1-06 図書館の青年と騎士の記録
イデアスのことを調べなければならない。
その思いに駆られて、学園とは違う方向に足を進める。
授業には完全に間に合わないけれど、そんなこと気にしてる場合じゃない。
(ジェラには悪いことしちゃったけど、もう相談したってどうにもならないし)
どこからか話を聞きつけた後輩が、先程私を呼び止めてきた。
けれど私は、ごめんと謝ってそのまま走り去った。
この騒動に、万が一でも彼を巻き込みたくなかったから。
庭の存在を知っていたのは、不思議だけど。
『君はあの庭で、ずっと薬を作っていればいいんだ!』
走り去っていく私の背中に、ジェラはそう叫んだ。
けれど彼はどうして私の家に、『薬を作る庭』があるのを知っていたんだろう。
(あそこは外から見えないのに)
ジェラを家に招いたこともなければ、そういう関係性でもない。
けれど彼はずっと知っていたかのように、庭の存在を言い当てた。
(でも今は、そんなこと考えてる場合じゃないな)
気になりはするけれど、調べるものとしての優先順位は低い。
ジェラがわざわざ家に侵入したとも思えないし、その情報を悪用するとも思えなかった。
(けれどあの《騎士》は冗談じゃなく、本当に危険だ)
イデアスがいなくなった後、倒れていた少女は病院に連れて行ってもらった。
命に関わるような傷はないらしいけど、問題は何も解決していない。
(幸いイデアスはおじいちゃんにべったりだから、私の動きを完全には把握していない)
あの時は少し離れただけみたいで、おじいちゃんの部屋を確認したらまた彼は寝台の横に戻っていた。
部屋をこっそり覗いている私には気づいているだろうに、こちらを向くことすらせず。
けれどそれを私の《騎士》としてどうとかと思う時期は、とうに過ぎてしまっていた。
(もっと早く行動を起こすべきだった、イデアスが異常なのはとっくに分かっていたのに)
自分の悠長さに、唇を噛み締める。
けれどあの《騎士》を異常だと認めたくなかったから、対応が遅れてしまった。
(だって私がそんなものを召喚したって、思いたくなかった!)
この世界のみんなが使える、普通の力。
普通の幸せを望む私が普通じゃないことを、これ以上増やしたくなかった。
けれどそんなことを考えていたせいで、他人に被害を出してしまった。
(私が持っている《台本》はおじいちゃんのものだから、イデアスには命令できない)
《台本》は《騎士》への命令を強制できる道具だ。
けれどあれは、《台本》と《契約者》の魔力が合致してないと使えない。
(ならそれ以外の方法で、イデアスを止めなきゃ)
これからは、問題解決に向けて行動しなければいけない。
だから私は学園に行くのをやめて、図書館に来ていた。
煉瓦で建てられた、一つの区画を埋め尽くす収蔵施設。
私が住んでいる街から少し離れた、知らない人もそれなりにいる場所。
(ここなら、何か手がかりがあるかもしれない)
そう願って、私は図書館に足を踏み入れる。
全体的に薄暗く、定期的にある大窓が建物内を照らしている。
すたすた、すたすた。
探し物をするうちに、今までは入らなかった奥へと向かっていく。
けれど自分が探しているものが、実はどこにあるかは分かっていない。
(何度かここに来たけれど、薬の作り方とかの本以外見てないし)
幸い分類分けはされているから、大まかな目星はついている。
問題は一番大きな分類だから、そこから絞るのが至難の技で「いけませんよ、《契約者》たるもの油断しては」
「うわ!」
幾つかの本棚を抜けた後、影から人が現れた。
図書館だけれど、大きな声を上げてしまったのは仕方ない。
ここに誰かがいるのなんて、見たことがなかったから。
「《契約者》は狙われていてもおかしくないのですよ」
「……あなたは?」
本棚の影から現れたのは長く黒い髪の、白く長い法衣を纏った青年。
瞳も黒く、星のない夜みたいな印象を受ける。
背が高いし、この時間にここにいるなら学生じゃないと思うけど。
(じゃあ、誰なんだろ)
正体の分からない人を前に、私はじろじろと不躾に見てしまう。
けれど青年は気にする様子もなく、人好きのする柔らかい微笑を私に向けた。
「グリーフです、あまりにも不用心なので忠告しに声を掛けました」
「……そうですか、私はインフェリカです」
名乗られたので、礼儀として名乗り返しはした。
けれどそれが正しいのかも分からない。
そもそも他人に話しかけてくるという時点で、普通じゃないのが分かるから。
(名前が分かっても彼が誰だか分からないのは変わらないし、どうして話しかけてきたかも分からない)
理由がない接触なんて、今まで経験していない。
イデアスも学園の少女も、私に会いに来た理由が必ずあった。
例外はジェラだけど、今は考えないことにする。
(ここに用があるだけなら、私に話しかけなくていいわけだし)
私なら他の人を見かけても話しかけない、話しかける理由がないから。
自分の《騎士》以外にはほとんど関わらないのだから、困っていたところで親切にする必要がない。
けれど目の前の青年はただ穏やかな表情を顔を浮かべて、私に話しかけてくる。
「ここはどういう場所だかご存知ですか?」
「《台本》が収蔵されているところですよね」
《台本》は《騎士》と《契約者》を繋ぐもので、同時に今までの出来事が記録される媒体でもある。
そしてその両方がいなくなると、この場所に保存されるようになっていた。
「えぇ、では見に来たのですね、召喚された《騎士》の記録を」
「はい」
一つの本棚の前で青年が止まり、本に触れる。
グリーフが引き出した背表紙には、誰かの名前が書かれていた。
この本だけじゃない。
おびただしい量の本の全てに、名前が書かれている。
(過去に存在していた《騎士》と、《契約者》の名前だ)
今までに存在した《騎士》の《台本》は、ここに収蔵される。
だから何かしらの情報が得られるんじゃないかと踏んで、ここにやってきた。
(私が持っている《台本》は、中が見られなかった)
彼の《台本》は私の魔力どころか、閲覧すらも拒否した。
どうにかして彼を制御する手がかりを得ようとしたけれど、表紙すらも開かない。
(だから図書館ならと思ったけれど、正直どこに有益な情報があるか分からなかった)
《騎士》達の記録場は、壁のような本棚を見渡す限り設置して構成されている。
一つの本棚を取っても私には届かない場所から、みっしりと《台本》が詰められている。
(でも、何日掛かっても見つけ出してみせる)
どうにもならなかったとしても、私は努力したのだという言い訳のために。
正しい動機じゃないのだろうけど、何もしないことこそ今の私には耐えられない。
けれどそんな心情なんか知らない青年は、私をただの迷子と捉えたらしい。
「では、より情報の多い場所にご案内しましょう」
「え、あ、はい」
突然の申し出に、私は反射的に返事をしてしまう。
対するグリーフは振り返らず、迷いなく図書館の中を歩いていく。
私は少し迷った後、結局彼の後についていった。
(司書なのかな)
グリーフの背中を見ながらそう思うも、多分違うなと自分で否定する。
何度かここを訪れたけれど、彼を見たことがないし。
(ちょっと怪我してるのが、気になるけど)
裾の長い服装で隠れているけれど、動くと端から包帯がのぞいている。
けれど粗野な人には見えないから、何か理由があるのかもしれない。
(今、詮索しようとは思わないから別にいいか)
会ったばかりだし、今後関わるかも分からない人。
それにイデアスの事を調べるのが、優先だ。
「この辺りですね」
「ありがとうございます」
グリーフが連れてきてくれた場所は、先程見たものよりも古い《台本》が置かれている場所だった。
そして中央には、古めかしい台に乗せられた劇場の模型が飾られていた。
(じゃあ、始めよう)
書架を見渡しながら、適当な場所にあった《台本》を手に取る。
それは私が持っている《台本》と似ているが、併記されているのは全然知らない人の名前だ。
(良かった、中は見れる)
無造作に選ばれた本は、何の抵抗もなく開いた。
本人達がもういないから、守るべきものもないということか。
(でも《騎士》の制御方法は、載ってそうにない)
いくどとなく紙を捲りながら、そっとため息を吐く。
その本には私が期待していたような《騎士》への弱点などは、記載されていなかった。
そして振り出しに戻ったのを確信した瞬間、また私は落ち着かなくなる。
(こうしてる間にもイデアスが、他の《騎士》を殺しているかもしれない)
直接的に私のせいでないとはしても、気分は良くない。
私の監督不行届だと誰かに言われても、うまく反論できそうになかったし。
(本当にイデアスは、どうして私の下へ召喚されたんだろう)
彼は契約してすぐに、おじいちゃんの存在を感知していたわけじゃなかった。
だから一応、私自身に会いに来たはずなのだけれど。
「調子はどうです?」
「やっぱり知っていることばかりです」
横から覗き込んできたグリーフに向かって、観念しながら首を振る。
読んでいる本には、持ち主の記録が文字の羅列で記載されているだけだ。
たまに知らない情報もあったけれど、どれも日常的なもので役には立たない。
「ならもっとくわしく調べますか?」
「できるんですか?」
また手詰まりになりかけていたところに提案されて、思わずうつむきかけていた顔を上げる。
グリーフを信用したわけじゃない、けれど私一人じゃできる行動が限られるのも確かだった。