3-11 届かない世界へ、別れの挨拶を
「積み重ねた記憶に嘘はつけない」
筋書き通りに動かされたとしても、生きた私の感情までは操れない。
だから世界への憎しみは、紛れもなくお前の感情だ。
彼はそう言いたいのだろう。
(否定はできない)
私にはイデアスと関わらないで生きていく道もあった。
実際最初はそうしようとしたし、それが私の思う普通でもあった。
どんなに言葉を重ねても彼は他人で、自分の《騎士》でないのなら執着する理由もない。
(けれど私は、彼と生きていくと決めた)
色んなものを犠牲にして、私は彼を選んだ。それは確かだ。
でもそれを、後戻りできない理由とする気もなかった。
「ただの魔力に戻れば、痛みはなくなる。無痛を願うならお前を魔力に還し、嘘偽りなしの平穏を与えよう」
シアトリウムが言う平穏とは、無に他ならない。
彼もそれを隠す気はない。
(一人で辛い世界を生きるよりは、ずっといいから)
その考えを、彼も分かっている。
これは《契約者》の基本的な考えだ。
でも。
「私は還らない」
シアトリウムが嘘を言っているとは思わない。
召喚機構そのものであり、ひいてはこの世界そのものである彼ならばそれができる。
でも、私はそれに頷かない。
「確かに最初だったら喜んで飛びついた」
イデアスと敵対していた頃ならば。
救いを求めて、自ら懇願したと思う。
「なんで私だけって思ってたから。仲睦ましい人達に嫉妬してたから」
それこそ臓腑が燃えるような錯覚を起こすくらい、彼らが疎ましかった。
彼らが悲惨な目を見て、引き裂かれればいいと願った日もあった。
「だけど、今は違う」
私の言葉が終わると同時に、薄暗かった劇場が輝く。
それはかつてイデアスと戦った時に使ったものと同じ、大規模魔法特有の予兆だった。
「上か!」
私に意識が向いていたシアトリウムも、光源に顔を向けて吠える。
視線の先にはこの観劇場の真上で、準備をしていたイデアスがいた。
彼は既に天井を埋め尽くすほどの魔法陣を展開させ、時間を進める魔法を起動している。
「まだ、生きていたいの」
「あぁ、それを叶えるために僕がいる!」
先程習得した魔法を限界まで展開し、《破滅》の元凶であるシアトリウムにぶつける。
けれど避けることすらしないシアトリウムは、当然のように無傷だった。
「くそ、ダメか!」
「ただ強大なだけの魔力は、僕を殺せない。僕を殺すのは、僕の願いだけだ」
イデアスが客席に降り立って、シアトリウムに剣を振りかざす。
彼は私の《騎士》として、戦ってくれている。
「じゃあなぜ、お前は死なないんだ。グリーフが魔力殺しの刃で刺し違えたのに」
「さあな。僕もあれで死ぬものだと思っていたんだが」
魔法を起動して速度を上げたイデアスが、シアトリウムに向かって攻撃する。
けれど世界と繋がっている彼には、刃が届く前に動きを読まれてしまっていた。
「僕は今も生きている、これが全てだ」
そしてイデアスの剣を避けながら、薄虹色の羽をはばたかせながら、シアトリウムは問う。
「しかしインフェリカ。お前は何故そんな苦しんでまで生きたい? 理想の《騎士》もいないのに」
それは何度も、自分で問い続けた正論だ。
けれどそれに悩む時期は、とうに過ぎていた。
「確かに苦しいことの方が多かった、理想の《騎士》はもういないし」
今だってそうだ、選んだのは私の《騎士》じゃない。
私の《騎士》は、自らの手で殺してしまったから。
「なら、」
「けど、それでも良いの!」
少しでもイデアスの援護になるよう、私も声を張る。
たいした戦力にはならないけど、気くらいは逸らせるはずだ。
「理想じゃないけど、それで良いの。世界を呪わずに済んでいる、それが全ての答えだから!」
恨めしい世界を滅ぼすためじゃなくて、救うために戦っている。
その行動に嘘はない、けれど原動力はあくまで私の為。
「お前はこの《脚本》を許すのか? お前に《理想の騎士》を渡さなかったこの世界を!」
私に浴びせられる、彼の声を借りた私自身の悲鳴。
それは未だ根深く残り続ける、世界への呪いでもあった。
「お前の受けた痛みは、その程度じゃないはずだ。お前はこの世界からただ一人、隔絶されたにも等しかったのだから!」
(あんなに叫ぶなんて、私の代わりに悲しんでくれているみたい)
吼える彼を前に、場違いにも私はそう思ってしまう。
実際にそうかもしれない、彼はこの世界に干渉し過ぎているから。
ずっと見ていたのであろう私のことは、なおさらに。
「そういう苦しみを、物語を、僕はお前に与えたはずだ!」
キン、と高い音と共に、イデアスの剣が弾かれる。
シアトリウムが魔力を込めた剣で、さらに追撃する。
「っ」
イデアスの剣は地に落ちる前に、粉砕されて魔力に還る。
それらは一瞬だけ煌めき、客席へと降り注いで消えた。
「端役の出番は終わりだ」
一瞬の隙を突いてシアトリウムは、イデアスを舞台の下に蹴り落とす。
そして剣を倒れたイデアスの肩口に突き刺し、床に縫い留める。
けれど一発の銃声で、追撃しようとした彼は動けなくなった。
「残念だけどその苦しみも、もう私の一部なの」
イデアスに組みつこうとした彼の足元には、弾痕が残っている。
撃ったのは、私だ。
一番最初に私に戦いを教えてくれた、デフェンドさんが遺してくれたものだ。
(彼を止められさえすればいい。もう、目的を見誤ってはいけない)
イデアスと戦う前に、何度も言われた言葉。
それは今も、私の中に根づいている。
「確かに私が取り戻そうとしてるのは羨ましい、幸せな世界よ」
私には未来永劫届かない、運命の人と滅ぶまで生きる世界。
それを取り戻すのは、再び疎ましい世界を自らの手で救い上げること。
「でも届かない世界には、もう執着しないことにしたの!」
常に隣にある輝かしい世界には、事あるごとにきっと嫉妬する。
どうして私はそちら側になれなかったと、恨み続ける。
それでも歩き続けられる理由を、同じように見つけたから。
「そう、君を愛している人は沢山いるからね」
その声に振り向くと、イデアスが再び舞台上に這い上がってきていた。
足取りもしっかりとしていて、先程負った傷を引きずっているようには見えない。
「よく無事だったな」
「インフェリカが強力な魔法薬を渡してくれてたんだ」
私とシアトの間に割り込んで、イデアスは剣を構える。
魔力殺しの剣で作られた傷は存在するけど、薬でそれを上回る魔力を彼は補填した。
(おじいちゃんには決して使えないような薬だけど、イデアスなら問題ない)
今までは体の弱いおじいちゃんに合わせて、弱い薬しか作ってこなかった。
けれどイデアスの提案で魔力を補填するだけじゃなく、増強する強い薬を調合することにした。
「それにここでは、インフェリカが無尽蔵に魔力を補填できる」
「なるほど、インフェリカの理想地形にしたわけか」
いつの間にか客席に巻きついた植物を見ながら、シアトリウムはつぶやく。
イデアスが言った通り、この舞台には私が逃げながら巻いた植物の種がある。
それをイデアスが、加速魔法で芽吹かせた。
(植物から直接魔力を抽出して、変換し、イデアスに与える。これが対抗策よ)
あの妖精を倒す為に、能力を向上させる魔法は不可欠だ。
そしてイデアスは、その方法を自らの敗戦から掘り起こした。
「だが、もう武器はないだろう。丸腰で戦う気か?」
「まさか。まだあるよ、僕のじゃないけどね」
そういうとイデアスは、青い花の彫刻で飾られた短剣を魔力から生成する。
イデアスが剣を使えなくなってしまった時のことを考えて、私が事前に渡していたものだ。
その短剣は私が抽出した魔力を受け取り、大振りな剣へと変化する。
「今まで弄ばれた人たちの分も、お返しするよ」
魔力に満ちた彼は、大剣を軽々と振り回した。
届く範囲が広くなった刃は、今まで接近戦を演じていたシアトリウムに一瞬で追いつく。
「しかし、それだけでは足りない」
「だろうね、君の力は《台本》の世界の中で既に見ている」
シアトリウムは観客席や舞台を操って、多彩な攻撃を試みている。
対するイデアスは、その全てを大剣で力任せに薙ぎ払っていた。
けれどそれも、囮だ。
「……っ」
「やっと効いてきたね」
刃から逃れ切ったと思い込んだシアトリウムは目を見開いて、床に膝をつく。
喉から漏れ出る息はどんどん荒くなり、喉を掴む手の動きすらぎこちなくなっていた。
「何、を、した」
「毒を作って、剣に付与したの」
私の庭で作っている花は、基本的に薬を作る為のもの。
けれど効能を強めれば、毒を作ることもできる。
そしてかすり傷でも追わせ続ければ、動きを鈍らせることが可能だ。
(本当はおじいちゃんが他の病気になった時の為に、育ててたんだけれどね)
まさか自分でも、薬にするべき花から毒を生成することになるとは思わなかった。
けれどイデアスが考えてくれたやり方で私が戦力になれるなら、それを選ぶことに戸惑いはない。
「でもまだだ、まだ足りな……くっ!」
うめいていた青年の動きが、完全に止まる。
声の元を辿ると、彼が纏う魔力が端から霧散していた。




