3-08 境界の向こうへ
「《世界の淵》がここまで来ていますね」
合流したグリーフが、大地を埋め尽くす魔力を見下ろしてる。
《破滅の獣》に喰われ魔力に還元されたものは、この世界にまで侵食し始めていた。
この世界のあらゆるものの形を不明確にさせ、《劇場》への道も溶かしてしまっている。
「それって、前に言っていた場所だよね」
「えぇ」
《世界の淵》。
それは何も知らなかった時の、グリーフと別れる最後の夜に存在を知らされた場所。
正体は特定の地ではなくて、《破滅》によって生じる境界線だった。
(あの夜、そこに行っていたら本当に死んでたのかな)
結果的にまだ生きているが、その可能性は充分にあった。
でもそれはそれで、きっと後悔しなかった。
(一人で生きるよりはマシだから)
誰かに望まれて道連れにされるなら、それこそ本望に思った時期だ。
けれど今は願われても、この命は渡せない。
「このままじゃ辿り着けないな」
イデアスは私達の話を聞きながら、遠くを見通すように目を細めていた。
自分がどこまで私を抱えて飛んでいけるか、目測している。
(見る限り、イデアスが足をかけられる場所すらない)
《騎士》の身体能力は高いが、翼もないのに空を駆けられるわけじゃない。
けれど彼を見ていたグリーフがそれならば、と何かを思いついた。
「足場を作るのであれば、手はありますよ」
「どうやって?」
「この世界を再構成して足場を作ります」
(確かに、彼が大規模魔法を行うならできるかもしれないけど)
私よりもはるかに魔法に精通している彼なら、多分不可能じゃない。
けれどその場合は、新たな問題が発生する。
「じゃああなたは、ここに残るの?」
大魔法は起動時、発動場所から離れられない。
まして中に足場を作るとなれば、足場を維持する時間はその場に磔になる。
(グリーフだって例外じゃないはずだ)
ちょっとしたことならともかく、かなり離れた場所までの道を再構成するんだから。
けれどグリーフは、私に向き直って穏やかに笑ってみせた。
「えぇ、でも問題はありませんよ」
(本当かな)
今の彼の問題ないは、なんだかデフェンドさんを思い出す。
彼も私の知らないことをたくさん知っている人で、それを教えてくれた人だった。
けれど彼が隠し事をしていたのも知ってしまったから、同じようにグリーフも疑ってしまう。
「行ってください、どうせ私は死ねませんので」
グリーフは私の答えを待たずに、大規模魔法を発動する準備を行っている。
魔力の海から再構築された足場は既に動き出し、等間隔で宙に並び始めていた。
「さあ、この先へ」
「ありがとう」
何も答えられない私の代わりに、イデアスが頭を下げて応じる。
彼はグリーフの行動を無駄にしないため、彼を犠牲にするのだろう。
であれば私も、駄々なんかこねられない。
「さよなら、インフェリカ」
二回目の別れが、こんなに早く来るとは思わなかった。
けれど前みたいに言葉を交わせないよりは、ずっといい。
(それでも嫌だと思うのは、望み過ぎなのかな)
イデアスに抱えられてそこから離れてしまえば、グリーフの姿はどんどん小さくなる。
けれど私の視線に気づいて、彼が小さく手を振ってくれているのが見えた。
だから私も手を振って、前を向く。
「私、頑張るね!」
彼の道連れとなれなかったあの夜を、私は越えていく。
もしあの日死んだとしても、きっと不幸じゃなかった。
優しい初めての友人に選ばれたことに喜んで、命を奪われただろう。
(でも、そうはならなかった)
であれば、その選択を選ばなかった意味があったと証明したい。
この先にある結末がより苦しい死だったとしても、選んだ意味があったと胸を張りたかった。
【Side グリーフ】
《騎士》と共に遠ざかっていくインフェリカを見送る。
私と同じ偽物の、けれど私を選んでくれなかった憎らしい少女。
未だに慕ってくれる、初めて『自分の意思で』道連れに選んだ相手。
(最後まで、この短剣は使えなかった)
妖精が私に与えた、おぞましい輝きを放つ短剣は未だ振るったことがない。
やり直しの効かない刃だから、自身の死の間際にすら使えなかった。
けれど、それで良かったのだろう。
(私には、殺人衝動がある)
最後まで隠しきった、初めて意思を持った時からあった情動。
幸い、まだ誰も殺してはいない。
定期的に気が狂うような情緒不安定になるが、まだ自傷だけで済んでいる。
(自死は、ついに叶わなかったけれど)
誰かを傷つけたいと願う自身の衝動が嫌で、何度も過度な魔力消費をした。
けれど何度、どんなに魔力を行使しても自分の身は消えてくれなかった。
この刃を使っても、自分だけは例外だった。
(あぁ、まただ)
どくりと心臓が強く波打ち、矛先すら分からない、けれど誰かに向けられた殺意が生まれる。
けれどどうしてそんなものを持って生まれたのか、未だに分からない。
(どうして私は、こんな風に生まれたのだろう)
正しく生きるとこも死ぬこともできずに、異常な魔力だけを持って生まれ落ちた。
抗いがたい衝動に感情を焼かれながら、無様にもここまで来てしまった。
(そのせいでインフェリカも巻き込んでしまった)
元々の殺人衝動は、彼女へ向いてない。
けれど衝動に侵されていないにも関わらず自分のものにしたくて、魔力へ還そうと誘い込んだ。
彼女を痛みから解放するだなんて、いい顔をするための嘘にすぎない。
(殺せなくて良かったと思っているのが、心底無様だ)
《破滅の獣》に襲われて落下した後、イデアスが起きる前に彼女を殺すことは容易だった。
けれどそうしなかったのは、単純に私がインフェリカを殺したくなかったから。
(どうせ矛盾した私には、終わらせられなかっただろうけれど)
《世界の淵》に彼女を誘い込んだとしても、きっと最後の最後でためらってしまう。
彼女を堕とす為の時間は、私の欲望を変質させる程に輝かしかった。
(これならあの獣の方が、ずっと上等な終わり方だ)
何度か目にした《破滅の獣》、妖精に作られた魔力の回収機構。
個人を執拗に攻撃しているのは初めて見たが、その終わり方には憧れすら感じる。
(失敗したとはいえ軸がぶれなかった分、美しい)
彼女の手元で育てられた獣は、在り方的に私と同じ衝動を持っていたはず。
けれど獣は最後まで衝動に従い、彼女を自分の物にしようとした。
半端物の私には、とても真似できないような真摯さ。
(けれどそれならば、私の衝動は誰に向けられているのか)
これは精神がまだ擦り切れる前から抱えていた疑問だ。
守る為の《騎士》が殺人衝動を抱く、そんな異常事態を引き起こす条件。
大規模魔法を即刻行使できる異常な魔力量、自死を願っても復活する事態、そして未だ見つからない《契約者》――。
「……そうか、そういうことか」
そこまで考えて、疑問が繋がる。
《騎士》は《契約者》の理想を形取って作られる、基本にして絶対の規則。
(抱えていたものが異常だったから気づかなかった、けれどこれが『願い』だとするなら)
《契約者》が自死の願いを持っているなら、殺人衝動を持つことはおかしくない。
そして《契約者》を殺す方法として、異常な魔力を持たされていたのだとしたら。
「まだ、死ねませんね」
ここで死ぬはずだった作戦を変更する。
最終的な結果は変わらないが、この衝動を向けるべき相手が分かった。
ならば話は別だ。
「少し、急ぎましょう」
無茶をしているせいで、いつの間にか口から垂れていた魔力を乱暴に拭う。
代わりに懐から煙草を取り出して、魔法で火をつける。
(久々ですね、これを吸うのも)
肉体の痛みを麻痺させ、精神を安定させる薬草を巻いた魔道具。
精神が荒れた時に吸っていたものが、常態化した悪癖。
インフェリカの前では、隠していたもの。
(けれど、もういいでしょう)
大規模魔法に与えられた痛みを、わずかだが緩和してくれる。
いくら自分が魔法に秀でていても、この魔法は終わりかけた世界を再構成する代物。
普通であれば、起動することもできない。
(それこそ、世界を作れる程の者でなければ)
でもそのおかげで異常な魔力を持たされ、生み落とされた理由が分かった。
ついでにこの殺人衝動の正体も、おぞましい短剣を持たされた理由も。
(ならば植えつけた相手に、望み通り返してやらなければ)
彼を倒すには私の死が不可欠だし、きっと結末は変わらない。
けれど満足を得て、消えられる。
それに、
(インフェリカは、私に思い出を与えた)
殺すと決意した心が揺らぐくらい、彼女とは共にいた。
時間で言えば決して大きくはない、けれど私が一番欲しかったもの。
(正規の《契約者》と繋がっているから、ずっと生き永らえてはいる)
けれどそれだけだ。
いいことなんかなかった、《騎士》の本能は飢えばかりを肥大化させる。
(本能は彼女じゃないと言っている、けどそんなものはもうどうでもいい)
私と彼女は正規の繋がりではないから、庇護欲も執着心も本来なら存在しない。
だからこれは《騎士》としての本能でなく、私の気持ちだ。
(彼女の元には残れないのが、悔しいですが)
この世界の成り立ち上、私は彼女の元に残れない。
私が生きていれば、《破滅》の根源も生きたままになってしまうから。
(だから、少しだけ悲しんでくれるといい)
後の彼女の人生に影響する程、悲しんで欲しいわけじゃない。
けれど私と過ごした日々を、なくすことを惜しいと思って欲しい。
そうすれば私は、「良かった」と思って刺し違えられるから。
一人の少女に向けるには、暗い感情だと自分でも思うけれど。
永く彷徨い続けた褒美に、それくらい望んだって罪はないはずだ。




