1-04 騎士の譲渡
「《騎士》を譲渡してほしい、ですか?」
「そう。私、あの《騎士》が気に入ったの」
いつだって変わり映えしない、ただ行って帰って来るだけの学園。
そこで、私は見ず知らずの少女に呼び止められた。
「あなたの屋敷にいた彼、とっても素敵。《騎士》にするなら彼がいいわ」
今まで一度も話したことがない同学年の少女が、突然私を呼び出してきた時は何かと思った。
けれど内容は単純明快で、前に授業で聞いた事象だった。
(本当にあるんだ、他人の《騎士》に憧れてしまうって)
《契約者》は本来、自分の《騎士》のみと繋がる。
けれど稀に、契約前の《契約者》が他人の《騎士》にあてられてしまうことがあるらしい。
(きっと、これを恋っていうんだろうな)
輝く少女の目を見ながら、ぼんやりとそう思う。
《騎士》とは恋愛感情というもので、心理的に結ばれることも多いらしい。
多分彼女の精神状況が、それに近いものなんだろう。
けれどイデアスをそのまま譲渡するのは、さすがに良心が咎めてくる。
「自分の《騎士》を召喚した方が良いと思いますけど」
我ながら実感のこもった声になってしまう。
けれどどうか、彼女には聞き入れて欲しかった。
(イデアスは普通の《騎士》じゃない)
今の《召喚者》である私じゃなくて、前の《召喚者》であるおじいちゃんにイデアスは執着している。
だから召喚権を譲渡したところで、素直にイデアスが彼女に従うとは思えなかった。
(私自身に問題があるなら、それでうまくいくだろうけど)
あいにくイデアスは、召喚されてすぐに私と離れている。
だから嫌われることすらできない時間しか、私は一緒に過ごしていなかった。
けれど目の前の少女は、私の嘆願も聞いてはくれない。
「絶対にあの《騎士》がいいの!」
「そ、そうなんだ」
彼女の強い気持ちを間近で浴びて、思わず心が揺れてしまう。
そこまで強い思いを持つのなら、彼女に譲渡してしまおうかと思うくらいには。
(それにもう、自分がイデアスを持て余しているのを隠せない)
薄情かもしれないけれど、自分の《騎士》にならない《騎士》なんか目障りなだけだった。
(だって私は、ううん、私だけじゃない。この世界の人はみんな自分だけの《騎士》が欲しいんだから)
目の前のような例外はあれど、基本的には当たり前の願いで、叶えられるべきはずの願いだ。
当たり前すぎて、誰からも聞いたことはないけれど。
(とはいえ、私の一存だけでイデアスを譲り渡すわけにも行かない)
私から彼女に《契約者》が移ったところで、イデアスには何の問題もないだろうけど。
それでも何も言わずに契約権を譲渡するのは、ダメだと思う。
何にせよ、イデアスに聞くだけ聞いた方が良い。
関係性はともかく、私はイデアスと契約しているのだから。
「一応、彼の意見も聞かないと「そんなのいらないわよ、《騎士》は《契約者》の言葉に従うんだから」
あなたが頷けばそれ以上の問題はないと、少女は当たり前に言う。
一見横暴にも見えるけれど、本来はこれ以上ない正論だ。
(普通なら、《騎士》は《契約者》には逆らわないから)
問題はイデアスが普通の《騎士》じゃない、ということだ。
(けれどもう私が《契約者》じゃなくなるなら、気にしなくてもいいかな)
そう思う私は、気が緩んでいた。
イデアスから、後腐れなく離れられる可能性が出てきたから。
「もう、じれったいわね!」
「あっ……!?」
考え事をしているうちに彼女が、強制的に私の《台本》を奪い取る。
《台本》自体は魔力に還元して、私の魔力に混ぜていた。
けれど彼女は私に触れ、無理やり《台本》を形にして引きずり出す。
だから気づいた時には、もう私の中には何も残っていなくて。
「《台本》があれば、彼だって言うことを聞くわ」
「いや、それは多分違うと思いますけど」
現に《台本》を所有している私は、イデアスを制御できていない。
けれど一応の忠告として、彼女を否定しておく。
すると彼女は傷つけられたと言わんばかりに、目を釣り上げた。
「彼が言うことを聞かないのは、あなたに《契約者》としての適性がないからでしょ! 私は違うわ!」
「そ、そうですか」
想像してた数倍の勢いに負けて、私は彼女の言葉にうなづく。
するとようやく満足したのか、彼女は腕を組みながら勝ち誇って踵を返した。
「じゃあ、これからは私が彼の《契約者》だから」
「え、あ、はい」
あまりにもあっけない幕引きに、思わず言葉が遅れる。
そして《台本》を手にした彼女はもう用はないと、振り返りもせずに去っていった。
(終わったんだ)
足取り軽く、遠くなっていく彼女をぼんやりと眺めて見送る。
感じたのはイデアスがいなくなった喪失感と安堵、そして久々にすっきりとした自分の魔力。
けれど後悔だけは、微塵も感じなかった。
結局あの後、私はイデアスの元へ行かなかった。
(でも、彼も気にしていないと思うし)
一夜明けて学園に向かいながら、一人そう結論付ける。
契約権が移動した後も、イデアスが私に会いにくることは来なかった。
(さすがに気づいてないはずはないから、いいってことだよね)
イデアスにとっておじいちゃん以外なら、誰が主人であっても問題はないのだろう。
けれど、それならそれでいい。
(私とイデアスは、もう他人なんだし)
他人なら、そこまで感情を傾ける必要もない。
私の《騎士》なら私を優先して欲しいけれど、そうでないなら彼の自由にすればいい。
(おじいちゃんの部屋の窓も、開けておけばいい)
《契約者》を守るために高い身体能力を持つ《騎士》ならば、二階の窓からでも出入りできる。
私ももうイデアスとは会いたくないし、彼も窓が開いていればそこから勝手に入るだろう。
《騎士》以外への欲求が極端に低いこの世界じゃ、窃盗事件もほぼないので警戒しなくていい。
そしてそこまで考え終わると、どこからか視線を感じた。
「あれ、なんでエンヴィがいるの」
視線の元を探って、後ろを振り向いてみる。
するといつの間にか外に出たらしいエンヴィが、屋根の上から私を見下ろしていた。