3-06 模倣の正体は、嫉妬
「足元、気をつけて」
「ありがとう」
私とイデアスは作りかけのもので構成された市街地を進みながら、《破滅の獣》の縄張りに近づいていた。
《劇場》の近くは魔力に還されていない建物がいくつもあり、その影から影へと移動する。
(力量が分からない分、《破滅の獣》に敗走する可能性も低くはない)
大きな図体は、それだけで力になる。
そこに私達の知らない何かを隠し持たれたら、それだけで勝算は絶望的になるだろう。
(だからまず、情報を集めないと)
敵に近い場所に潜入して、情報を探る。
運よく弱点でも見つかればいいが、やり過ごせる方法があるならそれでもいい。
(私達の目的は、あの獣を倒すことじゃない)
《破滅の獣》が《劇場》から離れてくれれば、特に策を講じなくてもいい。
けれどあの獣は、明らかにこちらを狙って攻撃をしてきている。
(だからこっちが潰される前に、どうにかしないと)
グリーフにはこの戦いの為にある仕掛けを作ってもらった。
だから今は少し休んでもらっている。
(彼は大丈夫だと言っていたけれど、心配だ)
グリーフは再会した時から、ぼろぼろの姿だった。
そこに無茶を頼んでしまったのだから、これ以上の助力は願えない。
(私とイデアスで、あの獣を倒さないと)
欠けた壁、硝子のない扉、取っ手のない扉。
そういうもので作られた街を、私達は進んでいく。
(枠組みだけの時計塔を抜けたら、《破滅の獣》の領域だ)
そこへ入り込むと、やはり光景が変化し始めた。
それらは街のさまざまな場所を映した後、私の家を象り出す。
「イデアスの世界?」
少し前に見ていた、《台本》に酷似した世界の正体を、イデアスに問うてみる。
けれど彼は、しっかり首を横に振って否定した。
「違う。似てるけど、多分君が生まれた後だ」
(確かに良く見ると、建物が《台本》の中より古く見える)
おじいちゃんの《台本》が再現する世界は、私が生まれる前の屋敷だ。
けれど今見えている光景には、彼らが家につけた傷がそこかしこにある。
「なら誰の世界なんだろう」
「君でもないのかい?」
「うまく言えないけど、なんか違う気がする」
光景としては、確かに私も知っているものばかりだ。
でも何故か、違和感が拭えない。
「やっぱりこれ、屋敷の部屋の光景だよね」
その場にいながらも、次々と変わる光景。
けれどそれは新しくも私が見たことのある場所ばかりだ。
(気になるのは、私達が見ている光景が大きいこと)
それなら過去の世界の再現者は、視線がとても低かったはず。
でも映し出される情景は、それだけじゃない。
(昔の、私)
そこには、今よりも小さな私がいた。
学園に通い始めたばかりの、学生服にまだ着られている時期の子供の姿で。
(でもおかしいな。この頃はおじいちゃんは寝込んでるし、イデアスもいないのに)
だからその私の姿を見た人は、いないはずだ。
ただでさえその時期の私は、他人を拒絶していたから。
「ここは、学園かい?」
「……本当だ」
更に光景は移り変わり、途中から行かなくなってしまった学舎を映し出す。
不思議なのはほとんどが外の光景で、教室の光景は数えるほどしかない。
「っ」
「雨、降ってきたね」
そして私の鼻先に、ぽつりぽつりと暗雲が雨粒を落とす。
今度は、雨の降る路地裏の光景へと移り変わっていた。
(あ)
世界に影を落とす黒い雲を見て、私は気づいた。
雨が体を冷やす感覚を、私は覚えている。
(ここはあの日、イデアスと契約を結んだ路地裏だ)
手をかけた彼と、もう一度約束を交わした場所。
ならば、おじいちゃんは関係ない。
(だってあの時、ここにいたのは彼と)
「――後ろに下がって!」
イデアスが叫ぶと同時に、私の腕を掴んで自分の後ろに隠す。
すると何かが爆ぜるような音と共に、人一人程の大きさがあるかぎ爪が姿を現した。
そして穴の空いた壁から、獣の瞳がぎょろりとこちらを見据えている。
(そうだ、やっぱりそうだ)
そう、獣。
いたじゃないか、私に最も身近なあの子が。
(これはあの子の世界だ)
「エンヴィ!」
彼として、呼んでいた名前を叫ぶ。
私が勝手に名づけた名前だったから賭けだったけれど、彼は動きを止めた。
同時に確信する。
(やっぱりあの子だ)
姿が変わったから、違うものだと思っていた。
私が知っているあの子は小さくて、攻撃なんかしない子だったから。
(けれど私の知る光景を共有できるのは、あの子だけだ)
おじいちゃんよりも長く、近くにいてくれた子。
子供よりも小さな視点で、世界に存在した獣。
そしてしばらく見ていなかった、私の後輩とも同一の存在。
(ジェラは私の情報を得るのが早かった、そしてエンヴィがいなくなってから姿を見ていない)
ほとんど校舎の外しかなかった、学園での光景。
それは学年が違う私たちが、外でしか会わなかったからだ。
今になってみれば、思い当たる出来事はいくつもある。
「君だったんだね」
私達の前に立ち塞がる、《破滅の獣》。
けれどもう、怖くない。
(だって私にとっては抱えられるくらい小さな獣で、後輩だから)
帰りが遅くなれば、それまで起きてくれていた。
何かあれば話を聞いて、忠告してくれた。
姿を変えながら、ずっと前から私に寄り添ってくれていた。
「エンヴィ、それともジェラ?」
もう一度名前を呼ぶと、少しの迷いの後に獣が口を開く。
すると人の口からは程遠い造形の穴から、人の言葉が漏れ出した。
「元々こんなんじゃなかった」
大型の獣らしい低い声が、吹き荒れる嵐のように鼓膜を揺らす。
けれどその震えに威容はなく、聞き慣れた後輩の声によく似ていた。
「僕はもっと大きな獣だった。なのにこんな無様を晒すなんて」
(今よりももっと大きかった、って)
今ですら驚愕するくらい大きいのに、実際はどのくらいの大きさだったのか。
それこそこの世界を覆い尽くすような存在だったのかもしれない。
「元に戻りたい、人の心がこんなに苦しいなんて知らなかった」
エンヴィの息が、だんだんと荒くなる。
それは獲物を前にして興奮しているようにも、天敵を目前にして怯えているようにも見えた。
けれどその震えも、大きく吐き出された咆哮に霧散する。
「人の姿をとっても、獣は獣だもんね。やっぱり獣は獣らしく在るべきだ」
がばりと、人なんか簡単に丸呑みにできる口が開く。
でも奥に繋がっているのは多分、胃袋なんかじゃない。
「ねえ、僕に喰われてよ。君を喰らえばきっと僕は元に戻るから」
(本当に?)
私は彼に食われても、きっとどうにもならない。
他の獣に襲われた人達のように、個としての存在がなくなるだけだ。
けれど彼は、それでも構わないのだろう。
だから私は問いかけを、音にはしなかった。




