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3-07 破滅の獣が求めたもの

「それはさせないよ」


 イデアスが魔力を乗せた閃く剣を、エンヴィに叩きつけた。

 私に向かって駆け出した獣の前にイデアスが立ちふさがり、迫り来る巨大な爪を剣ではじき返す。

 するとエンヴィの殺意が、私にも分かるくらい膨れ上がった。


「なんでお前が立ち塞がるんだ。番でもない、お前が!」


 大きな口から発せられる声に、鼓膜が痺れる。

 気迫と同じくらい、物理的にも空気が震えていた。


「正しい契約をしているなら諦められた、ボクより先でも諦められた。なのに」


 エンヴィの瞳が、ぐるりと私に向く。

 けれどイデアスに向いていた殺意は、浴びせられない。

 代わりに向けられたのは、私には言い表せないような複雑な感情だった。


「こんな無様なこともないよ」


 大きな口から出ているのに、まるで脅かさないようにそっと吐き出される言葉。

 それはただの獣の咆哮じゃなくて、確かに意思を持ったものだった。


「君と出会ってから、僕は愛玩動物だった」

(拾われた時のことを言っているんだ)


 身内のおじいちゃんを除いて、私が一番最初に接触した他者は彼だった。

 まだ《騎士》に憧れを持って疑わなかった頃、たまたま弱っていたエンヴィを私は見つけた。


「手ずから魔力を恵まれて、保護された。必要なかったのに」

「……そっか、ならごめんね」


 初めてエンヴィの口から語られる、彼の感情。

 それは私が思っていたものとは、ずいぶん乖離していた。


(私は、彼を救ったと思っていたけれど)


 それは彼にとっては、望ましくなかったらしい。

 確かに私はあの時、あのエンヴィがどう思っているかなんて考えもしなかった。

 だって自分の寂しさを紛らわせるために、彼を拾ったのだから。


(必要じゃないのなら、確かに好意なんて邪魔なだけだ)


 誰かを助けることが必ずしも正義じゃないのは、もう経験している。

 苦しみながら生きるよりは、と思うならばなおさら。

 けれど否定したはずのエンヴィの方が、なぜか悲壮な顔をしている。


「違うよ。愛がなければ生きていけない、そんな生き物になってしまうのが嫌なんだ」


 長く紡がれた言葉が、ふと途切れる。

 それと同時にエンヴィは目を伏せたが、次に顔を上げた時にはもう惑う雰囲気はどこにも残っていなかった。


「だから、君がいなくても生きていけると証明する。僕は獣で、それが正しいんだって証明するんだ」


 いっそ優しげな、けれど明確な害意。

 そしてこれは、彼の最後の抵抗だ。



「君の気持ちは分かるよ、けれどそのために殺させはしない」



 彼の言葉が終わったのを確認して、イデアスが私の前に立つ。

 握られた剣は、きっとあの獣を殺すのだろう。

 けれど私に止める資格はない。


「僕も、インフェリカを守ると決めたんだ」


 かちり、と時計の針が動く音が聞こえる。

 それは何度も聞いた、彼の魔法が起動する音。


(でも、いつもと違う)


 普段は抵抗感のある魔力の流れなのに、今は彼が放出している魔力にそれを感じない。


(むしろ、何かを押し流しているみたいだ)


 彼が描く時計を模した魔法陣が、彼の背後に浮かび上がる。

 それは、何度も見たものとは逆方向に動いていた。


「《時よ進め、醜くとも新たな世界への道筋を示せ》!」

(イデアス、新しい魔法を習得したんだ)


 立ちはだかる敵を倒すために、意思が魔法として結実した。

 彼は新たな力に振り回されることもなく、静かにそれを振るう。


「そんな隠し玉があったんだ」

「たった今、できるようになっただけだよ」


 流れ星のような速度で、イデアスは獣を切り裂いた。

 鋭い爪も大きな牙も、彼に届きはしない。


「っなら、君だけでも……!」

「ごめんね、その願いは叶えられない」


 イデアスに敵わないと悟った巨爪が、私に伸びる。

 けれど爪先が触れる瞬間、私から膨大な魔力が迸った。


「魔力、反転……!?」

「そう、あなたは絶対私を狙うから仕込んでもらったの」


 《破滅の獣》を構成する膨大な魔力は、確かに脅威だ。

 だからこそ利用する方向へ、今回は持っていった。


(グリーフが、私にその魔法を施してくれた)


 《破滅の獣》を無力化できる程の魔法を、ばれないように気配を殺して発動させる。

 魔法を少しでかじっている人なら分かる、とんでもない魔力とそれ以上の技巧だ。

 時間と体力こそ要したが、彼は完璧にやり遂げた。


(危ないから反対されたけど、これが一番確実だしね)


 今回魔法的にも肉体的にもたいした力がない私は、戦力になりづらい。

 けれど弱いからこそ、どこかで必ず狙われるという確信があった。

 なら広範囲に罠を小さく仕掛けるより、一つの場所に大きく仕掛ける方が良い。


 そして戦いは、彼の一閃で終結する。


「これで終わりだ!」


 魔力を乗せたイデアスの剣が、骨組みだけの塔にぶつけられ、獣に向かって倒壊する。

 自らの膨大な魔力を暴発させられた獣に抵抗する力は残っておらず、無力に押し潰されていった。


「隠せないものだね、気持ちって」

「……え?」


 倒れゆく獣に目もくれず、仕事を終えたイデアスは私の前に降り立つ。

 けれどぽつりと彼が呟いた言葉の真意が分からなかった。


「ごめん、なんでもないよ」


 そういうと彼は答えることを拒絶するように、私に背を向けた。

 だから私も無理には聞き返さなかった。


(聞こえなかったわけじゃない)


 けれど彼が隠せなかった気持ちと言うのが、今の私にはすぐに理解できなかった。

 未だ私達は、お互いを理解できない。






 敗北したエンヴィは力が尽きてしまったのか、今は獣と人間の入り交じった姿になってしまっている。

 力を使い果たして、姿さえ彼は取り繕えなくなっていた。


「少しでも怖いと思ってくれた?」


 獣の振る舞いを辞めたぼろぼろの姿で、それでも彼は意地悪気に笑っている。


「可愛いだけの獣や人じゃ、記憶には残らないと思ったんだ。だから傷つけたかった。一生残るような傷跡を残したかった」


 エンヴィは腕を伸ばすが、短すぎてこちらには届かない。

 小さな獣の手では、人間までの距離がとても遠い。


「そんなことしなくても忘れなかったよ」


 エンヴィを見つめながら、私は彼の言葉に答える。

 さっきまで命を奪おうとしていた爪も、今は無惨に欠けていた。


「イデアスとは別の場所で覚えてる。可愛い君も、怖い君も」


 この慌ただしい生活が始まる前、イデアスすら来る前の孤独な時間。

 そしてイデアスと和解するまでの、狂いそうな感情の中で。

 彼は確かに、私を支えてくれていた。


「彼とは別に、大切だったの」


 そう、一緒なんかじゃない。

 どちらが大切とかでもない。


(別々に、愛していたの)


 おじいちゃんに近い、家族のような情で。

 けれどエンヴィはその答えに不服のようで、不機嫌に鼻を鳴らして答えを返した。


「本当は君の味方になることも考えたんだよね。でも、やっぱりやらない。やりたくない」

「どうして?」


 妙にふてくされた声で、けれどエンヴィは答えを返す。

 そういう律儀なところは獣じゃなくて、むしろ人としての彼を思わせた。


「君にはもういるからさ、《騎士》が」


 エンヴィはイデアスに目を向ける。

 もう既に力はなく、けれど感情を混ぜた瞳で。


「敵であっても、唯一になりたかったんだ」


 伸ばし続けた爪が、私の手に届く。

 そこから赤い線が、小さな痛みを伴って細く伸びていった。


「君を傷つけた、けれど僕は後悔しないよ」

「いいよ、私の方がよっぽど君を傷つけた」


 彼は精いっぱい私に心を傾けてくれていたのに、私は彼の言葉を全然聞かなかった。

 少し分かりづらいけど、いつだって私の味方でいてくれたのに。


「ごめんね、馬鹿で」


 イデアスが人を襲った時も、グリーフが私を殺そうとした時も、忠告してくれた。

 けれど言いわけをつけて、耳をふさいだのは私だ。

 なのに、


「……違うよ、馬鹿なのは僕だ」


 切れ切れの声で、彼はしゃべる。

 残された時間で、最後まで私に伝えようとする。


「分かってたんだ、それでもと思ったんだ」


 不器用な彼の言葉を、いつだって私はうまく受け止められない。

 でもその真意は、常に一つだった。


「後悔はしない。けど、仕方ないのは僕の方だったんだ」


 心も体も、めちゃくちゃに私に傷つけられたはずなのに。

 最後まで私を許して、消えてしまった。


「ジェ、ラ」


 声をかけても、もう何もない。

 折れた爪も、砕けた牙も、何も残さず、彼は魔力に還ってしまった。


(悲しい、というより喪失感が残っている)


 傷もついていない胸が、ずきりと痛む。

 ここしばらく、会ってもいなかった癖に。

 何度だって会えたのに、ずっと拒絶してきた癖に。






「もう、立てるのかい」


 少しの後、顔を上げた私にイデアスが問いかける。

 複雑な感情を、経験不足の私は未だ処理しきれない。

 けれど、いつまでも立ち止まるつもりもなかった。


「……うん、大丈夫」


 頷き返して、私は彼がいた場所から立ち上がる。

 目指すは《劇場》、そしてあの少年の元だ。

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