なまはげ
「家は…叔父さんとかが、ミノと雪上歩行機姿でやって来ましたけど、鬼は来ませんでした。
でも…親戚から、そんな話を聞いたことはあります。
悪いことをする子を連れて行く鬼の話を。」
キクちゃんは、大きな声でみんなに言いました。
みんなは、必死で話すキクちゃんの愛らしさに、思わず笑いだしました。
笑われて、キクちゃんは困ったように首をかしげました。
それをみて、平井先生が慌ててキクちゃんに説明を始めました。
「教えてくれてありがとう。ナマハゲは江戸時代の紀行文にも描かれているね。
男鹿を中心に山形にも類似する行事があるみたいだよ。キクちゃんの親戚の方も…そんな地方に住んでいるのかもしれないね。」
平井先生の説明に、キクちゃんはなんだか嬉しくなりました。
それを見ながら、芳次郎さんは少し、意地悪な笑い方をして平井先生を見ました。
「平井君…君、『赤い鳥』にかぶれているね?」
芳次郎さんは、夢中になる、と、言う意味を少し、不良っぽく『かぶれる』と表現してからかいました。
「かぶれ…ては、いないと思いますが…。」
平井先生は、少し、恥ずかしそうにそこで、言葉を飲み込みました。
赤い鳥運動と言うのは、作家 鈴木 三重吉先生を中心に、子供の為の読み物を作る、大正時代の小説家の活動の事です。
この活動で、『蜘蛛の糸』『かなりや』などの、現在でも愛される美しい詩や物語が誕生しました。
「この間、『愛国婦人』と言う古い雑誌で、宮沢賢治と言う新人作家の物語を読んだものですから。何となく、東北を調べたくなりまして。」
平井先生は、少し、恐縮しながら、そう言いました。
「宮沢賢治…かぁ。確かに、素晴らしい新人だけれど、評価は別れているようだね。」
芳次郎さんは、宮沢賢治と言う作家を思い出しました。
宮沢賢治…現在では、とても有名な作家ですが、生前は、この『愛国婦人』の数回の投稿しか、お金になる作品にはならなかったそうです。
「そうですね…。けれど、彼の優しげな文章には、何か、異国を旅するような郷愁と、芭蕉を思わせる懐かしさのような興味をそそられるのです。」
平井先生は、とても恥ずかしそうに目を伏せました。
椿さまは、平井先生を見つめながら、とても嬉しそうだと思いました。
宮沢賢治…それは、どんな物語を書く作家なのかしら?
「あと、柳田先生も…じゃないかな?」
芳次郎さんは、平井先生の気持ちを探るように聞きました。
柳田 国男先生は、海外で働いたこともある役人ですが、民族学者でもありました。
平井先生に誉めてほしい椿さまは、柳田国男と言う名前を必死で思い出していました。
椿さまは、その名前に記憶がありました。
そして、それが、ある日の国語の授業の事だと思い出すと、嬉しくて立ち上がってしまいました。
「センセイ、わたくし、知っていますわ。柳田先生の詩を…」
椿さまは、そう言って、短い詩を暗唱し始めました。
『椰子の実』と言う、詩です。
キクちゃんは、椿さまの透き通る様な声をウットリと聴いていました。
「ああ…島崎藤村だね。」
芳次郎さんは、珈琲でも味わうように椿さまの暗唱を聴いていました。
「しまざき、とうそん…。」
「そう、この詩はね、柳田先生の旅談を聞いた島崎先生が創作した詩なんだ。」
平井先生は、椿さまの近くで詩を聴いていたキクちゃんにそっと教えてくれました。
それは、渥美半島にある恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の物語。
「ええ。柳田先生の、恋路ヶ浜で椰子の実と戯れた思い出から生まれた詩なのですわ。だから、柳田先生の詩…と言っても、おかしくは有りませんわね?」
椿さまは、心配そうに平井先生を見つめました。
平井先生は少し考えてから、
「そうですね…でも、島崎先生の名前も一緒にお話ししてくださいね。」
と、言いました。
椿さまは、素直に頷き、壁にもたれて様子を見ていた明智先生を驚かせました。
椿さまは、明智先生には、こんな風に素直に頷いたりしないからです。
「何の話だったのかな?」
芳次郎さんは、ふと、我にかえって呟くと、その答えも自分で言いました。
「ああ、ナマハゲの話だったね。ふふっ。
そうだ、西洋にも似たような行事はあるんだよ。」
芳次郎さんは、そう言いながらサンタクロースのお話をしてくれました。
「西洋のお正月は、クリスマスなのだが、クリスマスには、良い子にプレゼントをくれるサンタクロースがやってくる。
でも、悪い子は、袋に入れて連れて行く…『クランプス』と言う恐ろしい妖怪が来るんだよ。」
芳次郎さんは楽しそうですが、椿さまとキクちゃんは、思わず手を握りあって芳次郎さんを睨みました。
「そんなの知らないし。怖くなんかないわ。」
攻撃的な椿さまは叫びましたが、声が少し震えています。
キクちゃんは椿さまが怖がっているのに気が付かずに、それに同意しました。
「うん。悪い子じゃないから私達は平気。サンタさんは来なかったけれど、旦那様から、素敵な手袋を頂きましたもの。」
キクちゃんの言葉に、大人は皆、ほんわりとした気分になりました。
「ははは。本当だ。2人とも、勉強も頑張ったしね。」
平井先生が、2人を両手で包んでくれました。
キクちゃんも、椿さまも、ほっこり。
遠くから、大人たちの晩餐会の音楽が聴こえてきました。
辺りはすっかり暗くなりましたが、今日は大晦日。
12時のドラがなるまで、2人は寝ないでいいのです。
2人はドキドキとしながら、年がくれるのを楽しみました。