1-08 夜の世界への誘い
「どうでした?」
「イデアスが執着する理由は分かりました、召喚に応じた理由も」
模型にかかっていた魔法で、再現されたおじいちゃんとイデアスの劇。
それは、彼らの過去以上でも以下でもなかった。
幼いおじいちゃんがイデアスと出会って、別れるまでのお話。
(やっぱり彼は、私のために召喚じゃない)
それは《再演》された家の中にある、二人の痕跡からも察せられた。
あるのは認識していた、けれどどうしてあるのかまでは知らなかったそれら。
(例えば、おじいちゃんの怪我を治そうとして集められた治療道具)
ずいぶん前に掃除をしていた時に見つけた、埃を被った箱の中に入っていたもの。
若い頃のおじいちゃんはやんちゃで、体が丈夫じゃないのにさまざまな場所に出入りしていた。
イデアスはそのたびにおじいちゃんを迎えに行って、手当てをして。
背負われて帰って来るおじいちゃんも、小言を言いながら許すイデアスも楽しそうな顔をしていた。
(例えば、病を治そうとして集めた素材)
過去に家の倉庫の隅で、積み重なっていたのを見たことがある。
過去のイデアスだって、おじいちゃんの病の進行を黙ってみているわけじゃなかった。
食べ物や植物、色んなものを試してみて、最後には他者から魔力を奪って解決しようとした。
《騎士》であるイデアスは魔力の譲渡ができないから、やっぱり結果を出せなかったけれど。
(そして、やけになったイデアスが傷つけた壁)
私が物心ついた時からある、外壁のへこみ。
おじいちゃんの魔力がなくなって、イデアスとの契約が切れる最後の夜にそれはつけられた。
最後まで抵抗しようとして、けれどどうにもならなかった傷跡。
(どれもおじいちゃんとイデアスの、大切な思い出)
だからイデアスの願いは、おじいちゃんと共にいることで間違いない。
けれどそこまで知っても、やっぱり私にはイデアスを許せそうにはなかった。
「どうして私だけなんでしょう、こんなの望んでなかった」
あの過去の《再演》を見て得たものは、知識だけじゃなかった。
今の私の腹の底には、燃えるような嫉妬が燻っている。
「運が悪かったんですよ、あなたが悪かったわけじゃない」
グリーフはそう慰めてくれるけれど、落ち着くことはできない。
だってこの世界じゃ自分の《騎士》と過ごすことは普遍的で、叶えられるべき願いのはず。
(誰かと、幸せに過ごしたかった)
それだけなのに。
みんなみんなみんな、そうしているのに。
「寂しいのですか」
「そう、かもしれません」
隣で顔を覗き込んで来ようとするグリーフから見えないように、私は腕で自分の顔を隠す。
自分からは見えないけれど、私はきっとひどい顔をしている。
だって今まで微笑んでいた彼が、真剣な顔をしていたから。
「ごめんなさい、みっともなくて」
こんな姿、顔見知りとすら言えない関係の人に見せるものじゃない。
自分で見ると言ったのだから、人前での感情の管理くらいちゃんとすべきだ。
けれどこんな感情、どうすればいいのか分からない。
(この人の言う通り、見るんじゃなかった)
イデアスの正体を知りたかったから、見ないという選択肢は選べなかった。
けれどそれなら、せめてグリーフと別れてから見るべきだった。
でもさっき初めて出会った彼は、厄介な私をそっと慰めてくれる。
「みっともなくなんかありません。あなたの願いは叶えられるべきものです」
「ありがとう、ございます」
柔らかな声で肯定されて、冷え切っていた心の温度が僅かに浮上する。
現金なものだけれど、寄り添うように同情されれば心が少し軽くなった。
そして落ち着いた心には、一つの答えが浮かび上がる。
(やっぱりおかしいのは、私じゃない)
他者に認められた安心感と共に、得られた答えが私の中でなじんでいく。
自分でも分かっていた、けれどこの確信は私一人じゃ出せなかったもの。
そして私が立ち直ったのを把握した隣の青年は、腰を屈めて高い位置にあった視線を私に合わせてきた。
「では、気晴らしに一緒に遊びに行きますか」
「え、……え?」
急な誘いに、反応しきれずまごつく。
今まで振り回されていた感情とは、完全に別のものだ。
(だって誰かと一緒に遊びなんて行かないし、そもそも今日会ったばかりなのに)
同じ教室の人ならいるが、毎日顔を見るだけだ。
ジェラとだって、ただただ会話するだけ。
だから聞かれても、すぐには答えられない。
(でも、もういいのかもしれない)
ジェラも「関わるのは《騎士》じゃないといけないのか」、と疑問を持っていた。
私も心の奥底で、それはずっと引っかかっていた。
(現実から、逃げてるだけかもしれないけど)
イデアスとまともに関われなかったから、他の場所に関係性を求めている。
それは自分でも分かっていた。
けれどいざ目の前に友好的な現れてしまうと、理性なんて簡単に溶けてしまう。
「あなたの《騎士》にはなれませんが、友にはなれます。それとも歳の離れた友人は嫌ですか?」
「い、いいえ! けれど、どこに遊びに行くんですか?」
なかなか答えられなかった私を見て、グリーフが心配そうな顔をする。
嫌なわけじゃないから、今度は即了承した。
すると今度は表情を反転させて、無邪気な笑みを顔に浮かべる。
「もちろん街へです、そう遠くへは行けませんからね」
私が答えるとグリーフの表情は打って変わって、今度は悪戯気になる。
そうなると急に子供のようになり、年齢が近づいたかのような錯覚を起こした。
「私と夜遊びしましょう、インフェリカさん」
「は、はい! グリーフ、さん」
好意的に手を取られてしまえば、抵抗する手立てなんか残ってはいない。
初めてできた人の友人に並んで、私は扉に向かって歩き始めた。
図書館から外に出ると、既に日は傾いて影を長く伸ばしていた。
(落ち着かないな)
まだ完全に太陽が落ちていないけれど、それでも既に悪いことをしているような気分になってしまう。
誰に言われたわけじゃないものの、特に悪ぶる趣味もないので夜遊びは初めてだ。
(だからこの先、何があるか知らない)
散々見慣れたはずの場所が、時間が変わるだけで知らないところに思えてしまう。
絶対にそんなことないのに。
ただ明るさが違うだけで、世界が変わるなんてありえない。
(でも、私が知らない何かがあるのかもしれない)
今までにない体験に夢が膨らんで、自分でもよく分からない期待が生まれてしまう。
けれど郊外にあった図書館から街に向かうにつれて、私の期待は報われることが証明された。
「露店、ってこの街にもあったんですね」
どこから出てきたのか、路上にはいくつもの店が開いている。
昼には何もなかった場所に色鮮やかな天幕を張り、その下でさまざまな商品を並べていた。
「毎日開催してますよ」
「うそ!?」
グリーフさんの言葉を聞いて、思わず大声になってしまう。
確かに私は暗くなると、家の外に出ない。
けれど隠されてたわけでもない、こんなに華やかな場所を知らなかったなんて信じられない。
「本当ですよ」
そして私の様子を見たグリーフさんは一瞬驚いた顔をして、穏やかに笑った。
さらに今の自分の声で、私は周りの人の目を引いてしまったと気づく。
「あ、いや、その、疑ったんじゃなくて」
「分かってます、大丈夫ですよ」
あわてて取り繕おうとして、小さく言いわけをこぼしてみる。
けれど我慢しきれなかったのか、グリーフさんはおかしげにくすくすと笑いだした。
こうなると、彼に嘲る意図なんかないのに恥ずかしくなってしまう。
(それに、今までこんな他人の目を気にしたことなかった)
私が気にするのは、自分の《騎士》に対してだけだと思っていた。
だから他者はどうでもいいと思っていたし、事実他人となったイデアスにはどう思われても構わなかった。
(けど彼には、嫌われたくない)
出会ってからの時間はイデアスよりも短いのに、もう離れ難くなってしまっている。
自分の《騎士》以外にこんな感情を持つなんて、本来あってはならないのに。
「さあ、行きましょう」
「……はい」
グリーフさんからの誘いを、どんな内容であっても断りたくないと思ってしまう。
恐怖とは違う感情が、私の胸を締めつけて苦しませる。
まだ何もしていないのに、帰りたくなくなってしまう。
ずっと彼と一緒に、この夜の世界に居つきたくなってしまう。
(これ以上知ったら私、どうなっちゃうんだろ)
星空の下の世界で、誰かと一緒に歩いている。
こんなにどきどきするのは、今までで初めてだ。
(……?)
けれどその気持ちに水を差す、誰かの視線を感じた。
一瞬イデアスが来たのかと警戒してあたりを見回したが、そうじゃなかった。
目があったのは、赤いコートの紳士。
胸まで伸ばされた銀髪の、鋭い目をした男性。
この世界じゃあまり見ない、おじいちゃんと同じ年老いた人。
(今の人、私を見てた?)
けれどそう思った時、既に彼はこちらを見ていなかった。
代わりに私が別の方を向いていたのに気がついたグリーフさんが、腕を引いている。
「どうかしましたか?」
「い、いえ! なんでもないです!」
そう、隣にいるグリーフさんと比べたらなんでもない。
気にならないかと言われれば嘘になるが、今優先すべきはさっきの視線の主じゃない。
「じゃあ行きましょうか、決闘場に」