちのクラスの子じゃないよね」
言われてみれば教室内の女子の数が昨日よりも多い。
「もうクラスの人達の顔を覚えたんだ、すごいねホズミ」
「さすがに全員ではないけど、女子は少ないから覚えやすかったよ」
「私まだ半分も覚えてないや」
「毎日顔を合わせるんだから、すぐに覚えるよ」
そのままホズミとおしゃべりをしていたサクラだが、予鈴が鳴るとアスマたちに群がっていた女子が離れ始めた。
この教室は前と後ろに出入口がある。アスマ達は最後列に座っているのだから、そのまま後ろの扉から出ても良さそうなものだが、一部の女子がわざわざ前の扉へと向かい、その途中でサクラのペンケースにぶつかった。机から落ちたものの蓋を閉めていたので中身は散らばらずにすんだ。
落ちた物は拾えばいい。そう思って手を伸ばしかけたが、それより早くアスマの声が教室に響いた。
「おい、人の物を落としておいてそのまま帰るつもりか」
ずいぶんきつい言葉をかける。さっきまで彼女達と楽しく話していたのではないのか。
出て行こうとした女子たちは足を止め、アスマを振り返った。教室は静まり返っている。
「どうした、拾えよ」
ぶつかった女子生徒が足音荒く戻ってきて、ペンケースを拾い上げると、サクラの席に勢いよく置いた。はっきり言って怖い。しかしアスマはまだ手を緩めない。
「詫びはどうした?」
「わざとぶつかったわけじゃないわ!」
さすがに女子生徒も言い返した。しかし、わざとじゃないというのはきっと嘘だし、謝らない理由にもならないだろう。
「俺に言ってどうする」
言うだけ言って、アスマは窓から外の景色を眺めている。えー、嘘でしょ。ここで放置するくらいなら、何も言わないでいてくれた方が良かったよ。サクラは心の中でアスマに突っ込んだ。
このしんとした空気の中、なんと声を掛けたものか迷っているうちに、女子生徒は結局サクラに何も言わないまま教室を出て行った。その他の女子たちにもなぜか睨まれた。まあ、そうなるよね。
「女ってこえー」
近くに座っていた男子がぼそりと呟いた言葉に、サクラもおもわず頷いてしまった。
そういえば昨夜、食堂で足をかけてきた女子はどうなっただろうか。前方の女子の中にその姿は見当たらず、本当に独房へ入れられたのだろうか。
食事を無駄にするような行為はたしかに良くなかったが、彼女が連れて行かれたのは返事ができなかったせいだ。それだけこの学校は厳しいところなのだろう。
間もなくニクマルが教室に入って来ると、ずいぶん疲れた顔をしていた。
「知っている奴は知っていると思うが、さっそくうちのクラスから独房行きが発生した」
そう言われてみんなが、女子が一人足りないことに気づいたようだ。昨日あの場にいなかった者達は呆気に取られていたが、気づいていた者もやはりいて、驚いたり周りを見回したり反応は様々だ。
「いいか、間違っても食堂ではふざけたり食い物を無駄にしたりするな。残すな。こぼすな。腐ったり毒が入っていないかぎり、すべて食いきれ。食堂の連中には絶対に逆らうな。何より返事ははい一択だ。分かったか」
「はい!」
ニクマルの様子から誰もが冗談ではないと判断し、クラス一同の声が揃った。
あの食堂の女性はいったい何者なのだろうか。この学校の職員は全員軍人だと誰かが言っていた。つまりあの女性は、階級がニクマルやツクモよりも上なのかもしれない。
職員の階級などまだ養成学校へ入学したばかりのサクラには分からないが、生徒から見たら全員が防衛軍の先輩でもあるということなのだろう。
朝のホームルームが終わると、少しの休憩時間を挟んで授業が開始した。
初めての授業はツクモの魔術理論だった。さっそく魔術を教えてもらえるのかと思いきや、この科目は教室での座学だった。
ここでようやく新しい教科書が生徒の手元に配られた。とても分厚い。これをすべて一年で覚えられるのか、不安になるくらいの厚みがある。
「基本の魔術は火、水、風、土、防御壁です。誰でも練習すれば使えるようになりますが、その人の素質によって得手不得手が出てきます。この中で魔術を使ったことがある人」
ちらほらと手が上がった。サクラも少しだけなら使えるので上げた。
「魔術は教えられなくとも使えます。しかし、より強力な魔術を使うには訓練が必要です。この授業では、強力な魔術を使うための仕組みを勉強します。はい、ではまず教科書を開いてみましょう」
ツクモが教科書を読み上げながら、魔術の成り立ちから説明していく。
昨日の体力測定ではあっという間に半日が過ぎたのに、椅子に座って学ぶ一時間というのは、実際の時間よりも長く感じた。
「はい、お疲れさまでした。教科書は寮へ持ち帰り、がんばって勉強してくださいね。今日出した課題は、忘れず次の授業で提出するように」
緩い感じで締めて、ツクモは教室を出て行った。
「思ったほど難しくなかったね」
「うん」
難しくはないが、ツクモの平坦な口調は眠気を誘う。何度かあくびをしそうになっては堪えた。居眠りなどしようものなら独房行きだろうか。そんなことを考えるといくらか目も冴えたが、初めからこの調子では慣れてきた頃に失敗しそうな気がする。
「二時間目と三時間目は礼式だって。二時間も使って何をするんだろうね」
「校庭に集合って朝に言われたから、座って話を聞くだけの授業じゃないよね、きっと」
一時間目は座りっぱなしだったので、体を動かせるのは素直に嬉しい。
「遅れると怖いから早めに行こうか」
「そうだね」
礼式の授業では軍人としての基本動作を教えられた。クラス全員で同じ行動をとり、揃うまで何度も繰り返すという地獄のような訓練だった。終わる頃には全員がくたくたで、食堂に向かうのも億劫に思うほどであった。
一日の授業は午前三時間、午後三時間という時間割になっていて、すべてが終わるのは十七時くらいになる。
「腕が筋肉痛になりそうだよ」
「ほんと、あんな動きが揃ったところでなんになるんだろうね」
「敬礼の美しく見える角度なんて言われても測れるわけじゃないし」
二人で愚痴りながらも食堂に入ると、入り口に置いてある小さな黒板に、今日の昼食メニューが書き出されていた。
「ローストビーフってなんだろう」
「私も食べたことない」
黒板の前で立ち止まっていると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
「やだ、ローストビーフも知らないんだって」
「どこの田舎から来たのかしら」
同じクラスの女子がサクラ達を追い越して列の最後尾に並んだ。あの訓練の後でよく嫌味を言う元気があるものだ。ある意味、感心する。
「やった、今日はローストビーフだ」
今度は頭上から聞こえた声に振り向くと、そこには昨日、転びそうになったところを助けてくれた男子が立っていた。




