3-12 忘れられない、夜空の窓辺と君
「これは……?」
「体が動かないだろう、何故だか分かるかい」
(もしかして)
この魔力の消え方には、覚えがある。
イデアスと殺し合った時、最後に私を守ってくれたもの。
「おじいちゃん……?」
「その通り。アドールが君を守ってる」
あの時も、勝負の決め手はイデアスの魔力不足だった。
おじいちゃんはいなくなっても、未だ私のおじいちゃんでいてくれている。
「それに僕だって、彼女を守りたいんだ」
そういうとイデアスは動けなくなった青年に、青い花の剣を突き立てる。
シアトリウムは小さく呻いたけれど、これ以上は抵抗できないようだった。
(やっとシアトリウムの動きを封じられた)
《台本》の世界と時と同じように、妖精の彼には致命傷になり得ない。
けれどその場に縫いとめて、自由を奪うことには成功していた。
「こっちは大丈夫、後は君の魔法が頼りだ」
「分かった」
彼の言葉に背中を押されて、私はもう一度立ち上がる。
この手に、もう武器は何もない。
あるのはグリーフが教えてくれた、最終手段だ。
「何をするつもりだ」
「この世界の再召喚よ」
何もできない私に、最初からある仕組まれた能力。
この世界の全ての《契約者》が持つ、私には呪わしかった力。
けれど今は、それが私を助けてくれる。
あるがままに、そのままに。
「《私は世界を愛してる》」
苦しみも与えられたけど、イデアスに出会わせてくれたこの世界を。
理想の新しい世界じゃなくて、うまくいかない元の世界に。
「どうか、戻って」
それがここまで辿り着いた、私の願い。
擦り切れて、ぼろぼろになって、それでも最後まで残ったもの。
それは巨大な、召還を行う門の形で現れる。
(門が、開く)
門を象る魔法陣は、深紅の幕の奥から目が眩む程の光で舞台中を照らす。
あの幕が上がれば、魔法は結実する。
けれど大規模魔法はやはり、簡単に飼い慣らされてはくれなかった。
(っ、魔力が足りない)
私一人が願うにはあまりにも大きな願いを叶えようとしている。
だから当然、大規模魔法はそれに見合う代償を要求していた。
けれど負荷が、不意に軽くなる。
「大丈夫だよ。僕は、君の願いを叶えるためにいるんだ」
私の震える手に添えられた手甲から、負荷が取り払われていく。
代わりにそこからじんわりと、暖かい魔力が与えられた。
「なるほど、お前は失った者たちを復活させる道を選ぶのか」
「しないよ、そんなこと」
床に縫い留められたシアトリウムが、魔法を展開する私に問う。
この魔法の真意はなんなのか、と。
だから私は、答える。
私が殺した人たちを、生き返らせはしないと。
「私が戻すのは、獣に喰われて消えてしまった人たちだけだよ」
墓を荒らし、死体を飾って過去を再現するような真似はしない。
どんなに取り繕っても、私が彼らの死因なのだから。
私に、彼らの復活を願う資格はない。
「《破滅》で失った、元の世界を取り戻すだけ。私に都合のいい世界じゃない」
「そうか、それがお前の答えか」
増大していく魔力を前に、シアトリウムは抵抗をやめた。
魔力の輝きを受けて、眩しげに目を細める。
「では、今回も悲劇で終わるということだな」
その言葉の直後に、門の奥で輝いていた極大の魔力はぱちんと弾けた。
煌々と照らされていたはずの舞台は、一瞬で暗闇へと落ちていく。
「……え?」
何が起こったのか、私には分からなかった。
だってもうできることは全てやって、ここで終わるはずだったから。
そうでないと、もう打つ手は残っていなかったから。
「イデアス、お前はここで《退場》しろ」
だからシアトリウムの言葉にも、私は反応できなかった。
彼の身体から抜け落ちた短剣が、からからと音を立てて床を滑る。
「インフェ、」
「イデアス!」
異変に気づいて、私はイデアスの元に駆け寄ろうとした。
けれど間に合わず、イデアスの姿は忽然と消えてしまう。
「何をしたの!?」
問いかけなくても、分かってはいる。
イデアスの《台本》の中で、彼が世界を操るのは見ていた。
けれど今の状況を認めたくなくて、反射的に言葉が口をついた。
「安心しろ、危害は加えていない。この舞台から降ろしただけだ」
(そう、だとして)
唐突に一人にされて、今まで麻痺して忘れていた自分の立場を自覚する。
もう裏の手はなく、私を守ってくれるものは存在しない。
開きかけていた《召喚門》も、固く閉ざされている。
けれど彼の肉体も限界だったようで、不意に指先が崩れ落ちた。
「っ」
「あぁ、この《衣装》も限界か」
音を立てて落ちる指だった物に息をのむが、シアトリウムは少しも動揺しない。
その間にも傷跡が彼の体を破壊し、ぼろぼろと皮膚が剥がれ落ちていく。
輝いていた羽も、音を立てて崩れていく。
けれどその隙間から見えた顔に、思わず目を見開いた。
「僕が分かるか、インフェリカ」
淡く色づいた夜空のような髪、その中で輝く星の色をした瞳。
私達とよく似ている、けれど記憶と寸分の狂いもない姿が、私とは違う存在なのだと証明している。
「あなた、もしかして小さい頃に会った」
けれどそこまで口に出して、それから言葉が続かなくなる。
だって、彼の名前を知らないから。
一人ぼっちの窓辺で、幼いころに何度か出会った青年。
眠る前に物語を聞かせてくれる、いつの間にかいなくなってしまった人。
そして封印していたはずの過去が、同じ声だと肯定する。
「あぁ、あの時は名前を教えていなかったな」
そう笑う彼は、憎らしいくらいに昔のままだ。
彼が来てくれたおかげで、おじいちゃんが病に倒れても一人じゃなかった。
物語や小さな劇と共にある、私の大好きだった夜空の人。
けれど彼と出会ったのは、いいことばかりじゃなかった。
それが原因で、私の孤独感が一層深くなったとも言えたから。
(彼が消えてこちらから会おうと思った時には、手掛かりがなくて追えなかった)
それが悲しくて寂しくて、思い出すことすらやめてしまった、心の奥底に残り続けている思い出。
夜の窓辺で見た、星と共にある青年。
でも一つ、解せないことがある。
「どうして、おじいちゃんの姿をしていたの」
「お前の好意を寄せる人物を真似た、その方が感情を揺らしやすい」
昔と何一つ変わらない、変化のない姿で青年は笑う。
それは成長しない、妖精であることの証明でもあった。
「アドールの姿も、数あるうちの一つだ。他の者の前には、また別の姿で現れる。名もない僕が現れるより、ずっと効果的だったはずだ」
(理屈としては、分かるけど)
誰とも知らぬ人より、身近な人の方がどうやったって心は乱れる。
でも普通ならそんなことしないし、できない。
けれどここまで話を聞いて、一つ分かったことがある。
彼は何も変わっていない。
体以上に、心がそのままだ。
「僕のことなんて、もう覚えていないだ「覚えてるに決まってるじゃん」
彼の台詞を、食い気味に遮る。
だって私は、彼に対してずっと怒っていた。
「あなたがいなくて、どんなに空っぽになったと思う? 勝手に現れて、夢を与えて、楽しみを与えて、そのくせいつの間にか消えていて」
満たされた杯から零れるように、私の心には何もなくなった。
最初からいないなら、最後まで何も分からなかった。
それなら、それでも良かったのに。
「また現れたと思ったら姿を隠して、私を苦しめて。なのに名前も教えてないのに、覚えていて欲しいなんて」
心を閉ざす程、彼がいなくなって傷ついた。
だから再開した今、あらゆる感情がない交ぜになって声が震えている。
けれど私の様子に、彼は不思議そうな顔をしていた。
「僕は覚えていて欲しいなんて、一言も」
「本当にそう思ってるなら、覚えてないだろうなんて聞かないよ」
色々な人に出会ってさまざまな感情を得た今だから分かる、人は言葉にしない言葉がとても多い。
けれど彼は、未だそれを知らずにいる。
そして、それは私も同じことだった。
「私は、ずっとあなたに会いたかった」
彼がいなくなったと分かってから、ずっと。
けれどこれまで再会の機会にも恵まれなければ、精神的にも自分の感情を表現できなかった。
でも今は、そのどちらも揃っている。
この機会は、逃せない。
「ねえ、話をしてよ。そのためにこの場所を用意したんでしょ」
彼がイデアスを追い出してまでこの席を設けたのは、私と戦う為じゃない。
だから私はシアトリウムが口を開くまで動かず、じっと見つめて待ち続けた。
「……お前達と同じ《舞台》に登ったが、僕は未だ《役者》の振りをしているだけの《書き手》だ」
しばらくの後、彼は迷いながら口を開いた。
今までの本を読み上げるような淀みのなさは消えて、たどたどしい言葉にとって代わる。
だからこれは舞台装置としてではなく、彼自身の言葉だ。
「《舞台》は僕が作った、他の世界から情報を集めて。そして妖精の本能に従い、何度も滅ぼしてきた」
「妖精の本能って、何なの?」
私は疑問を、口に出す。
夜の窓辺で彼と話していた時は、ほとんど彼の話を聞くだけだった。
けれどそれじゃあ、何も分からない。
「最初から植え付けられている、感情を宿した魔力を喰らいたいという妖精の欲望だ」
「じゃあ悪意を集めていたのも、妖精としての本能? あなたの望みじゃなくて?」
「言われてみれば、そうかもしれないな」
私の指摘に困惑したような、でも腑に落ちたという顔をシアトリウムはしている。
彼が求めていたと思っていたものは、彼自身の願望とは違うものなのかもしれない。
であれば、彼自身の本当の願いは何なのだろうか。
「なんにせよ僕の生きる世界にお前はいない、妖精の本能が、お前が生きてることを許さない。僕はそういう存在だ、だが」
「っ、きゃ」
不意に頭を掴まれて、私は彼の眼前に引き寄せられる。
けれど衝突はせず、額がぶつかる前に瞬間に止まって、するりと頬を撫でられた。
「《僕は、お前を愛している》」




