ギロチン
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「嫌だなぁ」
私は黄色い小さな愛車を運転しながら、そんなふうに本音を漏らした。「なにが嫌なんだよ」と助手席から訊いてくる相棒。私の運転が激しいからだ。アシストグリップを握っている。いろいろあったけれど、いまの私と相棒との関係は極めて良好だ。どれくらい良好かって、相手のために命を投げ出せるくらい良好だ。身体を差し出せるくらい良好だ。いつでもどこでもセックスができるくらい良好だ。
「うーん、いろいろとあるんだけど」
「気になることがあるなら、とりあえずぶっ潰してやればいい」
「そのへんの向こう見ずさは好きだけれど。ついでに無鉄砲さも好きだけど」
「気色の悪いことを言うんじゃねーよ。変なところで好かれたくねー」
私は「ふふ」と笑って、左手を伸ばして、相棒の頭を乱暴にがしがしと撫でた。当然相棒は不服そうな顔をするわけだ。その姿すらかわいらしくて愛おしいから、私は「あはは」と笑うだけなのだ。相棒は不機嫌そうな顔をする。煙草に火を灯した。その姿すらサマになってるって、相棒、そのへんご存じなのかな?
「つーかよ、また煙草税、上がるんだってな」
「べつにいいじゃない。私たちはそれなりにお給料、もらってるから、痛くもかゆくもないでしょ?
「世のじいさまたちの心配を、俺はしているわけだ。おまえは軽薄すぎんな」
「ま、そうかもね」
「だからこそ、煙草はうまいってのもあるんだけどな」
「同感」と言って、私は笑った。「そもそも、ウチらはガス代すら湯水のごとく使ってる。『カーボン・ニュートラル』だっけ? くそくらえだね」
「それを言っちまうな、一般市民に嫌われっぞ」
「ごめんだと言っておこう」
「つまるところ、世の中の流れがどうあろうと、俺は興味が湧かねーよ」
「それもどうかと思うけど」
相棒が大げさに肩をすくめてみせた。
「それはそうと、相棒さ、私は、さ……」
「『それ』を蒸し返すほうが俺は腹が立つぜぇ」
「止めようか、車……」
「そうしたいならそうしろ。たまには昼間のパトロールもいいだろ。むしろ夜になると俺たちやおまわりさんに見咎められるわけだ。奴さんらは、昼のうちのほうが仕事をしやすい」
「この島の街、歌舞伎町に似せたっていう話だけど」
「なんで似せたのかははなはだ疑問だな」
「だよねぇ」
「コインパーキングに入れろ」
「まったく偉そうに」
「入れろってんだ」
「まったく偉そうに」
私は言われたとおり、当該に駐車した。
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路地裏にて。相棒が、まだ十代だろう――うつ伏せに倒れた――の、B系男子の背に腰を下ろし、煙草を吸おうとしている。オイルを足すのが面倒だったのだろう。だからジッポライターはカチカチと無意味に無暗に陳腐な音を鳴らす。やはりというか間違いなく相棒からすればそれは不愉快な状況でしかないはずだ。相棒はとにかく短気だ。それでもなんとか本件について対応しようとしてくれているのは尊い事実だと言える。
「いてーよ、馬鹿! どけよ! 俺がなにしたってんだよ!」
B系ガキんちょがそう叫ぶのだ。
すると静かに正論を言ってしまうのが私の稀有な相棒だ。
「馬鹿言ってんじゃねーぞ、小僧。おまえ、シャブ、持ってんだろうが」相棒がガキんちょの背から立ち上がった。「おら、見せてみろ。場合によっちゃあ、見逃してやらなくもねー」
「ほ、ほんとか?」
「嘘だよ、ボケ」
「ぐ、ぐあっ」
またガキんちょの背にどっかりと腰を下ろした相棒である。
「ルートは? どこだ? しょうもねーヤクザか?」
ガキんちょは相棒の体重のせいでうめきながら「そ、そうだよ」と応えた。
「おいおいおい、いよいよ俺様に偉そうな口で話してんじゃねーよ。殺すぞ」
「そ、そんなのできないくせに……っ」
「だったら、この場でテメーの首、へし折ってやんよ。簡単なことなんだよ」
「わ、わかった。悪かったよ、俺が悪かったよ!」
「タメ口利くにもほどがあるぜぇ」
「ごめんなさい、俺が、ごめんなさい!」
話のわかるガキんちょらしい。
「いいよ、もう。ガキんちょよ」と私は声を向けた。「この危なっかしい男はいっそ捨て置こう。私が話、聞いてあげるよ」
「ほ、ほんとうか? ねえちゃん」とガキんちょは顔をぱぁっと明るくした。「ほ、ほんとうなんだな、ねえちゃん」
私はこっくりとうなずいた。
「でも、正直に答えないと、即座にぶっ殺す」
「えっ、えぇぇっ?」
「真面目に返答しろってだけの話だよ」
「わ、わかった。わかったよ、おねえさん」
おねえさんっていう言葉は年増に言うセリフだろうけれど、この際、まあいい。私はガキんちょが武器をもらい受けているらしい、あるいは薬を受け取っているらしいヤクザを知った。ガキんちょは、「マジでヤベーんだよ。俺のやり方が奴らに知られたら、ほんとうにダメなんだ」
「だったら祈ってな。私らがうまくやれるように」
もはや煙草を吸っている相棒に事の次第を話すと、奴さんは「なんともつまんねー話だな、おい」と悪態をついてくれた。
「私たちは賢いよ」
「あぁ?」
「だって、シーケンシャルに物事を進めてるんだもん」
「シーケンシャルとか言うな。意識高い系で誰にも優しくされねーぞ」
「手、貸してよ。全部ぶっ壊したいから」
「やぶさかじゃあねーよ」
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日本のあちこちにおいて、首を真っ二つに切断された死体が見つかっているらしい。なんだかそのへん、私はよくわからないのだけれ、首から下の身体と首より上はその場に捨て置かれていたらしい。まったく面倒な話だ。少なくとも私はそんな野郎を相手に回すべくいまの職に就いたわけではない。
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「ギロチン」
先方のことを、関係者はそう呼んでいるらしい。軒並み死体が首を切断された状態で見つかったからだろう。私はそんなこと知ったこっちゃない。敵がいるなら駆逐するだけだ。そこに疑問を呈する余地はないということだ。
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「街に出るよ。よしんば――というか、悪者は駆除しないと」
「○○、おまえは楽観的すぎるんだよ」
「あんたに言われたくないね。だったら、どうするっての?」
「いんや、まあ、任せとけ。俺が沈めてやっからよ」
「無計画な作戦は信用できない」
「それでも俺は戦うんだよ」
男ってどうしてここまで馬鹿なんだろう。
そう思わされた。
そう思わされたからこそ、胸がきゅんとなった。
車を飛ばす。
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ああ、そうか。
先方は刀を持っているのかと気づかされた。
男はなにも言わない。ただただ素早く動いて、街の大通り、周りを殺す。
私はその行為を咎めようとする。だけど、男は止まらなくて。
男は名乗った、「俺がギロチンだ」と。
自分から名乗るあたり「ギロチン」という二つ名に酔っているのだろう。
私は敵に銃口を突きつける、九ミリだと心許ない。とにかく銃を向けた。
相棒が前に向かって射撃しながら、ギロチンへと向かう。ギロチンの動きはいままで見たどのニンゲンよりはるかに速い。刀ではなく大きな鉈――そうだ、鉈だ。それを持って、隙を見ては相棒に襲いかかる。そのうち、相棒の九ミリの弾が切れた。ここぞとばかりに一気呵成。相手が迫る。――が、相棒はものともしなかった。力任せにギロチンの胸ぐらを掴んでうつ伏せに引きずり倒し、その上に馬乗りになった。いつもの光景、いつもの態度だ。
大したことではないではないか。むしろ、つまんない最後だ。ギロチンとまで名指しされた男が、要するに、強者であろうに、なんだかそう、つまらない。
「やーめた」
相棒がそんなふうに言った。「ギロチンみたいに首を落としてきたって話だけど、そのじつ、しょうもない奴だったな」と腰を上げた。
ギロチンが身体を起こした。いまのいままでアホみたいに動きを封じられていたのに、それから解放されるや否や、悠然と立ち上がり、構える。身体は大きい。百八十以上あるし、横幅もある。ギロチン。奴さんくらいの体躯があればヒトの首くらい簡単に削ぎ落とせるだろう。まず間違いなく「ギロチン」だというわけだ。
相棒は「任せたぜぇ」と言って、私に事を預けてきた。偉そうに言われるあたりは不本意だったけれど――なにせ最近暇を持て余しているので――私が対応することに決めた。
ギロチンは真っ向から向かってこようとする。私は「待ちな!」と大声を放った。黒手袋をはめる。「これしないと爪が折れちゃうんだよねぇ」と自分でもわかるくらいののんきな軽口を、だけど事実を語る。
ギロチンが叫ぶ、「おまえぇぇっ」って。あはははは。ふざけるな。あんたはこの瞬間、敵になった。ほんと、ナメんなよ。殺すつもりでやってやるから。
ギロチンの鉈の一撃。悪手なんだなぁ、それは。接近戦で振りかぶってどうするっての? 相棒がパンパンパンと柏手を打った。楽しんでる。だから私も楽しもう。鉈を振り下ろされるより先に腹部にストレートを極めた。続けざまに顎先に右の肘を当てる。それで相手はがくりと膝から崩れ落ちた。相棒が近づいてきた。ギロチンの後頭部に背に、不要なくらいストンピングを浴びせる。厄介なのは、ウチの相棒は相手が死んでもいいっ思っていることだ。とにかく踏んづける、ガンガンガンガン頭を身体を蹴る。
「女だって殺されてんだ。許せねーよ。死ねよ、死ね。阿呆がっ」
「やめなよ。もう死んでるから」
「死んだな、このギロチンとかっつー男は」
「あんたが殺したんだよ?」
「ヒトなんていくらでも殺してやる。そこに俺の価値がある」
「馬鹿」
「うるせー」
とにかく腹を立てているようで、相棒はギロチンの頭が割れて壊れるまで蹴りまくった。
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ギロチンってね、決して弱い相手じゃないと思ったんだ。ベッドの上でそんなふうに言うと、相棒は「んなのくそったれだ」などと応えた。
「そのへんがくそったれ?」
「だよ。俺たちみたいなサラリーマンに殺されちまうあたりがそうなんだよ」
「へぇ、殊勝じゃん」
「俺は怖い」
「えっ、なにが?」
「みなまで言わせんなよ」
「えっと、たとえば、私が死んじゃわないかってこと?」
「だから、みなまで言わせんな」
「うれしいよ」
相棒が笑った。
「ギロチン、か……」
「ギロチンだよ。でもやっぱりあんたは見誤ってると思う。たしかに私は強いけど」
「次からは俺が遊んでやんよ」
「だから――」
「おまえがタフなのは知ってっけど、俺がやりゃあいいんだよ」
「優しいなぁ」
「そうだ。俺は優しいニンゲンなんだ」
私は笑った。
笑ってそして、煙草の火を求めた。
相棒と一緒になって、煙草に火をつけた。
ジッポライターを使って一緒になって火を灯した。
相棒は脱力したように、「おまえのことは心配してねーよ」とか言った。私はそれがうれしくてうれしくて、あらためて愛を伝えた。大人同士の関係じゃないなあと思う。だって私は事あるごとに、やはり「愛」を伝えているのだから。